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英雄に憧れる青年

 祭りの賑わいが身を引き、静寂に包まれたコーラルの石畳を、重量感のある足音を鳴らしながら叩く者がいた。それも、両の指では数え切れないほどの数。ゾロゾロと足並み合わずに進むその光景は、寝ぼけ眼で見れば、墓場から起き上がった亡者の軍が、先導者の下へと馳せ参じようとしているように見えただろう。

 太陽がその姿を見せるよりも前、コーラルの中央広場には多くの冒険者が集まっていた。皆、背中や腰に得物を携え、それらを振るうのを今か今かと待っている。その中に、赤黒い大剣を古ぼけた合皮の鞘に納めて背負う青年の姿もあった。

 バベルに殴られたあの後、タンゴはオルソから、正規の冒険者ライセンスを受け取った。そして今回のコボルトの森攻略作戦が、正規冒険者として初の冒険となる。

「バベルは……いないよな」

 周囲を見渡すタンゴは、見知った青年の姿がないことに、安堵と寂しさを感じた。平和主義者で心優しい友人が、これから死地へ向かわないのだと。冒険者としての素質を持って生まれたあの男が、今は隣にいてくれないのかと。

 周囲を見渡せば、通りに出ていた屋台や露店に人の姿は見られず、空っぽな店舗だけが訪れる事のない客を寒々しそうに待ち続けていた。まだ営業時間ではないので人がいないのは当たり前なのだが、今日あれらの上に商品が広げられることはないだろう。

 朝焼け前の水分をうんと含んだ空気が、屋台の上を自由に泳いでいる。

 今この瞬間にも、コボルトの森では戦いが繰り広げられている。勇者一行は昨夜、日が変わる頃に森へと向かったらしい。今頃は、森の主<トーラス・オルファ>を討伐しようとあの樹木でできた絨毯の上に飛び降りているかもしれない。

 もし仮に、万が一にも、勇者一行が敗北し、これから向かう冒険者らが壊滅したとしたら。この街は魔族領の一部となるだろう。そうなれば、あれら屋台で商売をする者たちは、話の通じない魔族たち相手に商いをしなければいけなくなる。しかし、そうなるよりも前に、きっと彼らはこの街を飛び出していくのだろう。つまりは今日、人類側(こちら)が勝利しなければ、あれらの上に綺麗な物や美味いもの。珍しい物に、怪しげな物が広げられることは無くなってしまうのだ。

「……やっぱり、いないよな」

 集まった冒険者の面々を眺めて、タンゴはあらためて息を吐き出した。

 冒険者の集団がコボルトの森へと進軍を始めたのは、それから十分後のことだった。数多の冒険者が歩いた道を、馬車が車輪をガタゴト揺らし、その背に乗った冒険者らも揺られて森へと進む。馬車の歩みはとても速く、当然だが人の足よりも速い。はず、なんだが……。

 なんだか、とてもゆっくりに感じる。自分の足で向かったほうが速いのではないか。そんな事を考えてしまう。馬車が向かっているあの大きな森の中で、今頃年端もいかないあの少女が、魔物を殲滅しているのかと思うと、なんだか胸の辺りがゾワゾワした。

(あの子は、これからも勇者を続けるのだろうか)

 集会所で出会った彼女は、確かに国が認めた英雄たちを束ねる唯一絶対の勇者だった。しかし、祭りで賑わう街の中で出会った少女は、年相応の少女だった。


 バベルに殴られた頬がまだ痛む。会議室に追加で置かれた椅子に腰掛けながら、タンゴは勇者パーティの一人、『絶壁』のウィリアムの話に耳を傾けた。

「私たちは明日、コボルトの森へと向かいます」

 その言葉を聞いた重鎮たちは、口々に彼らを引き止めようとしていた。

「祭りは明日まで続きます。街の住民たちのためにも、明日はこの街に残っていただけないでしょうか」

 来訪祭はもう終盤に差し掛かっている。とはいえ、その主役が最終日にいないなど、街の運営陣にとっては痛手となるのだろう。

「こちらとしても、勇者様方の露払い程度はしたいと考えております」

 オルソの言葉に、街の重鎮たちは押し黙り、二人に会話の道を譲った。祭りの収益も大切だが、それ以上に明日を生き残れるのかという話の方が大きく、重い。この場の全員の天秤がそちらに傾いてくれていることに、オルソは一人、安堵のため息をこそっと吐いた。

