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魔族との出会い

 視界に広がったのは、見覚えのない天井だった。

 木張りの天井。その木目の一本一本が確認できる程度には明るい。暖かな灯りが、視界の外で揺れていた。

「……どこだ? ここ」

 声は掠れていて、口の中に鉄の臭いと味が広がった。

「バベル! 気がついたか」

 視界の中に、包帯を頭に巻いたタンゴが入ってきた。

「タンゴ、その怪我は?」

 不思議だ。ベットで寝ているらしいが、体が張りつけられたように動かない。

「覚えてないのか? ミルミクスにやられたんだよ」

 その表情は、怒りや悔しさを混ぜたもので、タンゴは拳を震わせていた。

「ミルミクス……」

「どうやら記憶が混濁しているようだ。そのうち思い出せるさ」

 視界の外から、男性と女性を合わせたような、不思議な声が聞こえた。バベルの記憶にない声だ。

「誰?」

 バベルは、上体を起こそうと力を込めた。が、体の内側に広がった内臓が、元の場所に戻ろうと蠢いたことで、その不快さからバベルは思わず吐き出しそうになった。

「もう少し寝てた方がいいだろ」

 タンゴの心配を聞き入れ、バベルは再度全身の力を抜く。

「ここに来て、どれくらい経った?」

 タンゴに向けた質問だったが、謎の声が回答を返した。

「三日ぐらいだ。いや、今は夕暮れ時だから、四日と言ったほうがいいのかな」

 その声に、バベルはベットから飛び起きようともがく。

「止めろバベル。折角傷を治してくれたのに、また開いちまう!」

 傷を治した。そんな不可解な言葉に、バベルは知らない声の主へと視線だけを向けた。

「おはよう。調子はどうだい?」

 フードを目深に被った青年が、扉の前に立っていた。年齢的には、バベルやタンゴの二、三個上といった所だろうか。

「さて、何があったか思い出せるかい?」

 フードの男がそう言いつつ、扉から外に出て行ってしまった。こちらの返事には興味がないようだ。

「ミルミクス……」

 呟いて出てきた記憶は、五年前の記憶だった。あの時は確か、バングルディアの角が眼前に迫ったところで、ガストンに助けられたんだったか。残念ながら、冒険者パーティは目を離した一瞬に殺されたと、後になって聞いた。幸い、バベルとタンゴは助かった。

 そうだ、あの時ガストンが付けていたポーチだ。……ポーチ?

「あぁ……森の探索に来てたんだった。それでミルミクスに」

「ああ。お前は森の主の棲家に落とされてな、その後、俺も直ぐに」

 二人の間に、重い沈黙がのしかかった。

 よく見ると、タンゴも相当な怪我を負っていた。特に右腕。骨が折れているのか、首から白い布で吊るされていた。

 こんなになってたのに、押さえてたなんて。

 居た堪れない気持ちが湧いたバベルは、視線をタンゴに向けていられなかった。かと言って、どこに向ければ良いのやら。結局、室内を眺めてやり過ごすことにした。

 木製の壁——床——天井。その他、扉や家具も木でできている。唯一、窓だけがガラスになっていて外の夕闇を映し出していた。

「ここは」

 どこ。そう聞こうとしたバベルの言葉が、扉の開閉音で遮られた。

「ご飯にしよう」

 フードの男が、バベルとタンゴを呼びに戻ってきた。

「起きられるかい?」

 ベットの側まできた男は、バベルを見下ろす。

 フードで全体は分からないが、とても整った容姿を持っているようだ。キリッとした目元とツンと尖った鼻。それに緩く結ばれた口元。そのバランスは完璧の一言で、どこか一つでも失えば、存在自体が消えそうな儚げな雰囲気を纏っていた。それなのに、マゼンタ色の瞳には確かな生命力が宿っていた。

「あ、はい。大丈夫です」

 少しの間、マゼンタの瞳に思考を邪魔された。とても綺麗で、透き通っている瞳。自然とその奥底を見たいとバベルは思った。

「では、ついて来たまえ」

 随分と物々しい口調だが、どこかの金持ちなのだろうか。しかし、ここにいるのは不自然だ。ここはコボルトの森の中で、人間が住めるような場所ではない。ましてや家など、建てられるわけがない。建設途中で魔物に襲われ、最悪命を落としてしまう。

「ねえタンゴ。あの人って——」

「だろうな」

 タンゴも気づいていた。フードで隠しているが、間違いない。魔族だ。

「どうする?」

 このままついて行った先で、食糧はお前らだ。と言われる可能性も十分にある。

「でも、装備がないんだよ」

 言われて気がついた。ガストンの短剣どころか、腰につけていたポーチもなくなっていた。

 タンゴも、背中に背負っていた剣が鞘ごとない。まぁ、今のタンゴで、あの剣を十分に振ることはできないだろうが。

「しょうがないか」

 ついて行こう。

 ベットから立ち上がったバベルは、フラフラと揺れる体を壁に押し当て、ゆっくりと扉を目指した。

 あの瞬間。ミルミクスに掴まれた瞬間、バベルは死を覚悟した。しかし、怖かったかと聞かれるとそんなことはなかった。随分と頭の中がスッキリしていた、気がする。全身を振り回されたせいで、頭の中に溜まったゴミのような物が吐き出されたのかもしれない。

