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日常の崩壊(Fractured Line)



 


 翌朝。


 龍は泥の中で目を覚ましたような感覚に包まれていた。

 寝ても疲れは取れず、

 むしろ胸の痛みは昨日より重く、鋭くなっている。


 息を吸うたび

 ギシ……ギシ……

 と胸の奥で何かが軋むような音がした。


(……もう48時間以内の“残り時間”が減ってる感じ……

 屋上の死……迫ってる……)


 未来は待ってくれない。


 大学へ向かう途中、

 いつもの通学路のはずなのに

 どこか“違う空気”が漂っていた。


 静かすぎる。

 風の音も、車の音も、妙に薄い。


 そして──

 通学路の先に見える建物の屋上の柵が、

 なぜか“揺れているように”見えた。


(……あれ……昨日のログの屋上と……似てないか……?)


 龍は立ち止まった。


 数秒後。


「龍?」

振り返ると、蓮がいた。


「お前……また顔色ヤバいぞ」


「寝れねぇんだよ……

 未来の死の痛みで……」


 蓮は龍の肩を支えながら言った。


「今日、俺……ずっと一緒にいる」


「いや蓮、その……」


「一緒にいなきゃ“屋上に行くな”って監視できねぇだろ」


 否定できなかった。


 講義室へ向かう途中。


 龍はふと、階段の上に“人”が立っているのを見た。

 ただの学生──に見えた。


 だがその影が、

 光の角度と関係なく“揺れていなかった”。


(……まただ……

 昨日の非常階段と同じ……

 影が……揺れてねぇ……)


 龍は足を止めた。

 蓮が気づく。


「龍……どうした?」


「いや……なんでも……」


 龍は頭を振って歩き出す。

 でも蓮は“気づいていた”。

 龍が何かに怯えていることを。


 午前中の講義。


 龍がノートをとろうとして手を動かした瞬間、

 ペンが勝手に机の端へ転がった。


(落ちる……!?)


 龍は反射的に手を伸ばす。

 その時、

 ペンが落ちた場所の下が“階段の踊り場”だったことに気づく。


(……あぶねぇ……

 さっきここで拾おうとして身を乗り出してたら……

 転んで……)


 蓮がすぐ横からペンを拾い、

 静かに龍の前に置いた。


「……龍。

 これ、偶然じゃねぇだろ」


「……分かってる」


「“落ちる未来”に向けて

 世界が手を貸してきてるみたいだぞ」


「……そういう感じだ」


 言葉にすると怖すぎた。

 でも否定できなかった。


 昼休み。


 龍と蓮はコンビニへ行こうと校舎を出る。


 そのとき──


“カラスの群れが突然飛び立つ音”

が鳴り響き、

龍の頭に一瞬だけ、屋上で風に煽られる“記憶”が蘇った。


(……ログの断片……?

 いや違う……

 誘導だ……)


「龍、大丈夫か!?」


「……なんでもねぇ……

 ただ……胸が……」


 胸に鋭い痛みが走る。

 ログの映像がうっすら重なった。


 コンビニの前。


 龍が扉を開けようとした瞬間、

 蓮のスマホが勝手に震えた。


「ん……?

 誰からも通知来てねぇのに……」


 画面が一瞬だけノイズを走らせる。


ピ──……ガガッ……


「またかよ……昨日から調子悪いな俺のスマホ」


 蓮自身は気にしていない。

 けれど龍には

 そのノイズが“屋上の死の直前の風の音”に似ていた。


(……蓮まで……少しずつ……

 “近づいてる”……?)


 本来蓮は死なない存在。

 ログも来ない。

 けど……

 蓮の周りにも異常が混じり始めている。


 それが逆に違和感を生んでいた。


 午後。

 二人は図書館へ向かった。


 静かな館内。

 本棚の奥のスペースに入ろうとした瞬間、

 龍はふと気づく。


(……ここ……

 屋上のログ……

 “死ぬ直前の視界”と同じ角度じゃねぇか……?)


 視界──

 光の当たり方──

 本棚の影の位置──

 自分の目線の高さ──


 全部、ログの“落下直前の視界”と似ている。


「龍?」


 蓮が声をかける。


「……ログの視界と似てんだ。ここ」


「マジかよ……」


「偶然じゃねぇ……

 日常の景色に……ログの断片が重なるようになってきてる……」


「龍、もう……

 “現実”と“未来の死”の区別がつかなくなり始めてんじゃねぇか……?」


「……かもな」


 館内の奥へ進むと、

 「屋上立ち入り禁止」の張り紙が落ちていた。


(屋上……

 “禁止”の文字さえ誘導に見える……)


 蓮が拾い、

 静かに言った。


「なぁ龍……

 今日……お前、何度屋上って言った?」


「……分かんねぇ」


「多分だけど……

 “行くつもりはない”って言い続けてるくせに……

 ずっと屋上のこと考えてねぇか?」


 図星だった。


「……誘導されてんだよ、龍。

 行かされようとしてる」


 龍は膝が震えるのを感じた。


 夕方──

 大学の下駐輪場の横を歩いている時。


 龍はふと、

 上を見上げてしまった。


 全く無意識だった。


 見上げた先には──

 大学本館の屋上の縁があった。


 そこに“誰か”が立っていたような気がした。


 人の影のような。

 影じゃないような。


(……やばい……

 本気で日常に侵食してきてる……

 意識が勝手に上を向く……

 誘導が強くなってる……)


「龍!」


 蓮が腕を掴んだ。


「見んな!

 上を見たら……

 引っ張られる気がする!」


「……ああ……やべぇ……

 意志が……持たねぇ……」


 龍の足が、階段の方へ勝手に向かいそうになる。


 まるで“屋上が近づけ”と言っているように。


 蓮は龍の肩を掴み、

 真剣な声で言った。


「龍。

 今日……もう完全におかしい。

 世界そのものが……

 “お前の死に向けて整えてきてる”。」


 龍は言った。


「蓮……

 これ……

 俺の意志じゃ止められねぇかもしれねぇ……」


「なら俺が止める。

 絶対に一緒にいるからな」


 その言葉を聞いた瞬間、

 龍の胸がまた痛んだ。


(……蓮……

 お前は……死なねぇ……

 本来絶対に死なない存在……

 でも一緒にいたら……

 “歪む”……)


 そう思った時、

 世界が一瞬だけ暗転した。


 街灯が一斉に“バチッ”と音を立てて消える。


(っ……!)


 風の音だけが、

 屋上の方から吹き降りるように聞こえた。


 蓮も息を呑んで空を見る。


「龍……

 これ……本格的に来てるぞ……

 もう……日常じゃねぇ……」


 


日常と異常の境界が

完全に壊れた瞬間だった。

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