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幕間「若き神官は神に試される」

(2016/04/20)

全話修正いたしました。


(超長いです。4~5話分くらいあります)

■■■ ムートン・レイティア ■■■


 日の出の前に起きだして神への祈りを捧げ。

 教会を隅々まで掃除する。まだまだ訪れる人は少ないが手を抜く気はありません。

 日の出と同時に酒場を改装して作った教会の屋根上に無理やり増設した鐘楼の小さな鐘を鳴らす。

 これが私の朝の日課です。


 私は両親の顔を知りません。それは私が捨て子であったからです。故郷である「山と湖の国レイクレル」には大地母神アイガス教の本部があることでも知られています。

 そして本部直営の巨大孤児院があることでも。おそらくミダル山脈以北では最大の孤児院でしょう。

 ほとんどの国で奴隷売買は禁止されています。神がそれを許さなかったからです。アイガス教だけでなく、へオリス教とテルミアス教の三大宗教が時間を掛けて奴隷制度をやめさせていきました。一部の小国や犯罪奴隷といった例外は残りますが、概ね一般的な奴隷というのはいなくなりました。


 ところが新たな問題が発生してしまったのです。

 それが寒村の消失でした。

 城壁に守られていない村が地図から消えてしまう事は良くあるのですが、今回の問題はまったく別です。今まで子供を売ることでなんとか存続を続けていた地方の村が、無駄飯ぐらいの子供が増えていくという問題に直面することになってしまったのです。

 もちろん成長すれば立派な労働力であり収入源になる。だが、それを理解する学が足りないのです。


 そして新しい制度が生まれました。それが丁稚奉公です。

 大きな街の商会やギルドに子供を小僧として差し出す代わりに幾ばくかの小銭を受け取り、さらに小僧の給料を両親に定期的に渡すという制度です。

 一見すると奴隷売買とあまり変わらないように見えますが、小僧を無意味に痛めつければ犯罪になりますし、所有権があるわけでも無いので転売したりもできません。

 もちろん問題も沢山あるのですが、運が良ければ読み書き計算を学ぶことが出来て、毎日食事をし、もしかしたら将来支店の一つも任せてもらえるかもしれません。

 ……そこまで行ける方はごく一部の人間だけではありますが……。


 さて、少々話が逸れてしまいましたが、ある程度成長した子供であれば、まだ奉公に出されて生きていける可能性があるという事です。

 では生まれたての子供はどうでしょう。しかも奉公に出せるまですら育てられない家であったら……。

 レイクレルの周辺は自然が豊かな土地です。ですが離れれば離れるほど、特に西に行けば行くほど土地は厳しくなっていきます。そういう土地の人間が、我が子を殺すことを出来ない、さりとて育てることも出来ない。

 苦悩の果てに訪れるのがアイガス教の修道孤児院です。

 きっと彼らはこの巨大で荘厳な建物を見て、きっと我が子は幸せになれると泣きながら、そっと玄関前に愛しの我が子を置いてその場を去るのでしょう。


 私はそれを罪だとも悪だとも言えません。

 少なくとも私はこうして生きて、そして充実しているのですから。

 アイガス教の総本山が直接運営する孤児院だけあって、まず尋常では無い広さがあります。

 元々は昔の本部教会に勤める神官用の巨大宿舎だったそうですが、現在の本部はより王城に近くより巨大でより荘厳な建物へと移っています。

 もともと一人部屋か二人部屋が数百も並ぶこの宿舎ですが、それでも毎日何人も増えていく孤児に対応するには足りません。ですので全ての部屋は3段ベッドがいくつも押し込まれ一部屋で9人から21人が暮らしていました。


 私は物心つく前から孤児院で暮らしていたので詳細はわかりませんが、ある程度大きくなってから孤児院に入ってきた子によると、これでもここは生まれ故郷よりマシと笑顔を見せる子もいれば、ここは地獄だと毎日泣き続ける子もいました。私にはどちらが真実なのかの判別はつきません。

 毎日のお祈りも、畑仕事も、繕い物も、料理も、掃除も、洗濯も、子守も、全てをやるのが当たり前だったからです。


 そんな中でも私が好きな仕事が二つありました。一つは説法。いつも厳しい院長や神官様がたがアイガス教の教理を教えてくれる時間です。神の言葉を聞くと落ち着いて、それに恥じぬように生きようと思いました。


