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第41話 出世払い その後

作者: 山中幸盛

 幸盛は、「北斗」の平成二十二年七・八月合併号で『出世払い』を書いた。近所の喫茶店でコーヒーを飲んでいると、魚釣り仲間のゲンさんがスーツ姿でやって来て作業服の男と何やら話し込んでいたので店を出るときに挨拶し、テーブルにあった伝票を引ったくってレジに向かう後方から「出世払いで!」という声を掛けられたのだが、その直後にゲンさんは実は大企業に勤める高給取りだったことが判明して愕然とする、というオチだ。

 このゲンさんのモデルになった男は実在する。東大の航空学科・大学院を出て川崎重工に入社し、やがてアメリカのボーイング社に出向して新型機「787」の開発に設計段階から携わったエリート社員だ。その男の口から「出世払いで!」はないだろう、と、呆れながら書いた短編だった。


 幸盛が早朝五時発の渡船時刻に合わせ、その三十分以上前に三重県のとある渡船屋に到着すると、ゲンさんの連れの新妻さんと久しぶりに一緒になった。

「今日はお一人ですか?」

 彼は笑顔で応える。

「ゲンさんは仕事が忙しいみたいで、ここ半年くらいずっと私一人であちこちの筏に通ってますよ。ここは三カ月ぶりくらいです」

「私は今はここ専門です。四十基ある全部の筏に渡って極めるつもりなんだけど、ようやく半分くらい攻めたかな」

「今日はどの辺りがいけそうですか?」

「二十八号にするつもりです。先週は三十五センチと四十センチが上がりましたから」

「それはすごい。私もご一緒させて下さい」

「もちろん」

 他に十三人の釣り客がいたが、二十八号筏で降りたのは幸盛と新妻の二人だけだった。

 しかし、この日の二十八号筏は大ハズレだった。午前中の釣果は幸盛が二十三センチのチヌ(黒鯛)を一枚上げたのみで、外道は二人合わせてボラ三匹、アジ五匹だけだった。新妻は弁当船に乗って午後から七号筏に移って行ったが、幸盛は同じ筏で最終十八時まで粘ったのだがカワハギ二匹とアジ三匹とカレイを一枚追加しただけだった。迎えにきた船長の話では、新妻は四時に引き揚げたというが、七号筏でもこの日は一枚も上がらなかったらしい。まあ、チヌ釣りとはそういったものだ。

 それから三カ月後、他の筏を転戦してきた新妻と再び一緒に釣ることになった。今回は偶然に出くわしたのではなく、携帯のメールで情報交換し合い、先週幸盛が良型のチヌを七枚上げたと知ってやる気満々でやって来たのだ。

 小雨まじりのこの日、実績ある三十五号筏で二人の挑戦が始まった。撒き餌の効果が期待できるので二メートルほど離れて並び、話をしながらの挑戦となった。

 とはいっても二人とも根っからの釣り師なので、最初は釣りに集中して口数は少ない。この日の満潮は八時頃だから、それまでの潮が動く時間帯が狙い目なのだ。開始三十分後くらいに幸盛のウキにアタリがあった。息を詰めタイミングを見計らってサオをしゃくったが、空振りに終わった。それを見た新妻が声を掛けてきた。

「おっ、来ましたね」

「ボラかもしれないけど」

「ボラ上等、ボラが来ればチヌも来る」

 幸盛がエサを換えている間も、新妻はサオ先に集中する。

「かかった!」

 と新妻が叫ぶので幸盛が振り向くと、新妻のサオが丸くしなってサオ先が海中に沈み、ドラグの音がジジジっと響く。幸盛は立ちあがり、タモを手に取って新妻の横に立つ。

「本命みたいですね」

「ボラでも結構。ボラの刺身は結構いけますよ」

「たしかに」

 まもなく海中から姿を現したのは、まさしく三十センチほどのチヌだった。幸盛推薦の場所なので、ほっと安堵しながら本命をタモで取り込む。

「よかったよかった、これでボーズだと私の立つ瀬がありませんから」

「いやあ、一カ月ぶりのチヌですよ。感謝、感謝」

「出だし好調ですね、この分だと二ケタいけるかも」

 しかし、現実は厳しかった。一時間、二時間が経過してもその後アタリがまったくない。そして満潮になり、潮の動きがピタリと止まった。幸盛は肩の力を抜きながら言った。

「休憩の時間ですね」

「ビールでも飲みますか」

 と言って新妻はサオを足元に置き、クーラーから缶ビールを二本取り出して一本を幸盛に差し出した。

「いただきます」

 新妻はビールをぐいと一口飲んだ後、思い出したかのように唐突に言った。

「そういえば、ゲンさんですけど、会社を先月に辞めたというので驚いて聞いてみると、来年の参議院選挙に立候補するみたいですよ」


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