幕間「彼女のモノローグ・前編」
商売は順調でした。
新しい技術に商品。どれを取ってもヴェリエーロ商会を大きく発展させるものばかりでしょう。ですが私の心にはいつも澱の様に引っかかっている事があります。
ライター。
彼が出したそれは理性を飛ばすほど魅力的な商品でした。しかも肝心の当人はその素晴らしさに全く気がついていないのです。ですからつい、いつもの調子で自分優位に事を運んでしまいました。実際には優位どころか譲られる形にはなりましたが……。
しかし今ではそれを後悔しています。理由は2つ。一つは商品として流通させるのが思っていたよりも難しいということ。こんなオーパーツまがいの代物を軽々に売り歩くのはリスクが伴います。
そしてもう一つ。どうして私はよりにもよって彼を他の十把一絡げな商人と一緒くたにしてしまったのでしょう。彼はこんなにも私の事を信用してくれているというのに。
信用には信用で返す。そんな甘っちょろい事を言うつもりはありません。信用には最大限の罠を持って返し合うのが商人という物です。
ならばこの感情はなんだというのでしょう?
もやもやとしたまま結局答えは出ずに、そのまま日々を過ごすことになりました。
彼がもたらした和紙という素晴らしい技術に心躍るよりも、このもやもやとした気持ちの方が大きかったのです。一体私は本当にどうしてしまったのでしょう……。
その後のレッテル男爵邸でのやり取りでも、彼は私を助けるどころか見捨てて帰ろうとするではありませんか!
全くもって腹が立ちます!
どうしてそんなに腹立たしいのか理由がわからいのが余計にイラついてしまいます。
そして次の日にアキラは私に尋ねました。
私が男爵閣下を好きかどうか、その気持ちがすっぽり抜けていると。
言われるまで気がつきませんでした。
男爵閣下の容姿の醜さを嫌悪感の原因と考えていましたが、決してそれだけではないのです。もし私がより商会の事を大切に思っているのであれば、我慢出来る範疇なのかもしれません。
しかしどうして今まで閣下の気持ちを拒んでいたかと言えば……。
そう。私が閣下を好きではないから。
この一言に尽きるのです。
決して嫌いではありません。商人として彼の人材登用の手腕は見習うべきところがあります。
ブロウ・ソーアが抜けた後、没落するのではと思っていたのですが、彼がどこからか連れてくる人物は、どれも一角の人物でした。
そう考えると彼とアキラが仲良くなったのは必然だったのかも知れません。
なぜかそう結論づけると、こころがすっと落ち着きました。
閣下には申し訳ありませんが、近いうちに正式にお断り申し上げることにしましょう。
アキラの言葉はいつも私の心の芯にまで届きます。彼は気づいていないようですが。
後日、空理具関連でトラブルが起きます。
アキラの非常識を再確認するような出来事でした。
照明や光剣の効果を見て、私は頭を抱えます。
彼は非常識です!
……。
と同時に、なぜか少し嬉しい気持ちになっていました。彼は特別で、私はその彼の側にいる。
ため息の中の笑みは上手く隠せていたでしょうか?
別の日。
街の外の実験場から帰る途中でした。
きっと付けられていたのでしょう。実験場で襲ってこなかったのは警備が厚かったからかも知れません。
野盗でした。
昔は良く出ましたが最近では珍しい事態でした。護衛の二人は大変な腕利きなので6人程度の野盗など敵では無いでしょう。
暫く観測していると、どうにも敵の動きがおかしいのです。
これは……。
私は馬車を飛び降ります。
波動を蛇のように這わせて当たりを警戒します。
なんとなく違和感を感じました。間違いなく敵が隠れています。
私が一喝すると、慌ててクロスボウを持った男が飛び出して来ました。彼の放った矢は外れて飛んでいきました。
私はストレス解消も込みでチェーンで敵を打ち付けます。顔を踏み抜くと、少しばかりスッキリしました。
しかし私はそこで油断していました。
せっかく波動で敵がいることを知ったというのに、それが一人であると思い込んでいたのです。私のレベルでは人数まで判別など出来ないというのに。
私は気がついたらアキラに押し倒されていました。
言葉通り目と鼻の先に彼の顔がありました。思考がまとまりません。
しかし頬にあたる暖かい感触に直ぐに熱はすっ飛びました。
「アキラ様?!」
そう、彼の頬からは真っ赤な血液がポタポタと流れ落ちていたのです。
おそらく別に隠れていた人間の攻撃でしょう。アキラは戦える男ではありません。
私が時間稼ぎをしなければ!
