SAFETY BOX
このホテルで迷うはずなんてないのだ。だって、自分の家のような場所なのだから。
「エメちゃん、今、僕たちどこにいるんだろうね」
隣でジュール様が言うのに、私は顔をしかめた。
「わ、分かりません」
そう。迷うはずのないホテルの中で、私たちは完全に迷子になっていた。
恥ずかしくて、ずんずん歩いたのが悪かったのか、何なのか。でも、知った廊下に出れば、自分がどこにいるかなんて分かりそうなものだけど。
私たちが今いるのは、ろうそくの明かりもない、暗く冷たい石作りの階段の中途。このまま行けば、地下に行きつく。この城に地下室があるなんて、知らなかったよ。
「引き返す?」
ジュール様の言葉に、静かに頷く私。
「え、本当に引き返すの?」
何なんだよ。そう思って振り返ると、爛々と輝く瞳があった。振り返ってしまえば、その美貌に何も言えなくなってしまうが、彼の目は完全にこの状況を楽しんでいて、冒険好きの男の子らしいものだった。
「引き返しませんか?」
「せっかくここまで来たんだし、もうちょっと降りてみようよ」
「い、いや火もないですし……」
私がそう言いかけると共に差し出される赤い炎。
「ひっ!」
「明かりなら、ちゃんとあるよ」
炎はジュール様の手のひらに浮かんでいて、その光に照らされた彼の悪戯な笑みを見て、私はげんなりしたのだった。勘弁してよ。ちょっと前までは、ジュール様と一緒で嬉しかったこの夜の探検も、今は苦痛だ。本当の王子様って、いないのね……。
私の手を引いて、先を進むジュール様。深夜の地下室に行くなんて、頭どうかしてると思いながらも、ため息を吐いて、足元に気を付けながら、彼に続くのであった。
階段を下りきった先には、黴臭い地下室があった。後ろから付いて来るエメちゃんは、こんな所知らないと言っているが、それもそのはずだ。
だって、僕らがこの階段にたどり着くために通った道は、壁の中や、天井裏なのだから。
城に張り巡らされた封印を、今日の昼間に見つけ、今夜探検しようと決めていた。晩餐会や、あの珍しい菓子で時間を取られてしまったが、あの部屋でエメ・ノワー・チュテレールと名乗った少女を見つけて、ようやく思い出したのだ。僕は面白半分で、彼女にホテルの案内を頼み、猛進する彼女の後ろで、壁に張られた封印を解いて、隠し通路を見つけていったのである。
それを気づかずに歩き続けるエメちゃんは、何か必死で考えこんでいる様子だったが、あまりに気付かな過ぎる。ようやく彼女が気づいた時には、すでに地下に続く隠し階段に行きついていた。
面白い。
愛妻のための城と言われている、シャトー・ド・ラ・ダーム。エロイーズ妃の侍女に下げ渡されたという話、どうもおかしいと思ったのだ。いくら良家の子女で、王妃の覚えめでたくとも、城をまるごと譲るか? 普通国に返すだろ。
何かあるはず。そう思っていたんだ。だから、この祝賀会は僕にとって、ちょうど良かった。
「もう、戻りませんか?」
弱弱しいエメちゃんの声に、僕は振り返る。不安げな彼女の手を、ぎゅっと握る。
「ここは、愛妻のために贈られた城なんかじゃない、そう僕は予想している」
「は?」
僕は地下室に明かりを灯す。炎の精霊の力によって、明るく照らされた部屋の奥、神殿にあるような、祭壇が姿を現した。
「知ってるかい? チュテレールという名は守護者を意味するんだよ。なぜ、この城の主がチュテレールと呼ばれるのか。そもそも、なぜこの城が君たち一家に下げ渡されたのか。すごく興味深いよね」
祭壇に向かって進めば、カツン、カツンと足音が響く。僕の後ろからも、控えめな足音。なんか、悪かったかな。僕より三歳年下だというエメちゃんを、半ば無理やり連れてきていたことに、ようやく思い至り、少し罪悪感を感じた。でも、これくらいの年齢なら、誰しも冒険に憧れると思うんだよね。普通。
ジュールは、自分が普通じゃない可能性は、まったく頭になかったのだ。
なんてことのない、ごく普通の祭壇に上ると、エメがあたふたする。
「そこ、祭壇でしょう? 上ったらまずいですよ!」
焦った様子のエメの脇の下に手を差し入れ、えい、と持ち上げて彼女も祭壇の上に乗せる。これで共犯だ。
僕は、この祭壇に隠されているはずの封印を探した。かすかな魔力の気配も見逃すまいと、じっくり探る。
