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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編(California)

栽培

作者: 塚本亮悟

 夏の残り香が夜風に混じり邸宅二階の窓から忍び込んできた。寝室に備えつけられたキングサイズのベッドには中年女性がナイトローブをまとってガーデニングの雑誌を読み耽っている姿があった。

 ドロウアーから鏡台、揺らいでいるカーテンまでが照明の光にその新品さながらの美しい光沢を反射さえていた。一見して誰もが値の張る調度品だと思うほどのものだ。窓際にはコーヒーテーブルが置いてあり、椅子が一対置いてある。一脚はテーブルに向かって鎮座している。そしてもう一脚はテーブルから180度逆方向に顔を向けて佇んでいた。

 カールの掛かったブロンドに笑顔を作ることによって出来る品の良い縦皺が口元に現れている。縁無し眼鏡から覗く二つのペール・アイがベッド脇に鎮座する時計に反射した。


 時計の針は21時18分を差していた。


 開け放した窓から車のエンジンが唸りを一つ上げ、動きを止めた。暫しの間を置いて玄関ドアが閉じられる大きな音が響くと、誰かがリビングを抜けてキッチンへ入っていく音が聞こえた。物音が動きを沈めてから更に間を置いて階段に疲れが滲み出た重い靴音が刻まれていった。

 ベッドに横たわっている女性は小さく欠伸をした。そして、彼女が口を閉じきってしまう前に、白髪の混じった背の高い男性がネクタイを緩めながら寝室に入ってきた。堀の深いその顔に疲労が更に鮮明な皺を刻みつけていた。

 「どうにかならんのか?」

 男が口にしたのは「ただいま」ではなく、懇願に近い疑問であった。ベッドの上に『Sprint PCS』と『PG&E』のロゴが入った封筒が投げ出された。雑誌を閉じて眉を顰めると女性は身体を起こし、その請求書同封の封筒を手にした。夫はブリーフケースをカーペットの上に置き、解いたネクタイをテーブルにそっぽを向けている椅子の上に放った。

 妻は請求書の一つを取り上げ、首を傾げながら封筒を振って見せた。

 「たかだかティーンエージャーの長電話じゃない?あの子もバイトして自分のビルぐらい払おうとしているでしょ?」

 シャツの第三ボタンまで外したところで夫は溜息をつきながら腰に両手を当てた。

 「月毎に跳ね上がる金額を見ていたら、これはもう単純ないたちごっこにしか思えんがね?」

 「だからそういった部分でもあなたが諭してあげるべきじゃない?良いチャンスだと思うわ。あの子ももうあなたを『お母さんが連れてきた余所者』ではなくて『良き理解者』として見てくれているのよ?」

 そう言って妻は夫に向かって微笑みかけた。だが、夫は口元を拭って辺りを見回していた。

 「ねぇ聞いてるの?」

 妻が怪訝な顔をする伴侶を見て首を傾げる。だが、そんな問い掛けを無視するように夫は手を耳に添えてベッドの周りをゆっくり歩いて寝室奥へと続くバスルームに入っていった。妻は当然身体を捩じらせて姿の見えない夫の方へ声を張り上げる。

 「ねぇ何なの?」

 夫が戻ってきた。

 厳しい視線をブロンドの髪が今でも美しく映えるベターハーフに投げ打って寝室を出て行こうとする。妻は呆れた顔で夫の背中に声を掛けた。

 「どこ行くの?」

 荒々しい足音と共にぶっきらぼうな返事が彼女の鼻先にぶつかってきた。

 「飲み物を取りに行くのにいちいち君の許可を得なきゃならんのか?」

 妻は腿の内側に請求書をぴしゃりと叩きつけて放り投げると、雑誌を手にとって座り直した。ページを荒々しく捲っては後戻りし、散り散りになった思考を払いのける様に老いを曝け出した女性は頭を振った。雑誌を持ち直し、少し節が目立つ人差し指で文面を一行ずつなぞっていく。そこに夫がグラスを片手に寝室へ姿を現した。

 「あのモーター音はどこから聞こえてくるんだ?」

 夫はグラスを口元に持っていった。タングステンの明かりに光る琥珀色の飲み物は言わずと知れた彼の好物であるウイスキーだった。慰み酒で口を潤しながら、更に節くれだった人差し指が天井で音を立てて回転する三つ葉のファンを指した。

