神様、ヘルプ!(虹色幻想22)
山は好きだ。
あの自然の中で深呼吸をすると、心が洗われる心地がする。
優衣は部活の仲間と登山に来ていた。
ゴールデンウィークの休みを利用して、一泊登山に来たのだ。
初夏の山は青臭い匂いが強く、自然の逞しさを人間に教えるようだ。
優衣は楽しく登山をしていた、はずだった。
なのに目覚めたら、見慣れた自分の部屋のベッドの上だった。
一体何が起きたのか?
優衣は訳が分からなかった。
そうして部屋を見渡すと、知らない男がいる。
男は優衣に背を向けて、一点を見つめていた。
その視線の先には、優衣の下着があった。
男は下着を指でつまみ、眺めた。
少し首を横に傾け、不思議そうにしている。
優衣は叫んだ。
その絶叫を聞いて、家族が優衣の部屋に集合した。
「どうした!」
父親が慌てた様子で優衣に聞いた。
優衣は男を指差し、叫んだ。
「知らない男が部屋にいる!」
父親は優衣が指差した方を見て、眉をひそめた。
「…どこにいるんだ?誰もいないぞ。
寝ぼけているんじゃないのか?」
父親は呆れた声を出した。
母親もその様子を見て、夢を見たのだろうと安心して台所へ戻っていった。
弟だけが部屋に残り、優衣をバカにしたように見て言った。
「姉貴、今日が登山だからって興奮しすぎなんじゃないの?子供みてぇ」
弟、哲の言葉にカチンときて、優衣は頬を膨らませた。
「何言ってるの?登山は昨日行ったわ。
今日は五日でしょう?
哲こそ寝ぼけてるんじゃないの?」
「本当に大丈夫か、姉貴?
今日は四日だぜ!
登山は止めたほうがいいんじゃないの?
なんか危なっかしいよ」
そう言うと哲は部屋を出て行った。
今日が四日?
優衣は携帯の画面を見た。
五月四日になっている。
どうして?
だって、山には昨日行ったわ。
優衣は混乱した。
あの登山は夢だというのか?
「大丈夫か?」
知らない男が優衣の頭をなでた。
優衣はハッとした。
男の存在を忘れていた。
「ちょっと、何を握っているのよ!」
優衣は男が握っている下着を取り返した。
「まったく、どうして皆はこの男が見えないの?」
優衣は頭を抱えた。
そんな優衣を見て、男は笑った。
「当たり前だ。私はお前だけの神なのだから」
「は?」
優衣は呆然として男を見上げる。
銀の長い髪を赤い紐で一くくりにした、銀の瞳の男は面白そうに笑って言った。
「私はお前だけの神だ。
お前は昨日、下山の途中で足を滑らせ谷底に落ちて死んだ。
私が時を戻してお前を生き返らせた。
だから今日の登山は行かないほうが良い。
もう死にたくないだろう?」
それはそうだが、そんなこと簡単には信じられない。
優衣は疑いの目で男を見た。
「まだ信じられないのか?」
「ええ、そうよ」
男はため息をついた。
「疑り深いのも変わらずか。
まあ、良い。用があるときに呼べ。
そうすれば助けてやろう」
「ちょっと、呼べって言われても…」
「周と呼べ」
そう言うと周は消えた。
「えええええええ!」
優衣は驚いて叫んだ。
隣の部屋で哲が姉貴うるさい!と叫んだのが聞こえた。
結局、優衣は登山に行かなかった。
休み明けの学校で優衣は友人に謝った。
「体調悪かったなら仕方ないよ。また行けばいいじゃん」
「うん、そうだね。ありがとう朱里」
あれから、周を見ていない。
呼ぶタイミングも分からない。
日が経つにつれて、夢だったと思えてくる。
きっと夢だったのだ、と優衣は納得していた。
掃除の時間だった。
優衣は教室で窓拭きをしていた。
その時、ふざけた男子が優衣にぶつかった。
優衣はバランスを崩し、窓から転落した。
「優衣!」
朱里が叫ぶ声が聞こえた。
優衣は周を呼んだ。
助けて、周!
ふと体が抱き上げられるのを感じた。
「やっと呼んだか。遅いぞ」
不満そうな周の顔が見えた。
夢ではなかったのだ。
周は優衣をゆっくりと地面に下ろした。
「ありがとう」
震える手を握り締めて、優衣は周に礼を言った。
「構わん」
そう言うと周は優衣の頬をなで、消えた。
遠くで朱里の声が聞こえたと思ったら、傍にいて抱きしめられた。
「大丈夫だったの?びっくりしたよ~」
「うん、下にいた人が抱きとめてくれて」
「見たよ。銀の髪をした人だった。
あんな人見たことないよ!一体誰なの?」
朱里は眉をひそめて囁いた。
優衣は驚いた。
周は他の人には見えないはずだ。
なのに、見えたのか?
優衣の疑問を感じて朱里は答えた。
「たまに、見えないものとか、見えるのよ」
朱里の答えに納得し、優衣は言った。
「守り神なんだって」
「この学校の不思議の一つ、というわけね」
優衣は頷いた。
実際、ふざけていた男子には見えていなかったようだから、不思議の一つにしておけばいい。
ふざけていた男子も来て、謝った。
優衣は無事なのだから、と彼らを許した。
それから周はよく優衣の傍に現れた。
校舎の隅に、体育館の天井に、校庭の中央に。
いつもどこかで優衣を見守っていてくれた。
そうしてカンの良い生徒は周の存在に気づいた。
銀の髪と目をした美しい神。
いつしかその噂は構内に流れていった。
「周、助けて!」
「お前な、変なことで呼ぶんじゃない!」
「だって、あのハンカチお気に入りなのよ。お願い取って!」
優衣は木の上を指差し、言った。
「はいはい。只今取りますよ」
まったく、惚れた弱みだね、嫌になるよ。と周は呟いた。
遠い昔、周は一人の女を守った。
その女の生まれ変わりが優衣なのだが、優衣はまったく覚えていない。
周は少しそれを寂しく思った。
「周、周!」
「今度は何だ!」
うんざりした顔の周が出てきた。
優衣は周に抱きついた。
「酷いのよ!あの男、二股かけてたの~!
少しカッコイイと思って惹かれた私がバカだった!
悔しい~!絶対許さないんだから!」
泣きながら叫ぶ優衣を、周は優しく抱きしめた。
そのうち、優衣は泣きつかれて眠ってしまった。
周は優衣を抱き上げ、ベッドへと運ぶ。
優衣は周の着物をぎっちりとつかんで放さない。
周はあきらめ、優衣と共に眠りについた。
そうして周は懐かしい夢を見た。
昔、楽しかった日々の夢を。
あまりの懐かしさに、周は泣いた。
守れなかった、愛しい人。
今度こそは守るのだと、心に決めた。
周はあどけない寝顔の優衣を愛おしく抱きしめた。
朝起きると、周が隣で寝ていた。
ずっと傍にいてくれたのだ。
周、私だけの神様。
優衣はいつしか周の存在を当然と思うようになった。
いつも傍にいてくれる周の存在は、心地よいものだった。
「大好きよ、周。ずっと傍にいてね」
優衣は眠っている周の髪を愛おしく撫でた。