「と、言いますと?」

「はい。コボルトの森には、主たるトーラス・オルファの他にも、危険度の高い魔物が複数おります」

 オルソの言葉を片耳に通しつつ、タンゴは一体の山羊頭の魔物を思い出していた。人と山羊を合わせたような魔物。強靭なあの魔物でも、彼ら勇者一行には太刀打ちできないのではなかろうか。いや、おそらくは、彼ら英雄たちが動けば呼気一つ乱すこともなく、瞬く間にその首を切り落としてしまうのだろう。彼らを見ていると、なんとなくそう思ってしまう。実際、オルソの言葉に、ウィリアムは首を傾げて微笑んで見せた。

「国から英雄の称号を賜った我々ですら苦戦すると、そうお考えなのでしょうか?」

 会議室の空気が凍った。ウィリアムの口調は丁寧だったが、その視線に含まれた敵意とも取れる冷たい棘のようなものが、コーラルの重鎮たちとタンゴの口を閉ざすべく会議室中に突き刺さった。その中で、面と向かって口を開いたのは、同じ英級冒険者のオルソだった。その左右に座する老人二人もどこ吹く風と、ウィリアムの威圧を全く意に介していなかった。というよりも、ヨーギルもガストンも眩しいものを見るように目を細めていた。その顔を、タンゴは知っている。

 あれは、十年近く前の事だ。タンゴとバベルがヨーギルの武具保管庫に忍び込んだ。

 実際、何の目的で入り込んだのか、あまり覚えていない。冒険者ごっこをしたくて、ヨーギルの保管している武器類を持ち出そうとしたのだったか。とにかく何らかの遊びで、祖父の保管庫に忍び込んだ。のだが、すぐにヨーギルに見つかり捕まってしまった。その時、ヨーギルは今の会議室で、ウィリアムに向けているような顔をしていた。

 若者のやんちゃを見て、ああ、私にもこんな時期があったんだなあ。と懐かしい気持ちに浸っている時の顔だ。

「時間の問題でございます。街の住民のためにも、一刻も早い終結をと思ったのですが、出過ぎた真似でしたかな」

 なんてことはないと見つめ返すオルソの瞳には、ウィリアムにはない温かな光が宿っている。ヨーギルやガストンと同様の、若者のやんちゃを見守る温かさだった。

 二人の英級の睨み合いを見比べていたタンゴは、ふと黙って座っているだけの勇者はどうなのかと、その顔を横目に伺った。

 フードを目深に被った少女の勇者はしかし、その瞳に闇を漂わせるばかりで、何も映してはいなかった。それが何だか悲しくて、しかしなぜ悲しいのかがわからなくて、タンゴはその瞳から目を離すことができなかった。

「それでは、こちらはこちらで対処させていただきます」

「はい。我々は日付の変更前にはコボルトの森を攻略しに向かいます」

 気づけば、英級たちの話し合いは済んだらしい。二人の話を聞くに、勇者パーティは今日森に向かい、冒険者たちは明日の日の出には森へと向かうと言う事らしかった。

 会議は終了だと、勇者パーティは席から立ち上がる。それを見ていた重鎮たちは、やっとここでの会議も終わりかと、顔に疲労の色を濃く浮かべ、英雄たちの後を追うように会議室を出て行った。

 会議室に残っているのは、オルソとガストン、それにヨーギルの三老人。そこに、ぼんやりしていたタンゴの四人だけだ。

「会議は終わった。タンゴも今日は帰って、明日の準備をしてくれ」

 オルソの言葉に、ヨーギルは目を見開き拳を握る。椅子の背もたれにもたれていたガストンは、両手を組んで目を閉じ、オルソの言葉を静かに聞いていた。

「それって——」

「ああ、正規の冒険者ライセンスを発行する。明日には渡せるだろう。だから、今日はもう休みなさい」

 タンゴは飛び跳ねて喜んだ。あまり目立った活躍がなかったと自覚しているだけに、ライセンスの発行は無理だと半ば諦めかけていた。だが、蓋を開けば向こうからライセンスを発行すると言うではないか。しかし、オルソの次の呟きで、この高揚した気持ちも半分ほど空気中に溶けて消えてしまった。

