銀色の風 02
どれだけ気持ちの変化が起きたとしても、次に自分がするべきことを考えると憂鬱になる。
織花は無言のまま退室した。三対の魔女はそれぞれの好奇の眼差しを向けて見送ってくる。銀は慌てて織花に続いた。
「どこに行くんだ?」
「これから西積家の人たちにゲームの概要を説明するんです」
「それを知っていて来たんじゃないのか」
「正確には知らされていない。魔女の秘宝を欲しいなら一つのゲームに参加するように、とだけ伝えられているみたいです」
「いや、それはおかしいだろ。今まで参加した人間が帰ってきていないことを知っているなら、魔女の秘宝を手に入れるのがどれだけ危険か理解しているはずだ。それを承知で参加してくるのか?」
織花は銀が廊下に出たのを確認して、部屋を閉じた。すると、扉は音もなく消えていき、あとには辺りと同化した壁だけが残っていた。
「それだけ、欲しいんですよ。魔女の秘宝を。目的は様々ですが、力か金かのいずれに分けられます。先代魔女の威光をまだ忘れられない人ばかりだから、縋りたいものがあるのかもしれませんね。今までは、先代魔女のことを恐れて言えなかったことを、わたしだから言えるようになったんですよ」
舐められていることを理解してもそこに不快感はない。反対に哀れに思うだけだ。先代の威光を忘れた親族たちは、未熟である織花なら出しぬけると考えている。その見積もりの甘さが、過去十一度のゲームによる悲劇だというのに。今も現実を直視して指摘してくる親族を見たことはない。
織花が壁に背中を預ける。銀もその隣に同じように立つ。
「ずっと気になっていたんだけど、先代の魔女って織花にとってどういう人なんだ。三対の魔女とは違うのか?」
「違うに決まってるじゃないですか!」
肩を震わせた織花が銀に詰め寄って叫んだ。
「お、織花?」
銀は戸惑いに低く唸ると、織花は眉根を下げて慌てて身を退いた。
すぐに切なげに目を閉じて、指先をいじる。
「先代の魔女は、わたしのお祖母ちゃんです。この世でたった一人、わたしを助けてくれた人です。……三か月前に亡くなりましたけど」
「……三か月前……」
銀は沈痛な息を漏らした。
「お祖母ちゃん……先代魔女の想いを引き継いでわたしは五代目の魔女になりました。お祖母ちゃん、だけなんです。わたしに生きることを教えてくれたのは。だから、今も戦えるんです―――お祖母ちゃんの守ろうとしたものを汚す人は、誰であっても許さない……」
細い指で、織花は胸元で祈りを捧げるように手を重ねた。
真摯な織花の言葉を聞いて、銀は何度も頷いた。
「そっか。織花の大切な約束なんだな。じゃあ負けられないな」
「負けっぱなしですけどね」織花は自嘲気味に苦笑いを浮かべる。「だからって、諦めるつもりは、ないです……」
「あぁ、わかった。じゃあ俺は約束を守るために力を貸せばいいのか」
銀は自信に満ち溢れた力強い目を輝かせて笑っていた。どうしてこの人は助けてくれようとするのか見当もつかなかった。
誰かにここまで想われること経験なんてない。それなのに、銀は織花のことを守ると断言した。
「……もう一度聞きます。本当にわたしと貴方は会ったことがないんですね」
「ないよ。今夜が初対面ってことになる」
「だったら何故……」
尽きない疑問に押され追及をすると、眼下で扉が開く大きな音が聞こえた。
確かめなくても解る。参加者である西積家の五人が紅の館に足を踏み入れたのだ。
織花の表情から、不安も恐れも、緊張も消え、感情が窺えない無表情に変わる。まるで素顔を隠す仮面を付けたような変わりようだ。
銀が心配そうに手を伸ばし掛けると、織花が視線を向けた。
「あなたは顔を出さないでここで待っていてください」
微かに銀が頷くのを確認した織花は手すりに近づき歩きはじめる。その何気ない動作にも関わらず、冷たい足音が静寂を裂くように反響した。
織花は下方から鋭い視線を浴びながら、三階から飛び降りた。綿毛のようにふわりとその場に浮かび上がり、正面口からまっすぐ続く大階段の中空で佇む。
何もない空中に浮かびあがる織花を見ても、五人は驚くことはなかった。険しい顔つきと純粋な興味の眼差し、二通りの視線を受け止める。
西積家の人が驚く理由は、どこにも存在しない。なぜなら、彼らは魔女の存在が現実にいることを知っているし、その力を理解している。
