二話 銀色の風 01
理解が追い付かなかった。
目の前で起こっていることがまったく信じられず、織花は混乱の極みの中にいた。
一人ベッドに包まれながら泣き崩れていたら、知らない男が突然やって来て、助けにきた、と言っている。
そんなことありえるだろうか。想像もつかない。正直な話、夕刻にエンジェルさんが話していた誰かが助けに来てくれると言ったくだりを三対の魔女が聴いていて、こんな悪戯を用意したのではないかと本気で疑っているほどだった。
胡乱気な眼差しで銀と名乗る男を見つめていると、銀と名乗った男は柔和な笑みを返してくる。
「まぁ、いきなりこんなこと言われても信じられないよな。俺が織花の立場だったら悲鳴の一つでも上げたくなる」
と、軽口を叩いて見せる。その余裕めいた口調に警戒心を募らせていると、織花は男の身体の一部に変わったものを見つけた。
銀色の髪、紅い瞳と気になる部分は多いものの、その部分はひと際目を引いた。男の臀部に銀色の尻尾が付いていたのだ。まるで生き物みたいに揺れ動いている。その様子はニセモノには見えない。
「……あなた、人間じゃないの?」
織花が恐る恐る訊ねると、銀は静かにうなずいた。
「見ての通り、俺はちょっと変わっているだけさ」銀は一拍置いて、言った。「もしかして怖いかい?」
災厄が日常的に起こっている現代で、どんな異変が起こっても不思議ではない。目の前に、人間じゃない男がいたとしても疑問にも思わない。
世界に多くの魔力が当たり前のように広がりつつある世界では、目の前にいる不思議な人間―――が生まれたりすることもあると聞いたことがあった。
そこまで考えて、自分自身が他でもない異質な人間の筆頭であることを思い出して、織花は皮肉気に笑う。
「そんなことない。わたしも、同じだです。……ここに来たのは偶然じゃないのなら、わたしが誰かを貴方は知っているのね」
「もちろん。さっきも言ったように、俺は魔女である織花、君を助けにきた」
冗談を言っているようには見えない。真顔で断言する銀の表情は真剣そのものだ。だからこそ解らない。どうしてわざわざそんな酔狂なことをしようと思ってやって来たのか。
「助ける、って、言いましたね。具体的にどうするつもりですか」
まさかここから異国へでも連れ去るつもりだろうか。そうだとしたらまったく見当違いだ。問題を放置したまま遠くへ逃げたとしても、問題が自然消滅することは絶対にありえない。
織花の冷徹な視線を受けて、銀は朗らかに笑う。
「さぁ、君を助ける方法は俺も解らない」
一瞬、何を言われたのか理解できず、織花は目を瞬かせて首を傾げた。目を丸くして驚いていた織花の顔は、怒りに変化していく。
「……もしかして、からかっているんですか?」
織花は立ち上がって、冷たい殺意を込めて言い放つ。静かな怒気は室内の空気を冷たく豹変させていく。銀は笑みを崩さず、慌てて両手を上げた。
「からかってなんかいねぇよ。助けると言ったのも嘘じゃない。ただ、助けると言っても……俺は君のことをほとんど知らない。何をしたら君の助けになれるのかも解らない。今言えるのは、助けになりたいという気持ちは真剣だってことさ」
ますます解らない。
無理を通して織花を助けて、いったいこの男にとって何の意味があるのか見当もつかなかった。
「どうしてそんなことを想っているの。……わたし、貴方とどこかで会ったことがあるの?」
滅多に天柱町を出ない織花にとって、知人と言えるのは家族や親族ばかりだ。他人と交流があったのなら忘れるようなことはしない。特に、銀のような風変わりな風貌をしている人を忘れることはない。
織花の質問に、銀は頭を振った。
「俺が織花に直接話すのはこれが初めてだよ。結構考えていたんだぜ、初対面のときどうしたら気の利いた事を言えるのかってね」
「……それは失敗したと断言できます」
「手厳しい」
織花にとっての失敗だと、心の底から思う。まさか自分が夢見た通りの状況と言葉を現実で聞くことになるなんて、夢にも思わなかった。現実を忘れて頬が熱くなりそうになるのを、慌てて振り払う。
「貴方は……」
「俺の名前は銀だよ」
織花の言葉に訂正を加える銀。ムッとした織花は微かに言葉を強める。