そう思って立ち上がろうとしたのですが、アキラに思いっきり抱きつかれました。彼は私を身を挺して守ろうとしていたのです。
邪魔だとか、状況が読めていないとか、そういうロジックな感情は一切出ませんでした。
敵の事も頭から抜けて、ただ彼の体温と抱きしめる強い感触だけが私を支配していました。
結果的には問題無く敵は撃退出来ました。
しかしここ数日の商売の話も、野盗の件も全てすっ飛ばして、私の思考は彼に支配されてしまいました。
次の日にアキラがさらに襲われたことを知ります。
油断しました。
捉えた野盗の生き残りの証言から、彼らの雇い主は私の生け捕りが目的であったと判明していたからです。
まさかその直後にアキラが狙われるとは想定外でした。
なお彼らの雇い主を探させてはいますが、おそらく見つからないでしょう。私を生け捕りにしたい人間など荒野の岩ほどおりますから予想も難しいですね。
しかし噂のエルフに命を救われるとはアキラは人徳があるのでしょう。
……そのエルフが護衛といって四六時中付いてくるのです。
私とアキラの時間を邪魔するように。
落ち着いてきていた心がまた泡立ちます。ぶくぶくと。
なんでこんなにイラついているのか自分でもわかりません。
今考えると理由など明かだったというのに……。
その後アキラとは商売や国の話など交わしました。
彼からすれば、時間潰しの雑談であったと思うのですが、私からすると、自分を含めて見えていない事を指摘されたような気がしました。
ギルド制度に文句をつけるなど、アキラ以外から聞かされていたら一笑に付すか、従業員であれば首もあり得たでしょう。
ですが彼の指摘した事は、確かに論理的で納得のいくことでした。
アキラは料理も出来るようです。
専属料理人でもなければ、食堂の雇われコックでも無かったと言います。男性がいったいどこで料理など覚えてくるのでしょうか?
別の商人との商談中にさらっとフライの話をしていたのを思い出します。きっとアキラは料理が得意なのでしょう。
せっかくなので作ってもらう事にしました。
材料を見たときには驚きましたが、そのほとんどは宮廷料理レベルの味でした。しかもピラタスのような田舎国王が食す物では無く、レイクレルの貴族が食すような。
この時もアキラが相談役という事に甘えて当たり前のように、その料理法を教えてもらいました。彼は何も隠さずに全てを見せてくれました。調味料はSHOPの能力から取り出した特別製で彼自身も作り方を知らないようでしたが。
どうして私は彼の善意を都合の良い契約上の一環だと取ってしまったのでしょう。
本当に私は馬鹿でした。
それとは別に、彼が側にいたらずっとこんなに美味しい物が食べられると、ちょっぴりはしたないことも考えていました。
それはつまり……。この時は自分の矛盾した感情に気がつくことも出来ませんでした。
この感情の正体に気づき始めたのはいつだったでしょう?
