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V.I.P.

 いやぁ、くたびれた。

 ジャンと私は、完成した菓子の山を目の前に、休憩を取っていた。

 今夜の夕食のデザート作りもあったし、ジャンの疲れは計り知れない。それを言うと、母の疲労もいかほどのものか。しかし、何故かこの忙しさの中には、昂揚感を感じる一瞬があり、恐ろしいほどに体と頭がよく回るのだ。


「エメ、よく頑張ったね」


 そう言うジャンは、このホテルのデザートづくりを任されている、唯一のパティシエ。それでいて結構若い。砂糖が一般にも流通するようになって、一気に発展した菓子作りの世界。まだまだ菓子職人という職業は浸透しておらず、皆が手さぐり状態の中、私の軽焼き饅頭を、素敵なシューアラクレームという菓子に変えてしまったジャンは、かなり優秀なんだろう。

 たぶん、三十代後半じゃないかと思うけど、この人は王都のパン屋で菓子作りを覚えたらしい。もっと自分の菓子を極めたい、と師匠を探していた時に、母、ジュリア・チュテレールに行きついたと言う。それまで、シャトー・ド・ラ・ダームで出す甘味を担当していたのは、特に決まった者ではなかったらしい。そこに、専門職としてジャンが滑り込んだというわけだ。


「ジャン先生こそ、お疲れ様でした」


 へらり、と笑っているつもりの表情で答える。私にとって、ジャンは菓子作りの先生。自然とそう呼ぶようになった。

「いや、エメちゃんいて、ずいぶん助かったよ。リンゴの皮むき早いし、卵割らせても早いし、泡立てるのも早いもんね。そんなに小さな体の、どこにそんな力があるんだか」

 ジャン先生が言うのは、厨房でも「天才少女再び」と笑われている、私の特技というか、才能というか。私は何も言うことなく、居心地悪く笑った。

「とにかく、エメのメレンゲは最高だから、自信持って良いよ」

ジャンの言葉に、私は自分の手のひらを見た。

 材料や配合などは、ジャンの指導がないと分からない。しかし、作業に取り掛かると、身体が勝手に動くのだ。そして、正解が分かる。泡立てている時、既に知っている正解に、ぴたりとはまる瞬間が分かるのだ。


 前世。


 考えないようにしても、こうやって表れてしまっては、それを追及したくなる。


「厄介だよね」


「ん? どうかした?」

「いえ。そろそろ、明日の準備をして、上がりませんか?」

「おお、もうこんな時間か!」

 こうして、一日目の夜は更けていった。








 娘のエメは、ずいぶんと見込みのある弟子だ。

 気づくと道具を磨いたり、厨房の清掃をしている。他の弟子たちの手前、食材に触れさせるのは早過ぎるかと悩んでいたが、その彼等がエメのことを認め始めたのだから、それ以上迷う必要がなくなった。


 女の料理人は、まだまだ少ない。町の食堂なら女主人は当たり前だが、ここのように貴族の食べる料理を作るレストランや、ホテル、また、貴族の屋敷で働くシェフは、完全な男社会だ。

 家庭料理。それが女の料理と馬鹿にされ、旦那と子供のために作れ、などと笑われることもある。しかし、私の料理は、上質なテーブルクロスと、飾られた生花、磨き上げられた銀のカラトリー、そして着飾ったゲストに、見た目も、味も、決して負けることがない、と自信を持って言える。

 しかし、今の私がいるのは、先代シェフのおかげ。彼なくして、今はない。私も、エメにとっての母であり師匠にならねばならない。


「今からここは戦場だよ。生きて帰りたかったら、死ぬ気でうまいもん作りな!」

「はい! シェフ!」


 私の新たな覚悟と共に、戦いの火蓋が切られた。






「え、フルーヴ卿は来ないんですか」

 息子の明らかにがっかりした顔に、セザールはため息を吐いた。

「ちゃんと宿泊客リストを見なかったのか? フルーヴ卿は予約してないだろう」

 そう。息子が楽しみにしていたフルーヴ卿、というかその一家は、こういった人が多い場には出てこない。王都の防御が手薄じゃ困るとか、魔法省の仕事が立て込んでるとかで、何かしら理由をつけては舞踏会や晩餐会をキャンセルしているらしい。

 これは噂だが、国王陛下が他人とは異なる精霊使いの才能を持った者を、あまり他の貴族と接触させたくない、という思惑もあるようだ。

「そ、そういえば、なかった。でも、来るもんだと思ってた」

 ぐったりとした息子の背中を、バシンと叩き、活を入れる。

「いつまでもこんなところで油売ってないで、ご子息、ご令嬢のお迎えにあがれ」

「あ! まずい!」

 慌てた様子で駆けていくルネに、呆れながらも微笑んでしまう。しかし、それも束の間。執務室で、砦として構えていたセザールのもとに、どこの伯爵が子爵夫人を強姦しかけた、だとか、年老いた元気な夫人が、若い男を捕まえて、ハーレムを作ろうとしているなどの報告が上がり、一瞬にして、執務室はトラブル対策室、もしくは私立探偵の事務所に様変わりしたのである。