「貴方は、わたしを助けると、そう言ってくれましたね」
「ああ。なんでも言ってくれよ」
「死にたくなかったら今すぐこの場を立ち去ってください。―――巻き込まれてしまいますよ」
(嘘でも、冗談でも、親切な言葉をかけてくれた人を見殺しになんてしたくない……)
織花は真剣な面持ちで告げると、飄々とした銀もまた真面目な顔つきになる。
「……その問題が、織花の顔を曇らせている元凶なのか?」
怯えるわけでも恐れるわけでもなく、俄然やる気を漲らせたのか、銀は不敵に笑った。
反面、織花の表情は曇っていき、眉根を下げて今にも泣きだしそうになってしまう。
「冗談じゃないんですよ。理解を求めているわけじゃなくて、これは警告です。逃げないと死んでしまいますよっ」
「それで織花が死んだら本末転倒だな。俺の気持ちは変わらない」
銀の力強い意思を、何も知らないのに心を乱すようなことを口にする姿勢に、どうしてか不快感が込み上がってくる。
銀の透き通るような瞳は、どこかで見たことがある。心がざわざわと震えるようで、落ち着かない。銀の自分ならできると信じて疑わない瞳には覚えがあった。とても身近なものに思える瞳の輝きを見ていると、息苦しくて胸が詰まりそうになる。
「理解してもらえないなら、力づくで……」
と、織花の言葉が唐突に途切れた。その瞳が壁に立て掛けられてある時計に注がれていた。銀も釣られて視線を追いかける。時刻は、23時59分を差していた。
「…………」
「どうしたんだ?」
その問いかけに、織花の鋭い瞳が銀に向けられた。一瞬だけ織花の瞳の色が赤紫色に淀んだ。直後、全身に悪寒が走るのと同時に窓ガラスが破裂した。甲高い音を立てて、ガラス片が飛び散って外に落ちていく。
よく見ると、窓辺に黒く淀んだ霧の塊でできた小さな蛙が倒れているのに気が付いた。影そのものだったかのように、月明かりが微かに銀光を投げかけてくると黒い蛙は雲散した。
殺気を発している織花を尻目に、銀はぽつりとつぶやく。
「今のふたつが、両方とも魔法なのか」
銀の言葉に肯定するでもなく、織花は力の限り両手を握りしめる。
銀の指摘の通り、今の一瞬でふたつの魔法が交錯していた。解りやすい監視者として影に潜んでいた蛙を、織花が魔力の波動によって弾き飛ばして消滅させたのだ。その余波で、蛙は魔力が消え黒い霧となって消えてしまった。
ずっと部屋に監視者が潜んでいたことに歯噛みする。
「いったい何を期待してあんなものを用意しているのか。色恋でも期待しているんですか……フラニー?」
怒りのままに吐き散らすと、中空で闇が蠢いた。織花も、他でもない銀も気配を察して身構えた。
直後、美しい笑い声が室内に響いた。
「面白そうな話をしているわね、私も仲間に入れてくれないかしら?」
その瞬間、世界の色が変わった。
落ち着いた色調の何の変哲もない寝室だったのに、暗色系の紅へと変質した。それだけじゃない。室内にあったベッドやテレビといった調度品は消失していた。代わりに壁には薔薇の花と蔓が所々に巻き付いている。部屋の真ん中には五人分の木でできた椅子とテーブルが鎮座していた。
床一面に紅色の絨毯があったのに、今では白と黒が等間隔で並んでいる菱形模様の大理石に変わっていた。
窓辺があった場所もまた壁に形を変え、完全な密室になっていた。
今しがた窓があった場所の中空が、ふいに暗い色に包まれていく。ぞわり、と底冷えする気配を滲ませて、闇が揺れた。
織花と銀は一歩後ずさり、現れた黒い気配を睨みつける。
それがまた面白かったのか、美しい声は笑いをかみ殺す様に喉を鳴らす。
闇が人の形に変化していく。金色の髪と瞳に目を奪われ、氷像の芸術品のような冷たい美しさを秘めた少女。腰まで伸びる髪をなびかせ、黒の豪奢なゴシックドレスを身に付けている。中空に浮かんだまま退屈げに頬杖をついて、織花と銀を妖艶に見下ろす。
「初めてかしらねぇ」金色の乙女は嗤う。「魔女以外の者をここへ招き寄せるのは。―――どうして、貴方がここにいるのかしらね」
フラニーは、織花の傍に立つ銀を見据えて微笑む。
銀を、魔女の招きから回避することが叶わなかったことを悟り、織花は銀の前に踏み出した。
