柚生 2
「こちらですわ」
日本庭園を臨む長い日本家屋の廊下を進み、その最奥で山城さんは振り向いた。
ごくり。
生唾を飲み込む。
ああー、逃げ出したいなあー。でもなあー、スキなさすぎだよ安斎!!
ちらりと盗み見た安斎の表情は、やる気に満ちていた。どうして。怖い。
「ありがとうございます」
ぺこ、と軽く会釈して、安斎はふすまを開ける。
きゃああああ!はやい!はやいよおおお!もうちょっとなんかこう、こう、ためみたいなもんはないの!?ため!ため大事だよ!!
「頑張ってくださいね。本日は私も後ろで見守っていますから」
優しい言葉をかけてくれた山城さんに、思わず涙が零れ落ちるところだった。
意を決して、ざわざわとうるさい部屋に踏み入る。しかし、安斎が入った瞬間、そのざわめきはピタリと止まった。
おお?ん?なんだなんだ?
今回楽なんじゃないの?
ばらばらと立ち上がった皆様に、安斎は口元だけで微笑んだ。たぶん。あれは、目が笑ってなかった。なんでだか知らないけれど。
「はじめまして」
軽く挨拶をして、この間私が締め上げたオジサマと握手を交わしている。いつの間に。
「どうぞ、おかけになってください」
安斎がまろやかな声でそう言うと、皆様は畳にあぐらをかいた。
私も安斎の隣に座る。
「セレスティナ生徒会会計安斎柚生と申します。これから、山城組で働いてもらうに従っての注意などを説明したいと思います。オリエンテーションみたいなものですね」
安斎の声にめんどくせぇな、なんて言う副生音が入った気がした。
ん?
「まず、こちらの書類ですね。これはコピーですけど、皆様の組長の秋元さんに捺印してもらったものです。ここの内容を皆さんに配りますので、目を通しておいてください」
なんか適当だなあ。
ん?何でこっちを見ている安斎?
え?配れ?
これをか?この"俺的教育方法☆~トラウマ編~"をか??
え?違う?
その下?
安斎が視線で訴えてくる内容をどうにかこうにか解釈して、"俺的教育方法☆~トラウマ編~"を……って、長いんだよ題名!
……こほん、まあそれはともかく、道理で分厚いし、たくさんあるなあとと思った。トラウマ編どんだけトラウマ植え付ける気だよと思った。よかった。下にまだ書類があったのね。ほんとによかった。明日から、どうやって佐久良と話していいかわからなかったよ。
ちらっと見えた"俺的教育方法☆~言葉攻め編~ 著:山吹紫苑"、"俺的教育方法☆~火あぶり編~ 著:木ノ内燈眞"は見なかったことにする。
何気に、火あぶり編が1番怖い。
これ絶対、能力使うパターンだよね!?
木ノ内怖い!!怖いよ!!
と、とにかく、早くやれよって睨んでくる安斎が今のとこわりと怖いので、ヤクザ様たちにプリントを配りたいと思います。
「えーと、足りないとこはありませんかー?」
「あ、こっち二枚足りないです」
「はーい。じゃあこれ、後ろへ回して下さい」
「はーい」
……。
…………。
え、なにこれ。なにこれ!?
中学校かッッ!!!
何この和やかな雰囲気!?
逆に怖いんですけど!!
ビビってる私とは真逆に、安斎はまたふぁあ、と欠伸をした。
「秋元組の皆さんは、ばらばらに各地域に飛ばします。ですから、秋元さんたち…幹部かな?8人は、脱走を図っていたようですが…、無理でしょうね。到底1人や2人じゃ逃げれません。諦めてくださいね。それから、えーと、秋元組も内部分裂があるんですかね?笹山さんところが今夜反乱起こして逃げようとしてるみたいですけども、蘭さんけっこう怖いのでやめておいたほうがいいと思います。失敗したら、地下牢で芋の皮むきとかさせられますので」
「あら、ご存知ですのね?ふふ、やっぱり安斎様は怖いわあー」
ころころと笑う山城さん。綺麗なだけじゃないのですね!強いのですね!!
じ ゃ な く て !!
なにその情報!
あー、そっか、こいつ、
…精神干渉系の能力だったなー。
……。
こわっ!!
なに!?干渉ってなに!?
その言い方なんでもありじゃね!?
何気に最強じゃね!?
こわっ!こわいわー!!
「……うーん、いい感じにテンパってるようですので、説明しときます」
動揺してるようには、あまり見えない皆さんに、安斎は言った。
また、めんどくせぇな、って聞こえた気がした。
「俺は、精神干渉系の能力が使えます。ですので、皆さんの考えてることはそこそこ筒抜けです。触った相手なら、過去のこととか全部わかります」
こわっ!!!!
