第111話「荒野の一夜」
俺は固まってしまったチェリナと手を繋ぎ、露店広場へ行ってみた。
恥ずかしくないのかだって?
そこまでお子様ではないからな。ただ、広場全体から突き刺さる視線がめちゃ痛い。
「あのっ! もしかして貴方は先日までここで変わった芋を売っておられた方ではないですか?」
皆が俺たちから距離を取る中、一人の旅商人風の男が近寄ってきた。
「ん? ああ、そうですが」
なんだろう、クレームかな? クレーム対応は仕事だったから色んなパターンを知ってるぜ?
「出来れば私にもその芋を売っていただけませんか?! 噂を聞いて探していたのですが結局購入出来ずにいたのです」
興奮しながら俺に迫ってくる商人。
「あー。申し訳ない。もう売り切れてしまって……手元には1つも残っていないのですよ」
「そんな……あああ」
がくりと膝を落とすおじさん。SHOP経由ならいくらでも売ってやれるんだけど、混乱するだけだからな。申し訳ないが諦めてもらおう。
俺が商人を起こそうと片手を差し出したとき、悲鳴が聞こえた。ちょっと遅れて遠くに破裂音を聞いたような気もする。
とっさにポケットの光剣を掴むが、どうやらおっさんがコケたらしく近くで太ももを押さえながら転げ回っていた。
血が出ているようにも見えたが、とりあえずこちらとは無関係そうだったので、商人さんを引き起こして「また機会があれば」と言っておいた。日本じゃ無いから「申し訳ありませんでした」とは絶対に言わない。
微妙に距離を置かれている群衆をモーゼ的に進んで、露店を見て歩く。
「この干したのはなんだ?」
しわっしわのフルーツらしき黄色の食べ物を掴む。水分は抜けきっていて、食べるのにも苦労しそうだった。
「それはマンゴーを干したものですね。秘伝の乾し方があるらしく、大変に長持ちします。南から持ち込まれたものですね」
「へえ、美味いのか?」
「少し裕福な家であればおやつに食べますね。ナイフで削って少しずつ食すのですよ。なかなか美味しいですよ」
「ふむ……おっちゃん一つくれ」
それまで目を丸くしてチェリナを凝視していた店主が「へっへい!」と大声で答えた。
「いくら?」
「いっいえ! お代はいりませんから! ぜひお持ちください!」
俺はチェリナを横目で見ると、彼女は唖然としたあとにこちらを見て、何かに気づいて今度は笑顔でうんうんと頷く。
「……どうした?」
「いえ、さすがアキラ様だと感心していたまでですわ」
うっとりとした表情で見つめてくれるのは嬉しいんだが、まったくもって間違った評価だぞ。こいつ自分の事になるとこんなにポンコツになるのか……。
「うんまぁ有り難くもらってくぜ」
俺は片手でドライマンゴーを放りながら次の露店へ移動した。
それに合わせて波が動くように広場の人間が動くのだが、気にしないことにした。
「ナイフがないなぁ」
食べようと思ったがナイフが無い。カッターナイフが文房具と一緒に入っていたはずだが、キャリーバッグに放り込んでいるので取り出すためには一度キャリーバッグを取り出さなくてはならない。
この衆人環視の中そんなもの出す勇気は無かった。しかたないのでドライマンゴーはこっそりポケット経由でコンテナにしまっておいた。
【ドライマンゴー(ミダル産)=423円】
だんだんチェリナの緊張が無くなってきたのか最初の石のような硬直はなくなって、ようやく自然に会話出来るようになってきた。
古着屋を冷やかして、旅に必要だという干物屋を覗き、これまた中古の鍋ややかんの並ぶ店を見て歩いた。
チェリナは終始笑顔だった。
こいつこんな屈託の無い顔もできるんだな。
たまーにいきなり足を押さえて転がる奴がいるのが気になるが、流行っているんだろうか?
チェリナの案内でこの国一番のレストランに連れて行ってもらったり、馬屋をのぞいたら普通の馬の他にシマウマがいてビビったりしたのを笑われたりとか、なぜか大通りの真ん中で30人くらいのドワーフと殴り合ってるハッグとかち合って、シングルモルトを売ってやったりとか、終始彼女は笑っていた。
俺も笑ってたと思う。下手くそな笑顔だがな。
食事して、ショッピングして(なぜか一度も金を払わずに済んだが)、街を歩き回った。楽しかったと思う。街も良い意味で浮かれていたと思う。
空が暮れてチェリナの髪と同じ色に染まっていく。最後に俺たちはいつもの港が見える高台へとやってきた。
二人で並んで座り、港を見下ろしていた。しばらく停泊しっぱなしだった巨大木造船にひっきりなしへと荷物が積み込まれていた。
「あれは出港するのか?」
「ええ、和紙はまだ見本程度しか詰めませんが、木炭と粘土を中心に運びます」
「ああ。木炭は売るんだな」
「いいえ、現地で土地を借りてレンガ釜を作ります。粘土はそこで全て耐熱レンガにして売る予定です」
なるほど。ただ粘土を売るだけより付加価値が高そうだ。さすがヴェリエーロの人間は発想が凄い。
「あの兄ちゃんが乗るのか?」
「もちろんですよ。兄が出来る事などそれくらいですし」
相変わらず辛辣だな!