 「もちろんあれのことを言っているわけじゃない。もっと別の振動音のことを言っているんだ」

 妻は開いていた雑誌を下腹部に預け、嘲るような笑い声を上げた。

 「何度言えば分かるの?冷蔵庫のモーター音と勘違いしてるだけでしょ?」

 二口目のウイスキーを舌で転がしながら夫はグラスと共に掲げた人差し指を左右させた。

 「そうじゃない」

 そう言って、彼はグラスを近くにあったチェストの上に預ける。

 「あれよりももっと微弱で、それが忌々しいんだが、どこかもっと他の場所から鳴っているんだ」

 妻は雑誌を横に除けてベッドの上に座り直すと、膝の上に両手を預けた。

 「あなた疲れてるのよ。最近帰り遅いじゃない。休暇でもとって旅行でもしましょうよ?」

 「じゃあ訊くが、そのもう一つの封筒に収まっている電気代は一体どういうことなんだ?ホリーはバイトだ、パーティーだと家に殆ど居ないし、ケビンはボーイスカウトのキャンプで二ヶ月家を空けっ放しだった。君の園芸や僕の日曜大工のどこで電気を使いっ放しにするような真似が出来るんだ?」

 夫はまくし立てる合間に妻は肩を竦めていた。それがお手上げだというジェスチャーなのか、妻を説き伏せようとするための演出なのか夫には諮りかねた。妻は頭を振りながら老眼鏡を外して、それをライトスタンドの傍に置いた。

 「いいわ、一つお話をしましょう」

 「止めろ、下らない」

 「まだ何も始めてないじゃない?」

 妻は身体を起こして夫の方へにじり寄っていた。夫はチェストに肘をつきながら髪を掻き上げ、左手を上げて妻の言葉を遮った。

 「売れっ子ミステリー作家の御伽噺に付き合う気分にはなれんよ」

 「あら、作り話じゃなくてちゃんとした実話よ」

 「ほぉ、それはまた新しい手だな」

 チェストの上でグラスの氷が音を立てた。

 「ある女性実業家のお話なの」

 「実業家?」

 「そう、若くして成功を収めて豪奢な邸宅にそれは見事な庭園を構えた実業家のお話。でも子宝には恵まれなくて、養子が一杯いたの。それさえ除けば絵に描いたように賑やかな大家族だった。でもね、その家族に不思議なことが起こり始めたの」

 「どんな?」

 「子供達がスィートシックスティーンになるか、ならないかの年頃になると必ず出奔したり、失踪したりするの。警察に捜索願を出すのよ。何度も何度も」

 膝の内側に両肘を預け、彼はグラスを下げた。氷が円を描いてからりと音を立てた。

 「いつの間にか家が寂しくなる。子供が一人一人いなくなっていくんですもの」

 夫は天井を見上げた。その表情は曇っていた。

 「そいつは不幸な話だな」

 「それがただ単に不幸で片付けられる話なら良いんだけど」

 表情を強張らせたまま夫は腕を組んで背中をチェストに預けた。

 「どういう意味だ?」

 ふと吐息が漏れた。

 「その実業家、何回も再婚してるの」

 妻は険しい皺を寄せた横顔が不意に漏らした舌打ちを聞き逃さなかった。

 「まぁ自分が手塩に掛けて育てた子供がことある毎に蒸発するんじゃ、たまったものじゃないでしょうからね。そういうのが嫌になったのかもしれないし」

 「そりゃそうだろう。血が繋がっていないとはいえ、子供は子供に変わりない」

 豊潤な唇が柔らかに弛んだ。

 「もう一つ不思議なこと。離婚した夫の一人が同じように消息が掴めなくなったの。悲劇は三番目の旦那さんと一緒になってから間もない頃に起こったの」

 「どうなったんだ?」

 そう言いながらも夫は傍らに揺れるカーテンを押し退けて窓から見える景色に視線を落とした。真っ黒に塗り潰された景色が広がっているだけだった。妻は別のことに気を取られている夫を前に顔を顰めてみせた。