 もう一つが勉学の時間です。読み書きに計算を学ぶのですが、どういうわけか同室の人間……だけでなく多くの孤児たちがこれを苦手としていました。

 自然と私は学問を学ぶことが好きな人間との交流が増えていきます。

 成績が上がると不思議なことが起き始めました。

 それまで天の上と思っていた神官様などにお声を掛けていただけるようになったのです。彼らは口々に「頑張りなさい、励みなさい」と直接応援してくれるのです。



 それは空理術の時間でした。

 私の人生が最初に大きく変わったのはこの時でしょう。


「万物をあまねく照らす太陽の光よ、ここに現れよ……」


 このとき私はもう少女という歳では無くなっていました。

 空理術の授業が受けられるのはごく一部の人間だけでした。とくに孤児院出身者は大変少ないと聞いています。ですがそれは教会が差別しているのでは無く、どうしても孤児出身者は学問の時間が足りずに授業に推薦される成績が取れないからだと推察しています。


 実際に私が一時期神官補佐として過ごしていたこの時期に、神官様は「もっと空理術を使える人間が増えないものか」と漏らしているのを聞いたことがあります。

 少々話は変わるのですが、おそらく教会の理術といえば、一般的に「神威法術」を思い出すと思うのです。

 主に怪我や病気を治し、人々の苦痛を和らげる神の御業。


 せっかく教会に生きているのだから空理術ではなく神威法術を習えば良いのにと思う人が多いでしょう。

 実はあまり知られていないのですが、最初から神威法術を使える人間はいないのです。

 まず空理術を習得すること。それが前提となります。

 そして空理術を使える人間の中でより信心深い人間だけが神威法術を身につけられるのです。そしてなぜかその瞬間から空理術を使えなくなります。その理由は教皇様ですらご存じではありません。神威法術の使い手はとても少ないのです。ですから……。


 私が空理術の時間に教わった精神統一術で心を落ち着け、空理を具現化しやすい言霊を発して、目の前の銅製文鎮が鈍い光を発した時、自分自身の目を疑いました。

 教師も、同僚も、皆が動きを止めてその小さな輝きを見つめます。そして殻を割ったように全員が「おめでとう!」を繰り返してくれました。私はただただ光る文鎮を見続けることしか出来ませんでした。


 その日から約1年。


「おめでとう、今日から君は巡回神官となる」


 正式に神官補佐となって雑務と空理術を学び、空理術を「理術士見習い」と名乗って良い程度には使えるようになった頃の話です。


「巡回……神官ですか?」

「ああ、君は真面目だし空理術も規定の範囲まで扱えるようになった。孤児院出身者だけあって体力も十分。本来であればすぐにでも神官として私の同僚になってもらいたい所なのだが……」


 そこで神官様は言葉を一端切った。


「正直に言おう。君はこの教会から出たことがほとんどないだろう。もう少し世間を知らなければならない。それには巡回神官がうってつけだ。生まれが神官の家系には不人気の役なのだが……君ならば受けてくれるだろう?」


 私が神官?

 いえ、空理術を覚えた時点で周りからは近いうちに神官だなとよくからかわれてはいましたが……。


「私にそのような大役が務まるでしょうか?」

「むしろ君にしか務まらんな。……この一年私の下について、教会の……もう一面は学べただろう?」


 教会のもう一面。それは当初私を苦しめる事ばかりでした。

 孤児院で育てていた食料や懸命に織っていた布製品、それらは全て商人の手に渡され、金になり、その金が貴族や王家に流れていく……。孤児院に回る金はごく一部でした。

 しかし一年も従事すると、この巨大な教会組織というものを動かすのに必要な事だとも理解出来るようになりました。それの善悪は私にはわかりません。是正したい気持ちもあり、では是正した後はどうなるというのだというジレンマに陥ります。


 だから私は与えられた仕事を忠実にこなし、そして毎日神に祈りました。

 皆が平穏に暮らせますようにと。


「巡回神官の任務は過酷だ。特に君が担当になる地区は西の最果てになり荒野を延々と回ることになる」

「それが神の与えたもう試練ならば喜んでお受けいたします」

「ああ。君はきっと伸びる。必ず立派にお役目を果たしてきなさい」


 そうして私は孤児院出身としては異例の神官位に着任することになったのです。


――――


 巡回神官の任務は忠告通り過酷な物でした。

 城壁も市壁も無い僻地の村や町を周り、アイガス神の教理を説いて周り、そしてまた旅に出る。

 特に私の担当する地区は西の最果てであり昼は熱風が舞い夜は心まで凍り付かせる不毛の土地だったのです。しかし私は大地母神に仕える神官です。神が無意味にこのような土地を作られたとは思いません。これは人に与えられた試練なのです。


