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第112話「荒野の旅立ち」

(長いです。三倍くらいあります)


 俺は朝日にゆっくりと目を覚ました。

 この宿の木窓には小さいが貴重なガラスが埋め込まれているので、日が昇ると意外と明るくなる。俺はまだ寝息を立てている同衾者を起こさないように身長にベッドの縁に腰を掛けた。

 このベッドは宿の備品では無く俺がぶっ飛んだ場末のシティーホテルに使われていた。


 ――昨日は張り切り過ぎたか……。


 久しぶりだったというのもそうだし、反応が楽しくてつい調子に乗ってしまったのもそうだし、お互い人並み以上に体力があったおかげで長期戦に突入してしまったというのもそうだ。

 まぁとにかくナルニアの親父さんに会ったら「夕べはお楽しみでしたね」って言われる案件だったわけだ。

 ……両隣の部屋にめっちゃ迷惑をかけたかもしれん。途中からたがが外れてたからなぁ。


 俺は後頭部をがりがりと掻きながら起き上がり、コンテナから清掃の空理具を取り出した。

 身体中乾いてこびりつく色んな元液体を砂にして落とす。シーツをそっと開けて毛布とチェリナにも空理具を使っておいた。幸い起こさないで済んだようだ。

 床に脱ぎ散らされたお互いの服を音を立てないように拾っては空理具で清掃して彼女の分はシワにならないように椅子に掛けておく。


 そこで彼女の身につけていた下着に目が行く。思っていたよりは現代寄りの下着ではあったのだが、明治昭和臭の漂う非常に色気の無い物だった。

 きっとこれでもこの世界では最先端なのだろう。なんと言ってもチェリナが身につけていたものだ。

 俺はチョイと思い浮かべる。


【女性用ショーツ=1960円】

【女性用ブラ=7680円】


 ……これは高いのか安いのか。高いのは目が飛び出るほど高いらしいが……いや、あまり深く考えないことにしよう。チェリナのサイズと、彼女のイメージカラーである赤色をイメージして購入する。


 残金29万1659円。


 思っていたよりも可愛い感じの下着が出てきた。まあいいか。元の下着と一緒に置いておく。


 昨日プレゼントしてもらった滅紫(けしむらさき)の服を着込む。

 見た目と違って通気性が高くかなり涼しい。染料が特別な物なのか、肌の当たりがヒンヤリとしているのだ。なにか熱を逃がす性質でもあるのかも知れない。

 身支度を調えると、起こさないようにそっと彼女の頭を撫でた。

 そしてコンテナから【オリジナル・シンボル(商売神メルヘス)】を取り出した。コンテナに入れても商品リストに表示されない世界で一つだけの手作り品だ。

 俺はそれを彼女の枕元に置く。

 最後にもう一撫でしてから、そっと部屋を出た。


 ……ベッドは……良い物になってるから交換と言うことで許してもらおう。

 1階のカウンターに降りるといつもどおり仏頂面の店主。ナルニアの父親が片ひじをついてつまらなそうに座っていた。愛想もクソも無い。


「……チェックアウトしたいんだが、しばらくは部屋に入らないでくれるか?」


 それだけで理解したのか店主は軽く頷いた。深く立ち入らないのが宿の流儀というものだろう。宿代は教会から払われているはずなので、俺はそのまま外に出ようとする。


「……気をつけてな」


 背後からそんな声が掛かった。俺は振り向かずに片手を上げてその場を去った。

 宿を出ると4人が待ち構えていた。ハッグとヤラライはわかる。まあナルニアもわかる。なんで神官さんがおるねん。しかも凄い荷物を背負っていかにも今から長旅に出ますっ! って主張してるぞ。まぁどうでもいいが。

