第2話
◇
龍は家に転がり込むようにしてドアを閉めた。
鍵を回す音すら、やけに大きく響いた。
さっきまでの出来事が、頭の裏側でぐるぐる回り続ける。
未来の死体。
胸を貫く痛み。
48時間のカウント。
逃げても、別の死が更新される。
(……なんなんだよ……マジでもう無理だろ……)
靴を脱ぎ捨て、玄関に座り込んだ。
心臓の鼓動が早すぎて、息が追いつかない。
胸に触れると、刺された場所がうっすら熱い。
それが現実だと無理やり確かめさせられる。
無理やり立ち上がって、
龍はフラつきながら部屋の電気をつけた──その瞬間。
「……は……?」
そこに“倒れていた”。
テーブル横の床で、うつ伏せの“自分自身の死体”が。
さっきビルで見たものとは違う。
後頭部が割れ、血が広がっている。
まだ乾いていない。
さっき落ちてきたみたいな、生々しい死体だった。
「……なんで……家に……?」
背筋が凍った。
家の中は閉ざされた空間。
外から運び込まれるはずがない。
“未来の死体が空間に落ちてくる”
そんな悪夢みたいな仮説が頭をよぎる。
震える足で、ゆっくり近づく。
胸がまた痛む。
「……触れたくねぇ……けど……触れねぇと……」
死体に指が触れた瞬間──
脳内に映像が流れ込む。
◇
今度の死は──“室内”。
狭い空間。
蒸気がこもった空気。
薄暗い照明。
乾燥したカビの匂い。
(……これ、俺の部屋じゃねぇ……)
背後で、あの足音が響く。
トン……
トン……
トン……
一定で、ゆっくりと、
呼吸も乱れない、ありえない音。
視界が暗転し、
後頭部に重い衝撃。
《48 HOURS REMAIN》
機械のような文字が浮かぶ。
◇
「……くそ……っ……」
龍は思わず手を握りしめた。
手のひらに爪が食い込んでも気づかない。
(ビルの階段の死は避けたのに……
次は屋内で殺される未来……?
なんなんだよ、このループ……)
恐怖と怒りで呼吸が荒くなる。
そのとき──
部屋の隅で“ゆらり”と影が揺れた。
龍は硬直した。
影の形は、人の形をしている。
窓の外の光じゃ、こんな角度にはならない。
照明の位置に対して影が“揺れない”。
(……いる……さっきの……!)
姿は見えないのに、
確実に“そいつがいる”と分かる。
影は一歩だけ近づいてきた。
トン。
その音に、身体が勝手に逃げようとする。
しかし足が震えて動かない。
目をつぶり、必死に呼吸を整えた。
影が完全に消えたのは、何秒後だったか分からない。
◇
翌朝。
ほぼ一睡もできないまま、龍は家を出た。
日光が痛い。
胸の奥の痛みも消えない。
(……蓮に……会おう……)
このままだと、本当に気が狂いそうだった。
◇
蓮と約束したカフェ。
蓮は先に来ていて、龍の顔を見るなり言った。
「お前……今日もっと酷いぞ?寝た?」
「……まぁ、寝れたわけないよな」
蓮はコーヒーを押し出してくれた。
「飲め。カフェイン足りてねぇだろ」
「……ありがとう」
手が震えて、カップが少し揺れた。
「龍、昨日の……あれから、何かあったんだろ?」
「……別に」
「別にって顔じゃねぇよ。
昨日より死にそうな顔してんぞ」
「…………」
喉が詰まった。
本当は叫びたいほど伝えたい。
──家でまた死体を見つけた
──また未来の死が流れ込んだ
──そばに“あいつ”がいた
──48時間後にまた殺される
でも言った瞬間、蓮の人生が狂う気がした。
「……説明できねぇよ……こんなん……」
龍がうつむくと、蓮はゆっくり言った。
「言えないなら、それでいい。
でも、お前が“本当に困ってる顔”してるのだけは分かる」
音もなく胸に刺さる言葉だった。
「……俺は、お前の味方だぞ?」
「……蓮……」
「だから……話せる時に話せ。
無理なら俺はただ隣にいるだけでいい」
その優しさが、
今の龍には一番きつかった。
(……蓮……いつか……巻き込むんだよ……お前を……)
胸の痛みがじんじん広がった。
◇
店を出て歩き出した瞬間、
スマホが軽く震えた。
画面に触れるでもなく、
バイブでも通知でもない。
ただ一瞬、画面がノイズで揺らいだ。
《47:58:12》
幻みたいに、数字が浮かんだ気がした。
(……また、始まってる……)
龍は拳を握りしめた。
──48時間以内に、この“室内の死”を避けなきゃならない。
でもヒントが少なすぎる……どうすりゃいいんだよ……!