 回る先々で教理を説き、入信してくださった方には教会の知る農業知識の一部を分け与えます。

 本当なら全てを教えてしまいたいのですが、慌ててはいけないという教会の教理を忠実に守り、僅かずつの知恵を与えていきました。半年後、来年に来たときに、収穫が増えていれば嬉しく思います。


――――


 さらに2年の月日が流れました。


 私が活動拠点としている独立都市セビテスの教会を訪れると、一通の手紙が届いていました。羊皮紙に書かれていたのは緊急の帰還命令です。何があったのでしょう。

 急ぎレイクレルの教会まで戻ると想定外の事を命令されました。


「今日から君には神官として教会を維持管理してもらう事になった」


 なんという事でしょう。

 私が教会持ちの神官? そんなことは想像もしたことがありませんでした。


「君の巡回ルートでもある最西の街であるピラタス王国に教会設置の許可が出た」


 都市国家ピラタスには何度か訪れたことがあります。大きな港のある街で、西にある街としてはセビテスの次の規模になるでしょう。


「許可を取り付けた神官はその功績から本部勤めとなった。すると西地区を知る神官位を持つ者は君しかいない。やってくれるね?」


 巡回神官ですら私にとっては過分な地位だというのに、さらに教会持ちの神官など許されるのでしょうか?


「本当に私で良いのでしょうか? 教会を持ちたがる神官様は沢山いらっしゃると伺っております」

「普通ならな。しかしさすがに辺境過ぎるのだよ。下手をすると左遷と取られかねない。実際会議でも普段は口うるさい神官達が満場一致で君を推挙した……それと神官に様はいらん」


 先輩神官が各種書類と金貨の詰まった袋。さらにはアイテムバッグまでもを積み上げます。


「予算は少ないがなんとか成し遂げて欲しい。……本音を言えば教会が出来ることは嬉しいのだが地方過ぎて本部は期待していない。だが君なら良い意味で期待を裏切れると思っている」

「ありがとうございます。微力を尽くさせていただきます」


 私は大きく礼をしました。


「では頑張ってくれたまえ。ムートン・レイティア君」


 最後の言葉に、私は礼を崩して先輩神官を見上げてしまいました。彼は悪戯が成功したと憎らしげな笑みを浮かべていました。


「ムートン?」

「ムートン・レイティア。今日からそれが君の名だ。そもそも空理術持ちの神官に名字が無かった方が問題だったのだよ。私からの出世祝いだと思って受け取って欲しい」


 よく見れば机に置かれていた羊皮紙の1枚は開かれていて、それは改名の書類であった。

 私は涙を流しながらもう一度深く頭を下げた。


――――


 ピラタス王国に着いてからは、今までとは違った忙しさに忙殺されていった。

 教会を作るというのがこれほど大変だとは思いませんでした。

 まずは長期滞在の為の宿を確保します。クジラ亭という宿屋に泊まることにしました。

 しかし予算は少なく無駄使いは出来ません。そこで主人と交渉して一ヶ月分をまとめて払う代わりに大幅に値段を安くしてもらうよう交渉しました。途中この宿のご息女に「教会ってケチくさいんですねぇー」と嫌みを言われてしまいましたが反論も出来ません。せめてこの宿の繁栄とご息女の幸せを毎日祈らせていただこうと思います。


 毎日場所探しや王家の代理の方との交渉が続き、2ヶ月を掛けてようやく潰れた酒場を借り上げる事が出来ました。物件の持ち主に許可を得て改装していきます。

 これもお金を掛けられないので大部分は自分でやることになりました。

 さすがに鐘楼の設置は専門家に任せるしかありませんでしたが、なんとか教会らしく改築できました。

 改築中に時折信者の方が差し入れをしてくださる事があり、私は精力的にお勤めしました。


 ……。

 教会が完成してからの話はもういたしましたね。

 私の人生を大きく変える2度目の出来事も。

 そして今度は……この国の運命が変わる日がやってきたのです。


 その日はいつもと少し違う朝でした。

 どことなく街中が殺気立っているというか。

 私は放浪が長かったおかげで少々の荒事には慣れています。この教会自体もスラム地区のすぐ近くであるというのもあるのでしょう。街の空気が違うことに気づきました。教会にお祈りにいらっしゃる方々もどこか不安そうです。