「フラニー。……彼をここから外に出してくれませんか?」
叶うとも思ってないが、織花は一縷の望みにかけてそう口にした。フラニーと呼ばれた魔女は口元を月夜のように吊りあげる。
「話は聞かせてもらったわよ。素敵な話じゃない。魔女を救おうなんて想いに辿りついた男が、何をしてくれるのか興味が尽きないわ。どういう末路になろうと、ね。貴方もそうじゃないのかしら、織花」
織花はなにも言い返せずに押し黙る。得体のしれない男である銀が、織花に何をしてくれるのか。実際のところ興味を抱いているのは本当だったから。
それがどれだけ危険なことなのか理解しているにもかかわらず、期待を抱いてしまっている自分に織花は戸惑いも覚えていた。
「フラニー……?」
隣に立ったままフラニーを見据えていた銀が織花に問いかける。
織花はうなずく。
「ええ。わたしと同じ魔女です。でも、わたしとフラニーじゃ存在として根本から違います。わたしはこの世界に生きていますが、フラニーは……三対の魔女の一角であるフラニーは違う」
織花の身体が微かに震える。
「悪夢に生きる人、です……」
「ひどい言い方ね」フラニーは大仰なほど悲しげに嗤う。「これから愉しいゲームを一緒にする相手に向かっていう言葉かしら」
「……ゲーム?」
銀の言葉に、フラニーは目を細める。
「ええそうよ。私と織花は連日のように楽しいゲームに興じているの。そうよね織花」
「……………」
憎々しげに怒りを込めた織花の視線をフラニーは何事もなく受け止める。
「さて、それじゃあ今から今回行うゲームの説明をするわ」
フラニーが指先を弾いて鳴らすと、何もなかったテーブルの上に三人分の紅茶が現れた。ふわりと浮いていたフラニーが椅子に近づくと、椅子は自然と後ろに下がる。優雅な動作でフラニーは座った。
意外に肝が据わっているのか、あるいは何も考えていないのか、銀は尻尾を揺らしてフラニーの対面の席に座る。嘆息して織花もその隣につづく。
すぐに紅茶に手を伸ばした銀を見て、フラニーは愉快気に苦笑する。
「……いちおう聞きますが毒は盛っていませんよね」
織花の言葉に銀が呑みかけた紅茶をカップのなかに吹く。目を伏せたままフラニーは答える。
「これからの楽しみを奪うような真似はしないわ。丹精込めて淹れたのだから、ぜひ飲んでほしいわね」
小気味よく笑うフラニーに促され、銀は紅茶を口にした。銀は小さく感嘆の声を洩らす。
「すげぇ、美味いぞ」
「当然よ。織花も飲んではくれないかしら?」
両手を膝の上に乗せたまま、織花は視線を泳がす。
「フラニー……、ミシュレとエトナは。ここにはいないの?」
「ゲームの説明だけだもの。私だけで十分でしょ。心配しなくてもゲームには参加するわよ」
全然嬉しくない情報を聞いて、織花は静かに鎮痛な息をもらした。
銀の視線に気が付いた織花は嘆息しながら説明する。
「ミシュレとエトナは、フラニーと同じ三対の魔女と言われる、亡霊よ」
「三対の魔女……つまり織花の敵、だな」
確かめるように呟くと、フラニーが嗤う。
「そうよ、魔女と呼ばれている亡霊。それが私よ。今は織花を……五代目魔女である彼女を虐めるためだけに此処にいるわ」
フラニーの嘲弄する言葉に、織花は怯えて身を固くした。その様子を見て、銀は横目でフラニーを睨みつける。
それが嬉しいのか、フラニーは口元を緩めて視線を受け止める。
「消せるのなら好きにするといいわ。そのチャンスはゲームのなかにもあるから頑張ればいいんじゃないかしら」
もう銀が織花側で参加することは、フラニーのなかでは決定事項らしい。今さら彼女の考えを覆すことはできない。面白そうという意思が働いたときのフラニーの頑固さは、この三ヶ月で嫌と言うほど思い知っている。
他でもない、隣に座る銀もその気になっているのか、好戦的な顔で身を乗り出していた。
諦観を滲ませ、織花はゆっくりとフラニーに視線を戻す。
「今回は何をするつもりなの。早く教えて」
「くふ、せっかちね。安心して、ちゃんと説明するわ。愉しいゲームをするなら、ルールは明確にしておかないといけないものね」
