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ANNEX

「僕はこのホテルの支配人の一人、ロジェ。総支配人に申し付けられ、貴女を別館にお連れします」

 無表情に言うのは、奥様の息子だと言うロジェさん。王子様のような風貌だけど、彼がさっき言ったように、お城だと思っていたこの場所は、どうやらホテルだったらしい。

「お、おねがいします」

 私の言葉にうなずいて、くるりと背を向けて歩き出す彼。美貌よりも、その堅い態度に思わず身が縮こまる。


 洗っておけと言われたジャガイモを、皮むきまで終わらせた私は、それが終わってしまうまで、こちらを見つめるオジサマの姿に気が付かなかった。びっくりした私に、彼も驚いたような表情になった後、その右手が私の頭に乗っけられた。

 わしゃわしゃと頭を撫でると、そのオジサマは何も言わずに去ってしまったが、奥様は彼がここの総支配人で、奥様の夫であると話してくれた。ここがお城ではなく、ホテルだということも、その時に知った。

そうやって、奥様が私にいろいろ説明してくれている時に現れたのがロジェさんだ。



 別館と言われて、想像していたのは従業員の寮のようなものだったけど、ロジェさんに連れてこられたのは、お城とは違うけれど、美しい赤いレンガ造りの建物だった。

「貴女には、しばらくここで待ってもらいます。夜の食事の時間までは、父も母も忙しいですから」

 私はロジェさんが「父も母も」と言ったところに、静かに驚いた。なんだか、ロジェさんの印象だと、親というより上司のように思っていそうだったから。

「ありがとうございます」

 待っていろと言われた部屋の中は、とても爽やかだった。水色のギンガムチェックのカーテンに、白木の箪笥やテーブルに椅子。ベッドには麻のシーツ。

 部屋の中を見回して、孤児院とはまるで別世界のそこに夢見心地だった。ぐるりと回ると、ロジェさんがまだ私を見つめているのに気が付いた。私も回るのをやめて彼の目を見つめる。

「ふふ、お礼が言えて偉いですね」

 微笑んだロジェさんの顔に、私は釘づけになる。どこか冷たい印象だった無表情の時にはあまり感じられなかった彼の美しさが、ほろりとこぼれ出たからだ。

 ぽっと顔が赤くなるのを感じる。褒められるなんて、初めてだ。

 私がドギマギしていると、ロジェさんが目線を下げるために屈んでくれる。まだ十七歳だって話だけど、ずいぶん大人に見えた。

「あれ、怖がらせちゃったかな。ごめんね。ホテルにいる時は僕も緊張するんだ」

 ロジェさんが、緊張……。あの無表情が、緊張した顔だったなんて。

 嘘を言っているとは思えない彼の苦笑いに、私も思わずくすくす笑った。

 すると、ロジェさんの右手が私の頭に置かれる。わしゃわしゃと撫でる仕草が、あのオジサマにそっくりで、私はさらに笑ってしまった。

「兄ちゃん、その子誰」

 私とロジェさんが振り返ると、しかめっ面した少年が立っていた。「兄ちゃん」ってことは、ロジェさんの弟?

 十歳前後の少年で、髪はロジェさんとは異なる濃い茶髪だった。

「おお、ルネ、早かったな」

 ルネと呼ばれた少年は、ずんずんとこちらにやって来て、私の目の前まで来ると、私の髪の色と瞳を見比べた。そんなに見ても、真っ黒なのに変わりはないと思うけど……。私もルネの顔をまじまじと見つめる。まだ幼いけれど、ロジェさんに似て整った顔立ちには変わりない。

「お前、名前は?」

 本日二度目の質問に、私は言葉に詰まる。別に言ったって良いんだけど、それじゃこの少年が悪者みたいになってしまわないだろうか。そんな心配が、私が子供らしくないところなのかもしれないんだけど……。