先代魔女の力を目の当たりにしてきた世代、祖父と中年の夫婦だけは十二分に知っている。だからこそ、その顔つきの裏にある種の余裕が潜んでいることを、織花は知っている。
織花が先代から、魔女を継承してまだ三か月。先代の力の凄味を知っている世代からすれば、織花は取るに足らない存在だと認識されているのだ。
自分の存在を軽んじられていることは、力不足を痛感している織花にとって受けるべき評価だ。実際、先代と比べてしまうと足もとにも及ばないほどの力量差がある。先代一人で、三対の魔女と拮抗していたのだから、その強さの底の深さを思い知らされる。
早く始めろと、急かすような視線にも表情を崩すことなく、織花は魔女としての顔と声音で口を開いた。
「ようこそお客人、魔女の館へ。貴方がたと一つの遊戯ができることを嬉しく思います」
優雅に一礼すると、母親と思しき女性が前に踏み出して、織花に向かって拳を突き上げた。
「そんなのはどうでもいいのよ! ちゃんと魔女の秘宝は渡してもらえるんでしょうね!」
必死で危うげな形相はどこか織花の母親に似ていた。小さな棘が刺さったようなチクリとした痛みが走った。
冷たい光を宿した目で西積家の人々を睨み、織花は言った。
「貴方がたにはこれから五日間、ある場所に滞在していただきます。そして五日後、人数分だけ魔女の秘宝を授けます」
「い、いったいどんな魔女の秘宝をくれるんだ!」
老年の男が両手を広げて叫ぶ。
織花の心はざわついていた。本来なら、こういう手合いには魔女の秘宝を見せることすら嫌だった。
だが見せないことには話は始まらない。
心のなかでため息をついて、左手を三階の通路に向けて翳した。すると、樫の木で作られた手すりに設置されていた球体のオブジェクトを手繰り寄せる。
煌びやかな宝石類がいくつも球体に巻き付いている。それ一つ一つが同じ宝石はなく、いろとりどりの光を秘めていた。
球体のなかは紅い光になったり、蒼い光になったりと十秒ほどの間隔をあけて様々な色に移ろい神秘的な明かりを湛えていた。
これもまた魔女の秘宝であり、現在は制御化にあるため、調度品として美しい光を紅の館のなかに照らしだしている。
織花にとっては綺麗な物でしかないのに魔女の宝玉を手にとって見せるだけで、五人の―――特に大人三人の顔色が目に見えて豹変した。
「………五日間の滞在を終えたのち、貴方たちにはこの魔女の秘宝を授けます」
息を呑む音が、織花の耳まで聞こえてきた。露骨な態度に嫌悪感が募っていく。
老年の男が夢遊病者のような足取りで、織花を見上げながら詰め寄ってくる。
「そ、それで、その魔女の秘宝にはどんな力が宿っているのじゃ!?」
言葉を選ぶのに逡巡してしまった。
「……この魔女の秘宝には力そのものは宿っていません。―――貴方がたは、力以外のものを欲して此処へ来たのですよね」
織花の詰問に冷や水を浴びせられたのか、高揚していた祖父と夫婦の顔に苦味が宿った。
直接会った回数は少なくても、親族たちの家庭環境の概要については熟知していた。
西積家の父親は代々続けている不動産会社の取締役をしている人物で、三年前までは順調に軌道に乗り、年間数十億円もの多額の利益を生み出すほどだった。
しかし、三年前のある段階まで行くと、何かが壊れたのか、崩れたのか、“不幸が重なって”みるみるうちに事業は縮小。赤字へと失墜してしまう。再起を懸けて別事業に手を伸ばすも、慣れない土俵での戦いを強いられる形になり負債は急激に膨れ上がり、山のような借金だけを残して会社は倒産した。
自信と野心に満ち溢れていた父は見る影もないほど堕落して、母はそんな現実を受け入れられずにいるため未だに自分の現状を理解していない。
落ち目を見ている西積家のことを知りながらも、先代魔女は決して手を貸すことはなかった。魔女の秘宝という宝の山を持っているにも関わらず。自分だけ独占して、耽溺な生活を送っていた。
少なくても、西積家を始め、他の親族たちも似たことを考えている。そのため、先代魔女を受け継いで魔女になった織花のことを憎悪しているのだ。
先代の意思を継いでいる織花もまた、無闇やたらと魔女の秘宝を渡すつもりはなかった。
織花が負ければ、魔女の秘宝を渡すことはない。ただ、織花の苦しみが増すことになる。