フラニーは前方に右手を翳し、左から右へスライドさせる。するとテーブルの中央から透き通るような玉虫色をした不思議な球体が現れた。不気味な光沢を秘めた球体から映像が浮かび上がる。気のせいか、辺りの明度も下がり暗くなっていた。
球体のなかに、五人の姿が浮かび上がった。老若男女。顔の作りにどこか似ているところがあるので、一目で家族だろうと想像がつく。老年に入った男、中年の男女は夫婦だろう。そして青年と中学生ほどの少女の五人だ。
織花が緊張をしているのを、銀は目敏く気が付いていた。
「西積さん……」
織葉は重々しく呟いた。
「まさか、織花の知り合いなのか?」
「……わたしの親族ですよ」
織花は囁くような声音で言った。目の前に映し出されたのは、織花にとって遠縁である西積家の人たちだった。直接会ったのは二度ほどで、他の親族たちと面識はそう変わらない。
何を聞いて魔女のゲームに参加してきたのは解らない。球体のなかで佇んでいる家族を見る限り、自分の意思で来たことが窺える。特に夫婦の目の色には鬼気迫るものがあり、遠目でも解るほど瞳が血走っていた。
「参加者に事欠かないのは素晴らしいことね。そこは素直に誇ることだと心の底から思うわ」
無邪気に笑うフラニー。言葉の底に含まれる悪意に気が付いたのか、銀の表情は険しくなる。意外に勘は鋭いんだな、とどこか他人事のように織花は見ていた。
フラニーは頬杖をついて、難しそうな顔をして小さく呻く。
「今回のゲームを名づけるなら、そうね。生存ゲームと言ったところかしら」
言葉だけでも嫌な予感がした。思わず顔を両手で覆いたくなるが、フラニーの前で弱さを見せればすぐに弄ばれる材料になるだけだ。
「とりあえず疑問点は最後に説明するから、まずは概要を最後まで聞いて」
フラニーは説明をはじめる。
「簡単な役回りは、私が攻める側であり貴方たち二人は守る側。何を対象にしているかは、言うまでもなくこの五人のことよ」
指先で球体をしっとりとひと撫でする。何かをしたわけでもないのに、球体のなかにいた少女が怖々と辺りを見回していた。
「ゲームの所要時間は五日間。うち、私は一日につき一人ずつ殺害していくわ。二人殺してはダメ、必ず一日一人。攻める側はそのルールを厳守するわ」
一日の間だけでも家族を守り切れば、織花の勝利は確定する。それがどれだけ難題であるのか、織花は説明が終わる前から察していた。
「もちろんゲストとしてエトナとミシュレが参加することもあるかもしれないけれど、限定的に私が操るのは最大で五人までとするわ」
「五人……」
織花は確かめるように呟くと、フラニーは正解に満足したのか大仰にうなずいた。
フラニーが提示してくるゲームの参加者は、このワンサイドゲームのバランスを調整するにあたって最も重要なことだ。ゲームの始まった一度目のゲームでは、フラニーは力の差をまったく把握できていなかったのか物量で押し切られゲームにならなかった。比喩の話ではなく、本当に死ぬ想いをした。ゲームだと言うのに、フラニーに助けられた経験がある。苦しみ通り越して痛々しい記憶だ。
苦い羞恥を思い出して悔しさと共に頬を染めたが、五人という参加人数は比較的良心的だ。その五人のなかに、三対の魔女であるエトナやミシュレが加わるのだろうか。そうだとしても、五人というからには他に参加者を調達するつもりでいるのか。
生存ゲームと口にするのだから室内で行われるものと想像したが、実際は違うらしい。
「何度も言うけれど、私が操るのは五人。ゲーム期間も五日。解りやすいでしょう?」
思わず見惚れてしまいそうなほど魅惑的な笑みを浮かべる。この笑顔からは邪気が窺えないからこそ、織花は末恐ろしいものを感じる。
「何か質問があるかしら?」
織花が口を開こうとすると、銀が挙手した。軽い衝撃を受けていると、フラニーが銀を指し示す。
「話を聞いていると、ゲームの参加者は俺と織花の二人と、あんた達チームの五人で行われるってことでいいんだよな」
「その認識は少し間違いね。操る人材が五人、私たち三対の魔女を入れて八人よ」
顎に手を当てながら、銀は質問を続ける。
「……次の質問だ。ゲームが行われる場所はどこなんだ。まさかこの館のなかでするのか」
血で血を洗うような戦いが繰り広げられることは明白だ。織花も大切な家のひとつでゲームが行われるのは避けたい。