 私に出来るのはそんな彼らの不安を少しでも取り除いてあげることだけです。一緒に祈り、神の言葉を聞かせて、悩みや不安を聞いてあげる。今日は書類仕事を取りやめにして出来るだけ教会に出ていましょう。実際に珍しく訪れる人も多かったのです。胸騒ぎがします。


 しかしてそれは起こりました。クーデターです。

 これは神の試練なのでしょうか?

 私が学んだ歴史を紐解けばクーデターが成功する確率は低く、長い長い泥沼の内戦に発展する例がほとんどです。もしかしたら他の都市国家の介入すらあり得るかもしれません。

 そこら中で気勢が上がり、略奪や放火まで起きているようです。

 アイガス教がまだまだ行き届かぬこの地ですが、神のご加護かこの教会を襲おうとういう不届き者はあらわれませんでした。

 開け放たれた教会の入り口に血だらけの年配女性が転がり込んできます。


「す、すみません、こちらで匿ってください!」


 私はすぐに年配女性を長椅子に寝かせると治療道具を持ってきました。まだ人手が足りずに実施していませんでしたが一部の教会では貧しい方の治療を請け負うところもあります。私もいずれ実施する予定で、少しずつ医療道具を集めていたのです。治療の知識は当然孤児院時代と神官補佐時代に学んでいます。


「いったいどうしたのですか?」


 私は傷口を水で洗いながら尋ねます。患者に声を掛けることが大事だと教わりました。


「詳しくはわからないのですが、街の重鎮たちが急に王を倒すのだと息巻いていまして……」


 幸い彼女の傷は浅く、布で縛って治療を終えます。


「もしかしたら傷が化膿するかもしれませんね」


 傷の化膿は特別な薬を使わなければ止められないと言います。化膿するかどうかは運や体力次第です。


「しばらくこちらにいても良いでしょうか?」

「もちろんです。騒ぎが収まるまでいてください」


 そんな会話をしていると、次から次にけが人が転がり込んできました。


「すみません! こちらで治療をしてもらえると!」

「ああ! 神よ! なにが起きているというのだ!」

「大変だ! ヴェリエーロのお嬢様が国王に捕らえられたぞ!」


 一気に事態が進行していきます。私は彼らを落ち着かせて治療するので手一杯でした。

 ヴェリエーロ商会は私もよく知っています。この国に暮らしていてかの商会を知らない人間などいないでしょう。

 この国の希望と言って良い存在でした。信者の皆さまも、彼女がいるおかげで生きていけるのだと良くおっしゃっていました。

 それほど愛された存在を強引に拉致してしまったのです。通りから聞こえる怒声も「チェリナを取り戻せ!」と狂気的な唱和となっていました。


 私が治療していることが口コミで広がっていったのでしょう、医者からあぶれたけが人たちが次々と運ばれてきます。

 私は懸命に治療をしました。ですが出来ることは限られます。薬は無く、布も不足し、透明な水もすぐに使い果たしてしまいました。それに気づいた信者の方が水や布を持ち寄ってくれます。中には貴重な傷薬を持ってきてくれる方までいました。ならば私は負けるわけには参りません。これは神の試練なのです!

 懸命に、必死に治療を続けます。ですが私が出来る治療は傷口を洗い縛ることくらい。せめて針と糸があればもう少し重傷の方も助けられるというのに……。

 元気な方々が私のやり方を真似て傷口を縛っていきます。おかげで軽傷の方の治療は進んでいます。


 が。

 傷が深く、縛っても押さえても血が止まらない人のなんと多いことか!

 今も目の前でどくどくと血を流して命が失われようとしています。

 ああ神よ! これが私に与えられた試練とは酷いではありませんか!

 生まれて初めて神に対して怒りを覚えてしまいました。神官として許されることではありません。ですが私はその時感情を抑える事が出来ませんでした。


「神よ! 偉大なる大地の母アイガスよ! 私は貴女に真摯に仕え身を捧げ続けてきました! どうか! この身と引き替えに彼らをお救いくださいませ!」


 神の教義が慈愛と献身であるならば、私はいくらでも従いましょう!

