「いじめていたのは君だろう」と名指しされましたが、私、今日が初登校です
「リリアーナをいじめていたのは君だろう、エルナ・ヴァイス!」
大広間の空気が、その一声で凍りに凍りついた。
昼食会のために並べられた長卓のあいだを、この国、ローゼンベルク王国の王太子ジェラルド殿下がまっすぐにこちらへ歩いてくる。
その腕には、焦げ茶色の髪の小柄な令嬢がしがみついていた。
ジェラルド殿下の指先は、間違いなく私を指している。
私は手にしていた紅茶のカップを、そっと受け皿に戻した。
「……恐れ入りますが、殿下」
「言い逃れはできまい、エルナ・ヴァイス。リリアーナがどれほど泣いたか、君にわかるか!」
「いえ、わかりません。わかるはずがないのです」
正直に答えると、周囲がざわついた。
泣いた令嬢を前にして、なんと冷たい女だろうと思われたらしい。
けれど、それが理由ではない。
「——私、今日が初登校ですので」
◇
ざわめきが、ぴたりと止まった。
ジェラルドは一瞬だけ眉を寄せ、それから鼻で笑う。
「はっ! くだらない冗談だ。君がリリアーナ嬢をいじめていたことは、彼女自身が証言しているのだからな! そうだろ、リリアーナ嬢?」
「え、えぇ……もちろん、この目ではっきりと見ましたもの!」
リリアーナはジェラルドの腕にしがみついたまま、何度も頷いた。
「嘘ではございません。今朝、学院長室で編入の手続きを済ませたばかりですもの。この大広間に足を踏み入れたのも、今が初めてです」
私は、ジェラルドの腕にしがみつく令嬢へと目を向けた。
「失礼ですが、そちらの方がリリアーナ様でいらっしゃいますか?」
令嬢の肩が、びくりと跳ねた。
「えぇ、そうよ?」
「私、そちらの方のお顔を、今はじめて拝見いたしましたけど」
ジェラルドの手には、折りたたまれた紙片が握られていた。
端から覗いている書式には見覚えがある。
今朝、私が学院長室で署名した編入生名簿の写しと、今日の昼食会の席次だ。
ああ、と私は小さく息をついた。
「殿下。ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「殿下は、私の顔をご存じでしたか」
「……それがどうした」
「私の名を呼ばれたとき、殿下は私ではなく、席次が記されたその紙をご覧になっていました。それから広間を見回されて、ようやく私を見つけられたようですが」
ジェラルドの指が、紙片をくしゃりと握りつぶした。
「虐めの犯人を探して私に辿り着かれたのなら、顔をご存じのはずです。けれど殿下は、名前しかご存じなかったようで」
私は首を傾げてみせた。
そして、手を叩いた。
「あぁ、なるほど! 殿下は犯人を探されたのではなく、犯人役を探されたのですね」
「黙れ! 何を言う!」
ジェラルドの声が、高い天井に跳ね返った。
「ヴァイス男爵家など聞いたこともない。後ろ盾もない田舎の娘の言葉を、誰が信じるというのだ」
家格が低く、後ろ盾がなく、誰も庇わない娘。
それが、きっと名簿の中から私が選ばれた理由だろう。
「なるほど。よくわかりました」
私は膝の上で手を重ねた。
ヴァイスというのは、母方の遠縁から借りた家名だ。
名簿のどこを探しても、私の本当の名は載っていない。
——隣国ルーヴェンの第二王女、エルネスティーネ・ルーヴェン。
それを口にすれば、この場は一言で終わることだろう。
けれど、それでは意味がない。
身分で黙らせたところで、殿下は「相手が悪かった」と思うだけだ。
私が潔白だったことにはならず、ただ偉かったことになる。
一学生として学ぶと決めて、この国へ来たのだ。
ならば一学生として、自分の潔白くらい自分で証明しよう。
「殿下。リリアーナ様がいじめを受けたのは、いつのことでしょう」
「……は?」
「は……ではありません。日付ですよ、日付。まさか、日付も確かめずに断罪なさったわけではありませんわよね」
ジェラルドは苛立たしげに、懐から別の紙を取り出した。
リリアーナの訴えを一語一句、書き留めたものらしい。
「今月の十日、教科書を破られた。二十日、ドレスにインクをかけられた。そして三日前、中庭の噴水に突き落とされた」
「ありがとうございます」
私は一度だけ頷いた。
「まず、私がこの国に入ったのは、昨日の夕刻です」
「その証拠は……」
誰かが、息を呑む音がした。
「国境の関所に入国の記録が残っているはずですわ。今月の十日も、二十日も、三日前も、私は国境の向こうにおりました」
「ならば、手の者にやらせたのだろう!」
ジェラルドは間髪を容れずに言い返した。
予想どおりの返答だった。
私は彼ではなく、リリアーナのほうへ向き直る。
「ですが——先ほどの殿下の証言では、リリアーナ様本人が、私がいじめていた所を見たと?」
「あ……」
私はゆっくりと言った。
「殿下は、手の者がやったと仰る。リリアーナ様は、私本人を見たと仰る。さて、どちらが本当なのでしょうか?」
ジェラルドが、腕の中の恋人を見下ろした。
リリアーナの顔から、さっと血の気が引いていく。
リリアーナは殿下の袖を握りしめ、震える声で答えた。
「ち、違うの。暗くて、よく見えなくて……」
「先ほどは、はっきり見たと?」
「それは……!」
言葉が続かない。
私は、今朝のことを思い出していた。
学院長室へ向かう途中、中庭を通り抜けた時のことだ。
