I read U.
あたしは恋を読む。
その、この世で最も美しいと思われる感情を読む。
ページを繰るたびに、清涼感をともなった朝露のような香りが鼻腔を擽る。
酔う。
しばらく、視界が真っ白に染まって、消える。
だから、そのまま。
ずっと。
このまま。
貴女を、想っていたかった。
その概念を意識し出したのはいつだっただろう。
それはきっと、貴女と出会ったあの瞬間からでした。
「なに読んでるの?」
それは唐突でした。
本当に唐突でした。
だから、あたしの心臓が活発化し、顔を上気させるのにはそう時間は掛りませんでした。
「な……なっ……」
「そんなにあからさまに動揺しなくても。ただ、私も本が好きでね? いつも何読んでるのかなって、ずっと気になってたの」
あたしの世界は確かに閉ざされていたはずなのです。読書という行為の『カギ』によって。今日だって、ちゃんと欠かさず、かけていたのに。きっと、彼女はピッキングが得意なのです。
「こ……これ、です」
あたしは額の扉から白いペンキを流し込まれたみたいになりながら、本の中表紙を提示します。そこに印刷された活字の影に、あたしは身を隠してしまいたい心持ちでした。
「あっ、この作家の読むんだっ! 私もね、この作家好きなの」
針金の先で突っつかれるみたいにされて、心臓が疼くのを止められません。
その笑顔が咲くたびに、あたしの中の水分を吸いつくされるような錯覚が止みません。
「そ、そう……ですか」
「ふふん、そうなのです」
けれど。
そのどちらの現象も、なぜかあたしにはとても心地よく感じられるのでした。
『ずっと気になってたの』
この、内に残る甘美な響きは何なのでしょう。
『ずっと気になってたの』
心の籠城がまるで飴みたいにトロトロと溶け始めています。
『ずっと気になってたの』
幾度も繰り返したその台詞は、すでにあたしの台詞になりつつありました。
その日の夜、あたしは彼女に触れる夢を見ました。
次第に長くなってゆく彼女との会話に、あたしの神経は麻痺してゆきました。
そして、それからというもの。
あたしは心の中に生まれた「恋」という感情を、ずっと愛読しているのです。
それは普段からあたしの中にあるからいつでもどこでも読むことができましたが、その分他のものに手がつかなくなる程の誘惑を伴っていました。だから、本を読む暇なんてないぐらい、それに溺れるしかないのです。
彼女は恋の読み方を知っているのでしょうか。
知っているのなら、あたしよりも詳しいのでしょうか。
もし詳しければ彼女に直接教えて欲しいとも思うのですが、けれどそれはそれで複雑な気持ちにさせられるのです。
あたしよりも詳しいのなら、彼女はいったいどこでそれを学んだのでしょうか。それを考えると、もうダメなのです。
紙面上に表されることのできない恋というものは、きっと扱いを誤ると呆気なく消え去ってしまうから。だから一字一句慎重に、丁寧に、あたしは読み上げるのです。
読み進めるにつれて、それにはルールというものがないのだということをあたしは悟りました。
だって、こんなにも言葉にできないのです。
こんなにも訳のわからないものの、塊なのです。
だからあたしも、いつか。
あなたに直接、恋を読み上げる日が訪れそうです。