◇
蓮と別れたあと、夕暮れの街を歩きながら、
龍の胸はずっと熱を持っていた。
未来ログの“室内”の断片。
蒸気の音。
カビ臭。
薄い照明。
鉄の反響音。
(……あの場所を探さねぇと……
48時間以内に……絶対殺される……)
身体の奥に残る痛みが、
時間の減少を知らせる“警告音”みたいだった。
◇
自宅へ続く大通りを曲がって、
住宅街に入った瞬間だった。
背後で、**トン……トン……**と足音が響いた。
昨日と同じ。
均一で、乱れなく、呼吸の音も混じらない異様な足音。
(やべぇ……来てる……!)
振り返ると──
路地の入り口に、“揺れない影”が立っていた。
形は人間。
でも重力も光の角度も無視したような黒いシルエット。
「……ふざけんな……!」
龍は反射的に走り出した。
◇
住宅街の道を駆け抜け、
細い路地へ飛び込む。
人通りはゼロ。
夕日がほとんど届かない、湿気の多い袋小路。
影の足音は、速度を変えない。
一定で、ゆっくりと、
まるで“確実に追いつける”と知っているような足取り。
(人がいるところに出ないと……でも今戻ったら……!
クソッ……どうすりゃ……!)
龍は焦りで思考が千切れそうだった。
そのとき。
路地の途中に、古いビルの裏口ドアが見えた。
錆びついて半開きになってる。
中は暗闇で、湿った空気が流れてくる。
(隠れるなら……ここしかねぇ……!)
龍は迷う暇もなくドアへ飛び込んだ。
◇
中に入った瞬間──
胸が ギィィッ……! と痛んだ。
「ッ……なんだこれ……!」
呼吸が乱れ、足元がふらつく。
中は想像以上に狭く、蒸し暑かった。
カビ臭と油の匂いが混ざり合い、
壁には古い配管がむき出しになっている。
ボイラー室。
蒸気が、どこかで“シュー……”と漏れている音。
(……この空気……
まさか……!)
未来ログが脳内で再生される。
蒸気。
湿気。
薄暗い。
足音の反響。
天井の低さ。
──全部一致していた。
(……クソ……最悪だ……
逃げ込んだ先が……死ぬ場所……!?)
膝から力が抜けかけた。
影は、
外の路地で止まったまま。
入ってこない。
まるで「ここで待つ必要はない」とでも言うように。
(……分かってんだ……
ここが“俺の死ぬ場所”だって……)
◇
龍は壁に手をつき、
震える息を押さえながら室内を見渡した。
(どうやって殺される……?
後頭部……強い衝撃……
誰がそんなこと……)
そのとき──
背後で ガタンッ! と何かが倒れる音がした。
「ッッ!!!」
反射的に振り返る。
古い鉄のパイプが床に転がっていた。
上を見上げると、配管が緩んでいて、
いつ落ちてもおかしくない状態。
(これか……!?
上から……押し潰される……?
でも……それだけじゃねぇ……)
未来ログでは“衝撃のあと視界が回転した”。
つまり倒されただけじゃない。
(誰かに……投げられた……?
いや、影は入ってこねぇ……
じゃあ何が……)
視界がぐらつく。
胸の痛みが増す。
自分が立ってる位置が、
未来ログの視界の角度と一致していく。
(……あー……終わった……
このままじゃ本当に……)
そのときだった。
「──龍!!」
「っ!?」
入口の方から声が響いた。
蓮の声。
◇
「ここ……だろ……!?
お前が……逃げてきたの……!」
蓮が息を切らしながら姿を見せた。
その瞬間、
(……やばい……巻き込みたくねぇ!!)
龍の身体より先に、心が動いた。
「蓮──来んな!!入るなッ!!」
「なんでだよ!!
お前こんな顔で逃げて……
放っとけるわけねぇだろ!!」
「いいから戻れ!!ここ……危ねぇ!!」
蓮は一歩踏み込もうとした。
その瞬間、天井のパイプが大きく揺れた。
龍は叫んだ。
「蓮ッ!!伏せろッッ!!」
◇
蓮が伏せた瞬間──
ボイラーの圧力計が 破裂した。
轟音。
熱風。
蒸気が一気に吹き出し、視界が真っ白になる。
龍は反射的に飛び退いた。
視界の白の向こうで、
重い鉄パイプが床に落ち、
その衝撃で上から古い鉄板が落ちてきた。
“未来ログの強烈な衝撃”が現実になる寸前だった。
だがギリギリ外れた位置に落ちる。
「……ッッ……助かった……?」
胸の奥の痛みが、少し弱まった。
(未来が……変わった……のか……?)
◇
蒸気が薄れていく中、
龍は蓮のもとへ駆け寄った。
「蓮……怪我ねぇか!!」
「……っ、なんとか……
でも……龍……本当にどうしたんだよ……
こんなん……ただ事じゃねぇだろ……」
「……言えねぇ……」
蓮は歯を食いしばった。
「言えないことがあるのはいい。
でもな──
死にかけてんのに隠されるのは……きついよ。」
その言葉は、
未来のどんな痛みより刺さった。
◇
ボイラー室の奥。
蒸気の白が薄れきった暗闇の中──
“揺れない影”が、
静かにこちらを見ていた。
龍と蓮のどちらにも気づかれない位置で。
次の48時間の“死”を準備しながら。