 その時です。

 私の身体から淡い光の粒子が溢れてきたのは。


「おお!」

「神官様が光っておられる?」

「何が起きているんだ?」


 周囲にゆっくりと広がる雪の様な粒子が横たわる人々に降り注ぐと、それまで苦痛に歪んでいた表情が落ち着き、呼吸が正常に戻っていきます。まさかと思い布を解いて傷口を見れば、ミミズ腫れのような痕はある物の見事に塞がっているではありませんか。傷だけで無くこの騒乱に当てられて体調を崩した方々も、顔色が戻り深い眠りに落ちていました。

 私はこれと同じ現象を何度か見たことがあります。

 それは教会の奇蹟、神威法術。


――――


 私が気がついたときには外はもう明るくなっていました。

 頭が朦朧(もうろう)としていてうまく働いていません。


「ああ、目が覚めたかい、神官様」


 身体を起こすと教会の自室でした。


「……目の隈は取れたし顔色は良くなってるね。具合はどうだい?」


 私は自分のベッドで寝ていたようです。横にいるのはこの教会に時々いらっしゃる魚の塩漬け屋に勤める方です。彼は桶の水でタオルを絞り、私の額に乗せてくれていたようです。


「体調は……問題ありません」


 ぼんやりした頭で昨夜の事を思い出します。

 私は身についた神威法術を使ってけが人を直し続けたのです。しかし法術を3度も使い始めた頃から身体がダルくなり、頭が朦朧としていくのです。

 幸い神威法術はある程度の広さに広がる法術です。重傷者を応急手当てしつつ、けが人が一定人数まで集まったら法術を掛けるというやり方で、100を越える方をお助けできたと思います。

 記憶に残っているのは法術を5回使ったところまで。その後何度か使ったような気もしますが覚えていません。その事を横の彼に言うと、彼は笑いました。


「大丈夫だよ。神官様のおかげでみんな助かった。神官様が倒れた後は俺たちが見よう見まねで治療してある。体調が戻ったら確認してもらいたいけれどね」


 おお!

 なんと言うことでしょう! 奇蹟は、奇蹟は起きたのです! 神を疑い罵倒した私に大いなる慈悲が与えられたのです。


「そのまま休んでいてください、今なんか食べるもんを持ってきますから」

「いえ、それよりも皆さま逃げなければ! 内戦が……」


 始まりますと続けようとしたら、男性が可笑しそうに遮った。


「終わりましたよ。チェリナ様は助け出され、国王は捕らえられました」

「え?」


 終わったとはどういうことでしょう? ヴェリエーロのご息女が救出され、国王が捕らえられた? 私の耳はおかしくなってしまったのでしょうか?


「すぐに死ぬようなけが人はいませんから、どうか食事をしてください」


 男は心なしか足取り軽く部屋から出て行った。

 開けられた木窓から外を見下ろします。

 裏路地なので普段はあまり人通りのない道なのですが、今日は沢山の人が歩いています。今までに無い活気溢れる声で溢れていました。

 遠くではところどころ煙があがっていたりしますが、街を焼き尽くす業火とは思えません。本当にたった一晩でこの国は終わってしまったようです。ですが人々は終わりを悲しむ顔ではなく、新しい国に喜ぶ顔をしているように思えました。


 クーデターは成功したのです。

 つまり昨晩奇蹟は2度起きていたのです。いえ、私が知らないところでもっと沢山の奇蹟が起きていたに違いありません。

 私は簡単な祈りの句を朽ちすさんだ後、ある事を確認しました。


「万物をあまねく照らす太陽の光よ、ここに現れよ」


 すでに何百回、いえ何千回と唱えてきたもっとも基本的な明かりを灯す空理術を発動します。

 が。

 今まで覚えていた数式がどうしても思い出せないように、あの発動する感覚を思い出せません。数少ない他の空理術も試しますが、どれも一切発動しません。

 しかしそれに驚きも落胆もありません。神威法術を取得するというこは空理術を使えなくなるという事なのですから。理由は判明していませんが、空理術と引き替えに覚えるというのが有力な説だそうです。そしてその空理術が使えなくなっている……。

 つまり。

 私は神威法術という神の御業を身につけてしまったようです。


――――


 朝食をいただき、教会の聖堂へと向かいます。扉を開けると大勢の方が残っているではありませんか!