 しかし線が細く見える割に力持ちなのね。彼女。


「おう、おはよう」

「うん……」


 4人と雑談していたナルニアが顔をこちらに向ける。


「なんだ元気がねーな。看板娘は笑顔が大事だろ!」


 俺はナルニアのほっぺたをむにーっと引っ張ってやった。


「にゃにほふふー!」


 じたばたと俺の腕を掴んで暴れる幼女。いやそこまで小さくも無いが。


「笑うか?」

「わはふわはふははははひへー!」

「わかった、から、離して」

「解読出来るんかい!」


 ヤラライの的確な翻訳に思わずツッコミしてしまった。関西上司に殺されるぜ。俺が手を離すと自分の頬をさすって唇を尖らせた。


「酷いよ! お兄ちゃん!」

「うるせー。宿屋の娘ならしっかり客を送り出さんかい!」


 もう一度ほっぺを引っ張る。


「はへほー!」

「なら笑え」


 今度はすぐに指を離してやる。っていうかえらい伸びるほっぺただったな。ナルニアはしばらく頬をさすったあと、若干涙目だったが、ニッと笑みを浮かべた。


「お客さん! 当店のご利用ありがとうございました!」


 ぺこりと頭を下げる。俺はその頭をぐりぐりとなで回してやった。


「お兄ちゃん。また来てね!」


 顔をあげたナルニアが満面の笑みで言った。


「そうだな。いつになるかわからんが、一度は戻る」

「うん!」


 ナルニアが腰の辺りにぎゅっと抱きついてきたので、その頭の上にあめ玉セットを乗せてやった。


 残金29万0859円。


「もう! 子供扱いして!」

「なんだ、いらないなら返してくれ」

「いるよ!」


 俺は胸から自然に沸き上がった小さな楽しさを笑みにする。


「約束、だからね!」

「おう」


 ようやく吹っ切ったナルニアの正面に立つ美人さんがペコリと頭を下げてきた。神官レイティアだ。


「おはようございます、アキラ様」

「おはよう。……凄い荷物だなぁ。どこかに行くのか?」


 スレンダー美女が少々バツの悪そうな笑みで答える。


「実は私もレイクレルへと旅立つことになりまして」


 なるほど。


「ああ、悪い。歩きながらでいいか? ヴェリエーロ商会までなんだが」

「構いませんよ。私が押しかけた立場ですので」


 俺たちが歩き出すとナルニアも当然の様に付いてきた。何も言わないでおこう。


「もしかして俺たちと関係あるのか?」

「いえいえ、諸処の理由がありまして。異動は珍しいことではないですから」


 笑顔の下に苦労が煤けてるぜ。


「そうか……行き先はレイクレルなんだろ? じゃあ俺らと一緒に行かないか?」

「え?」

「ちょっと特別な馬車を用意したんで余裕で乗れるぜ? おそらくだが普通に行くよりは早く到着すると思う」


 ちょっとどころじゃないかもしれんがな。


「さすがアキラ様ですね。そのお気持ちだけで大変嬉しく思います。ですが教会から支給された馬もありますので、私のペースで旅をいたします」

 やんわりと断られた。……てっきり俺らの監視役なのかと思ったんだが、考えすぎか。

「そうか。自分の予定があるもんな。それに男所帯に女一人で入るの訳にもいかないか」


 そのまま軽い雑談をしながら商会に到着すると、なんだか人混みが出来ている。どうやら商会の人間のようだが仕事はどうした?


「アキラさん」


 人混みをざっと割って現れたのはフリエナさんと、そのダンナだ。

 さらに男爵……じゃなくてレッテル伯爵閣下とブロウ・ソーアにバッハールまでもがそこにいた。


「皆さんお揃いでどうしたんですか?」


 これから会議か?