「ああ、その心配はないわ。ゲームが始まったらちゃんと舞台へご招待するから」
フラニーが意味ありげに目配せをしてくる。今度は織花が質疑する。
「西積家の人たちにゲームの説明をするのはまたわたしの役目なんですよね。今度はなんて伝えてあるんですか?」
「五日間で望みが叶う素敵な観光、とだけ。もちろん貴方が招待したということにしているわ。それが過ぎたら魔女の秘宝を渡すと説明してある」
魔女の秘宝はフラニーたち三対の魔女もいくつか所持している。だが、この場合魔女の秘宝を渡すのは織花の所持しているものだ。曰く、参加者にゲームのことを伝えているのは貴方だから渡すのは貴方のものでないといけない、という了見らしい。力量差がはっきりとしていることもあり、断わりようがない。迷惑この上ない。
と、心のなかで愚痴ってもすぐに憂いは消えた。今まで一度も、魔女の秘宝が家族に手渡されたことはない。今回で言えば、全員生存した場合、参加者に人数分魔女の秘宝が渡される、ということになっている。つまりは、織花側の勝利になって初めて魔女の秘宝は手渡されることになるのだ。
もちろん、黙って魔女の秘宝を渡すつもりは毛頭ないし、その件になっても魔女の秘宝を渡すことはない。織花やエンジェルさんの制御化から外れた魔女の秘宝は、簡単に暴走する危険性がある。
この矛盾した勝敗の条件が、織花の気持ちを著しく閉塞させる。
魔女の秘宝という人間の手に余る宝に釣られた親族を、織花自身がまた騙していくのだから。
「……なぁ、このゲームは今まで何度も行われてきたものなんだよな」
銀が訊ねる。
「ええ、そうよ」フラニーが愉快そうに掌を広げて言った。「織花とのゲームは、今回も入れると11回目になるかしら。それがなにか?」
「今までの参加者はどうなったんだ」
織花の身体が、手足が、冷たくなり、固まる。
「全員亡くなったわ。言いかえれば、私たちが殺して、織花が見殺しにした」
織花は固く目を閉じて、息を呑んだ。
「……つまり、織花の家族は少しずつ殺されているってことか」
「そうなるわね。でも間違えちゃいけないのは、参加者は全員自分の意思で参加していることよ。ノーリスクで財宝を手に入れるなんて、虫のいい話はないでしょう。それが、どうしたのかしら」
フラニーは銀の次の言葉を心待ちにしているのか、机に両腕を乗せて身を乗り出した。
織花もまた、銀の動向を注視する。
「よく理解したよ。正直、燃えてきた」
銀は、不敵に笑って言い切った。
織花も、そしてフラニーにとっても意外な返事だった。フラニーの琴線に触れたのか可笑しそうに大笑いした。
「くふふ、とっても素敵な言葉よ。いいわ、そのやる気。最近の織花は熱意が乏しくて困っていたの。貴方みたいな参加者は大歓迎よ」
「ああ、本気で行かせてもらうさ」
銀の回答に、気を良くしたのかフラニーは弾むように嗤う。
反対に、織花は銀の言葉と表情に魅せられ、食い入るように見つめていた。自然と、胸が高鳴っている自分を自覚して驚いた。そして、知らぬ間に熱の含んだ瞳で、ジッと銀のことを見つめていた自分に気が付いて、慌てて目を逸らした。
「それじゃあゲームの説明はこのくらいでいいかしらね。途中からは説明するつもりはないからそのつもりでいて」
織花と銀は顔を見合わせた。織花にとっては大筋の変わらないゲームの確認はあまり必要ではなかった。銀は、何かを考えているのか難しい顔をしていた。
と、そのとき紅い扉が勢いよく開いた。
「おっ客さまだぁ~~~~~~~~! わぁ、織花に知らないおにいちゃんがいる!」
部屋に紅色の弾丸が飛びこんでくる。フラニーは正面から抱き止めて、柔和に笑い掛ける。
フラニーに抱かれた小さな女の子は、けらけらと笑い声を上げながらフラニーの胸に顔をすり寄せていた。
現われた小柄な少女の紅色の髪を、フラニーは優しく漉いていく。
「エトナ。お話の途中で勝手に入って来てはダメでしょう。びっくりしてしまうわ」
「えー、だってだって待ちくたびれちゃったんだよ。フラニーばっかり独り占めなんて、ずるいよぉ~」
「ちゃんと紹介するわ。だからもう少しだけ我慢してね」
