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月夜に嗤う魔女  作者: 七友
第一章 月夜に嗤う魔女
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四話、悪意の采配(二日目) 01





 


 綾姫の悲鳴が一階の部屋から聞こえた直後、黒い影が開け放したままの窓から躍り出て、クレセントの屋上まで跳躍した。

 それが合図だったのか。突然黒い影が屋上にいくつも浮かび上がった。織花は通りに意識を向けながらも、屋上の警戒は続けていた。決して見逃さなかったにも関わらず、五十人もの黒い外套を羽織った者たちが突如姿を現した。


 フラニーの魔法に他ならない。

 それだけじゃない、黒い外套の姿には見覚えがある。一日目に海沿いの大通りの外れで見かけた男たちと酷似している。


「あいつらか!」

 銀が黒い男たちがいる屋根の向かいの屋根に飛び移る。かすかに遅れて織花も続く。並行線上に立った織花は苦渋に歯噛みする。

 一番奥にいる黒い影の腕には、綾姫が抱えられているのに気が付いたのだ。まだ気を失っていないのか、必死にもがいているのが見えた。

「は、離してってば!」

 綾姫を持つ男は、織花が抱えているものに気が付いたことを察して、綾姫の後ろ首に手刀した。暴れていた綾姫は糸が切れたように気を失った。


 そして見付けた。綾姫を持つ男の額には、フラニーの紋章が刻まれていた。

 嘲弄するやり口からフラニーの差し金であることを確信して、織花は体調の悪さも忘れて手を握りしめた。

 綾姫を抱えた男が北部に向かって跳躍すると、半分以上の構成員たちが後に続く。


「させません!」

 織花は黒い男たちを飛び越えて、綾姫を連れた男を追いかける。

「織花! 一人じゃ危ないだろ!」

 背後から銀の怒号が聞こえてきた。

「貴方は他の家族を守ってくださいっ。わたしが追いかけます!」

「――――ッ! わかった、任せろ!」

 織花の忠告と同じタイミングで、黒い男たちがクレセントに飛び移り、敷居のなかに侵入しようと躍り出た。

「させるかよ!」

 クレセントの辺りで甲高い金属音と火花が散り始めたのを一瞥して、全力で逃げる敵を追いかける。


 二度は逃がさない。同じ失敗は、二回もしない。

 市街を抜けると、前方に深い森が見えてきた。西方に向かって街道が伸びているが、男たちは迷うことなく闇に呑み込まれた森に突き進んでいく。

 枝から枝へ。跳躍をしては枝がしなる。


 星の明かりだけが唯一の光で、遥か頭上からやわらかな煌きを放っている。だが、真夜中の森の緑は弱い星の光を遮り、前方は暗闇に満ちている。

 黒い外套を着込んだ男たちも、織花を囲むようにして追随している。直接見るだけでは闇しか見えず、男たちの息を殺した移動音だけが不気味に聴こえていた。

 回りの男たちはともかく、フラニーは織花がどんな暗闇であっても夜目が利くことを知っている。夜の闇に紛れても何の効果もないことは知っているのに、男たちは付かず離れず織花を追いかけてくる。


(本気で攻撃する気はない、みたいですね)


 町から離れれば離れるほど、小回りが利かなくなる。織花は攻撃に転ずることを決めた。

 織花が手を握り、広げると、指先ほどの長さをした光の矢が出現した。

 目で確認するまでもない。織花が掌を広げると、光の矢は円の軌跡を描いて矢数を増やしていき、まるで花咲いたように矢が広がる。

 光の矢が向いている矢尻の方向からまっすぐに飛翔していく。

 放たれた光の矢は高速で夜の森を泳ぎ、うねりながら散開する。光を纏う矢はさながら蛍の光のようだ。

 それぞれの黒い男たち目掛けて矢が吸い込まれていき、夜闇のなかでいくつもの悲鳴が木霊した。

 音で残りの男たちの数を把握する。

 十二人。

 微かな胸の痛みを感じながら、もう一度手を握ってから開いて光の矢を出現させる。今度は光の矢を魔力での誘導をさせず指先に挟んだ。

 すぐには投擲せず、相手の出方を確かめる。仲間が戦闘不能になったにも関わらず、逃げることをやめない。


 織花が次に着地しようと見定めていた枝が、右斜め後方から投げられたいくつものナイフに刻まれ落下していく。

 浮遊することも可能だったが無駄な魔力は使わず、樹木の幹を蹴り三角飛びして対処する。

 それからも直接織花に襲いかかって来るようなことはなかった。動きを阻もうとする攻撃ばかりで、本気で反撃はしてこない。それどころか、織花の攻撃を避けることだけに専念しているみたいだった。