「本当は、バベルにも正気の冒険者ライセンスを作る手筈だったのだがな……」

 この呟きは、この場の誰に言ったものでもなく、コーラルの囲まれた石壁の内側にいるであろうあの青年に向けて飛ばされたのだと、会議室の床に足を付けたタンゴは思った。

 それでもやはり、この時のタンゴは浮かれていたのだろう。

 生まれた時から英雄譚が好きで、冒険を心から望んでいたタンゴは、自分も大きくなったらきっと冒険者になって、そして英雄になるんだと、子供ながらにそんな夢を描いていた。しかし、現実はそれをいとも容易く粉砕してきた。冒険者になることを許されず、畑の柵の内側に押し込められて土に塗れて過ごすことになった。

 コボルトの森に行ってからというもの、この世界全てが色褪せて見えていた。だから、そんなタンゴだったから、正規の冒険者ライセンスを発行すると言われて、つい浮かれてしまった。つい、周囲の観察を疎かにしてしまった。

 会議室に残った三老人が、未だ席を立たないことに疑問を持たなかった。ヨーギルが一緒に家に帰ろうとしないことに、なんの疑問も持たなかった。会議室を出る時の、ヨーギルたちの沈んだ表情を見逃してしまった。

 そして何より、今更ライセンスを発行する気になったその理由はなんだったのかと、タンゴは聞かなかった。

 街に出ると、その喧騒にさらに心が浮き足立った。肉体を帰路に付かせながら、心は地面から離れこの街を見下ろせるほどの高度にまで飛び上がる。そして見つけた。喧騒の中に、一つの静寂がポツンと佇んでいることに。その静寂はまるで、真っ白な紙の上に落としたインクの染みのようで、輪郭がはっきりとせずぼやけていて、不安定な形を見せていた。

「あれは……勇者様?」

 染みの正体は、闇を瞳に浮かばせていたあの幼き勇者だった。小さな背中が、なんだかパッとしない。頼りないというのか、風が吹けばすぐにも折れてしまいそうな小枝のようだとか、そんな印象を抱いた。しかし、小さくて見ているだけで不安が募ってくるその背中には、白地に金縁の外套がかけられている。さらに言うならその頭——外套よりも白く、宵の中でも小さな星の瞬きを集めて輝く白髪の上——には外套のフードが深々と被せられていて、己が光る事を強く拒んでいた。まるで、自分は勇者ではない。人々の光ではないのだと、その背中で語っているようだった。

 しかし、それならその外套ではダメだ。目立ってしまっている。実際、道ゆく人々の誰もが、一度は彼女に目を向け、小声で指していた。

「ホント、勇者様って他とは違うんだな」

 物語に出てくる勇者や英雄は、脚色され美化された偶像に近い。そんなことはタンゴ自身、わかっているつもりだった。つもりだったが、これは予想してないなかった。勇者が勇者である事を拒む。そんな話を読んだ事はなく、もちろん誰かから聞いたこともなかったから。

 胸が高鳴った。ライセンスが明日にはこの手中に入ると知った時以上に、心臓が暴れて体を突き破ってあの勇者へと飛び付こうとしているようだった。

 気付けば、「あの」と声をかけていた。なんとも頼りのない「あの」だった。か細くて、人波に連れ去られてしまうほど脆かった。もう一度と、息を吸って吐くを二度繰り返し、飛び出していきそうな心臓を片手で抑えながら声をかけた。

