第97話「荒野のメドューサ」
(長いです)
彼女が案内してくれた場所は大通りからも広場中央からも一番目立つ最高の立地だった。確かにチェリナは良い場所を用意すると言っていたが限度があるんじゃないだろうか?
その事を柔らかく聞いてみると「ここの露天商は革命が起こったその日のうちに夜逃げいたしましたわ」と返ってきた。なんともまぁ。
「しかたありませんね。海龍の活動も普通は店舗を構えた信頼の置ける商人や定住している住民しか誘っていませんでしたし、いつ出て行くかわからない露天商にまで声を掛けてはおりませんわ」
やたら内部事情に詳しいな……。きっと男爵(の代理)経由で情報を取っていたに違いない。
すでに露店地にはタープも掛けられて簡易カウンターまで用意してあった。準備を終えて俺たちが来るのを待っていただろう商会の小僧がフリエナを見てぎょっとする。
「お、奥様?!」
小僧が慌てて頭を下げるが、彼女はそれを片手で制した。
「あらあら。あなたお一人でこれを準備したの? 良い出来ですよ」
彼女が微笑むと小僧は岩のように硬直した。……蛇に睨まれたカエルだな。やっぱメドューサだろ。
フリエナは小僧に硬貨を一枚握らせると先に帰らせた。ちらりとしか見えなかったがおそらく金貨だ。小僧は色んな意味で顔を真っ赤にして走り去っていった。……がんばれ少年。
「お、奥様……木箱はどこに……」
俺たち二人の背後から荒い息で話しかけられた。大きな木箱を抱えていた。すまん忘れてた。
「アキラさん。こちらの箱はどちらに?」
「そうですね……」
考えるようなスペースは無い。カウンターの後ろに俺とヤラライが立つとして、その背後くらいしか置くところはないだろう。わざわざ聞くような事か。だが俺は若干考えるフリをしてから答えた。サービスだよ。サービス。
「ではこちらにお願いいたします」
男性がようやくという体で木箱をゴザの上に降ろして大きく息を吸う。
そりゃああんな重そうな木箱を運べば海運業者のヴェリエーロ職員といえど疲れるだろう。妙にゆっくりとしか歩いてくれないご婦人のペースに合わせればな特にな。
汗をぬぐってようやく笑みの戻ったお付きの男はフリエナ婦人に「さあ帰りましょう」と無言で訴えていた。
「ご苦労様でしたね、それではしばらくあちらのお店で休憩なさってくださいな」
ナメクジを思わせる粘ついた動きで銀貨を男に握らせて、視線を広場入り口の飲み物を出す露店に向けた。
おそらく軽いアルコールを出す店だろう。隣では日干しのカップを売る店があってウィンウィンの関係らしい。
この日干しカップなのだが露店では珍しく定価販売で、いつ書かれたかわからないほど古い看板に30円と明記されていた。識字率の低いこの国ではあまり意味は無いのだろうがウチは誠実な商売をやってますよという証明かもしれない。文字を読める奴に確認してもらえば一発なわけだからな。
この日干しカップは使い終わったら、地面に叩きつけて割って捨てるようだ。紙コップ代わりなのだろう。
男は一度そちらの露店を見やった後、奥様に視線を戻す。ちょっと泣きそうな面だった。もちろん奥様から返ってきたのは満面の……妖艶な笑みであった。
無言の圧力に押されてそのままとぼとぼと露店に向かう男の背中からはよくわからない哀愁が漂っていた。
「……なぜお人払いを?」
思わず直接聞いてしまった。この魔女相手に搦め手は無意味だろう。
「わたくしとしては聞かれても構わないのですが、おそらくアキラさんがお困りになるのではと……きっとそちらのエルフさんは大丈夫ですわよね?」
おいおい、まさか……。
「こちらの商品、アキラさんから仕入れたとか」
彼女が取り出したのは100円ライターである。商会への売値は1000円という暴利である。一瞬ぼりすぎだと嫌みの一つも言われるんじゃないかと思ったがすぐに首を横に振った。おそらく別のことだ。
「実はチェリナさんはこれを仕入れたことを反省しておりましたよ」
俺は片眉を上げてみせる。
「商会の引き継ぎ自体は書面でいただいたのですが……ああ、あの和紙は凄いですね。ありがとうございます」