もっとも嫌っている様子は無さそうだ。むしろ仲は良いんだろうな。
「家族か……」
「え?」
しまった。口に出したつもりは無かったのに。
「やはり、ご家族と離ればなれになってしまって寂しいですか?」
「いや、まったく」
俺は即答した。チェリナは目を丸くした。
「仲が悪かったのですか?」
チェリナが控えめに聞いてきた。
「仲が悪い?」
俺の表情の変化にチェリナがギョッとした。それほど俺は目つきを鋭く自嘲していたのだろう。
「くっくっく……仲が悪いか……そうだな。まったくもって悪いな。もしも殺人が罪にならないならこの手で殺してやりたかったぜ。この世界に飛ばされてそれが出来なくなったことだけが残念だ」
俺は力が入って筋張った手で空気を掴んだ。チェリナは暫く絶句していたが、意を決して続けた。
「何があったのか聞いても?」
「別に? ガキの頃から殴る蹴る縛る閉じ込める打たれる沈められる焼かれる怒鳴られる置き去りにされる喰わせてもらえない金をたかられる借金を押しつけられる……まぁ良くある話さ」
チェリナは微動だにしなかった。紅い瞳だけが揺れていた。
「ずっと気になっていました……」
何を、とは聞かずに続きを待った。
「アキラ様のお身体に、沢山の傷があったことを」
露天風呂を作ったときの話だろう。思いっきり全裸を見られたからな。ラッキースケベって奴だ。
「初めはそれほど不思議に思いませんでした。旅する人間であれば大なり小なり傷は出来るものですから。ですがアキラ様の世界は平和で戦いなど無かったといいます。ならばその身体中の傷跡はどこで付いたものなのか……」
大分治ったとはいえ、俺の身体には数々の傷が刻まれていた。それも服を着れば見えない位置にばかり。両親が本物のクズである証拠だろう。
俺は両肩に爪を立てて身を丸くする。つい過去を思い出してしまうと身体の底から怒りで支配されてしまう。
いつもの様に軽く流せ。
俺がその姿勢のまま震えていると。チェリナはそっと俺を抱きしめた。
「……わたくしでは……ダメですか?」
海風にかき消えるような小さな声だった。
「私では……貴方の家族に……なれませんか?」
俺を抱きしめる力が強くなった。俺の震えは止まり、逆に彼女の身体が震え始めた。彼女の体温がゆっくりと俺の心を温める。
だが……。
「自信がないんだよ。家族なんてもんを持つことに。俺が知っている親はたった二人だ。そしてそれしか知らないんだ。俺がああならない自信なんて欠片もないんだ……」
雲の無い夕暮れはどこまでも遠くを見通せる。前を見れば水平線が広がり、きっと背後の城壁を越えれば地平線がどこまでも広がっているだろう。世界はこんなにも広いのに、俺の心はどこまでも狭量だ。
俺は身体を起こしてチェリナと向き合った。
「お前は俺の事なんて忘れて幸せに……」
「忘れられる訳がないでしょう?! 忘れて幸せになどなれるはずが無いではありませんか! 私は! 私は!」
彼女が首筋に飛びついてきた。泣きながら。嗚咽しながら俺の頭を掻きむしる。
「忘れたりなど……私はこんなにも……こんなにも……」
俺の頬に彼女の頬が当たる。首筋に埋もれた彼女の顔から熱が伝わってくる。涙がシャツを濡らしていく。
その全てが……愛おしく思ってしまった。俺は彼女の頭を撫でながら言った。
「悪かった。忘れろって言ったのは訂正する。……そうだなお前に忘れられるとちょっと寂しいからな」
「あ……当たり前です……忘れたりしませんから……」
ようやく彼女の身体から力が抜ける。彼女の肩を掴んで優しく身を離す。だが彼女の顔が正面に来るとかえって近づく印象になってしまった。
彼女は涙を止めて真っ直ぐに俺の瞳を覗き込んでいる。僅かずつ、その距離が縮んでいっている。
俺は、未だに躊躇している。彼女の好意を受けきれる自信がないのだ。
「……すから」
ぬらりと濡れたその唇がわずかに震える。
「今日……だけですから……」
そのセリフは、いったいどれほどの勇気を持って絞り出したものだろう。俺は後先を考えるのをやめた。
夕暮れの丘の上で、二つの影が重なった。
あの後俺たちはまったく口をきいていなかった。
ただとぼとぼと、俺の手にひかれるままのチェリナと、黙々と歩く俺。ほとんど無意識に歩いていたせいで、うっかりクジラ亭の前まで来てしまった。
「……すまん、戻るな」
商会に向かおうと、再びチェリナの手を引いたが、逆に引き戻された。
チェリナが俯いたまま、その手をこねくり回す。
「……泊まって……行きます」
彼女の表情はまったく見えなかったが、その顔色は安易に想像が付いた。その見事なドレスよりも鮮やかに染まっていることだろう。
「俺は。明日。旅立つんだぞ?」
それは別れの言葉。彼女と再会できるかは神のみぞ知る話だ。
「……知っています」
チェリナはゆっくりと顔を上げた。顔色は予想通りだった。口をへの字に曲げ全身震えている。
「それでも……あなたと……アキラ……と」
彼女はきっと後悔するだろう。それを理解していて、なお消せない感情なのだ。
「いいんだな?」
チェリナは小さく肯いた。
「あなたの……アキラの好きに……してください」
それで俺の理性は消し飛んだ。
俺はチェリナの手を強く掴むと無言で部屋に引っ張り込んだ。
――――
――ある建物の屋上に夕闇に溶ける影があった。
長い耳に大きな羽根飾り。薄い革製のジャケット。ドレッドの金髪。
影は構えていたM4A1カービンの銃口を空に向ける。
「世話の焼けることだ」
彼はエルフ語で小さく呟いた。口元に薄い笑みを浮かべて。
――――
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