「もうひとつ。三日前、噴水に突き落とされたと仰いましたね」
「そ、そうよ。ずぶ濡れになって、殿下が上着をかけてくださって……」
「今朝、中庭を通りました。噴水は水が抜かれて、周りに足場が組まれておりましたわ」
リリアーナの唇が、半開きのまま固まった。
「気になったので、石工の方に伺いましたら、五日前から修繕中だとか。私に突き落とされた、らしいですが……水のない噴水で、どうやってずぶ濡れになられたのでしょう?」
広間の隅で、何人かの生徒が顔を見合わせた。
中庭を毎日通る彼らなら、知っているはずのことだ。
「嘘よ、そんなの……! 殿下、この人の言うことなんて」
「あぁ、心配はいらぬ、リリアーナ。証拠ならもっとある」
ジェラルドが、半ば意地になったように声を張った。
側近の青年に目配せし、一冊の本を卓上へ放らせる。
表紙の外れかけた、ぼろぼろの教科書だった。
頁は乱暴に破られ、余白には大きく「消えろ。E・Vより」と書き殴られている。
「名前の頭文字を教科書に書くとは何とも悪質で大胆な行動に出たものだ。E・Vという頭文字、これはこの学院でお前にしか当てはまらないんだよ! この悪行を見ても、まだしらを切るつもりか!」
私はその文字に目を落とした。
どこのいじめっ子が自ら証拠を残すような真似をするだろうか。
と言っても、無駄だろう。
それよりも。
「——珍しい色のインクですわね」
深い紫だった。
光の加減で、わずかに赤みを帯びて見える。
そのとき、近くの卓にいた令嬢が、おずおずと口を開いた。
「あの……その紫のインク、リリアーナ様が特別に取り寄せていらっしゃるものでは……」
リリアーナが、弾かれたように振り返った。
「確かに、私たちに何度も、自慢していらしてましたよね。この国では、ほかに誰も持っていないって」
別の令嬢が、広間の隣の教室を指差した。
開いた扉の向こうに、リリアーナの席が見える。
そこには、紫の小瓶と、揃いの色の羽根ペンが置かれたままになっていた。
沈黙が、広間を覆った。
ジェラルドは教科書の文字と、恋人の筆記具とを、何度も見比べた。
それから、信じられないものを見るような目で、腕の中の令嬢を見下ろした。
「リリアーナ……?」
「だって」
リリアーナの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
この涙は、たぶん本物だ。
「だって殿下は、かわいそうな子にしか優しくしてくださらないじゃない……!」
教科書を破ったのも、ドレスを汚したのも、自分だった。
犯人の名前を訊かれても、答えられるはずがなかった。
だから「怖くて言えない」と泣いたのだ。
そしてリリアーナは、名簿の中から一番都合のいい名前を選んだ。
ジェラルドもちゃんとそれを調べずに、私の告発をすることにした。
王家の人間にしては、大層、身勝手がすぎる気もするが。
「……以上で、私の潔白は証明できたかと存じます」
私が静かに告げると、殿下は何か言おうとして、何も言えずに口を閉じた。
そのとき、大広間の扉が大きく開かれた。
入ってきたのは、銀の甲冑に青い外套を纏った騎士たちだった。
外套の背には、双頭の鷲の紋章。
隣国ルーヴェン王家の近衛騎士団だ。
先頭の騎士が、広間の生徒たちには目もくれず、まっすぐ私の前まで進み出た。
そして、床に片膝をつく。
「エルネスティーネ王女様。遅参いたしました。国王陛下より、学院長殿への正式な書状をお持ちいたしました」
「ちょっと、本名は隠してって……!」
「も、申し訳ありません、王女様!!」
広間中の視線が、私に突き刺さった。
「おう、じょ……?」
ジェラルドのかすれた声が聞こえた。
(できれば、身分は明かさずにいたかったのだけれど……)
とはいえ、このまま隠し通したところで、いずれは露見するだろう。
そのとき余計な騒ぎになるくらいなら、今この場で明かすのが一番いいのかもしれない。
これだけのことが起きたのだ。父が黙っているはずもないし、近衛もそれを承知のうえだろう。
(……まったく、白々しい演技なこと)
「国家間の面倒ごとを避けるためにも隠し通すつもりでしたのに……こうなれば、仕方ありませんわね。ヴァイスは、母方の遠縁の家名です。一学生として学びたく、身分は伏せておりましたの」
私は立ち上がり、ドレスの裾を整えた。
ジェラルドの顔色は、もはや青を通り越して白かった。
留学初日の隣国の王女を、公衆の面前で、でっち上げの罪で断罪したのだ。
しかも、恋人の自作自演を真に受けて。
冤罪と、外交問題。
どちらか一方でも十分すぎるほどなのに、殿下はその両方を、自らの手で積み上げてしまった。
財政難にあえぐローゼンベルク王国を、我がルーヴェンが支える。
そのための条約が、近く両国の間で結ばれる予定だった。
私の留学は、その友好の証でもあったのに。
殿下は、自分の国に差し伸べられた手を、自ら払いのけたのだ。
背後で、側近の青年が崩れるように膝をついた。
リリアーナは、もう泣くことすら忘れているようだった。
私は殿下に向き直り、優雅に一礼した。
「学生同士のお話は、これでおしまいですわ。ここから先は、国と国とのお話になりますわね」
(了)
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