急に頭を下げられて「ええ、まあ」と曖昧に答えておいた。
「ただライターの件だけはチェリナさんが直接わたくしの所に来まして」
「……フリエナさん、タバコを吸っても?」
しまった、さん付けしてしまった……まあいいか。
「ええもちろん。……お点けしますわ」
この話はタバコを吸いたくなると予感して許可をもらう。俺がケースを取り出すと同時にライターが差し出された。
「ありがとうございます」
素直に火を受け取って胸に深く吸う。彼女もキセルに新しい葉を詰めていたのでライターでお返ししておいた。お互いに長い紫煙を吐き出す。
「それでチェリナさんはこのライターをアキラさんから購入したことを悔やんでいましたよ。自分の力不足だったと」
俺は特に返事をせずに煙を吐きだした。
「その上でこの商品を上手に捌いて欲しいと珍しく泣き付かれましたわ。久々にあの娘の可愛いところが見れましたわ」
ふふふと笑う所は血筋を感じるが、受け取る印象は全くの別物だ。完全に妖怪の類いだな。これは。
ヤラライは少し離れた場所で我関せずを貫いているが、きっとあの長い耳では聞いているだろう。
「チェリナさんがライターをどのような流通ルートに乗せようか思案したとき、これはどこで誰が作ったと問い詰められることに気がついたそうですよ。木炭も和紙もキャッサバ芋も、いくらでも説明のしようはありますが、あのライターだけはそう簡単にはいきません。分解しないようにとチェリナには伝えたようですが、実際には部下に調べさせていたようですわよ?」
だろうな。正直その辺は期待していなかったから軽く注意しただけだったし。ただ中の液体は大変良く燃える油だからとはそれとなく伝えていたので、事故には至っていないと思うが……。
「この回転する火打ち石の仕組みは漠然とわかったそうですが、その他の部分がさっぱりだそうですよ」
俺もわからん。液化ブタンなんてわかる奴はまずいないだろう。あのケースにしたって小型燃料電池開発でメタノールを安全に封印するのに困っていた開発者が100円ライターのケースに注目したなんてニュースだってあったほどだ。
見た目と値段に反して意外と技術が詰まっているのだ。これが電子ライターだったら腰を抜かしていたかもしれない。
あの時は金が欲しかったのもあって軽いノリで売ってしまったが、俺も後で後悔していた。
それもあってその後はもっと珍しい物を求められたとしても売るつもりは無くなっていた。もっともそれを言ってくるチェリナではなかったが。
「あの娘にしては珍しいのですよ、目先の利益に飛びついてしまうのは。ああみえて頭の回転は父親似ですからね。それほど魅力的な商品だったと言うことでしょうか?」
父親の方が商才があるのか? 目の前の蛇女より? うーん。わからん。
「ただ良い刺激にはなったようですよ? この国を変えようと思えるほどには」
それが良いことなのか悪いことなのかわからないけどな。
しっかし一夜革命とか歴史の教科書でも読んでるようで未だに実感が無い。脱獄とチェリナが傷付けられた印象しか残ってないわ。
「それで、フリエナ様はどうするおつもりですか?」
「さんでいいですのよ?」
俺は短くなったタバコを踏み消しながら軽く頷く。彼女は満足そうに微笑んだ。
「心配しなくとも上手く捌いて見せますわ。そうですね……パロスさんには軍艦の事もあって無理させてしまいましたし、彼がずっと行きたがっていた南の新ルートを開拓させましょう」
パロス……チェリナの兄貴か。
「南の海は危険とか?」
「いずれは開拓しなければならないルートですからね、タイミングは良いのですよ。パロスさんはあれで根っからの船乗りですからね」
俺の思いつきで出した商品で行方不明とかやめて欲しいんだが……。
「心配しないでください。実際には何度も別の船での事前確認はしておりますから。もっとも商品を満載した大型船と、開拓専門の船では構造がだいぶ違いますが……そこはパロスさんの腕を信用していますからね」
親が信じると言うのだから、俺が心配するのは筋違いかもしれないな。
「なるほど……」