「何してるんですか? 地下の祭壇を見つけて、冒険は終わりじゃないんですか?」
少女の問いに答えることなく、僕は祭壇の裏の壁に、巧妙に隠された封印を見つける。これほどまでに隠そうとするものが、一体なんなのか。
僕は夢中になって絡まった糸をほどくかのように、張られた封印を解いていく。
「できた」
割れたガラスを組み立てるように、慎重に封印を破いていた僕は、最後の欠片をはめ込んで、封印が解けたことを確信する。僕はこの分野にめっぽう強いのだ。家の誰より封印破りに長けている。
ギィ、と音を立てて開く隠し扉。ぐっと手で押せば埃が舞い、エメが咳き込む。
「そういうことか……」
扉を開いて、見えたものに、僕は満足して頷いた。
エロイーズ・ド・ビジュ。この城の主の正体を、ついに暴いたのである。
「ここは……?」
巻き込んだエメ・ノワーは、目の前の光景に、呆然としている。それもそのはず、この隠し部屋は、所狭しと並べられ、あふれ出るほどの宝飾品で一杯だったからだ。
深夜にも関わらず、光り輝くその光景に、僕たちは本物の宝島を見た。
「これが本当の宝探しだね」
部屋に踏み入り、宝飾品の一つを手に取る。そして、驚いた。想像以上に高い品質の魔石だ。濁りのない輝き。肌で感じる、込められた魔力の強さ。間違いない。コレの正統な持ち主であった、エロイーズ・ド・ビジュは、史上最高の魔石生成師だったのだ。
エロイーズ・ド・ビジュを最後に根絶えた、名門ピエール家。ピエール家は、現在残っている精霊使い七家の失われた名家だ。それぞれに特色を持つ七家は、精霊使いとして国を守り、時に国王に対する対抗勢力として国を導いてきた。そして、その力の源であったのが、精霊たちに愛された者だけが作ることを許される魔石だ。そして、現存する全ての魔石を生成していたのが、今は亡きピエール家の人間たちだった。
僕は、エロイーズが、時の国王に愛されていたわけではないと思う。
軟禁されていたに違いない。
精霊使い七家が力を持ち過ぎれば、王家の足元は危うくなる。僕が思うに、それを阻止すべく、彼女を妻にむかえ、この城に軟禁したのだろう。
「それはどうかな……」
興奮して一気にしゃべった僕に、エメちゃんは冷静に言った。先ほどまでの怯えも、緊張もなくなった彼女の様子に、僕はずいぶん雰囲気が違うな、と思った。昼間会ったときも、さっきまでも、これほど大人びた顔をする少女じゃなかったはずだ。
「どうして?」
僕の問いに、彼女は膝を折って、足元のネックレスを持ち上げながら答えた。
「確かに、そういう目的もあったかもしれないけど。だったら城に閉じ込めたりせずに、檻に入れるか、殺すかしたら良かったじゃない。わざわざ城なんて造る?」
敬語を忘れたエメの言葉に、僕は頭をひねる。まさか殺せば良いなんて言葉が、彼女の口から出るとは思わなかった。
「私はやっぱり、愛だと思う」
それでいて、愛を信じると言う。
「エメちゃんは、面白いことを言うね」
僕の言葉に、彼女はキッと僕を見上げて睨み付けた。
「いい加減、そのエメちゃんっていうの止めてくれないかな。割と腹立ってるんだよね。こんなところに連れてこられて。こっちは夜明けと共に仕事してたワケ。もうどこでも寝られるってくらいクタクタなんだから……」
そう言いながら、彼女はフラリとよろめいた。頭から後ろに倒れようとするエメ・ノワーの体を、ぎりぎりのところで抱き留める。
三歳の年の差があるとはいえ、ずいぶんと軽い彼女の体に、僕は驚いた。さっきまでの咬みつかんばかりの勢いと変わって、赤子のような安らかな顔で規則正しい寝息を立てる彼女を見つめる。
紅潮した頬。長く、隙間なく生えそろったまつ毛。薄い絹のような瞼。
なぜ、今まで気が付かなかったのか。そして、なぜ今気づいてしまったのか。自分の胸の中で眠る少女が、珍しいほどの美少女だったことに、僕は今更ながら鼓動が早くなるのを感じた。
目覚めると、見慣れた天井。起き上がれば、いつものように、ギンガムチェックのカーテンが風に揺れていた。そうか、ちゃんと帰ってこれたのか。
なんだか冒険したような気がするけど、あれは夢か……。
