喉の渇いた男の話
大きな船が沈んでいた。
座礁したのだ。位置は丁度太平洋の海原の真中である。
その付近にゆらゆらと、海の上に笹舟の如く浮かぶ救命ボートがあった。ボートの中に一人男がいた。男は座礁した船の唯一の生き残りなのだ。
だが彼は、喉が焼かれる程に喉が渇いていた。しかし、残りの飲料水もないために唯虚ろげな眼で白波を眺めている。
(この海の水が飲めればどれほどいいだろうか……。)
乾いた唇の粘膜を二三舐めると、試しに手掬いで塩水を掬い、意を決し自らの口元に運ぼうとするも、急に怖くなった。試しに少し舌先で海水を嘗める。
塩辛かった、やたら舌先がヒリヒリして又、更に喉が渇く。
もし遭難する事が同じでも、砂漠の方が寧ろ幸せだったかもしれない。少なくとも水を満々とたたえた海の真中で喉が渇くより、水への希望を一念に抱いて歩き続ける無知の方が余程幸せに違いない。男は同じ水への希望を抱く行為でも、廻りにある海水の中で考えるのだ。少しでも首を突き出して海面に接吻するだけで水への希望は達せられる。しかし、それはあまりに悲惨である。確かにたらふく水を飲めるが、其の後にくる、灼熱に似た喉の渇きがどれほど辛いだろうか。砂漠で感じる喉の渇きより、海の上が余程悲惨なのだから。それより海水の誘惑がない砂漠の熱が、まだ幸せなのだ……。
―――男は涙をこぼした。
これも塩辛かった。
(なんだ、俺の身の内からも海水の水滴か……。)
自嘲気味に男は額を右手の掌で覆い、口元で微笑した。