「アキラさんを見送りにきたに決まっているではありませんか」


 俺は改めてメンバーを見渡す。どっからみても新生国家の重鎮が集まってるんだが、サミットでも始まるメンバーだろこれ。……一国でサミットは変か。


「大げさすぎませんか?」

「お前は自分の立ち位置を全くわかっていないようだな」


 フリエナとの会話に横からバッハールが進み出てきた。


「たしかに革命そのものは待った無しの状況だったが、その引き金を引いたのも、それを成功に導いたのもお前だという認識は無いのか?」


 なんだそりゃ? 俺はこの世界に飛ばされてから流されて生きてきただけだぞ。大層なことはなにもやってねーっつの。

 ……流されて生きてきただけって、改めて考えると凄いダメ人間じゃねーか。よし、もう少し自分勝手に生きていこう。せっかく人生リセット出来たんだからな。

 ……もっともそれでどう生きたいかっていうビジョンも何も無いわけだが。平和に生きられるんならなんでもいーわ。


「買い被りも良いところだな」


 俺はバッハールを横目した。


「まったく……」


 バッハールは自分の頭をばりばりと掻いた。目の下に隈が出来ていて、えらいお疲れの様子である。よくよく見ればバッハールだけでなく、チェリナの親父さんや、ブロウも似たような顔をしていた。

 特にブロウ・ソーアは髪はぼさぼさで顔色も全体的に悪く覇気が全くなかった。


「おいおい……ブロウさん、あんた今にも倒れそうだぜ?」

「ええ……昨日は特に忙しかったものでほとんど寝ていないんですよ」

「大丈夫かよ。今あんたに倒れられると色々困るんだろ?」


 バッハールに視線を向けると、色黒イケメンは大きく頷いた。


「その通りだが、昨日は無理をするしかなかったからな」


 おいおい。そんな状況でチェリナの奴は休み取ったのかよ。いやそんな状況だからこそ取るべきだったのかも知れない。


「お前たちは休みじゃ無かったのか?」


 ブロウとバッハールが顔を合わせて同時に苦笑した。


「さてな」


 なぜかバッハールが苦虫を噛み潰したような顔をした。なんかあったのかね?


「あ、おアキラ! 行ってしまうのかお? アキラがいないと寂しいお……」


 バッハールの横から出てきたのはレッテル伯爵閣下だ。すでに国の重鎮だろうにこの人はこの人で何こんな場所に来てるんだか。


「おはようございます、レッテル伯爵閣下。お久しぶりですね。お元気でしたか?」

「ちょっとお忙しかったお。でも大丈夫だお」

「それは重畳です。この度は革命が上手くいって良かったですね」


 上手くいってなきゃ物理的に首がすっ飛んでたわけだからな。


「旅立つのかお? 残らないのかお?」


 なんだか妙に寂しげな顔を向けてくる。一般的には醜男に分類されるのだろうが、性格は悪くないので、なんとか良い嫁さんを見つけて欲しい。

 しかしこの人、アニメキャラのシャツを着せて、額にバンダナを巻いたら、さぞテンプレの偏見キモオタが完成しそうな容姿だな。


「はい、私にはどうしても行かなければならない場所がありますので」

「そうかお……無理に引き留めるのはダメだお……寂しいけどしかたないお……」


 なんとういうか貴族らしくないよな、こういう所。

 しおらしく小さくなっている男爵……じゃなくて伯爵にはファンとかつきそうなんだけどな。


「大丈夫ですよ、新しい国でなら、伯爵なら新しいご友人もきっとできますよ」

「そうかお?」

「ええ。きっと」


 伯爵はゆっくりと頷くと満足そうに(キモく)笑った。……これさえ無ければな……。

 俺と伯爵の会話が一区切りすると、再びブロウ・ソーアが近づいてきた。


「さて、アキラさん、貴方に頼みたいことがあってきたのですが」


 そう言ってずいっと近寄ってくる。近いんだが……。


「なんだよ」

「貴方の言っていた政治体制に関する知っていることを洗いざらい吐いて欲しいのですが」


 マジかよ。って散々知っていることは話しただろうに!