ぼんやりした頭で、クローゼットの中からコットンのブラウスと青いスカートを選んで着替える。鏡を見て、髪を梳かす。胸まで伸びた黒髪を三つ編みにして後ろにまとめる。ハウスキーパーのお姉さんたちに教えてもらった結い方だ。
「よし」
身だしなみを整えて、自室を出ると兄のルネが満面の笑みを浮かべて立っていた。
嫌な予感がする。
「何なの?」
「いーや」
「気持ち悪いなぁ。言ってよ」
「べーつにー」
兄の笑顔が気持ち悪い。私はルネ兄を無視して、厨房に行って朝食を取ろうと、通り過ぎようとすると、ルネが私の肩を掴んだ。
「もう! 何なのよ!」
少し怒って振り返れば、目の前には黄金に輝く宝石が輝く大きなペンダントが揺れていた。
「聞きたいのは、お兄ちゃんの方だぞ。どうしたんだ、これ」
兄は、ペンダントを裏返すと、その金の台座に刻まれた流れるような文字を読み上げた。
『この愛を永遠に』
「はぁ!?」
思わず声を上げて、兄の手からペンダントを奪う。それは見覚えのあるもので、夢の中で手に取った記憶があった。いや、夢だったらこんなに覚えているだろうか。
そこまで思い、やっと気が付く。
あれは現実だ。王子様のような美少年と、隠し部屋に行ったことは、夢なんかじゃない。現にこのネックレスが、ここにあるんだから。っていうか、あの部屋から持ってきちゃったってこと?
「昨日、ジュール様が、エメのことおぶって帰してくれたんだぜ」
兄の言葉に、私は衝撃を受ける。ジュール様が、私を送ってくれた? しかも、おんぶして?
「で、そんときコレを渡しといてくれって」
ってことは、このペンダントを持ち出したのは、ジュール様か!
「ルネ兄、ジュール様の部屋番号は?」
「ふ、そう聞かれると思ってたぜ」
「早く!」
「251……て、おい! 走るな! 転ぶぞ!」
返事を聞くやいなや飛び出した私を、兄が咎めたけれど、私はお構いなしで走り始めた。手にはそのペンダントを握りしめて。
「え? もう発った!?」
ジュールの部屋を開けると、もう既にハウスキーパーのお姉さんが、掃除に入っているところだった。
「ええ。朝一で、夜も明けないうちにお帰りになったわ。坊や一人でご宿泊だったから、心配だったけど、ちゃんと自分で荷造りして、出て行ったわ」
「そんなぁ……」
私は、その場で座り込んでしまった。彼がいないんじゃ、このペンダントを元の部屋に戻せない。なんたって、あのときの私は周りも見ないで歩いていたんだから、道なんか覚えていない。
「エメ、知り合ってたのね。じゃあ、もしかして、この手紙は貴女宛てかしら」
そう差し出されたのは、白の封筒に入った手紙だった。私はさっとそれを受け取ると、急いで中身を出して読んだ。
『君が握っていたペンダントの裏に、エロイーズ・ド・ビジュとシャルル王のシグニチャーとメッセージが書かれていたのを見つけて、君の言う通りかもしれないと思った。愛だったと信じる、君の意見に同意する。ジュール・ド・リベルテ』
短い文章。美しい文字。
昨日、とても失礼な態度だった気がする。でも、もう謝る機会はなくなってしまった。ぎゅっと、ペンダントを握りしめる。それは、きっとエロイーズが作り、シャルル王と彼女が愛を刻んだペンダント。この城が、愛の城だと証明できるペンダントだ。
手の中で、宝石が熱を持つのを感じる。
精霊使いでもなんでもないのに、その熱が心地のいいものに思えた。
『追伸 あのシューアラクレーム、君の作品とは知らなかった。素晴らしい菓子を、ありがとう』
ジュール様の言葉に、私は立ち上がった。
彼の部屋を出て、廊下を進む。
朝食の準備をしている厨房の入ると、私の姿に気が付いたジャンが少し驚いたようにする。
「あれ、エメちゃん……」
私は、わき目も振らずに母ジュリアのもとに向かって歩いた。
母は私に気が付くと、眉を寄せて、しかし何も言わない。
「総料理長、私を弟子にしてください!」
私の言葉に、母は少しも驚かない。
「弟子になるってことは、相応の覚悟があると思って良いんだね」
「はい」
「娘だからって、思うんじゃないよ」
「もちろん」
母は、ため息を吐き、少しだけ眉を上げると、「良し」と呟いた。
「エプロンつけて、ジャンのとこ行きな」
「はい!」
こうして本格的に、私の修業が始まったのである。
これにて第一章は終了です。