(時間稼ぎをしているだけ? いったい何のために……)


 敵を追いかけ続ければ、アジトにでも行くのかと思い見過ごしていたが、どうも方向が定まらずにいて同じところをぐるぐる回されていた。

 これ以上の時間の浪費は危険だと判断した織花は手に持っていた光の矢を、綾姫を抱える男に投擲しようと、腕を後方に引く。その時だ。

遥か前方で強烈な熱を感じた。全身が粟立ち、本能に従い熱の射線上から外れる。

 肌が焦げそうなほどの熱が先ほどまで織花がいた付近を通過した。直後、森が紅蓮の炎に巻かれていく。

 織花同様に直線状にいた黒い男たちは、一瞬で蒸発して消え失せ、光線は通り過ぎていき、火の粉が尾を引いて消えていった。

 綾姫を抱えていた男は光線が来ることを予期していたのか、進行経路をずらして突き進んでいる。

 そのことにほんのわずかだけ安堵しつつ、熱気に支配された一体のなかで、織花は悪寒と冷汗をかいていた。


 こんな常識はずれのことをできる人物なんて、たった一人しかいない。

 極度の緊張に、呼吸さえできなくなる。

 本能的に身体が拒むが、遠目をして遥か先を見通す。

 そこに、紅髪の幼女。魔女のエトナがいた。

「―――――――!!」

 心臓が飛びだしそうなほど驚愕した。慌てて急停止した織花は、揺れる枝のうえに立ち止まる。


 エトナは織花を見つけて、喜色満面となってふわりふわりと近づいてくる。

 辺りから錯綜する黒い男たちの奇襲に気付きながら、織花は身体が硬直して動けなかった。

 リンゴほどの大きさの紅い火球がエトナを中心に円を描くようにして飛んでいる。まるで遊びに向かうようにエトナのもとから離れ、織花の周りでくるくると旋回し始めた。

 人や森を一瞬で蒸発させるほどの熱を秘めた小さな火球が、身動きすれば触れそうな距離で回っているのは生きた心地がしなかった。

「おねーちゃん。元気そうだねっ。よかったぁ!」

「……エトナ」

「逢いたかったんだよぉ。だって向こうにいた時はちゃんとお話しできたかったんだもん。逢える機会だって少ないんだからいっぱいお話ししたいんだ!」


 冷汗も蒸発するほどの熱に耐えながら、ちらりと視線を前方に傾ける。綾姫を抱えている男だけが、脇目も振らずにまっすぐと直進していき、森の闇に溶けて消えていた。

 遠目をして行方を追おうと力を込めると、目の前にエトナが覗きこんでくる。

「もう、お話の途中でよそ見しちゃだめなんだよおねーちゃんっ。ひどいよ、ひどい!!」

 にこやかに笑っていたかと思うと、突然癇癪を起こしたエトナは両手を振る。ただ、それだけの動作で猛烈な突風が巻き起こり、森の木々を荒々しく揺さぶった。


「あ、あの、その、そんなに泣かないでください。わたしも、その、エトナとはちゃんとお話ししてみたいです」

「……ぐす、ホント? ホントにエトナとお話ししたい?」

「は、はい」

「ホント! 良かったぁ! おねーちゃん大好き!」

 エトナが織花に飛び付くと、火の球が道を譲るように距離を取っていた。

 胸元に抱きつかれ、ぎゅっと握りしめられた織花はまな板のうえのマグロみたいに硬直した。

 手足どころか、心まで震えあがりそうになるのを必死に抑え込んで、エトナが満足いく時をしずかに待つ。


 後方にいた枝が揺れ動く音が聞こえた。何を思ったのか、一人の黒い男が高々と跳躍して織花とエトナに飛びかかって来た。

 男の振りかぶった手にはナイフが―――握られていた腕は一瞬で焼失した。

「あがぎゃあああああああああああああああ!!」

 突然の異変に驚愕した男は受け身を取ることもできずに地面に転がる。

 織花の身体から、熱が退いていく。エトナがゆっくりと前に浮遊していく。倒れた男は慌てて逃げようと立ち上がろうとしたが、―――次は両足が蒸発して消えた。

 身の毛もよだつ絶叫が響き渡る。思わず耳を塞ぎたくなる雄叫びは、声にならない悲鳴に変わる。


 エトナが軽く指先を弾くと、ピンポイントに口の中で炎が巻き上がり、男の舌を焼き切ってしまった。

 抗う気力も尽きたのか、男は両膝をついて地面に伏した。

「――――おにーちゃんの声、気持ち悪い」

 エトナの瞳が妖しく光る。すると、織花を中心に渦巻いていた火の玉のひとつが、主の呼びかけに応じてエトナのもとへ舞い戻る、その火の玉を指先で弾く。するすると、痙攣して絶命の時を待っている男の頬に火の玉が接触した。