 ……いや待てよ……。


「……お前、秘密は守れるか?」

「何の秘密かはわかりませんが、お話と引き換えであれば墓まで持って行きますが?」

「よし、ちょっと来い」


 俺はみんなに直ぐ戻ると伝えてから、キャンピングカーのおいてある倉庫にブロウを連れ込んだ。


「これは……」


 ブロウがキャンピングカーを見上げて絶句する。


「ああ、それは本題じゃないんだ……。そうだ、ある程度金が掛かる話だが、何とかしろ」


「何とか……ですか。話を聞いてみないことには何とも」

「お前は断らねぇよ。ちょっと待ってろ」


 俺はキャンピングカーのキャビンに入ると念じる。


【世界の政治体系とその問題点=18万9200円】

【資本主義と社会主義=9万6000円】

【金融システムの構造解説=11万2900円】


 うわ。高ぇ!

 俺は一度キャビンから外に出て、ブロウに叫ぶ。


「おい! 今すぐ39万8100円用意しろ!」


 突然の事に目を丸くするブロウ。


「いきなりそんな大金を用意しろと言われましても……」

「いいから! フリエナさんにでも用立ててもらえ! あの人ならたぶん大丈夫だ」

「はぁ……わかりました。何とかしてみます」

「急げよ」


 ブロウが外に出ると直ぐに金貨の入った袋を片手に戻って来た。


「……直ぐにお借りできました」

「いいからよこせ」


 俺はその袋をひったくるとキャビンに戻って3冊とも購入する。お釣りと本をブロウに渡した。


「こ……これは?」

「本くらい見たことあるだろ? その本に色々難しい事が書いてあるからあとは勝手にやってくれ。ただしその本は誰にも見せるなよ。中身がどうしても必要なら、チェリナんところで和紙を買って自分で写せ。それを見せる分にはかまわねぇよ」


 ブロウが慌てて本をめくる。


「……なんですかこれは……」


 目立つ部分だけ凄い勢いで流し読みするブロウの顔色が変わる。床に本を置いて四つん這いになりそうな勢いだったので止めた。


「読むのは後にしてくれ。払った額に見合う代物だろ?」

「ええ……ええ……むしろこれは……」


 立ち上がってなお、本から目を離さない。


「……ここで読んでるか?」


 目の色を変えていたブロウがはっと顔を上げる。


「すみませんでした。戻りましょう」


 どこから取り出したのか皮製のバッグを取り出すとその中に本を大切に仕舞い込んだ。アイテムバッグかもしれない。


「そうだな」


 結局本のインパクトが強かったせいかキャンピングカーの話は出なかった。

 外に戻るといつの間にかチェリナも混じっていた。目が合うと、頬を紅くして顔を逸らした。俺もなんとなく視線を逸らしてしまう。そしてすぐに引力でもあるかのように彼女に引き戻されると再び目が合った。俺は後頭部を掻きながらみんなの前に戻った。


「用事は済んだのか?」

「ああ。終わった」

「……よくこの短時間で終わったな。ブロウの奴、お前を監禁してでも聞き出せないものかと零していたぞ」


 俺は冷たい視線をブロウに投げた。


「冗談ですよ……金と女で引き留められるのであればその手段も取れたのですが、諸処の事情でそれも不可能になってしまいましたからね」


 そう言ってブロウはちらりとチェリナを見た。そしてチェリナは氷の視線をブロウに返す。何があったんだか……。


「要点を書いて渡してやっただけだよ」

「……そうか。ブロウが納得しているのならかまわん」


 バッハールがぐいっと何かを差し出してきた。


「持って行け。餞別だ」


 大型のナイフかと思ったがそれにしては返しが多く持ちづらそうだった。


「この辺りに住む大型魚の骨を削り出して作った銛の先だ。困ったら売ってもいい。たいした金にはならんがな」


 改めて白いそれを見ると出刃包丁よりはるかに大きい骨で出来た銛であった。なるほど、この凶悪な返しは敵を傷つける為の物では無く、獲物を逃がさないようにするための物か。