 背筋に緊張が走ります。どれだけのけが人がいるのだろうと。

 ですがそんな心配は杞憂でした。


「ああ! 神官様!」

「おお! レイティア様!」

「ムートンさん!」


 みなが笑顔で寄ってきます。


「こらお前たち! 神官様はお疲れだ! 挨拶は一言にしておけよ!」


 見ると私を看病してくれていた塩漬け屋の男性でした。


「そうでしたそうでした。神官様のおかげで一命を取り留めました。本当にありがとうございます!」


 そういって女性が涙を流しながら私の両手を取りました。その顔は忘れることが出来ない顔でした。まさに彼女のおかげで私は神威法術を獲得したのですから。

 それだけではありません。もう助けられないと見捨ててしまった人々までがそこにいたのです。


「お礼を言うのは私の方です。あなた方のおかげで、あなた方の生きようとする意思こそが奇蹟を呼んだのですよ」


 そう、私はそれにほんの少し力を貸しただけに過ぎません。


「俺は今までムートンさんをただのいい人としか見てなかったけど、これからは神さまも信じるよ!」

「レイティア様! このご恩は必ずお返しします」

 皆が口々に私に礼を述べ頭を下げていきます。その度に私は礼は不要です。神に感謝を。と繰り返していきました。

 皆が神に祈りを捧げて、中にはお布施を杯に入れてくださる方もいました。

 彼らは邪魔になるからと帰っていき、残ったのはけが人でしたが思ったよりも多くありません。本当に信じられない手際で政権交代がなされたと言うことでしょう。


 さて、これから私がしなければならないことは沢山ありますが、いくつか問題があります。まず神威法術を無償で使うことが禁止されていると言うことです。さらに神威法術を使えるようになったのならば速やかに上に報告しなければなりません。

 私はもう一度聖堂を見渡します。人数は減りましたがまだけが人が運び込まれるでしょう。しばらく考えて結論を出しました。


「皆さま、ただいまより治療を始めますがこれから行う治療は本来多額のお布施をいただく治療になります」


 私が言うとどよりと声が上がった。


「しかし今から試す治療は、その治療方法が本当に使えるのかわかりません。そこで新しい治療方法に協力してくださる方にのみ無料で治療いたします」


 そこで「おお」と皆が安心の声を上げた。


「ただし、その治療も今日と明日のみを試験日とさせていただきます」


 これが私の出した結論です。本部へ連絡するにしても、私が本当に神威法術を使いこなせるようになってから確認したかったのは事実です。教会の決まりを破るわけにもいきません。そこで治療の試験として2日のみ無料期間として能力を確認しようと思ったのです。すでに内乱は終わっていますからそれでも大きな意味があると思います。

 熱心に祈りを捧げていた何人かがそれを聞いて外に飛び出していきます。口々に今の言葉を繰り返していました。これで無駄な混乱は防げるでしょう。彼らに神のご加護を。


 その日は4回の神威法術を行いました。思っていたよりもけが人が少なかったのもありますが、また倒れて迷惑を掛けないように出来るだけ効率よく人を集めたという事もあります。

 また話に聞くとヴェリエーロ商会が、つまり新しい女王になる予定のチェリナ様が格安の診療所を設けたというのです。

 まだ正式発表されていませんが、チェリナ様が女王になるだろうと皆が信じているようです。凄まじいカリスマです。

 そんな忙しい日を終えて、皆が家路につきました。いつもは人のいない聖堂を寂しく思いましたが、今は逆に安堵します。私は掃除を終えると長く神に祈って眠りにつきました。


 ……。

 その日の出来事はそこで全て終わったと思っていました。ところがその夜、私は夢を見たのです。

 私はどこまでも続く草原に立っていました。空はただただ青く澄み渡っています。爽やかな風が頬を撫でます。気持ちの良い心落ち着く場所でした。故郷であるレイクレルを思い出します。思郷がこんな夢を見せたのでしょうか?