その後アキラの全裸を見てしまうハプニングがありました。彼の身体は傷だらけでした。平和な世界に育ったという割に、歴戦の戦士か不屈の商人のようでした。
彼の人生に何があったのかを考えると、なかなか寝付けない夜が続きました。そんな事は今まで一度も無かったというのに。
その後、漁業ギルドと飲食ギルドと協定を結ぶのですが……。
思い出しました。私が自身の気持ちに気づき始めたのはこの時です。
知り合いであるマイル・バッハールの言葉でした。
彼の事は子供の頃から知っていますし、彼も私の事は子供の頃から理解している仲です。私の印象としては兄の親友というイメージが一番強いでしょう。子供の頃は二人して泥だらけになって遊んで羨ましく思っていたものです。
そんなもう一人の兄とも言える人物が、私の心を指摘したのです。
もし別の人間に言われたのならきっと気がつかなかったでしょう。私は激しく動揺しました。
そして納得もしました。
私に懸想する男性の心を商売に誘導するときを考えてみたら、なるほど私の行動はまさに恋するそれだったのです。
意識するようになってしまいました。
彼と一緒にいると嬉しくも落ち着かなく、別の人間と入れば心がざわついてしまう。そんな、経験したことの無い私がいるのです。
しかしそれが不快かと言えばそんな事は無いのです。
ただ、商売に邪魔な物であることも理解しました。私が数々の男を手玉に取ってきたように、この感情は商売にとって妨げにしかなりません。ですからその後も感情を押し殺して接することにしました。
そしてそれはそんなに難しい事ではありませんでした。彼は私になど興味が無いのですから……。
過去に何があったのか、女性に対して一定の距離を置くように見えます。一瞬同性愛者を疑いましたが、それは無さそうです。良かった。
そして大きな事件に巻き込まれます。
はぐれバッファローを狩ったら、ブロウ・ソーアが現れたのです。
そしてアキラは全ての責任を取るように連れて行かれてしまいました。嫌な胸騒ぎがします。
それは現実の物になりました。
何日経ってもアキラが解放されないのです。
何度書状を送っても返信が無く、商会の情報網を使っても生死が知れません。使徒であることがバレたとしたら監禁されている可能性もあります。
商会のコネを最大限に使ってアキラを救い出そうとするも、まったく上手くいきません。
ヴェリエーロ商会の最高責任者代理としては、ここで手を引くのがもっとも利口でしょうですがそれは出来ませんでした。
アキラの言葉を思い出します。
「お前の気持ちはどうなんだ」
そう。私の気持ちです。
そんな物は決まっています。純粋に、ただ純粋にアキラを助けたかったのです。
だから私は行動しました。彼を助けるために。
結論から言うとそれは失敗であり、成功でありました。
交渉は決裂をみせる所でした。
彼は自力で抜け出してきたのです。ならば私に出来る事はそれをフォローすることだけです。
ドワーフのハッグ様とエルフのヤラライ様。それに護衛の皆様やメルヴィンの協力もあって、アキラを救い出して脱出することに成功しました。
ハッグ様とヤラライ様の二人であれば、このままあの豚陛下を捉えることも可能だったかもしれませんが、それではダメなのです。それではこの国も住民の気持ちは整理されず、きっとその後に影響を及ぼすでしょう。
私はレジスタンス組織の海龍に乗ることにしました。幹部の一人がマイル・バッハールであることは調べがついております。他のメンバーは良くわかっていません。
すぐに連絡を取って決起を促そうと思いました。
幸い会合にはすぐに参加できました。海龍のメンバーである漁業ギルドの漁師たちのおかげで安全に合流することが出来ました。
全ての算段をつけて、場所を移動するというとき、海龍の幹部メンバーであるポール・モルモレが進行経路のことで話があると、忙しいバッハールの隙を突いて私を彼らから引き離したのです。
それは完全に油断でした。
モルモレ商会の従業員たちの恐怖と恐れに満ちた顔をみた瞬間、私は逃げだそうとしましたが時既に遅く、彼らに捉えられ強引に外に連れられていくと、王国兵の集団が隊列を組んで突っ込んで来るではありませんか。
警備に当たっていた漁師たちの反応が遅れたのは、極秘会合であり、隠れて警備していたからで責められる事ではありません。
初動に遅れた海龍の戦士たちを蹴散らして現れた王国兵はポール・モルモレに「良くやった!」と声を掛け、モルモレは「賞金の方をお忘れ無れなく」とその集団の真ん中に紛れ込んだ。私は直ぐにロープで縛られて数人の男に抱えられることとなった。
この国の兵とは思えないほど手際よく私は王城へと連れられていきました。
(2016/04/20)
全話修正しております。
幕間は修正版を基準にしています。
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