「ありがたくいただいておくわ」


 俺は銛先を振っておく。バッハールが僅かに口角を上げた。これ以上の会話は必要無いだろう。


【海魚骨の大型銛先=3万6200円】


「やあ久しぶりだね」


 次に声を掛けてきたのはチェリナの親父さんだった。


「ご無沙汰しています」

「いやいや。お互い忙しい身だったからね。本来であれば君にはもっと大々的な礼と役職を与えてこのテッサに残って欲しい所なんだが……」

「十分すぎるほど良くしていただきましたよ。それに私には行かなければならない場所がありますから」

「ああ、詳しくは知らないがそう聞いている。協力できることは全てするようにフリエナに指示しておいたが、足りない物は無かったかね?」


 俺と親父さんの二人でフリエナを見る。妖艶な笑みを浮かべている彼女に思わず揃って苦笑してしまった。それだけで彼の苦労が知れるという物だ。


「十分すぎるほどですよ。おかげで出立に必要な物も全て揃いました」

「そうかね」


 親父さんは厳しい中に優しさを含んだ表情で、ふっとこちらを見上げる。


「ところで、チェリナは連れて行くんだろう?」

「ぶふっ?!」


 俺は奇襲攻撃に思わず盛大に吹き出してしまった。


「なっ、なんでそんな話に?!」


 そこで親父さんの視線が細く鋭く変わる。


「……娘を傷物にしておいてその言いぐさはなんだね?」


 ずいっと詰め寄ってくる親父。背は俺より低いというのに何という威圧感。


「そ、それは……ですね」


 俺は明後日の方向を見たり、ハッグたちに挨拶しているチェリナに助けの視線を向けたり、フリエナに……ダメだこいつは逆効果だ。

 自分でも驚くほど狼狽していると、突然親父が豪快に笑い出した。


「ぶはははははは! 冗談だ! 冗談! 君は思ったよりも顔に出るタイプだな! 商人としてそれではいかんぞ!」


 ばしばしと肩を叩かれる。痛いです。はい。

 フリエナは相変わらず全てを見透かしたような蛇の視線で微笑んでいた。怪物め。


「まあ、いずれ受け取りに来てくれたまえ。婿殿」

「えーと……」

「ぶあはははははははは! ほれ! そろそろ行きたまえ!」


 そう言って背中をチェリナの方へと押し出された。

 俺はたたらを踏んで彼女の前に飛び出した。ちょうどハッグとヤラライへの挨拶を終えたのか、マッスルコンビは一歩下がった。


「よ、よう」

「お、おはようございます……アキラ様」


 お互いぎこちなく挨拶する。昨日は何というか色んなたがが外れて想像以上に激しい夜の運動会になってしまったからな。生娘にするプレイじゃなかった。

 ちらちらと表情を窺い合ってしまう。これじゃあ昨日何があったか宣伝して回ってるようじゃないか。

 俺は襟を正してチェリナと向かい合う。そこで彼女の胸元に鎖を付けられたオリジナルのシンボルが下がっているのに気がついた。あと、谷間の隙間からブラのレースの一部が見えた。