「あの」

「…………はい?」

 ゆるゆると振り返った白い外套の端から、夕焼け空のような黄金の輝きがチラリと覗く。綺麗で清らかそうな、しかしどこか孤独感を覚える夕刻の輝きだった。

 勇者様の瞳だ。会議室で見た時とは打って変わって輝いている。何が彼女の闇を拭い去ったのかと、一瞬タンゴは口を閉ざして考えた。声をかけたはずが、口を閉ざして考える。

「あなたは、先ほど戻られた冒険者様ですね」

 鈴の音のように、コロコロと耳の中を転がる甘い声に脳が痺れた。飛び出そうと前へ跳ねていた心臓が、今度は上下に揺れて喜んだ。

「あっ、はい。タンゴです。タンゴ・トリーゲル」

 なんとも間抜けな自己紹介だ。自分の名を告げてから、頬が熱くなるのを感じた。

 可愛かった。綺麗だった。そして何よりも、危ういと思った。髪と同じ色の真っ白な眉毛は細く、まつ毛がピンと立っている。その中では黄金色にキラキラ輝く瞳が大きく開かれていた。そんな二つの夕空の間から、こちらにツンと伸びた鼻は小さく、その下の薄桃色の唇は潤っていながらも薄い。そして今は、不思議だとでも言うように一文字に軽く結ばれていた。

 年相応の幼さの残る顔立ち。しかしそれは、少しばかり先の未来では、綺麗な女性になると予感させる雰囲気を持っていた。そんな顔に見惚れていたタンゴは、彼女の顔から全く別のものを、年相応の少女の顔を見た気がした。

「あなたは、本当に勇者様なのですか?」

 気づけば、頭の中に広がる森の最奥から、不思議の樹木が枝葉を伸ばし、疑問の果実をこちらの脳内に落としてきた。疑問の果実は瑞々しく、雫の一滴一滴が集まり言葉となって、口から外へと飛び出した。ただし、飛び出した言葉は小さくて、きっと祭り囃子とそれらの奏でに乗せられた街の人々の喧騒にかき消された事だろう。それほどまでに小さく、虫が羽を擦り合わせたような声をしかし、勇者アイビーは聞き取った。

「それは、どのような意味でしょうか」

 大きく丸い黄金の瞳が、疑問八割驚愕二割とで揺れていた。

「あの、えっと、その……」

 無様に無様を上塗りし、頬の赤みがさらに増した気がする。タンゴは恥ずかしさのあまり、顔を逸らした。が、その横顔を、勇者様は瞬き一つぜずに見続ける。その瞳に今は、疑問よりも追求が強く光っていた。洞窟の中を探る調査隊が壁画を照らそうと松明の火を掲げているように、こちらの顔を黄金の輝きが照らしてくる。

「なんとなく、と言うかなんと言うか」

 へどもどしながら、タンゴは必死に言葉を探す。と、頭の片隅にそれはあった。森の木陰にひっそりと置かれていた。誰かが隠したわけでも、怯えて逃げていたわけでもない。ただ自分で、勇者様の可憐さにあてられ、取りこぼしていただけなのだ。それを知ったからか、より顔を見るのが難しくなった。視線が、自然と勇者様の羽織っている外套の端に流れ着く。金縁の先端にはアウリス王国の紋章が縫われていた。

 いくら目を背けていても、頬の熱はさらに高まっていく。それを感じながら、タンゴは見つけた言葉を勇者様に渡した。

「女の子に、見えたから」

 今度は、アイビーの頬が赤く染まった。畑で育てていたトモの実が熟して行くのを、倍速以上で見ていたようだった。その光景を、タンゴは視界の端で捉えていた。

「そんなことっ! ……ありません」

 大きな声を出したアイビーは、すぐに声量を落とし呟きに変えて、タンゴを仰ぎ見た。その瞳は、驚きと恐怖で濡れていた。

 一体、何に怯えていると言うのだろう。そんな疑問がタンゴの頭の横を掠めて飛んでいった。

「とにかく、こっち」

 ともかく、今は周囲からの視線から逃れるのが先だ。タンゴはアイビーの雪のように白く、若枝のように細い腕を掴み、祭りの明かりから逃れた街の路地に引き込んだ。

 グイグイと思いの外強い力で引っ張られ、アイビーはバランスを崩し引きずられるようにしながら、早足で後をついて行く。光の乏しい路地の中でも、アイビーの外套とその下に隠れた髪が、仄かな灯りを何倍にも増幅して路地の隅に転がった空き瓶を照らし出した。