「ルネ、彼女の名前は今夜までの秘密だよ。まだ兄さんも知らないんだ」

 ロジェさんのよく分からないフォローに、私もルネも目が点になるが、ルネの方が復活が早かった。

「ふーん、じゃ、お前カラスのノワーだな。真っ黒カラスだ!」

 片方の口角をクイっと上げて自信満々に言ったルネに、ロジェさんの拳骨が落ちる。

 私は、口の中で、ノワーと呟いてみた。

「ノワー……。わたしのなまえ……」

 鼻の奥がツンとする。目がしらが熱くなり、生まれて初めて涙がこぼれるのを感じた。

「あ、ありがとうっ!」

 うう、と泣き出した私に、ルネがおろおろとして、ロジェさんも何が何だか分からずに私の背中をさすってくれる。

 それでも涙は止まらなくって、初めてもらった名前に、私は声を上げて泣くばかりであった。


「仕込みが終わったから……、って! どうしたのお嬢ちゃん! あんたら、何泣かせてんのー!」


 そこへ、白衣を脱いだ奥様がやって来て、私を泣かせたように見える息子二人に、重い重い拳骨が落ちた。





事情を話しても、奥様にとってはルネが私を泣かせたことには変わりなかったらしい。彼は頭のてっぺんを押さえながら口をとがらせていた。

 ルネは私より五歳年上の十歳だった。年下の、しかも女の子を泣かせるなんて、と奥様は大変ご立腹だ。息子たちに私を任せた自分が馬鹿だった、とロジェさんまで怒られている。彼はずっと困り顔だが、私の座っているところからは、ロジェさんがルネの腹を時々抓っているのが見えていた。

「奥さま、私本当にうれしかったんです。名前つけてもらえて……」

 私が二人をフォローしようと、口をはさむと、なぜだか息子に対する当たりが更に厳しくなった。

「よりによってカラスだなんて。だいたいね、この子の名前は私とセザールで考えていたものがあるの! 絶対にルネのは不採用なんだからね。分かったかい?」

 決してルネは私の事情を知らなかったんだから、名を付けるつもりなんてなかったんだと思うけど。ルネを見ると、お前のせいだとでも言いたげに睨まれた。

 夕食の仕込みを終わらせて、他の料理長に厨房を任せた奥様は、その晩あのオジサマが帰ってくるまで、息子に反省させていた。


「ただいま」

 オジサマの声に、ロジェさんもルネもさらに身を固くする。

「おかえりなさい、セザール」

 しかし奥様は、今日のことを彼に言うつもりはないようだった。これでオジサマにまで怒られちゃ、あまりに二人がかわいそうだから、私はそのことにほっとした。

「早速だけど、お嬢ちゃん」

 オジサマは、私のそばに屈んだ。まだまだ若いけれど、とても威厳のある人だな。目元がロジェさんにそっくりだ。瞳の色はルネと同じ深いブルー。

「君をホテルで働かせることはできない」

 その言葉に、私はがっくりと肩を落とす。その様子を見て、オジサマはすぐに言葉をつづけた。

「働かせるには小さすぎるからね。でも、僕たち夫婦はずっと娘が欲しくてね。君さえ良ければ、養子に来ないかい?」

 養子……。一瞬、何を言われているのか分からなかった。

「兄ちゃん、ヨウシって何?」

 こそこそと聞いているルネに、ロジェが静かに答える。

「僕らの妹になるかもしれない、ってことだよ」

 もちろん、私は『養子』という言葉の意味は分かっている。引っ込めたはずの涙が、また溢れてくるのが分かる。そして目の前のオジサマが困ったようにおろおろするのも見える。

「あ! 父さんも泣かせた!」

 ルネがロジェに向かって言うが、次の瞬間には鈍い音とルネの短い悲鳴が聞こえた。

「嫌かい?」

 心配そうなオジサマと、奥様の顔を見比べる。

 そんなわけがないじゃないか!

「いえ、とってもありがたいです……」

 また可愛げのないことを言っていることに気が付く。

「む、むすめにしてください!」

 素直になろうとした言葉に、オジサマと奥様が私を抱きしめてくれる。その腕の中が、とても温かくて、願ってもない幸せに震えた。

 体を離すと、奥様がいてもたってもいられないという様子で、オジサマの顔を伺っている。オジサマがにっこり笑ったのを合図に、奥様は私の肩を両手でしっかり掴んだ。

「息子がちょっとやらかしてくれたけど、あなたの新しい名前は、エメよ! ずっと娘に付けたかった名前なの!」

 エメ……。『愛』という意味を持つその言葉に、私は胸が暖かくなるのを感じた。エメと、ノワ。どちらも大事にしたい……。

「ありがとうございます。大事にします!」

 奥様の幸せそうな顔に、私は本当に家族として迎えられるのだ、とその幸運に感謝した。

「よろしくね、エメ」

 そういって微笑んでくれるロジェさん。これからは私の兄となる人。

 そして、むすっとしていたルネも、ロジェさんに引きずられるようにして前に出ると、私の目の前に手を差し出した。

「よろしく妹。……のエメ」

「はい!」

 私はその手を両手で握り返す。

「でも。ルネさんは、私のことノワって呼んで欲しいです!」

 びっくりしたようなルネは、そっぽを向いて私の手を振り払うと、またそっけなく言った。

「お、おれのことはルネで良いし!」

 優しそうな二人の兄に、私は幸せの予感しかしなかった。






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