 そろそろ、子供達が湖で昼食を取っている頃だろう。

 エメはというと、円錐型に焼いたパンの表面に、均等にバタークリームを塗り、ジャンによって焼かれたマカロンを、一つ一つ丁寧に貼り付けているところだった。

 大人用、つまりは祝賀会用には、紅茶、レモン、バニラの三種を用意した。バタークリームにはお酒が入っている。


 隣では、ジャンが同じようにシューの塔を作っていた。仕上げにキャラメルで表面を覆う予定だ。


 倒したらおしまい。


 私たちは、出来上がったものを会場に運び入れるのは無理だと考え、セッティングの終わったダンス会場で、そのタワーを仕上げていた。


 ダンス会場の天井には、濁りのない、透明なガラスで作られた、華やかなシャンデリア。

 セリアの花屋が家族総出で持ってきてくれた、秋を彩るダリアやバラなどの花々。


 そして、隣のディナー会場には、代えのきかない、真っ白なテーブルクロスが張られたテーブル。その上には、国王陛下を表す深紅のセンタークロスが置かれている。

 そして、この日のために磨き上げられた、温かい輝きを放つ銀のカトラリー。


 どれをとっても、最高級のものばかり。それを、最高のホテルマンが手入れし、良しとされたものだけが、この部屋にある。


「エメ、そっち終わりそう?」

「はい。なんとか。確認お願いします」


 先に作業を終えたジャンが、私の作っているタワーをしげしげと見つめた。

 シュータワーの方には、先端に星を象った飴細工が刺さっている。マカロンタワーには、太陽の光のような、球状の飴を飾る。


「うん、大丈夫。でも、何か物足りないね」

「そうですね、あ、生花が余ってないか聞いてきます。所々刺すと、華やかになるかも」

「生花ね。分かった。それは任せるよ。僕は先に子供の夜会用の菓子を運ぶから」



 そして、私は先生と別れ、ホテルの飾り付けを任されている、ハウスキーパーの控え室に向かった。

 客のいる表では穏やかな表情の彼女達も、一歩裏に入ると一変する。皆、鬼のような形相で仕事していた。

「コレットさん!」

 そんな中、一番仲の良いお姉さんに声をかける。このホテルに来た時、助けてくれたお姉さんだ。今は結婚して、町から通いで働いている。

「エメ! 私これから、アイロンかけなの。手早く頼むわ」

 優しい彼女も余裕はなく、私はささっと花の置き場を聞くと、控え室を後にした。この殺伐とした感じは、厨房もどこも似たようなものね。



 外と続いている土間の中に、バケツに入れられた余りの花を見つけると、私はシックな色合いのタワーに合う、可憐な白のデイジーを束にして抱え、ダンス会場に向かった。

 割と沢山余っていたので、子供の夜会用のタワーにも使おうと、目の前が花で見えなくなるくらい一杯抱えた。


 それが悪かったのだろう。


 余り人通りがなく、客室に面していない狭い廊下が、交差するところに差し掛かって、私の身体は強い衝撃と共に倒れた。

 派手に花が宙を舞い、私は尻餅をつく。

「いったぁ」

 天井を見ながら、痛みに呻く。


「だ、大丈夫か!」


 その視界に飛び込んできたのは、私と同じ黒い髪、黒い瞳の美少年だった。その肌は透き通るように白い。一目で、どこかの貴族だと分かり、私は痛みも忘れて飛び上がった。深々と頭を下げ、とにかく謝る。

「申し訳ありませんでした! 私の不注意で。お怪我はありませんでしたか?」

 私の言葉に、彼は少し怪訝そうにし、首を横に振った。

「いや、それはそのまま僕の台詞であって、君が謝る必要はないだろう。君こそ怪我はないか?」

 心配そうな美少年の表情に、つい、うっかり見惚れてしまう。

「どうした? ひどく痛むのか?」

「あ! いや、全然、それは問題ないです! はい!」

 エメがこれほどしどろもどろになっている姿を見たら、さぞかしルネは喜んだだろう。

「そうか、なら安心した。しかし、その花は無事じゃないようだね」

 少年、といっても私より年上だろう彼の目線の先には、納戸から持ってきた、デイジーの花が、私のお尻と、慌てて立ち上がったときに踏まれたようで、無残な状態だった。

「あ、ああ!」

 どうしよう。他に残っていたのは、飾るには花が大きすぎたし。

 私は、何とか無事なデイジーを集め、子供の夜会の分は諦めた。


「僕のせいで、花をダメにしてしまったんだ。お詫びと言ってはなんだが、手伝うよ」


 そう言った美少年は、潰れたデイジーの側に膝を突くと、手をかざして、宙に話しかけた。

「力を貸しておくれ。この花を、元の姿に戻しておくれ」

 誰かに頼むようで、不思議だったが、驚くべきことに、潰れた茎が集まり、散った花弁が花芯に戻り、たちまち元の姿に戻ってしまった。

「これは、もしかして! 魔法?」

 興奮気味の私に、振り返る彼は、元に戻った花を集めて、私に差し出した。

「本当にごめんね」

「い、いえ! 貴重なものまで見せて頂き、ありがとうございます」

 私はその、花束を受け取ると、頭を下げて言った。

 顔を上げれば、なぜか彼の顔が目の前にある。美少年は私の髪を一房取ると、魔法をかけるような声色で「これはお近付きの証に」と、花を飾った。

 その王子様のような、流れるような仕草に、顔が熱くなる。

「名を何というんだい?」

 尋ねられて、私は吸い寄せられるように答えた。

「エメ・ノワー・チュテレールと申します」

「そうか、チュテレールか。また会うこともあるだろうね。そうだ、僕が邪魔してしまったけど、何か用事があったんじゃ?」

 彼に言われてハッとする。晩餐会まで、そう時間がない。急がねば!

 私は礼をして、早足でダンス会場に向かう。途中気が付いて、振り返るが、既に美少年の姿はなかった。


「名前、聞きそびれたな……」








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