 曲がり曲がってたどり着いたのは、タンゴの家だった。中央広場からいくつかの路地を抜けたその先にある集合住宅。その一室。

「あの、ここは?」

「俺の家です。ちょっと待っててください」

「へ?」

 手を離したタンゴは、そのまま扉を開いてアイビーを中へと誘う。

 机に椅子。衣料箪笥、そしてベッド。部屋の中にあるものといえば、その程度で、質素というほか表現のできない部屋だった。唯一部屋に色を出しているのは、壁にかかっている褪せた鼠色の上着ぐらいだ。

「あの、ちょっと、流石に……」

 急な展開に頭がついていかないとあたふたするアイビーを他所に、タンゴは部屋の壁にかけられた一枚の上着を引っ張り、それをアイビーに手渡した。

「俺ので良ければ使ってください。その方が、目立たないと思いますし」

「あっ、そういう……」

「はい?」

 アイビーは何やら恥ずかしげに顔を伏せ、タンゴの差し出した色褪せた上着を奪い取るように、受け取った。それから、元の外套を腰のポーチに押し込み、タンゴの上着を羽織り直した。

「それで、あの……なぜ?」

 関わりのない自分に、このような事をするのは何故? そう聞いたアイビーの目を見て、タンゴははっきりと答えた。

「さっきも言ったけど、あなたが——君が、女の子に見えたから。年相応の、祭りを楽しむ女の子に……」

「それが——」

 なんだと言うのですか。そう訊こうとしたアイビーの言葉を遮り、タンゴは続ける。

「あんな目立つ服装じゃ、女の子として祭りを楽しめないんじゃないかなって」

 アイビーは黙り、俯いた。それを見ていたタンゴは、一つの事実に気づきハッとした。

 彼女があの格好をしている時、白くて綺麗な外套を羽織って目立つ時は『勇者』でなければならない時だったのだと。そして今、薄い灰色の上着の襟を描き合わせる彼女は、少し珍しい髪と目の色を持つだけの『女の子』になっているのだと。

「じゃあ、一緒に祭りを楽しみましょうか。クロックさん」

 柔らかな物言いを耳にして、アイビーはゆるゆるとタンゴを見上げた。

「アイビーで大丈夫です。敬語も、いりません」

 その言葉が、タンゴにはとても嬉しかった。

「分かった。俺もタンゴでいいから。敬語もいらないし」

 そうして二人は、明るく暖かな祭りの波の中へと飛び込んで行った。

 その後、タンゴはアイビーの抱える秘密を聞くことになった。


「生きてるとは聞いたが、まさか本当にあそこから生きて帰るとはな」

 ようやく馬車が止まり、コボルトの森にさあ入ろうとしたその時、聞き覚えのある男の声が、日の半円を覗かせる向こうの山から流れてくる涼風に乗せられこちらに飛んできた。

「生きてちゃマズかったか? 俺らを見捨てて逃げた真級冒険者さん」

 鞘に納めた大剣を鳴らしながら振り返り、タンゴは嫌味を飛ばす。その先にいたのは、全身を金属鎧で包み、大盾を背中に背負った男だった。

「一応三日振りなんだっけ。クルトン」

 クルトンはタンゴの笑みを見て、ほっと安堵のため息を一つ。それから、背後にいたダズバルとミランダを見てから、タンゴに笑みを返した。

「ああ。久しぶりだな、タンゴ」

 そう言ってタンゴと並んで歩き出したクルトンは、周囲に視線を向けた。その意味するところを、タンゴは知っている。

「バベルならいないよ。あいつは、正規の冒険者ライセンスを受け取ってないから」

 本当の理由は、バベルが会議室で騒動を起こし飛び出した事なのだが、それを言ってもしょうがないとタンゴは剣帯を肩に掛け直した。

「そう、なのか……」

 前回森に行ったときには、衝突して終わったクルトンとバベルだ。生きて帰った以上、ちゃんと向き合うべきだとはタンゴも思っていた。

「まあ、二人とも生きてたんだからソレで十分だろ」

「確かに。あの子なんか変だったし、不安だったんだよね」

 背後でダズバルはうんうんと頷き、それにミランダも同意していた。

 クルトンパーティに参加することになったタンゴは、森の奥へと進んでゆく。クルトンたちはとても優秀な冒険者らしく、他のパーティよりも速い足取りで主の棲家へと向かっていた。