織花が勝ってしまえば、魔女の秘宝を渡さざるを得なくなる。その先に待つ悲劇もまた、避けられなくなる。
魔女の秘宝という遺産が景品としている以上、先に待つ悲劇は避けられない。
その自己矛盾の狭間のなかにいて、織花は本当に自分が先代の意思を、ちゃんと受け継いでいるのか疑問に思うことがある。
しかし、屈してしまえば、大量の魔女の秘宝を三対の魔女に渡すことになりかねない。ゲームに勝つとしても、仮に渡すとしても、魔女の秘宝は数個で済む。そう思えば、屈しないでいることが最良の選択のような気がする。
(本当に? そう、思いこもうとしているだけだったら……)
苦悩に苛まれ、表情が崩れそうになった時、声が聞こえた。長い時間、自問自答しても答えは何一つ浮かび上がらない。
「ちょっといい?」
織花は静かに声の主を見据えた。
五人のなかで一番小さな女の子が、凛とした面持ちのまま手を挙げていた。他四人が慌てて女の子を止めようとするが、その手を振り切って少女は織花を睨みつけていた。
そこには欲望や憎悪とは別種の、純粋な怒りだけが宿っていた。
「どうかしましたか?」
「さっきから良いことばかり言っているけど、全部嘘なんだよね。今までこの館に来た人たちはどうなったの。ちゃんと答えて。そうでないとあなたの言う遊戯になんて参加できない。説明して」
織花は、その言葉に少しだけ感動していた。
今までは疑問に思うこともなく、欲望に刈られてゲームに参加する人物しかいなかったのに。違和感を覚えて当然のことについて、異論を発する人を、親族を初めて目の当たりにした。
「綾姫! 余計なことを言わないの!」
母親が女の子―――綾姫の手を力任せに握りしめる。綾姫の顔が苦痛に歪む。
制止の言葉を口にしようとしたとき、織花は背筋が凍るような殺気を感じた。
気配が出現するのを感じて、銀がいるのと反対側の通路を見た。西積家の人たちからは死角になっている場所に佇むフラニーが、面白いものを見付けたと言わんばかりに目を輝かせて綾姫をねっとりと視線で見つめていた。
織花は視線を逸らしたい一心で、威厳を保ったまま咳払いをした。
「その答えは―――、すぐに貴方が身を持って理解することになります。それでいいでしょう?」
「……」
織花の言葉を聞いた綾姫と呼ばれた少女は、母親に対してあらがうのを止めて、軽蔑するような眼差しで見上げる。
「やっぱり、そういうことだったんだ……」
しばし抗議する瞳を受け止めていた織花は、手に持っていた魔女の宝玉を消失させ、閉幕を示すため手を叩いた。
「話はこれで終わりです。出立は一時間後」
三階にいるフラニーに目配せすると、片手を軽く挙げ了承の意を示した。
「向かいの部屋でしばしお待ちください。それでは、良い旅路を」
始まりと同様に優雅に一礼して、織花は西積家の人たちに背を向ける。巨大なステンドグラスのなかに溶けるように消えた。
数瞬後、織花は三階の廊下に姿を現した。西積家の者たちからは物陰に隠れて見えない角度の場所だ。
「お疲れ様」
銀の和やかな言葉に出迎えられた織花は疲れの滲んだ瞳を向ける。その視線が、銀の両手に落ちる。
「…………それは何ですか?」
よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに銀は淡い水色の布で包まれた小さな箱の蓋を開けた。そこにはこんがり焼けたクッキーが詰められていた。
「見て解らないか、クッキーだよ。いやぁ、実は俺お菓子作りが趣味でさ、ここに来る前に作って来たんだ。美味しいぜ」
「知らない人から何かをもらっちゃダメだってお祖母ちゃんが言ってました」
「意外に古風なんだな。是が非でも食べさせたくなってきた」
そっぽを向いた織花が目を細めて、クッキーを見る。
「特に男から物をもらうのは金銭的なものだけにしろとお祖母ちゃんが言ってました」
「あれ、俺のなかで君のなかのお祖母ちゃん像が一気に崩れたぞ。もっと良い美談とかあるだろ」
「記憶にないです」
「ったく、つれないなぁ織花は」
織花は脱力して壁に身体を預ける。慌てて手を差し伸べようとした銀を、手を伸ばして拒む。
「……何度やっても演技は慣れませんね。はっきり言ってしまえばいいのに。貴方たちは殺されるために旅に出るんだって。そうしたら、いったいどうなるんでしょうね。機嫌を損ねたフラニーたちに、わたしが殺されるんでしょうか」