 「ねぇ聞いてるの?」

 夫はカーテンの裾を離した。

 「あぁ、三番目の旦那が失踪したんだよな?」

 「交通事故だったの」

 「何?」

 「話全然聞いてないじゃない」

 「すまん、続けてくれ」

 「その女性実業家が交通事故に遭ったの。大破した車からでてきた身分証しか奥さんを判別できるものは無かったらしいから相当酷い事故だったんでしょうね。それで、三番目の旦那さんは葬式が終わってから邸宅を売りに出したの」

 「待った。旦那ではなくて、妻が事故に遭ったのか?」

 「だからそう言ったじゃない。まぁいいわ。その旦那さんが片付けをしていたらどうも腑に落ちないことが出てきたの」

 「どういうことだそりゃ?」

 「あなたがさっきぼやいていたことよ」

 「僕が?」

 「電気代よ。一ヶ月分の請求が妙に高いの。電気はこまめに消すようにしていたし、そうすることを子供達に徹底させるよう教育してたから、納得できなかったらしいの。それともう一つ」

 「何だ?」

 「地下室の間取り。狭いのよ。設計図を広げてみても、もう一部屋分ぐらいのスペースが消え失せていたの。おかしいと思って調べているうちに隠し戸が見つかったの。人を呼んできて強引にこじ開けてもらって中に入るとそこには…」

 「何があったんだ?」

 「ミニチュアの植物園。詰め込めるだけの照明をありったけつけて、水の循環設備が完璧に整ってて。そこに失踪した旦那さんと子供達がいたの」

 「死体でか?」

 「ぶっそうね。ちゃんと生きてたわ」

 「ずっと閉じ込められていたんだろう?長時間監禁されたままで老衰死していたんじゃないのか?」

 「それがね、至って健康体だったの」

 「信じられんな」

 「栄養補填の方法が変わっていたのよ。実際、立派な花を咲かせていたそうよ」

 沈黙が走る。夫はもう一口グラスのウイスキーを咽喉に流し込みたい気分だった。だが、それをやっては話の腰を折ってしまう。夫はあえて腕を組んだまま尋ねた。

 「どういうことだ?」

 「四肢を切断されたまま苗床にされていたらしいの。中には眼窩から蔓草を生やしていた身体もあったそうよ?」

 「眼窩からって、まさか、目から植物が生え出てきてたっていうのか?」

 「そう、眼球の裏側は植物が育つのに最高の環境を整えているの。そこに種子が入り込んで成長を続ける。宿主は全く動けないんだからそこは苗床としてうってつけの場所になる。不可能な話じゃないわ」

 夫は頭を振って立ちあがった。彼はボタンを全て外し終わると、シャツの裾をスラックスから引っ張り出した。妻は満足げにその様を見つめながら言葉を掛けた。

 「どう?『事実は小説より奇なり』ってよく言ったものよね」

 「あぁ余興としては退屈しない御伽噺だね、そいつは」

 靴を脱ぎ、近くに放りっぱなしにしてあった部屋履きに足先を突っ込むと、夫はウイスキーを飲み干した。そうして彼は部屋を出て行った。妻は眉を顰めた。

 「ねぇどこ行くのよ?」

 「地下室だよ。君のおかげで、昨日キャビネットの電気点けっ放しだったのを思い出したよ」

 「私が消したはずよ?今日、洗濯した時ちゃんと確かめたわ」

 階段を下りる足音と共に疲れた声が寝室に入り込んできた。

 「自分で確かめないと気が済まないんだよ」

 妻は枕に頭を倒れかけさせた。その表情はあからさまに『呆れた』と言わんばかりであった。

 「男ってホント鈍感なんだから」

 彼女はそのままの姿勢でベッドの下に手を伸ばした。カーペットに指を這わせて目当てのものが見つからないと分かると、そのまま腰周りに贅肉がついた身体を捩らせた。

 ナイトローブ姿の女性が廊下に素足で出てきた時、彼女の右手には刃先を鈍く光らせる手斧があった。階段が軋む。それと共に彼女の絹を裂くような高い声が家中にこだました。

 「ベンジャミン、いい加減行儀よくなさい!」

 邸宅はやがて夜の静寂へと完全に飲み込まれた。

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