「ファルフジの爺さんに聞いたんだが」三つか四つめの開拓広場を過ぎた頃、クルトンがそう切り出してきた。「この森で、魔族に会ったんだってな」

「ああ、まあね」

 この話題は二人も気になるようで、周囲を警戒しながらも、ダズバルとミランダの意識がこちらに向いているのを感じる。

「どんな奴だった?」

「は?」

 意図の読めない質問に、タンゴの思考は一瞬停止した。

「魔族と会って生きて帰ってこられる冒険者なんて、片手で数えられる程度だってファルフジの爺さんが言ってたんでな」

「ああ、そういう。俺たちが会ったのは、偶然交戦的な個体じゃなかったってだけだ。ただ運よく助かったってだけの話だよ」

「そりゃあついてたな」

 ダズバルが両手斧を担ぎながら、にこりと笑みをこちらに向けてくる。この人たちは、心の底から心配してくれていたらしい。ここまでの道中、タンゴとバベルが主の棲家に落ちた後の話を聞いてそれが分かった。

「止まって!」

 突然、ミランダがパーティメンバー全員に静止の声を飛ばした。それを聞いたダズバルは肩から斧を手元に下ろし、クルトンは大盾を構えた。もちろん、タンゴも大剣を抜き放ち、その切先を森の暗がりへと向けた。

「右手茂みの向こう、バングルディアだ」

 ミランダの構えた弓矢の(やじり)が茂みへ向けられ、風を切って飛んで行った。数秒後、茂みの向こうで獣の咆哮が聞こえてきた。

「来るぞお前ら。絶対引くなよ!」

 大盾の先端を地面に触れるかどうかの所で構えたクルトンがそう叫び、茂みの向こうから飛び出してきた影と正面からぶつかり合った。

 メキメキと何かが折れて砕ける音が耳に飛び込んでくる。それがなんなのかタンゴはわからなかったが、両手に構えた赤黒い大剣を横にして、クルトンの脇から飛び出した。

 盾とぶつかった影は確かにバングルディアだった。ただ、角がない。さっきの破砕音が、盾とぶつかり砕けたバングルディアの角だったのだと今新ながらに気づいた。頭から小川のように血を流すバングルディアと、一瞬目が合う。だがその目は、振り上げたタンゴの大剣によって明後日の方向を向き、そして何も映さなくなった。

 大剣の刃が、一刀の元に魔物の鹿の首を切り飛ばしたのだ。

「よくやったタンゴ!」

 盾を下ろしたクルトンの言葉に、気の抜けた返事をするタンゴは、今いる場所が本当にコボルトの森なのかと視線を巡らせた。

「どうしたタンゴ?」

 そんな視線を巡らせ、体を左回りに回転させるタンゴに、ダズバルは心配そうな視線を向けた。数日前のことを今も引きずっているらしく、その目が不安一色で染まっていた。目を離した隙に、またいなくなってしまうのではないか、と。

「いや、なんか魔物の数が少ないなって」

「勇者たちがほとんど借り尽くしてんだろ」

 盾を背負い直したクルトンが、そう言って先を急ごうと視線を向ける。それに同意するミランダは、周囲に魔物の気配はないと言って早足になった。確かに、森の奥から吹き抜ける風には森の香りばかりが乗せられていて、魔物の臭いは混じっていない。しかしそれは、タンゴの感覚で把握できる範囲の話だ。

 前回、ミランダ以上に気配察知の上手いバベルがいたから素早く魔物の気配に気づけたが、今回バベルはいない。それがタンゴの慎重な行動に出ているのかと、ダズバルは判断していた。

