日常の崩壊(Fractured Line)
◇
翌朝。
龍は泥の中で目を覚ましたような感覚に包まれていた。
寝ても疲れは取れず、
むしろ胸の痛みは昨日より重く、鋭くなっている。
息を吸うたび
ギシ……ギシ……
と胸の奥で何かが軋むような音がした。
(……もう48時間以内の“残り時間”が減ってる感じ……
屋上の死……迫ってる……)
未来は待ってくれない。
◇
大学へ向かう途中、
いつもの通学路のはずなのに
どこか“違う空気”が漂っていた。
静かすぎる。
風の音も、車の音も、妙に薄い。
そして──
通学路の先に見える建物の屋上の柵が、
なぜか“揺れているように”見えた。
(……あれ……昨日のログの屋上と……似てないか……?)
龍は立ち止まった。
数秒後。
「龍?」
振り返ると、蓮がいた。
「お前……また顔色ヤバいぞ」
「寝れねぇんだよ……
未来の死の痛みで……」
蓮は龍の肩を支えながら言った。
「今日、俺……ずっと一緒にいる」
「いや蓮、その……」
「一緒にいなきゃ“屋上に行くな”って監視できねぇだろ」
否定できなかった。
◇
講義室へ向かう途中。
龍はふと、階段の上に“人”が立っているのを見た。
ただの学生──に見えた。
だがその影が、
光の角度と関係なく“揺れていなかった”。
(……まただ……
昨日の非常階段と同じ……
影が……揺れてねぇ……)
龍は足を止めた。
蓮が気づく。
「龍……どうした?」
「いや……なんでも……」
龍は頭を振って歩き出す。
でも蓮は“気づいていた”。
龍が何かに怯えていることを。
◇
午前中の講義。
龍がノートをとろうとして手を動かした瞬間、
ペンが勝手に机の端へ転がった。
(落ちる……!?)
龍は反射的に手を伸ばす。
その時、
ペンが落ちた場所の下が“階段の踊り場”だったことに気づく。
(……あぶねぇ……
さっきここで拾おうとして身を乗り出してたら……
転んで……)
蓮がすぐ横からペンを拾い、
静かに龍の前に置いた。
「……龍。
これ、偶然じゃねぇだろ」
「……分かってる」
「“落ちる未来”に向けて
世界が手を貸してきてるみたいだぞ」
「……そういう感じだ」
言葉にすると怖すぎた。
でも否定できなかった。
◇
昼休み。
龍と蓮はコンビニへ行こうと校舎を出る。
そのとき──
“カラスの群れが突然飛び立つ音”
が鳴り響き、
龍の頭に一瞬だけ、屋上で風に煽られる“記憶”が蘇った。
(……ログの断片……?
いや違う……
誘導だ……)
「龍、大丈夫か!?」
「……なんでもねぇ……
ただ……胸が……」
胸に鋭い痛みが走る。
ログの映像がうっすら重なった。
◇
コンビニの前。
龍が扉を開けようとした瞬間、
蓮のスマホが勝手に震えた。
「ん……?
誰からも通知来てねぇのに……」
画面が一瞬だけノイズを走らせる。
ピ──……ガガッ……
「またかよ……昨日から調子悪いな俺のスマホ」
蓮自身は気にしていない。
けれど龍には
そのノイズが“屋上の死の直前の風の音”に似ていた。
(……蓮まで……少しずつ……
“近づいてる”……?)
本来蓮は死なない存在。
ログも来ない。
けど……
蓮の周りにも異常が混じり始めている。
それが逆に違和感を生んでいた。
◇
午後。
二人は図書館へ向かった。
静かな館内。
本棚の奥のスペースに入ろうとした瞬間、
龍はふと気づく。
(……ここ……
屋上のログ……
“死ぬ直前の視界”と同じ角度じゃねぇか……?)
視界──
光の当たり方──
本棚の影の位置──
自分の目線の高さ──
全部、ログの“落下直前の視界”と似ている。
「龍?」
蓮が声をかける。
「……ログの視界と似てんだ。ここ」
「マジかよ……」
「偶然じゃねぇ……
日常の景色に……ログの断片が重なるようになってきてる……」
「龍、もう……
“現実”と“未来の死”の区別がつかなくなり始めてんじゃねぇか……?」
「……かもな」
◇
館内の奥へ進むと、
「屋上立ち入り禁止」の張り紙が落ちていた。
(屋上……
“禁止”の文字さえ誘導に見える……)
蓮が拾い、
静かに言った。
「なぁ龍……
今日……お前、何度屋上って言った?」
「……分かんねぇ」
「多分だけど……
“行くつもりはない”って言い続けてるくせに……
ずっと屋上のこと考えてねぇか?」
図星だった。
「……誘導されてんだよ、龍。
行かされようとしてる」
龍は膝が震えるのを感じた。
◇
夕方──
大学の下駐輪場の横を歩いている時。
龍はふと、
上を見上げてしまった。
全く無意識だった。
見上げた先には──
大学本館の屋上の縁があった。
そこに“誰か”が立っていたような気がした。
人の影のような。
影じゃないような。
(……やばい……
本気で日常に侵食してきてる……
意識が勝手に上を向く……
誘導が強くなってる……)
「龍!」
蓮が腕を掴んだ。
「見んな!
上を見たら……
引っ張られる気がする!」
「……ああ……やべぇ……
意志が……持たねぇ……」
龍の足が、階段の方へ勝手に向かいそうになる。
まるで“屋上が近づけ”と言っているように。
◇
蓮は龍の肩を掴み、
真剣な声で言った。
「龍。
今日……もう完全におかしい。
世界そのものが……
“お前の死に向けて整えてきてる”。」
龍は言った。
「蓮……
これ……
俺の意志じゃ止められねぇかもしれねぇ……」
「なら俺が止める。
絶対に一緒にいるからな」
その言葉を聞いた瞬間、
龍の胸がまた痛んだ。
(……蓮……
お前は……死なねぇ……
本来絶対に死なない存在……
でも一緒にいたら……
“歪む”……)
そう思った時、
世界が一瞬だけ暗転した。
街灯が一斉に“バチッ”と音を立てて消える。
(っ……!)
風の音だけが、
屋上の方から吹き降りるように聞こえた。
蓮も息を呑んで空を見る。
「龍……
これ……本格的に来てるぞ……
もう……日常じゃねぇ……」
日常と異常の境界が
完全に壊れた瞬間だった。