「やだー」
「ふふ、イケない子ね」
気持ち良さそうに喉を鳴らして目を細めていたエトナ、と呼ばれた少女は頬を赤らめて小さく頷いた。
幼い少女だ。ぱっちりと愛らしい瞳は髪と同様に紅色の水晶のように透き通っている。大きな白い帽子には、髑髏の刺繍が付けられていて不気味ながら無邪気さを引き立てるアクセントになっている。腰まで伸びる髪の毛、華奢で細い人形のような手足、小さな体。エトナを形作る要素が、彼女に対する庇護欲を掻き立てる。
唇を噛んで、フラニーとエトナのやりとりを見つめる織花が目に見えて怯えていることに気が付いた銀が駆け寄ってくる。
「織花、あの子も三対の魔女なのか?」
「え、うん……エトナ、って呼ばれている子で……本当に小さな子どもだけど、子供にしか見えないけど、三対の魔女のなかで最も強い力を持っているの」織花はテーブルで抱き合う二人から静かに距離をとりながら呟く。「先代も手をこまねいていた悪魔……破壊の魔女って言われています」
「破壊の、魔女……」
織花の言葉に真実をして受け止めた銀も緊張の色を深めた。
誇張でも何でもない。破壊の魔女であるエトナの気まぐれによって、隣接する他国を四つも薙ぎ払い、焦土に変えてしまった。焼け野原となった大地はあっという間に枯れ果て、枯渇して、人の住めない土地へと変貌している。実際に現地に行ったわけではない。ニュースなどの情報だけしか目を通していない織花だが、その恐ろしさは十二分に理解している。
「ぁ……」
織花が小さく扉に視線を向けると、青白い長身の女性が立っていることに気が付いた。全員の視線が扉の前に立つ女性に移る。
「……遅れてしまってごめんなさい。待たせてしまいましたか?」
力の無い笑み、今にも消え入りそうなほど小さな声でフラニーを見つめる。
「いいえ、タイミングはばっちりよミシュレ。今紹介しようと思っていたところだったのよ」
「……そう」
ゆっくりとした足取りで部屋に入り、優雅な所作で空いている椅子に座った。
ミシュレと呼ばれた女性は、目を伏せて所在なさげに静かに呼吸をしていた。風が吹けば消えてしまいそうなほど希薄な存在感だ。水晶のように透き通った銀色の長髪。ガラス細工のように繊細な肌は危うい美しさを秘めている。世を儚み、憂いを秘めた面差しをしている女性だ。
「あれが、最後の魔女の一人か?」
「ミシュレ、と呼ばれてる人。性格は、見ての通りです」
エトナを紹介した時の狼狽ぶりが嘘のように、織花は落ち着いて言った。
目を引くのは長身な身長。しかし女性的なラインは無く、胸も小さくアンバランスな体格をしている。反面、いつも悲しげに伏せられた瞳はぞくりとするほど硬質な美しさを湛えている。青白い顔色とは別に、髪の色は蒼穹の青よりも透きとおり、光の粒を撒いたように淡く輝いている。
織花は改めて目の前に立つ三人を順番に見つめていく。
フラニー。
エトナ。
ミシュレ。
三対の魔女が一堂に会した。何度直面しても、この瞬間が最も緊張を強いられる瞬間だ。彼女たちの前では、織花は津波に流される小枝ほど無力な存在でしかない。彼女たちのきまぐれによって弄ばれ、壊され、生かされている。彼女たちが織花に価値を見出さなくなった時、おぞましい手段で殺されてしまうことになる。それが誰よりも理解できる織花は、三対の魔女と目を合わせることもできず、身体を強張らせて俯くことしかできなかった。
ふと、隣に立っていた銀が一歩前に踏み出した。まるで織花を三対の魔女たちの視線や悪意から庇うように立ち塞がる。
呆気に取られながらも、自然と身体が動いて一歩後ろに身を退いていた。
(こんな見ず知らずの男の人を、どうして頼もしいなんて思うんだろう)
織花自身も解らない気持ちに混乱して、戸惑いを覚えた。
そんな二人の言葉の無いやりとりを見て、フラニーは含み笑いを浮かべる。
「頼もしいナイト様ねぇ、織花。今日のゲームはいつもとは違う、面白いものになりそうじゃない。貴方も、そうは思わない」
フラニーの言葉や思惑に一度も同意したことのない織花だったが、自分でもそういう予感はしていた。
何かが変わるかもしれない。
静かに胸を打つ熱い高鳴りは、いつまでも甘く残っていた。