 くるぶしの高さにひかれた緑の絨毯に大の字になって寝転びます。目を閉じると夢の中なのに眠ってしまいそうです。

 耳を凪ぐわずかな風の音を楽しんでいると、急に背中から沸き上がる何かを感じます。


《……よ……ムートン・レイティアよ……》


 それは、荘厳にして偉大な声でした。身体を包み込むような音であるのに不安は一切感じません。むしろ安らぎすら感じる声でした。


《ムートン・レイティアよ、聞きなさい》


 私は直感しました。これは、敬愛する大地母神の声に違いないと。


《あなたは旅に出なくてはなりません》


 旅……ですか?


《そうです。そして新しき神の使徒を見守りなさい……》


 使徒? 使徒とはアキラ様の事でしょうか? しかし私には教会があります。旅に出ることはできません!


《……見守るのです……》


 声は次第にかすれて消えていく。沸き上がる感覚も同時に消えてしまいました。ああ、きっと神はもう帰られてしまったのです。


 ああ! 神よ! 教会を捨てて旅に出ろと言うことでしょうか?! お答えください! 我が大地母神よ!


 私が何度尋ねても、もう声は聞こえませんでした。

 意識が薄くなっていき……目が覚めました。

 いつも起きる時間。いつも起きるベッド。何も変わりがありません。ただ一つ、私が全身から汗を拭きだしている事を覗けば。

 夢だというのに一字一句風景まで全て覚えています。それが普通の夢で無いと告げているようです。

 私はどうすれば良いのでしょうか……。

 とにかく気を落ち着けるために汗を拭き、着替え、聖堂で祈りを捧げることにしました。

 昨夜の夢がただの夢なのか、なんらかのお告げであるのか……

 私のような一神官にわかるはずもありません。この事も含めて本部に報告するべきでは……。無意識に長い長い祈りを捧げていたと思います。それを遮る声がしました。それは入り口から聞こえます。


 もともと酒場を改装した小さな教会ですので聖堂と言っても大きな物ではありません。治療はお昼からと伝えてもらっているので朝から来る人は少ないと思いますが、重症患者がいるのかもしれません。私はすぐに門を開きました。するとそこには見たことのある顔がありました。


「……ルブノエラ巡回神官?」


 それは独立都市セビテスの教会で何度か会ったことのある巡回神官でした。私の後輩にあたる方でセビテスより東を回っていたと記憶しています。


「お久しぶりです、レイティア様」


 暫くぶりにあった彼は巡回神官らしい体つきになっていて見違えました。


「ええ、お元気でしたか? ……ああとにかく中へどうぞ」


 彼を中に招いて水を用意します。長旅の後は何よりも水がごちそうですから。

 しばし雑談の後、本題に入ります。


「……ところで、どうしてピラタスへ?」


 彼は姿勢を整えます。そして慎重に革製の鞄を取り出しました。きっとアイテムバッグでしょう。


「こちらを……本部から預かってきました」


 そういって彼が取り出したのはおそらく金貨の詰まった袋と、何枚かの羊皮紙。教会本部の封がされています。かなり格式の高い蝋封だった気がします。

 緊張して渡す彼に水を勧めてから、1つ1つ読んでいきます。


 結論から書きましょう。

 それは召還命令でした。

 内容は『使徒アキラに大地母神アイガス教本部へお越しいただけるよう伝え、そのための書類を渡すこと。使徒アキラに渡す旅費とムートン・レイティアの旅費を同封する。新しき神の使徒をそれとなくつけて情報を持ち帰ること。なおこれらの情報を含め今後一切の手紙でのやり取りを禁ずる。必ず本人が直接本部に来るように』でした。

 さらに移動のための馬の支給や、各アイガス教会の優遇を受けられる書類などが与えられました。

 ルブノエラ巡回神官に話を聞くと、これらの内容は知らず、グリフォン便でもたらされた指示された行動を取っているだけらしい。なんと私の代わりにこの教会を受け持つのが彼になるとのことです。


「おめでとうございます。ルブノエラ巡回神官……いえ、もう神官になるのですね」

「ありがとうございます。まだ神官位ではないのですが、追って任命されるとのことです」


 どうやらセビテス教会への指示は、信頼できる私との交代要員と、馬を購入して荷物と馬を引き渡す事だったようです。

 任命はセビテスの教会に一任された関係ですぐに神官への任命とはいかなかったようです。ですが教会持ちになった時点で神官は確定ですので、近いうちに辞令が届くことでしょう。