「世話になったな」


 チェリナも姿勢を正した。


「はい。こちらこそ」


 しばらく無言で見つめ合う。


「まぁ……用事が全部終わったら一度は戻るさ」

「あまり遅いようでしたらこちらから向かいますわ」


 何かが吹っ切れたようにクスクスと笑うチェリナだった。


「お前らしいな」


 俺は腰に手をやって苦笑した。


「そうかもしれませんね……」


 チェリナがメルヴィンの手招きすると、持ってきた皮の小袋と、同じく皮製の四角い小型のポーチを俺に差し出す。


「遅くなりましたがこちらが顧問料です。特に値段は決めておりませんでしたが、この先の旅には十分な量かと。それとこちらが頼まれていたカード型空理具入れです」


 俺は空理具入れだけ受け取って、金貨の詰まった小袋は手のひらで押し返た。

 チェリナが怪訝な顔で俺を見上げた。


「いらん」

「どうしてですか?」


 目を丸くして、驚きというよりは悲しみに近い表情を浮かべる。


「お前からはもう十分にもらった」

「それは……」

「最後まで言わせるな」

「はい……」


 チェリナは顔を紅くして俯いてしまった。

 俺は一度大きく伸びをしてから宣言する。


「さて、そろそろ行くか」


 チェリナはそこで何かを言いかけたが飲み込んでやめた。


「行ってらっしゃい」


 ……さよならじゃなくて行ってらっしゃいか……。

 俺は彼女に見られないように背を見せてから口端を片方持ち上げた。

 倉庫の大扉を思い切り開け放つ。商会の人間たちが「おーっ」と歓声をあげた。


「実は先ほど見せてもらったのだが、凄い馬車だね」


 チェリナの親父さんが腕を組んで鋼鉄の馬車をしきりに見やる。


「本当に馬無しで走るのかい?」

「ええ、油を燃やして走るんですよ」


 などと親父さんに説明していたら、いつのまにかハッグがキャンピングカーにへばりついていた。


「うををををおおおお! なんじゃこれは! なんじゃこれは! 凄まじいのぅ! アキラ! 早く案内せい!」


 レイクレルに特別な馬車で向かうことは朝の段階で伝えてあったので、ハッグも乗り物だと言うことは認識している。


「おいおい、頼むから傷をつけるなよ。クソ高いんだからよ」

「わーっとるわい。ふーむ。これは鉄だがこっちはあのペットボトルと同じ材質かの?」


 ライトの部分を覗き込みながら車にかぶりついている姿は、中東の田舎村に初めて来た自動車とでも言うべきか。まぁ発明家であるハッグからしたらたまらない代物なんだろうな。


「これが、乗り物、なのか?」


 ヤラライが長い耳を揺らしながらキャンピングカーの横に立つ。さすがにハッグほどでは無いが、やはり興味があるらしく、ゆっくりとその周りを回っている。


「ああ、細かい説明は旅をしながらで良いだろう? とりあえず乗ってくれ」


 俺は二人をキャビンに案内するとドワーフとエルフは目を丸くして固まった。


「な、なんじゃ?! この馬車は中が宿になっておるのか?! しかも凄まじく豪勢じゃぞ!」


 ハッグはさっそくソファーに腰を下ろす。基本は海外仕様なので、横太りのハッグでもそんなに窮屈ではなさそうだ。


「これは……台所、か?」


 ヤラライは小型シンクを見て唸る。


「おお! それはステンレスではないか! 凄まじい贅沢品じゃぞ」

「前も言ったろ? 俺のいた世界ではステンレスは普通に普及してたんだよ」

「ふーむ。これを見たら納得するしか無いの……」

「さて、俺は運転するが、二人はどうする?」


 俺が尋ねると二人は乱暴に首を傾げた。


「どうする、とは?」

「このキャビンでゆっくりしててくれてもいいし、助手席……前の見える席にいてもいいぞ。幸いこの車はデカいから、前に三人乗れるしな」


 小型のトラック並の大きさのキャンピングカーは、前面席が三人乗れる仕様だった。


「ならワシは前に行こう」

「お前いく、なら俺、キャビンで、いい」


 俺は苦笑しながら「わかった」と返事をしておいた。

 俺とハッグが一度降りて運転席側に回る。


「全面ガラスとは贅沢な馬車だの」

「普通に鉄や木の板じゃ前が見えんだろ」

「阿呆、普通御者台は外じゃわい」


 そういえばメルヴィンさんはいつも御者台だったな。


「それもそうだな。これなら雨に濡れなくて良いぞ」

「この辺では降らんがな」

「ふん。あとで驚かしてやる」


 エアコンという人類の至宝に酔いしれるがいいさ。とりあえず今は窓が全開なのでエアコンは切ってある。キャビンの方はオンにしてあるので、そろそろヤラライが気がつく頃かも知れない。

