トナリの花子さん
日が落ちてきて薄暗い校舎の中、ペタペタと上履きの足音を響かせる。
足音を妨げる音は他には皆無。
その足音は階段を上って行き3階につくと、まっすぐ女子トイレへと向かった。
「…さすがに、誰もいないよね」
小さく、独り言が漏れる。
少し入口で立ち止まり辺りをきょろきょろと見回したあと、静かに中に入った。
中には4つの個室と1つの掃除用具入れが並んでいる。
ほとんど光の入らないトイレの中で、どれも固く口を閉じていた。
足音が向かったのは手前から3つ目の和式トイレの個室前。
するすると塗装されたトイレのドアを撫でると、命を持たない物質の冷たさが神経を駆け抜け脳に伝わった。
そして、
トン、トン、トン
「花子さん、いらっしゃいますか?」
『トナリの花子さん』
すぅっとトイレ内の温度が下がった気がした。
それでもドアをノックする手は止まらない。
トン、トン、トン
「花子さん、いらっしゃいますか?」
「はい」
小さな少女の声が返ってくる。それでもノックはやめない。
トン、トン、トン
「花子さーん」
「なーに?」
またしても声が返ってくる。今度ははっきり聞こえた。
トン、トン、トン
「花子さん、花子さん、花子さん」
「はいはい」
トン、トン、トン
「遊びましょ」
「何して遊ぶ?」
トン、トトトントン
トントン
「いい加減開けろぉー!!!!」
突如バンッと開け放たれるドア、その中には血の気のない青白い肌をした中学生ほどの少女が苛立ちを隠せない様子で足を上げていた。
ドアを蹴り開けたらしい。
「ひゃーっ、ひゃひゃっ、ナイス突っ込み!!」
足音の原因人物はずり落ちそうになる分厚いメガネを直す暇もなくお腹を抱えて大爆笑していた。
「なんで“ご当地花子さん”試してるのよ!!最後まるっきりオリジナルの悪ふざけだし!!」
「バレた?ひゃーっ、ひゃひゃひゃ!!」
「笑い方キモいのよ、死ね!!」
少女、花子さんはがんっと目の前の人物を踵で蹴る。
今まで笑っていたその人物は蹴られたお腹を押さえて「ぐぅっ」とくぐもった声を漏らした。
「暴力反対!!でも今パンツ見えたからナイスキック!!」
「っこの変態!!最悪!!バカ!!!!」
花子さんは恥じらいの表情を浮かべるとそのままバンッとドアを閉じた。
「そんな機嫌悪くしないでよー、冗談だって」
「………………」
「来るの遅くなったのだって謝るからさー」
「………………」
「だってさー…しょうがないじゃんか、女子トイレにこうやって男子が入るのって細心の注意が必要なんだよー?」
「………バカ、そんなんだから友達いないんじゃん」
花子さんは小さくそう言って少しドアを開けた。
このへらへらとマヌケな顔で笑っている少年には、花子さんが唯一の友達だったのだ。
見た目は地味、顔もルックスも中の下、なんとも冴えない男子中学生。
コミュニケーション能力が長けているわけでもなく、鉄道模型という趣味を持つ彼に中々友達はできない。
さらにこの少年は………
「あれー、声がすると思ったらやっぱお前かよ」
「女子トイレで何やってんだよ、変態メガネ」
「また独り言かー?精神病、あっはははは」
サッと少年の顔が青ざめた。そう、彼はいじめられっ子だった。
「最初にお前に水かけてやったのもここだったなー?」
花子さんに少年が初めて出会ったのは、トイレに閉じ込められ上からバケツで水をかけられていた時だった。
少年は“花子さんは本当にいるか”という実験をさせられた後、その個室に閉じ込められ真冬のトイレで頭から水をかけられた。
呼ばれた花子さんは少年と目が合った。その時彼はへらっと彼女に笑いかけたのだった。
だらしなく制服を着た三人組がずかずかと女子トイレに入ってくる。彼らに花子さんは見えていない。
そして一人が少年の肩に腕をまわした。
「お前そんなに女子トイレ好きなの?変態じゃん。」
今度はもう一人が少年の頭を掴んだ。するとそのままぐいっと個室の便器に押し付ける。