自嘲気味に答えると、織花はすぐに頭を振って儚さの滲む瞳で銀を見た。
「ごめんなさい。貴方にこんなことを言っても、仕方ないですよね」
「俺は気にしないよ」
申し訳なさそうな織花を見て困った顔を浮かべた銀は取り出していたクッキーの箱をポケットにしまった。
「……一つ思ったんだけどさ、なんで魔女の秘宝を報酬として引き合いに出すんだ。秘宝は織花のものなら、手渡す必要はないだろう」
「拒否できるのなら、とっくにしています」ムッとした織花は責めるように銀を睨む。「三対の魔女に敗北している時点で、魔女の秘宝はもうわたしのものであって、わたしのものじゃありません。フラニーたちが強行してこないのは、秘宝の隠し場所を知らないからです」
「隠し場所?」
「……貴方に言うつもりはありませんが、秘宝の隠し場所は二つあります。その中の一つは、わたししか知りません。だからこうして、フラニーたちは待っているんです。わたしが屈して、自分から魔女の秘宝を差しだすその日を」
「その割には、本当に回りくどい方法をしているんだな。案外暇なのか、魔女たち」
「退屈で仕方ないんですよ。本当に」織花は複雑な苦みを帯びた顔を浮かべて目を閉じた。「人の命を使ってゲームするくらい飽いているんです。簡単に手に入ることは明らかなのに、それをしないで苦悩するわたしを見て悦んでいる」
自分で現状を再認識すると、胸中に震えるほどの悪寒が走る。どうあがいても三対の魔女たちに勝機を見いだすことはできない。いつかは、恐れることもなく戦うことができるようになるのか。どうあっても、そんな未来は想像できない。
「負けるつもりはないよ。俺はな」
「それは頼もしいですね……」
白々しく反応した織花に、今度は銀がムッと口を曲げた。
「生存ゲーム、っていうくらいだからその西積家族たちの傍には居ていいんだよな」
「わたしは、……あまり関わり合いたくないです」
銀の熱意とは裏腹に、織花は消極的だった。
「なんでだ? 近くで護衛をしたほうが守りやすいだろ」
「西積家の人たちは、自分たちの命を賭け事の対象にされていることを知りません」
薄々気が付いているのかもしれないが、それよりも優先することがあるのだろう。愚かしいとしか、言いようがないことだ。命よりも金のほうを優先するなんて。
綾姫と呼ばれた女の子は聡い。もうすでに自分が置かれている状況を理解しているのだろう。
闇に咲いた白い花。そんなイメージが浮かんだ。それを摘むのが、織花であり三対の魔女だと思うと、胸が痛んで苦しくなる。
(偽善的だ。そんなことを想う資格は、もうないのに)
織花はジッと銀を見つめる。
目的も、意思も、ましてや力量も、すべてが未知数の男とチームを組むことになった。未だにどういう態度で接すればいいのか、距離感が掴めない。
でも、一緒に魔女の開催するゲームに参加するのなら、協力しないと始らない。今回のゲームは、色々な意味で危険だ。
「……参加することが決まった以上、貴方はできる限りの情報を開示します。まず、死なないようにしてください」
「と、いうと?」
「生存ゲーム。三対の魔女は西積家を一日一人ずつ殺せば勝利。わたしたちは五日間……一日が終わるまで死者もなく守り切れば勝利となります。ですが、基本ルールはそれだけです。その間、何をしても構わないことになっているんです」織花は右手を左腕できゅっと握りしめる。「たとえば、一日目にわたしと貴方を戦闘不能にすれば魔女の勝利は決定するように、です。だからこそ、自分の身を守ることは最優先でするべきことです、解りましたか?」
「なるほどな」
銀は軽い調子で続けた。
「でもそれってさ、俺たちがゲームの途中で魔女たちを倒してもいい、ってことになるよな」
「えっ?」
思ってもみなかった提案をされ、織花は目を見開いた。
(魔女を倒す? そんなこと考えたこともなかった)
できるわけがない、と理性と経験が訴えてくる。
勝ち目なんてどこにもあるわけがない。三対の魔女と織花とでは、天と地ほどの明確な力の差があるのだ。
でも、本当に、そんなことができたとしたら、織花の、そして先代魔女の願いはすべて叶うことになる。