 このキャンピングカーは運転席とキャビンは小窓付きの扉で繋がっているが、ガラス製の小窓を開かないとまともに会話が出来ない。気が向いたら向こうから話しかけてくるだろう。とりあえず、俺たちの後頭部は見えているはずだ。

 開け放ったドア窓から顔を出す。ヴェリエーロの人間が口をぽかんと開いてこっちを見ていた。先頭にいたフリエナがずいっと一歩前に出る。


「アキラさん。いつでも戻って来てくださいね」


 扇子をばっと開いた。


「ええ。用事が終わったら」

「その時はきちんと連れて行くか、こちらに入るか決めておいて欲しいものですわね」


 ほほほとわざとらしい声で笑うフリエナ。


「何の話かわかりませんね」


 俺はそらっとぼける。


「……まあ良いでしょう。努力すべきはアキラさんではありませんからね」


 俺はフリエナを見下ろした。もう少し突っ込まれると思ったんだけどな。


「それではそろそろ」

「ええ、お気を付けて」


 俺がエンジンキーを回すと低い獣のうなりをあげるキャンピングカー。ヴェリエーロの人間が一瞬騒然とするが、あらかじめ話を聞いていたのか逃げ出したりする奴はいなかった。

 犬のうなりにも似たエンジン音が寄り高鳴ると、鋼鉄の馬車は砂を蹴って少しずつ進み始めた。倉庫から出て太陽の光を反射するとひときわ大きな歓声があがる。


 ナルニアが両手を振りながら「絶対にまたきてねー!」と目にちょっと涙を溜めて叫んでいた。だがとびっきりの笑顔だったので「おう!」と手を振り返してやった。

 ひとしきり手を振った後に、ふと、見慣れた紅髪の少女が運転席の横に来た。他の人間はそれを避けるように逆側に移動する。


「アキラ様」

「……おう」

「お気を付けて」

「ああ。行ってくる。健康には気をつけろよ」

「はい。アキラ様も」


 そこでお互いに言葉が出なくなってしまった。

 このままではいつまでも出られない。俺は意を決して、腹に力を込めて行った。


「行ってきます」


 彼女の表情が一瞬止まった後に、ゆっくりと花が開いていく。


「はい。行ってらっしゃいませ」


 俺はアクセルをぐっと踏み込んだ。カーゴトレーラーを牽引しているキャンピングカーがエンジンの回転数に合わせてぐぐっと速度を上げていく。

 メインの馬車道に出ると人々が慌てて見慣れない鋼鉄の馬車を避けて道を空けていく。俺は一度遠ざかる商会をサイドミラー越しにチラ見した。


 彼女はドレスを乱して走り出していた。手を振りながら、こちらに真っ直ぐ。

 俺は片腕を窓から突き出して、手を振った。振り続けた。

 すでに通行規制の無くなった東門で止められることも無く、キャンピングカーは街道に飛び出し、速度を上げていった。

 俺は、経済自由都市国家テッサがサイドミラーから消えるまでずっと手を振っていた。誰が見ていなくとも。


 そうして。

 俺たちは旅立ち、新しい冒険が始まった。


 ―― 第一章・完結 ――


これにて第一章完結です。

長い間本当にありがとうございました。


皆様の応援のおかげでここまで続けられました。

ネット小説大賞1次通過をさせていただくという栄誉をいただいたり

長いようで短い3ヶ月でした。

これからも引き続き応援いただけたら幸いです。


ブクマ・評価していただけると、感涙して喜びます。

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[一言] ああ、残念な予感が当たってしまったけど祝福すべきではあるのか…? もう少し利己的な女の表現を抑え、()付で己の所業を振り返る表現はあったものの、もう少し段階を踏めば腑に落ちたんだけど… しか…
[一言] 結局ついてくるとか旅の仲間で可愛い女の子がいっぱいみたいな良くある展開じゃなくて良かったです。 何やかんや自分の能力やら使えばちょっとしたハーレムパーティーみたいなものを作れそうなのに結果と…
[一言] 泣いた。せつない
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