「安心しろ。お前の背中は、俺たちが守ってやる。そんで、俺たちの背中をお前が守れ」

 ニカリと笑って見せたダズバルに、タンゴはうんと頷き大剣を鞘に納めた。

 クルトンパーティは、森の主が棲むあの窪地を目指して移動する。


 激しい振動、魔物たちの絶叫。冒険者の悲鳴と、咽せ帰るほどに濃く漂う血の臭い。

 森の奥へと進んだタンゴとクルトンパーティは、魔物の群れとぶつかった。十や二十では足りない程の魔物の群れを前に、クルトンたちの足は完全に止まった。

 見た目の異なる魔物たちの大行進を、タンゴたち四人だけで捌き続けていた。八分前のことである。そして三分前。後続の冒険者パーティが、続々と血溜まりが幾つも広がるこの戦地に到着し、得物を抜き放った。そうして出来上がった舞台で、タンゴは大剣を振って大立ち回りを披露する。場所はコボルトの森の中、いたずら書きのような筆跡で作られた円形広場の縁近く。観客は殺意を剥き出しにする魔物たちだ。

 赤くて黒い剣の腹を横に凪ぎ、タンゴはドレッドボアの命を刈り取った。

「くそっ、まだまだ出てくるぞ!」

 森の奥へと続く茂みだけではない。見渡せば、そこかしこから魔物が飛び出して来ている。まるで、森自体が冒険者の侵入を拒んでいるようだ。いや、『まるで』ではなく、きっとそうなのだろう。タンゴはコボルトの前足を切り飛ばしながら、そんなことを考えた。しかしそれは、ほんの一瞬のことだった。剣についた血を振り飛ばした時には、別のことが頭の中を埋め尽くした。一人の少女の笑顔だ。

「落ち着けタンゴ! 何そんな焦ってんだ」

 背中をぶつけ合いダズバルと合流した。もうこの広場は乱戦状態で、両隣には見知らぬ冒険者らが苦汁を飲み下したような顔で得物を振るい、魔物と鍔迫り合いをしていた。

「ここでこんだけ魔物が出るなら、主の棲家の所はもっといるんじゃないのか」

 タンゴが振るった大剣の刃が、コボルトの牙を砕いて上顎を切り飛ばす。

「ファルフジ本部長らのパーティが、勇者一行と共に行ったんだ。向こうは問題ない」

 両手斧を振り回すダズバルはそう言って、群がるコボルトの首を一撃で跳ね飛ばした。

「分かってるけどっ!」

 もし、森の主との戦いの最中、背後から魔物の大群が群がってきたら。そんな想像がタンゴの両腕にしがみ付き、振おうとする剣の切先を地面へと向けさせる。

「逆に考えな! ここで私たちが魔物を足止めさえしていれば、勇者様方が森の主を討伐してくれるって」

 ミランダが、空になった矢筒でコボルトの腕を受け止め、くるりと回転させてへし折りながらタンゴを宥める。

「そうだ。俺たちはただの時間稼ぎ要員だ。それを忘れんな」

 大盾でドレッドボアを弾き返したクルトンが、こちらに背を向けながら近づいてきた。パーティメンバー全員が合流した。

「分かってるよ。分かってるけど」

 それでも、想像は止まらない。これだけの乱戦に、あの魔物が参戦していないのも、この想像を助長していた。タンゴの脳はそう判断していて、自然と視線が、この広場を囲っている茂みや樹木の影に向かった。

「ここにミルミクス(あいつ)がいないってことは——」

「ああ、あっちに向かってる可能性が高いな」

 クルトンは、勤めて冷静にタンゴの言葉を遮った。

「だがな、そんなことを考えてこっちの戦力を減らしてちゃ意味がなくなっちまう」

 言われるまで気づかなかった。足元にはすでに、息を引き取った冒険者の亡骸が、見渡す限りにいくつも見られた。

「今のお前にできるのは、魔物を狩って、他の冒険者を守ることぐらいだ。そんでその冒険者は、俺らを守って戦い続けるんだ!」

 大盾の死角から飛び出してきたコボルトの首に、素早く引き抜いた剣鉈を振り下ろす。クルトンのその動きは、熟練の冒険者のそれだった。

 そうだ、クルトンの言う通りだ。頭の中に詰まっていた泥のようなものが流れ出ていくのを感じる。重かった手足が、風に運ばれるように身軽に動き出した。霧がかかっていた視界が、快晴の下の草原で寝転がった時のような、澄み切った景色へと塗り直された。

「そうだよな。そんじゃあ、背中は任せた」

「おう」

 大剣を構え直したタンゴはそう言って、クルトンと共に冒険者に襲いかかる魔物の群れへと飛びかかった。

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