 星まで届きそうなほどの火柱が天を貫く。業火は強大な炎を吹きあげ、男を焼き尽くしていった。必死に踏み止まらないと吹き飛ばされそうなほどの熱波が森一体を薙ぎ払っていく。

 火の粉の煌めきを残して、火柱は儚げに消失していった。後に残ったのは辺りに充満する不気味なほどの暑さと恐怖だけだった。

 塵一つ残らず焼き尽くされた男のもとに降りたエトナが、つまらなそうに地面を蹴った。


 どこからか、男の悲鳴が聞こえた。それが号令になったのか、次の瞬間、男たちは散り散りになって脱兎のごとく逃げ出した。

 静かに首を傾げたエトナが、何かに気が付いたのか嬉しそうに両手を叩いた。

「そっかぁ! ―――おいかけっこして遊んでくれるんだね? おにーちゃんたち。えへへ、やさしいなぁ」

 頬を桜色に赤らめて、エトナは笑う。

 恐怖に引き攣りそうになっていた織花のもとから火の玉が消えていく。エトナは照れくさそうに織花を見上げた。


「楽しそうだから今はおいかけっこしてくるね。おねーちゃん。あとで遊ぼうねっ。またあとでねー!」

 無邪気に両手を振ったエトナに対して、冷汗を滲ませながら手を振り返した。

 ふわふわと挙動不審になりながらエトナが宙を浮くと男たちを追いかけていった。出現した火の玉が、姫につき従う従者のごとくエトナに追従していく。

 しばらくすると、遠くで悲鳴と共に火柱が上がり、星にも届きそうなほど高く昇っていく。

 強烈な熱の猛威に包まれていたため、まるで極寒の地に打ち捨てられたような凍えに身体が震えた。


 思わず枝に腰を下ろし、木の幹に身体を預けて長い息をつく。

 未だに心臓が破裂しそうなほど鼓動が早い。すぐに行動する気力がまったく湧かず、力なく笑うことしかできなかった。

 仮に、綾姫が攫われた場所をエトナが守っていたら、それだけで敗北は目に見えている。


 勝ち目はない。

 どういうわけか、エトナは織花には好意を抱いているため、簡単に殺されるということはないだろうが、あれだけ感情のふり幅が強いとなにを拍子に崩れるかわからない。

 諦めるつもりも、逃げるつもりもない。それは本当だ。

 でも、勝ち目のない戦いに挑みつづけることは、本当に辛かった。

 また遠くで火柱が上がり、森が泣いているかのように葉が掠れた音を立てている。エトナの無邪気な笑い声も耳に付く。甘く耳に心地よい声なだけに、身体に怖気が走った。


 エトナが来る前までにいた残りの男の数は十二人。一人は綾姫を連れてどこかへ行ってしまい、三人は焼かれた。残りは八人。遊ぶことができなくなったら、エトナはここへ戻って来て織花を標的にするのだろうか。

 その可能性は十分にあった。遊ぶことだけが、エトナの生きがいなのだから。

 今すぐこの場を離れないといけない。頭では分かっていても、腰が抜けて身体が動けなくなってしまっていた。


(それに……明日のために身を退いても、何かが変わるのかな)


 頭の中に別の意識が忍び寄って来て、死ぬことが喜びという意味不明な価値観が芽生えていた。混乱の極みにいることを自覚しながら、湧きあがった疑惑の未来を想像してみる。

 そうなったら、どうなるんだろう。

 先代魔女の、お祖母ちゃんとの約束を守れず死んじゃったら、どうなるんだろう。何か変わるのかな。


(悲しんでくれる人は、いない。わたしの家族……父も、母も、兄も姉も……喜びそう……)


 ふと、自分の失敗のために眠りにつき、目を覚ますことができずにいる弟のことを思い出した。

「…………ぁ」

 初めてだった。

 初めて、誰かのために戦うのが重荷だと、気が付いてしまった。

「はは、ははは」

 星の美しい夜だ。星よりも大きい蒼い満月を、力なく涙で頬を濡らしながら見つめる。

 織花は笑った。静かに嗤っていた。何がおかしいのか理解できずに、月夜の下で独り嗤っていた。



 


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