第10話「荒野の看板娘」
「ひゃあ?!」
パンツ一丁で部屋の真ん中に立っていた女の子が慌ててベッドの上にあった赤い服を身体に引き寄せようとして、コケた。
年の頃なら10歳前後といったところか。
肉付きは悪く全体的に細い。
握っていた何かが手から飛び出して俺の足元に転がってくる。
15センチくらいの金属棒で先端に球状の飾りがついていた。
棒付きの飴玉にも見える。
俺はそれを拾って、女の子を起こしてあげる。
「大丈夫か?」
「は、はい……あ、あのそれ!」
女の子はわたわたしながら飴玉……じゃない謎の棒に手を伸ばす。
いじわるする気も無いので素直に彼女の手に乗せてあげると女の子はホッと安堵の息をついた。
幼女の裸にはまったく興味はないので「はやく服を着な」と後ろを向いた。
「も、もういいですよ」
振り返ると赤いワンピースの女の子が立っていた。
くすんだ金髪で首の後ろあたりを紐でくくっている。
くせ毛なのか髪質が悪いのか若干ウェーブがかっている。
顔立ちはとてもかわいい部類だろう、将来は美人になりそうだ。西洋顔でやや彫りが深めだ。
「んで、なにしてたんだお前」
「私はクジラ亭の娘でナルニアと申します。いらっしゃいませ」
なるほど娘さんね、それでパンツ一丁で何をしていらしたのかしら?
思春期だから色々あるのか?
「お掃除です! 買ってもらったばかりの服だから汚したくなかったんです! それにこんな時間にお客さんが来るなんてほとんどないですから……」
「じゃあ最初から着なきゃいいじゃねーかよ」
「だって……着たかったんだもん……」
ああ……わかんなくもないけど、子供の判断力だなぁ。色々と。
「で、掃除は終わってるのか?」
「……これからです」
「んじゃやってくれ」
ここで手伝おうとか、もうやらなくていいとか言う人間では無いのですよ俺は。
これが彼女の仕事だというのならきっちりやってもらいましょう。
彼女はワンピースの裾をつまんで一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに切り替えたようでチュッパチャ……金属玉付き棒を部屋の中央で構えた。
「あ、お客さん、廊下に下がっててくださいな」
「ん? わかった」
掃除をしているようには見えないが邪魔をしちゃ悪い。
素直に数歩下がった。
「……んー! 綺麗になれ……綺麗になれ……、えい!」
金属棒を両手で構えてナルニア女史がブツブツ呟くと、金属球が一瞬光り、部屋全体に広がった。
え、今のなに?
俺の驚きと疑問をよそに、横に置いていた箒とチリトリで手際よく床を掃いていく。
軽くベッドメイクを済ませると「終了!」と元気よく振り向いた。
「なあ、今、何したんだ?」
「見たことありません? お客さん」
ふふんとペタンコな胸を偉そうに張って謎の棒をチラつかせる。
「ああ、ない」
「お掃除の力が宿った空理具ですよ」
「空理具?」
どっかで聞いたような気がするが思い出せない。
「一つだけ空理術が使えるようになる道具なんだけど……商人さんなのに本当に知らないの?」
「……なんで商人だと思ったんだ?」
「だって見たことのない高そうな服装にメガネだし、その割に旅慣れてない感じだし、駆け出しの商人なのかなって」
ナルニアは俺の壊れかけの靴を指差した。
靴はまだしもメガネは商人なのか?
「良い観察力だな。……俺は遠くの国の駆け出し商人なんだが、一気に儲けようと有り金全部を船に投資して荷物と一緒に沈んだんだ」
「へー。それは残念だったね。この国は今海運に物凄く力を入れてるから、新しい交易ルートが出来るなら大儲けだったのにね」
内心でそうなのかと心のメモに記入しておく。
「ああ、服にいくつか銀貨を縫いこんでおいたから、一から出直しさ」
嘘八百である。だが良心は欠片も痛まない。
「さすが商人さん、転んでもタダでは起きないね」
「せっかく拾った命だからな、無駄遣いすることもないだろう。それよりその空理具っての凄いな」
「えへへ、このお店の宝物だもん。掃除の空理具と明かりの空理具は手に入りやすい価格だけど、それでも高いもんね」
「どのくらいするんだ?」
「値段は日によって変わるけど、金貨5枚以上するんじゃないかな」
銅貨と銀貨の価値はわかったけど、金貨の価値はさっぱりだな。
100万とかだったら手が出ない。
便利そうだから色々揃えたかったんだが。
「しかし……まるで魔法だな?」
「魔法?」
ナルニアが俺の呟きに首をかしげる。
「魔法って絵本とかに出てくるありえない力とか理術を大袈裟に描いたやつかな?」
「その二つは違うものなのか?」
「理術はちゃんと解明された力だけど、魔法はお伽話にしか出てこないよ。今時理術の事を魔法なんて言ってたら笑われるよ、ぷぷー」
わざわざ最後に吹き出したのは、そのくらい恥ずかしいよってことなんだろう。
しかし随分と知識があるというか、博識な少女だな。
「ナルニアはいくつなんだ?」
「ん? 12になったところだよ? うーん。もうちょっとお金持ちになってから求婚してね?」
ものすごーく残念そうな顔で上目遣いしてくる少女とか、侮れないけど興味はない。
「はは、あっという間に金持ちになるから後悔するなよ」
頭をぐりぐりと撫でてやると歳相応の笑顔を見せて「じゃあごゆっくり!」と隣の部屋に行ってしまった。
うん。悪い宿じゃなさそうだ。
一つ驚いたことがある。
部屋についてる窓のことだ。
基本は木板で出来ているのだが、その真中に手のひらほどのガラスが嵌め込まれ外光を取り入れているのだ。
これなら雨や風や砂嵐の時でも申し訳程度に明かりが取り込めるだろう。
作りにムラがあるのは、技術的な問題なのか、安物を仕入れて使っているのかまでははっきりしない。
なんとなく後者の気がする。
がっちりと嵌めこまれているので簡単に盗まれることもなさそうだ。
部屋を改めて見回す。
幅の狭いベッドが一つ、シーツをめくってみると中は藁だった。
意外と良い香りがする。
上掛けの毛布はかなり擦り切れていたが、鼻を近づけてみても特に臭ったりはしない。
こまめに洗濯をしているのかもしれない。
なるほどハッグの目は確からしい。
さきほどの木窓。現在はつっかえ棒で大きく開いている。
外を覗くと先ほどの大通りが見下ろせた。
道幅の割に通行量は無く、時折馬車が行き来していた。
町……いや国の規模の割に人口が少ない気がするな。
やらなきゃいけないことは色々あるが……今日はもう休みたい。
「限界……だ」
俺は藁のベッドに倒れ込み、泥のように眠りについた。