家族を信頼する……か。俺には想像もつかん事だな。
「それでアキラさんはこれからいかがするおつもりですか?」
「そうですね。本当は1日かけて準備する予定でしたがもうすっかりやっていただけたようですし、あとは商品を用意するだけですから、もうここでやる事はありませんね」
コンテナを使って補充しますとはとても言えんが。
「なるほど。他の場所に移動なさいますか?」
しばらく考えて頷く。ちょっとやっておきたいことがあったからだ。
「わかりました。では……」
しゃなりと鈴を鳴らすように歩き出すと、借りる露店の両隣に声を掛けていく。
「すみませんが、夜まで留守にしますので、不届き者が出ないように目を掛けておいていただけませんか? 何かあったらヴェリエーロ商会まで連絡いただけたらと思います。夕方までには人を寄越しますので」
二人の店主に銀貨を握らせているのを見てしまったと思う。
「ああすみません、気が利かなくて、そうですよね。放置するわけにはいきませんでした」
日本の無人販売ではないのだ。放置しておけば何でも盗まれてしまうだろう。
「気にしないでくださいな。夜も商会から人を出しておきますので」
「しかし……」
さすがにそこまでは甘えられないと否定しようとしたが、やんわりと断られてしまった。
「チェリナさんの大事なお方ですからね」
いったい彼女からどういう風に伝えられているんだか……。
「それではお言葉に甘えさせていただきます」
「構いませんよ」
彼女は軽く微笑んだ後、ふと視線を強くした。
必要事項は揃ったので、そろそろ前座は終わりだろうか、さて本題はここからかと身構えていると、フリエナは雪の様にゆったりとターンして商会へと帰ろうとする。
「……フリエナさん?」
俺の間の抜けた問いかけに彼女は横顔で答えた。
「大丈夫ですよ。わたくしは何も聞きません」
酷く楽しそうな笑顔が怖い。
「ただ……そうですね、もしチェリナさんをもらいたいのならアキラさんの秘密を明かしてもらうことが条件ですわね?」
ねーよ。
「私には分不相応ですよ」
とだけ答えておくことにした。この世界で生き続けるのだから、結婚相手としては申し分の無い相手だとは思う。俺に足りないものを彼女は持っているだろうし、彼女に足りない物も俺が少しは補ってやれるだろう。能力を別にしてもだ。
それでも、どうにも結婚という言葉に惹かれる物は無かった。
「人生はどうなるかわかりませんわよ?」
頼むから妖しい横顔を向けないでください。
「それではまたお目にかかりましょう、アキラさん」
氷の上を滑るように女王が去って行った。それに気づいたお付きの男が慌てて後を追う。声くらい掛けてやれよ……。
俺は木箱に寄りかかりそのままゴザに座り込む。新しいタバコを取り出して火を点けるとヤラライがキセルを差し出してきた。
「人間、わかりずらい」
「あんな妖怪と一緒にしないでくれ」
あの紅水晶みたいな瞳に見つめられると全てを見透かされた気になる。そのうちチェリナもあんな妖怪に化けるんかね?
「これから、どうする?」
キセルに火を点けてやると、ヤラライが煙を吐き出す。
まんまネイティブ・アメリカンだな。あの羽根飾りとか自分で狩った獲物を使っているんだろうか?
その羽は一般的な鳥の羽より一回り大きく見える。またバッファローみたいに俺が知ってるものよりデカい鳥とかいるんだろうか?
グリフォンとか飛ぶらしいし、知らないだけで色々いそうだな。
「時間が出来たからな。やりたいことがある。街の外に行きたいが大丈夫だよな?」
「問題、ない」
俺のことを誰が狙っていたのが誰かはわからないが、おそらくこの革命で死んでるか理由が無くなっているだろう。
怪しいのは豚王かブロウあたりだがどちらももう手を出せないはずだ。俺の護衛としてはヤラライ一人でも過剰戦力だろう。頼もしい。
そんなわけで移動することにしたのだが、ヤラライがぴしりと荒野を指差した。
「せっかくだ、走れ」
えー?
ヤラライもスパルタだったよ。
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