障害を度外視すれば、銀の言葉はこれ以上ないほどの名案だ。
目を驚きに瞬かせていると、銀は会った時と同じように不敵な笑みを浮かべた。
見つめていると、不安は薄れていき、所在不明な自信が自分にも湧いてきているのを感じた。
体感したことのない鼓動を感じて、織花は慌てて首を振った。
「ど、どうかしてます。魔女を倒すなんて。そんなの、あの三対の魔女のことを何も知らないから言えるんですっ」
「そうかもな。負けたとしても、勝つまで挑戦すればいいだけだろ」
「そ、そんな悠長なこと言っている余裕なんてありません。人の命が賭けられているんですっ」
「はは、それもそうか。だったら最初から勝たないといけないな」
銀の言葉に耳を傾けていると、自分の心がどんどん乱されていく。
調子が狂う。
期待を抱いてしまうなんて、会って間もない人から励まされて、喜んでいる自分がいるなんて。
一人で戦うと誓っていたにも関わらず、他人からの言葉に力をもらっている。
思いがけない出来事が次々に起こって、違う可能性が訪れたかのように錯覚しているのか。
淡い気持ちの変化をなんとか消そうと小さく深呼吸をくり返す。
「さっきはさ」銀が両手を後頭部で組んで呟く。「西積家の人に関わりたくないって言ってたけど、俺は知っておきたいぜ。守る相手なんだ。俺にとっては他人事じゃない。知ってることは教えてくれ」
横目でそう訊ねてくる。
銀のことを少しだけ知ってきた織花は、断ったとしても無駄であることを悟り、しぶしぶ口を開いた。
「西積家は、わたしとは遠縁の親族。つまりは、先代魔女との血縁関係にある人たちです。先代魔女と血縁関係にある人を、わたしは親族って呼んでます」
先代魔女と血縁関係にある者の数が多過ぎて、それ以外の例え方ができないというのが本音だ。一つ一つ、従妹とか義兄弟とか祖母とか、全部覚えたはずだけどすぐには思い出せない。
「西積家の人に指摘したとおり、金銭面のトラブルでお金に困ってます。参加の理由は金欲しさに、でしょうね」
「都合のいい話だな」
「見ての通り五人家族です。それ以上の人はいません」
「微妙な疑問なんだが、苗字は統一されてないのか?」
「されてません。一つ一つの親族は、全員苗字が違います。お祖母ちゃん……先代の魔女も同じだったみたいです。増えすぎてわかりにくいって愚痴を零していたのを聞いたことがあります」
その時の情景を思い出して、織花の表情はわずかに和らいだ。
「まず、祖父の西積宗一朗。齢は七十二歳。今でも壮健で身体は丈夫です。もしかしたら西積家のなかでは一番頑強な人かもしれません。性格は所有欲が強いのが特徴でしょうか」
魔女の宝玉を見せた時、母親よりも目が眩んで両手を広げていた。もしかしたら今頃は用意された部屋で手に入れた時のことを夢想しているかもしれない。
「父親の宗二は宗一郎の息子です。齢は五十一歳。かつては不動産業で巨万の富を得ていましたが、事業に失敗して今では見る影もありません。多額の借金を作ってしまった張本人です。今回のゲームに参加する理由を創ったのは、他でもない彼でしょう。昔は金を得るためなら冷徹に他者を切り捨てる人間でした。今は、どうか解りません」
精神は身体に影響を与えるものだ。今でも痩せ衰え、気力も失せ、気弱な男にしか見えない。昔一度だけ間近でその顔を見たことがあるが、その時の鋭利な瞳に睨まれて恐怖を覚えたことを今でも覚えている。
先ほど見かけた時は、偽物を疑ってしまったほどの変わり様だった。
境遇で人は変わる。その言葉を体現しているような人である。
「母親の雅美は四十八歳。宗二とは熱愛の末に結婚した、と先代魔女から聞いたことがありますが、今の姿を見るとその言葉はとてもじゃないけど信じられません。金銭のことでは人格が変わるのか、たぶん誰よりも魔女の秘宝を欲しているのだと思います。高圧的な面しかわたしは知りませんので、他に言えることはありません」
気にかかるのは、織花自身の母親と似通っている面があるところだ。似ていると言っても、雅美に関して思い出はない。ただ怖い人、そんな印象しかなかった。
「宗二と雅美の子供であり、兄の名前は和寿と言います。二十六歳。本来なら働いていて当然の年齢ですが、働かず家のなかにずっといるらしいです。元々夫婦仲は悪いですが、喧嘩の発端となるのは彼が起因することが多いらしいです。西積家の近くに住んでいる人がそんなことを吹聴してるみたい。性格は、父親と似ているのでしょうか。彼が声をわたしは聞いたことはありません」