「ルブノエラ神官は頑張っていましたからね」

「レイティア様ほどではありませんよ」


 謙遜しつつも嬉しそうです。


「レイティア様は本部に行かれるのですよね? おめでとうございます」


 普通に考えれば良い話だと思うでしょう。


「……ルブノエラ神官、あなたに隠し事をしたくありません、これから言うことを良く聞いてください」


 緊張する彼に私は神威法術を会得したことを伝えました。


「おお! なんと素晴らしい! レイティア様であればいずれその身に降りると思っていましたがこんなにも早く!」


 彼は素直に喜んでくれました。実直な彼です。この教会を安心して任せることが出来ます。


「本来ならば神威法術は無料で施す事を禁じられています。ですが、今日だけは見逃していただけませんでしょうか?」


 すると彼は二つ返事で頷いてくれた。


「どちらにせよレイティア様は数日の内に旅立たねばなりません。大事にはなりませんよ。後のことはお任せください」


 頼もしい言葉です。彼が過酷な巡回で弱音を吐いていたのが嘘のようです。

 そうして私は旅立つことに決まりました。

 まずはさっそくアキラ様にお知らせしなければなりません。

 私はクジラ亭へと向かいました。


――――


 アキラ様に教会本部からの手紙をお渡しすると、二日後には出立するとおっしゃいました。ならば私の出立も二日後です。

 このときアキラ様に秘薬をいただいたのですが、もの凄い効き目でした。

 身体の芯に残っていた疲れが水で泥を流すように消え去り、いつも以上に元気が戻って参りました。よくみれば秘薬の入れ物も黒いとはいえガラス製で、とんでもなく高価な代物だとわかります。それを安物だと言って渡してくださるアキラ様には感謝してもしたりません。

 もう一瓶は取っておき教会本部に渡すべきなのかもしれませんが、アキラ様が明日飲む様にとおっしゃったのですから、私はそのようにするつもりです。せめて瓶だけは提出する事にしましょう。


 大急ぎで教会に戻るとルブノエラ神官にも手伝ってもらいつつ旅支度を進めます。もっとも旅慣れた私なので準備はすぐに終わりました。彼の持参していたアイテムバッグまで支給してもらったので外に見える荷物はほとんどありません。

 教会に集まっていたけが人を癒やし、祈りを捧げる人たちに旅立つことを伝え、その日は忙しく過ごしました。

 特にアイガス教の信者ではない方までもが私との別れを泣いて惜しんでくれます。私は確かにここに居場所を作っていたようです。もしお勤めが終わったのならまた戻ってきたいと思うほどに。


 ですがそれはかなわないでしょう。

 神威法術を得たと言うことはより教会に縛られることになると言うことです。このような辺境と呼ばれる場所にいられるとは思いません。

 おそらくどこかの主要都市にある教会へ派遣されることになるでしょう。若干の寂しさを感じながら、新たなる神の試練に挑もうと決意を新たにしました。


――――


 そして旅立ちの日。朝早くに教会を出ました。

 クジラ亭に行くとまだアキラ様は出立していないようです。しばらく待っているとアキラ様とドワーフとエルフの三人が旅装束であらわれました。アキラ様が私の旅装束に気づき話しかけてくれます。私もレイクレルまで旅立つことになった旨とを伝えると、気さくにも同じ馬車で送ってくださると提案していただきました。本当に懐の深いお方です。

 ですが私はそれを固辞しました。本部からのそれとなく後をつけるというのがどの程度かわかりませんが、一緒に行動するのは違うと思うのです。それに私には馬がありますから、馬車を使うアキラ様とつかず離れず移動するのは簡単です。


 しかしそれは甘い認識でした。

 彼が立ち寄ったヴェリエーロの倉庫から出てきた馬車は私の想像を絶する代物でした。唸るような声を上げると黒煙を上げて地平の果てへと去ってしまったのです。

 私は呆然とするしかありませんでした。たとえ馬を全力で走らせてもすぐに馬が疲れてしまいきっと追いつけないでしょう。

 ……。

 しばらく考えた後。私は普通に街道を進むことにしました。

 きっとアキラ様ならこの街道に数々の足跡を残して行くでしょう。

 私はそれを拾いながら進むのです。伝説を拾って進む吟遊詩人のように……。


(2016/04/20)

全話修正いたしました。


もし全話読み返す方などおりましたら

コピペに失敗して同じ話を投稿などしていないか教えてくれると嬉しいです

……もう……しばらくは、第一章を見たくないです……orz


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