少年は抵抗したが、他の仲間に足で押え付けられて動けなかった。
「ほら、好きなんだろ?たっぷり遠慮せず味わえって」
「あ?もしかして水が足りないとか?」
水を流すレバーが押される。勢いよく水は流れ少年の気管にトイレの水が入った。もう窒息寸前だった。
「おら、そのきったねぇ顔洗ってやったんだから感謝しろよな」
学生の一人が少年の顔を上げてそう言ったが、少年は彼らよりもずっと遠くを見つめたまま無反応で息をしていた。
その様子に三人はつまらなそうに腹を殴った。
「あぐっ!!」
「おらっ、今のは効いたか!?」
その時だ
ゴボッゴボゴボッ
「あ?お前今水流したか?」
「俺触ってねぇよ、便器詰まったんじゃね?」
先ほど流したトイレが詰まったかのように不快な音を鳴らす。
そして、残りの水を飲みこんだと思うと今度はじわじわと赤い液体が戻ってきた。
血だ。
「なんだこれ、いたずらか…?」
三人はそう言ったものの、驚いているのか表情は引きつっていた。
異変はそれだけにとどまらない。
「うがっ!?」
「ぎゃっ!!」
何かにどつかれたのか、学生は三人とも個室に押し込められる。
その反動で少年は外に弾き出され、そのままドアがバタンッと閉まり鍵もかけていないのに開かなくなった。
「はっ…おいふざけんな!開けろ!」
「お前ドア押さえてんだろ!ふざけてんじゃねーぞ!」
もはや彼らの声は虚勢でしかない。ただ一人きょとんとしているのは少年だった。
『ノックもしないで私の個室に入らないで…』
途端に辺りが暗くなる。
否、暗くなったのではなく光が遮られたのだ。
三人はゆっくり上を向く。
個室の壁と天井の隙間からずるずると“髪の毛”が大量に、たくさん、びっしりと這っていた。
「ぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
一人が悲鳴を上げた。
足元の便器からは収まりきらなかった血があふれてきた。
ぴしゃぴしゃと三人の上履きを濡らす。
「出せよっ!出せ!出せっつってるだろが!!」
どんなに叩いても個室のドアは鈍い音を立てるばかりだ。
「ヒッ…!?」
血に染まった便器から真っ青な腕が飛出し、一人の足を掴む。
そのもう片方の手にはカッターナイフが握られていた。
『ねぇ、私と遊ぼ?』
髪に毛の隙間から充血した眼が覗いた。
「ぎゃあああああああああああああ!!」
「ぅわああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「わぎゃぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
ようやく開いた扉から我先にと飛び出す三人。彼らはそのまま一目散に去って行った。
「………?」
きょとんとしていた少年は、濡れた顔を袖で拭いながら個室の中に目を向ける。
個室の隅には膝を抱えている青白い少女がいた。
便器も壁もいつも通りの姿で何食わぬ顔をしている。
「ねぇ、大丈夫?」
「なんで…なんでっ…」
「ねぇ…なんで君が泣いてるの?」
「なんでそんな平気でいられるのっ!?」
花子さんは泣いていた。
少年はゆっくり傍に寄って彼女に目線を合わせる。
そしていつも通りへらへらっと笑ってみせた。
花子さんはもっと泣いた。
少年がされたことを見て、
自分がされたことを思い出して、
目の前の人物が笑うのを見て、
もっと泣いた。
花子さんはいじめられていた。
花子さんは弱かった。
花子さんを誰も助けてくれなかった。
花子さんは絶望した。
花子さんは、自殺した。
手首をカッターで切って、顔を押し付けられた便器にその腕を突っ込んだ。
じわじわ赤に染まる便器の水。じくじく手首は痛む。
けど、それよりも胸が締め付けられるように、破裂しそうなほど痛かった。
そうして彼女は死んだ。
この個室で。
「なんで…こんなことされて笑ってられるの…私はそんなことできなかった、私をいじめる人が恨めしくて恨めしくて…死んでほしいってずっと思ってた、今も思ってる」