握手してたのそれか!
「疲れるので普段は使ってないから安心して」
ちら、と安斎が流し目をくれた。
あ、当たり前だっっ!!
殺し屋の過去が筒抜けでたまるかっ!
てか、それやめろって言ってんだろ!
なんか色気出てんだよ!
「だから、あんたたちがしようとすることわかるんだよな」
また、ふぁあ、と安斎は欠伸をした。
口調が戻っている。
疲れたのか?
「もうばらばらになるなら、今のうちに逃げようと思った人もいるけど、山城組も居心地いいと思うので、頑張ってみたらどうですかね」
「い、いやだっ!」
おお?
突然、後ろの方で、1人が立ち上がるのが見えた。
「俺はっ!こんな下っ端いやだっ!奴隷なんていやだっ!」
「やだやだうるせぇよ。ガキかてめぇは。…あ。いや、えーと、下っ端なのはみんな同じだろ。努力もせず、きたねぇことして甘い汁吸ってた今まで分、頑張らねぇとだめだろ。反省して真面目に働け」
「い、いやだいやだ!秋元さん!逃げましょうよ!俺はっ、」
「ここで信頼を得れば、もちろん山城の幹部にだってなれますわよ?」
「だそうだぞ。はーあ、あんた、奥さんがいるのか?」
「ひっ、」
「なら、むしろ今までの自分を恥じるべきだろ。顔向けできねえのは今までのてめえだ。きたねぇことして一般人が汗水垂らして稼いだ金を搾り取って、そんな後ろ暗い金で妻を養ってきたことを恥じろ。これからちゃんと働くんだから、収入が減ろうがなんだろうが、どや顔で帰れ。それに理解がねえ女なら別れな」
なんだ?これ誰だ?
めっちゃいいこと言ってんじゃん!!
「大人しくしてればいい訳じゃねえし、いうこときいてればいいわけでもねえ。そうして従ってれば山城さんを騙せるなんて思ってもいけねえ。でも、きみたちの中には根っからの悪者はいないから大丈夫だろ。だから安心して働けよ。山城では、てめえらの努力は報われる。昔の社会とは違って」
やる気なさげに言いつつ、安斎は手元の紙に何やら書き留めている。
気になる。けど、それより、いいこと言ってるこいつが怖い!
セレスティナに染まったか知らんが、いいこと言ってる奴が特に怖いよね。裏がありそうよね。信じられないよね。
まあ、安斎の普段の様子が悪過ぎるのがいけないよね。
「君たちには出来る!」
安斎はいきなり立ち上がった。
おお?びびったあ。
「今まで社会不適合者として、強がって生きてきたところもあるだろう。当たり前だと思いながらも、妻や子供に暗い金でしか食わせてやれないことに後ろめたさを感じていたところもあるだろう。けれど、君たちは生まれ変われる。辛いこともあるだろうが、君たちはこれから人のために役に立つことができる。君たちは、必要とされてる」
わたしは、目の前が潤むのがわかった。
泣きそうだ。
----------怖すぎて。
慄いた。泣く。怖い。
こいつのほうが二重人格だろ!
政治演説かのような安斎の綺麗事に、空気が変わるのがわかった。
え。ほだされてんの!?
悪い男!悪い男だわこの子!
こうやって、みんな騙されて行くのね!
私は儚むわ!
世の中を儚むわ!
「ほら、立てよ!」
安斎が言った。
ぞろぞろと皆様が立ち上がる。
「俺たちは出来る!ほら!」
「「「お、俺たちは出来る」」」
「俺たちは出来る!」
「「「俺たちは出来る」」」
「俺たちは出来る!」
「「「俺たちは出来る!」」」
「俺たちは出来る!」
「「「俺たちは出来る!!」」」
おおおおおっ!
と、盛り上がる皆様方。
なんだなんだこれは!
宗教じゃねえか!
洗脳だよ!
むしろどんどん不安なった私は、それが後々正解だったことを知る。
やる気に満ちた彼らを部屋に残して、私たちがそこを立ち去った後。
「望む言葉をかけてやるのも大変だよなあ」
なんて、ふぁぁあ、と長めのあくびをした安斎の言葉に、わたしは、わたしは、心の底から戦慄した。
「あ、蘭さん。これ、危険人物と、ちゃんと働いてくれそうな人物のリストです。参考までに」
何やら書いていると思ったら、それだったのか!
こいつ……で、できる!
あれもこれも全部計算なのか?
それで、全員の心に踏み込んで、無意識のうち欲しがっていた言葉をかけて鼓舞し、まとめ上げ、しかし、甘い汁を吸いすぎて心根が腐り切った奴はリストを作って山城さんに渡し、注意を促す。
で、できるっ!!
できるぅぅうう怖いいいい!!