説明していて、また重たい気持ちになってきた。和寿もまた、織花の兄と似た性格じゃないか。加えて、何を考えているのか解らないところまで似ている。その奇妙な類似点は、まるでパズルのピースを嵌め込むみたいに噛み合っている。いっそ不気味と言えるほどの偶然に、織花は三対の魔女たちの作為的なものを感じずにはいられなかった。
自分の家族に似た人物がどんな末路を辿るのか、結果、どんな気持ちに陥るのか。あまり想像したくないことだった。
ひどく、嫌な予感がしてしまったから。
織花は緩く頭を振って、意思ある瞳をしていた綾姫のことを思い浮かべた。
「最後に和寿の妹である綾姫。歳はとても離れていて十四歳らしいです。わたしの二つ下ですね」
「へぇ、織花って十六才だったのか」
「なんでそこに反応するんですかなんで嬉しそうなんですか気持ち悪いです」
「そりゃあ男ですから。仕方ないのさ」
「最低ですね」ため息を漏らしてから続ける。「彼女についてわたしは何も知りません。近隣の中学校に通っていることくらい、でしょうか。他の家族が、ああいう人たちなのできっと似ている人なんだろうって思っていたんですが、それは違ったみたいです」
だからこそ驚いたのだ。恐ろしいと言う噂が先行しているはずの織花を前にして、ああやって自分の意思をぶつけてきたことに。
覚悟しているのだろう。これから起こることに対して。
織花は鎮痛な息をつく。
「西積家の人とは交流を持ったことはないので、外面のことしか知りません。今言ったことは外からの得た情報です。さっきも言ったように、あまり知りたくないんです、親族ことは。最低限のことだけ……」
その姿勢こそが、織花の気持ちの象徴に他ならない。
知りたくないのは、最初から負けるものだと思っているからだ。参加する家族についても、詳しい内情を知ろうとはしてこなかった。深入りすれば、必ず感情移入することになる。
好意を寄せた相手が死ぬことになる。それをもし、何度も何度も体験することになったら、絶対に耐えられない。
それでも最初の三回のゲームは巻き込まれる親族たちと協力して魔女の遊戯に立ち向かったのだ。結果は何も変わらず敗北になった。
それだけじゃなく、三つの家族と深く関わったこともあり、彼らはひどい裏切りを受けたと思ったのか、思い出すのも躊躇われる呪いの言葉の数々を聞くことになった。
いま思い出すだけで、身体が硬直してしまう。
(あんな経験、気持ちをまた味わいたくなんて、ない……)
織花の緊張を見つめていた銀が、そっか、と力強く言った。
「力になるよ。俺は、最後までな」
織花はハッとして、銀を見つめた。織花の視線を受け止めて、銀は優しく笑った。
「頑張ろうぜ」
その言葉を聞いて、織花は知らず知らずのうちに、小さく頷いていた。
この人の言葉は、どうしてこんなにわたしの心を動かすのだろう。
自分はここまで影響を受けやすい人間だっただろうか。心に、今まで感じたこともない衝撃が響いているのだけはわかった。その感情の名前をなんて例えればいいのか、言葉がうまく紡げない。
(なんでかな……とても落ち着きます……)
もうじき、魔女とのゲームが始まると言うのに、心は平穏に満ちていた。
目を閉じて、小さく言葉を紡ぐ。
精一杯、頑張ります、と。
時間が過ぎていく。やがて、時を刻むあのメロディが聴こえてきた。
―――祖母の子守唄。
いつもは、死刑執行の合図でしかなかったあのメロディが、今だけは違う気持ちで聴こえていた。歌詞に込められた切々とした想いが胸に淡く沁みこんで、涙が零れそうになる。
愛をくれたあの人の、懐かしい声が聴こえてくる。
郷愁を誘うメロディのなか、切々と綴られる恋文のような歌。
今の織花にとって、この歌の歌詞は悲しすぎて読むことさえできなかった。
逢いたいと想いは、失ったから芽生えた気持ちだ。二度と取り戻せない。
(そう、どうせ……取り戻せない)
冷たい輝きを秘めた目を開くと、濃淡だった紅の靄が和らいで景色が変化していく。そして、足下から感覚が消えていき、世界は真っ白に変貌した。
―――魔女のゲームが、始まった。