遅刻 2
「萩原さん。何か忘れてること、ない?」
そう、山吹紫苑が私に問いかけてきたのは、放課後のことだった。
忘れてる、こと?
突然のその言葉に、私はうーん…と、頭をひねる。
えぇーっと、なにかありましたっけ?
……ニューヨークの友達への手紙は書いたでしょ、依頼は暫く受けないって『nanDEmoya』にも言ったでしょ……、
ほかにあったかなあ?
…思い出せない。
そろり、と山吹紫苑を見上げる。そして、私は瞬時に、山吹紫苑を見たことを後悔した。
顔が怖いっす。超絶に。
人類のフェイスを超越してるっす。
笑ってるんだけど、でも、なんかにじみ出てるのよ! 出ちゃいけない、黒色のものが!
言えない。言えないよ!
思い出せません、なんて言えないよー!!
山吹紫苑は、ただ口元だけで穏やかに微笑んでいる。怖い。
「思い出せないの?」
首を傾げて、彼はまたもや問う。
どうしよう。次こそ、爪とか剥がれたりしちゃうんだわ。
私は、尊い爪の犠牲を覚悟で、恐る恐る頷いた。
「………す、すみません…」
「そっかあ…。覚えてないかあ…」
へぇー、と山吹紫苑。
そう、デンジャラスパーソンその壱の、山吹紫苑だ。
怒らせちゃいけない人代表、我らが生徒会長様の山吹紫苑だ!
あはは、私ってば、冷や汗がまるで滝。
ごめんなさいっ。
でも、ほんとにわかりません!
じっと山吹紫苑が見てくる。
私は怯えながら、山吹紫苑を見つめ返す。
そんな気まずい沈黙が支配する中、甘やかなテノールが響いた。
「7時に生徒会に来いって、昨日言っただろ」
あら!安斎柚生さまだわ!
…て、え?
………なんですと…。
―――『明日から仕事してもらうから、朝7時、生徒会室に来てね』
昨日の集会で、そう言って立ち去っていく山吹紫苑の背中が、今はっきりと蘇った。
………。
…言われたような。
いや、言われてるよなあ。
だめですね、自分。
どうにも最近弛んでます。
殺し屋の恥です。
……ほんと、だめですね。
恐怖で体がガタガタ震えてきましたよ。
よよyoヨし、あyaまロ宇!(よし、謝ろう!)
「ほんとごめんなさい! すっかり忘れてました!」
「朝も遅れてきてたよな、何か用事でもあったのか?」
「いえっ、そういうわけではっ」
優しい声と言葉と共に、木ノ内燈眞が言い、私は慌てて否定する。
普通に寝坊で御座います!
すみません!自己管理がなってない、だめ女ですみませんんん!!
「なら、別にいい」
彼は怒ってないみたいで、少し安心した――のも束の間、
「俺、言ったよね?仕事してもらうからって」
ひぃぃぃい!!
山吹紫苑は、完全ご立腹です。
「瑠架は瑠架でいないしさ」
ぶすり、と頬を膨らます山吹。
どうりで、テレポートで急に現れて巻きついてこないわけです。彼の行動パターンは、もう大体把握しましたよ。
「また逃げたのか」
「嫌なことがあったら逃げるとか、一体何歳なんだよ」
木ノ内燈眞は、仏頂面のまま少しイライラとした声を出し、安斎柚生はそれに頷く。
ちょっと思ってましたけど、仲いいよね、この2人。
一見、正反対なのに。
「……どうしようかな」
人差し指を唇の辺りでさまよわせながら、山吹紫苑は悩む仕草をする。
う。
なんでしょう。
爪くらいなら、もう覚悟はばっちりなんですが、私の爪とかいりませんかね?
「…しょうがないよね。来なかった萩原さんが、悪いんだよ?」
何か思い立ったらしい山吹紫苑は、にや、と悪い微笑みを浮かべた。
なんだか、デンジャラスパーソンさが増したね、山吹よ。
そして、彼は、ほんとはもっと初歩的な仕事からやってもらうはずだったんだけど、と前置きをして。
言った。
「しょうがないから、萩原さんには族の撲滅に行ってもらいます!」
「えっ!」
「何か文句でも?」
「いえっ!」
あんな顔で睨まれて、文句など言えるわけない。思わず、即答で否定である。
無言の圧力を感じたゼ☆
ビンビンとなっ!
そうです、私がチキンです。
「といっても、今日は主に見学をしてもらうつもりなんだ。俺らが普段、どんな風に仕事をしてるか知ってもらって、それから、生徒会の責務についてのさらなる理解を得ていただこうかな、と」
……左様ですか。
私が生徒会について、全く理解を示していない、つまり、その仕事内容を訝しんでいて、あまり協力的でないこともお見通しなので御座いますね、生徒会長様。
ますます怖いぜ、山吹紫苑。
「というわけで、一応萩原さんは、副会長の代理みたいな感じで生徒会に入れたから、瑠架の仕事を見学させたかったんだけど。その瑠架がいないんだよね」
「そうですね…。どこに行かれたんですか?」
ちょっと疑問に思ったので、問いかけると。
「家に帰ったんじゃないか」
「すでに帰ったな、きっと」
「もう帰ったんだと思うよ」
木ノ内燈眞、安斎柚生、山吹紫苑が同時に言う。
あ、帰ったんだ…。
なんか、やっぱりフリーダムなんだな、あの人。
「……呼んでくるのも面倒くせぇな」
疲れたように言う安斎柚生。
なんだかあなた、苦労してそうですね。
私が秘書になると決まったときも、仕事が楽になるってすごい期待してましたもんね。
「…ああ」
頷く木ノ内燈眞。
あなたは、案外無口ですよね。奇抜な赤色の髪の毛をしていながら。
「だから、俺について来てもらおうかな」
と、山吹紫苑。
あなたは、柔らかな物腰で、さらりと言ってはいけない事をさらりと言ってのけますよね。
ですから、私はそれを咀嚼するのに時間がかかっ…て……
…………。
…なんですと!
山吹紫苑と仕事だって!?
いやー、あの、いきなりデンジャラスパーソンその壱と2人きりっつうのは、荷が重いっつうか、なんつうか…っ!
「俺、平和主義だから安心してよ」
にこ、ときれいな顔を崩して笑った山吹紫苑に、私は言い知れぬ不安を抱いた。
「こりゃ、トラウマになるんじゃないか?」
「否定はしない」
安斎柚生と木ノ内燈眞がそう囁いているのが聞こえて、私の不安はますます肥大化した。