花子さんの悲痛な叫びを少年は黙って聞いてる。
いつもとは少し違う笑みを浮かべながら。
「助けてほしいよ、友達ほしいよ、死にたくなかった、やだ、寂しい、寂しい、寂しい…」
それからほんの二日後だった。
少年が自殺したのは。
場所は校舎の三階、女子トイレ。一番奥の洋式便器の個室。
天井の電球に器用にロープをかけ、首を吊っていた。
花子さんは彼の行動に気付けなかった。気付いた時にはすでに隣の個室で死んでいた。
「嘘でしょ…ねぇ、なんで、嘘でしょ!」
教員に見つかり運ばれる少年を見ながら花子さんは泣いた。
少年の顔は鬱血し真っ青になっていた。失禁したのだろう、ズボンはビショビショに濡れている。
「なんで、笑ってたじゃん、いつもみたいに、気持ち悪い笑い方でさ…」
個室が急に広く感じる。寒いくてなにも色がない。
「…ごめんなさい、私のせい?冷たくしてごめんなさい…」
目の前がぼやける。あぁ、死んだ後でも泣けるんだ。
「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさい!!もうわがまま言わないから!冷たくしないから!“死ね”っていうのだって嘘だよ!ごめんなさい!」
なにかが破裂したように涙が溢れる。顔が焼けるように熱い。
「ねぇ、やだ!一人にしないで!もう“花子さん”に戻るなんてやだー!なんでもするからぁぁぁぁ!!」
「それじゃあ一日一回パンツ見せてほしいなぁ」
聞こえるはずのない声が…
花子さんの鳴き声がぴたっと止まる。
ゆっくり隣の個室を見ると、壁と天井の隙間からゆらゆら揺れるロープが見える。
いや、ロープはさっき教員が持って行ったからあるはず………
バンッ
思わず隣の個室に駆けてドアを思い切り開ける。
そこにはいつもと変わらずへらへらとした笑顔を浮かべる少年がいた。
「な、な、な、なんで…あんた…」
「いやぁ、なんとかなるもんだねー、興味本位で首吊ってみたけど」
「なんであんたいんのよー!!!!」
予想外の展開に花子さんはガクッとうなだれた。
それを相変わらずおかしな笑い声をあげて少年は見ていた。
「それよりさ、さっきなんでもするって言ったじゃん」
「このっ変態!」
「ひゃひゃっ、冗談だって」
ロープに全体重をかけたまま、少年はそっと花子さんに手を伸ばした。
その手を特に何も考えず花子さんはそっとつかむ。
「これでずっと一緒だね、寂しくないよ」
「………ばかっ」
少女は言葉とは裏腹に、恥ずかしそうに、けど嬉しそうに微笑んだ。
「ねぇ、知ってる?三階の女子トイレに“首つりさん”が出るんだって」
「知ってる知ってる。ここで自殺した男の子の幽霊でしょ?」
「いじめっ子がトイレに入ると後ろから首を絞められるんだってー」
「そんで、隣の個室にいる“花子さん”の恋人なんでしょ?」
「え、なにそれ知らない!」
「っもー!!なんであんたと恋人って設定が出来てるわけ!?信じられない!不快!最悪!」
「ひゃーっひゃひゃ、僕は全然良いんだけどねー」
学校の七不思議に新たに加わった“首つりさん”。
少年と少女は個室の中、女子中学生の噂話を聞いてそんなことを話していた。
「幽霊になっていじめをする悪い子のお尻を叩くってのも悪くないねぇ、まぁ仲良く頑張ろうよ」
「ふんっ、勝手にやってればいいじゃん」
「って言いながらなんだかんだいつも手伝ってくれちゃうんだよねぇ」
「うっさい!ばか!!」
そんな痴話喧嘩はもういつものことだ。
少年のトナリには花子さんがいる。
アンソロのお題(お笑い重視既存ホラー萌え化)に沿って書いたものです。
なにがともあれお笑いって難しい!!全然自分の文章笑えない!!
とはいえここまで見てくださった方々ありがとうございます。
本当に締め切り遅れてすいません;ω;
いや……期限までには書き終えてたのですg(ごにょごにょ←言い訳&私情