 空に投げ出された時、心地よい浮遊感が全身を包んだ。このまま、青空を自由に飛べるんじゃないか。そんな風に思えるくらいだった。

 バベルの中で、何かが噛み合わない。飛び出している釘を引き抜きたいのに、釘抜きが上手くはまらない。そんな感覚だ。

「悩み事か? バベル」

 隣を歩くタンゴは、腕と頭以外にも怪我をしているだろうに、元気そうに見えた。

 そう見せているだけだとは分かっている。今回の問題、その原因はバベルにあった。その責任に押し潰されやしないかと、タンゴはそんなことを考えているのだろう。自分の怪我だって酷いのに、それを無視してこちらの心配ばかり。

「いや、ここどうやって建てたんだろうって」

 壁に這わせた右手で、軽く壁を叩く。コンコンと温かみのある木材の音が、廊下に響き渡った。

「そう! そうなんだよ。ここが森の中なんだぜ! 信じらんないよなぁ」

 タンゴも壁を触りながら、オーバー気味に頷く。

 気を使わせてるな。

「二人ともこっちだ」

 廊下の先。開かれた扉から、フード男がこちらを見ていた。

「なぁ、あんたの目的は何だ?」

 タンゴがバベルの一歩前に出て、フード男と対峙する。タンゴだって、正面切っての殴り合いなどできる状態ではない。

「そんなに警戒せずともよい。私は、君達と敵対する意志を持っていない」

 フード男がふっと息を吐き出しながら笑みを浮かべた。

 この人は信用できる。と、バベルの直感がそう告げていた。人ではなく、魔族だが。

「どうしたんだよ、バベル」

 ふと我に帰ったバベルは、空いている左手でタンゴの服の裾を引っ張っていた事に気がついた。無意識に、タンゴを止めていた。

「あっ、いやその、取り敢えず話を聞かなきゃだと思って」

 バベルの不自然な仕草に、タンゴは首を傾げる。

「そうだな。確かに君達とは、ゆっくり語りたいことがある」

 フード男のマゼンタの瞳が、バベルの瞳を貫いた。相変わらずの透明さに、バベルの心臓は飛び跳ねた。

「中に入りたまえ。豪勢とはいかないが、簡単な食事を用意した」

「飯!」

 フード男の言葉に、タンゴが素早く反応を示した。確かに、バベルもタンゴも、戦闘後の回復で体がエネルギーを欲していた。

「いいんですか?」

 この言葉には、いくつかの意味が込められた。人間と関わってよいのか。食事を共にしてよいのか。食事に毒はないのか。殺さなくてよいのか。

「もちろん」

 フード男は、バベルの思い描いた質問の全てに答えた気がした。

「……どうも」

 警戒すべき相手のはずが、脳が信用できると告げているせいか思考が上手く纏まらない。

 扉の向こうは、リビングになっていた。家具の全ては木でできていた。テーブルや椅子、そして食器など、目に映る全てが木製だった。

「すげぇ。めっちゃ豪勢じゃん」

 テーブルの上を見たタンゴは、ゴクリと唾を飲み込んだ。全くの同意だ。

 鼻の中に広がる料理の匂いが、空っぽの胃袋に流れて行く。それだけで胃袋はとっとと寄越せと暴れた。

「好きなだけ食べなさい」

 フード男が後ろ手に扉を閉め、椅子を勧めてくれた。随分なもてなしの姿勢が気にはなった。

 やけに親切だなこの魔族。

「じゃ、じゃあ遠慮なく」

 テーブルに向かい合うように座ったバベルとタンゴは、その手にスプーンを持ち、木製のお椀に突っ込んだ。

 中に入っているのは、湯気と共に美味しそうな香りを放つミートスープだ。肉はおそらく、バングルディアだろう。昔、ガストンに作ってもらったことがある。

「いただきます」

 スプーンにスープと肉を乗せたバベルが、口に運ぶ前に呟く。ガストンからの教えだ。

「いいかバベル。ご飯を食べる前には『いただきます』食べ終わったら『ごちそうさまでした』これを忘れてはいかんぞ」

 ガストンの声が、脳の隅々まで広がって行く。今頃、心配してるだろうか。

「あれ? そういえば、クルトン達は?」

 それまで、完全に忘れていた。この森に一緒に来ていた冒険者達の存在を。

「ふぁあ、こふぉには——んぐっ。いなかったな」

 パンを口に詰め込んだタンゴがそのまま喋る。行儀が悪い。

「バベル。食べ物を口に入れて喋るでない。それは食材達に失礼じゃ。お前が今食べている肉は、元々お前に食べられるために生きてきたわけではない。パンも然り。小麦はお前のために太陽をたくさん浴びていたわけではないのじゃ」

 ガストンが最も口煩くなるのは、決まって食事の時だった。学校を抜け出した時も、カルカロの骨を折った時も、そこまで煩くはなかった。

「この世のどれもが、お前のために存在しているわけではない。だからこそ、感謝しなければならぬのじゃ。たまたま、偶然、儂らの元に食材として届いたに過ぎぬのじゃから」

 確かに、ガストンの言いたいことはよく分かる。

「ん? なんふぁ言っあ?」

「いや、食べ物を口に入れて喋るなって」

 タンゴは目を丸くして、口の中のものを嚥下した。

「いきなりなんだよ」

「いや、別に」

 目を覚ましてから、正確にはマゼンタの瞳を見てから、バベルの中の何かが変になっている。何かが外れてしまったような、緩んでいるような、歪んでしまったような、消え去ってしまったような、そんな変な感覚が、バベルの胸の中をぐるぐる回っていた。

「君達以外の冒険者は、皆街に戻った」

 タンゴとバベルの間に入るように椅子を移動させ、そこに座った男は言った。

「生きている。安心したまえ」

「そうですか」

 正直、そこはどうでも良い。冒険者なのだから、死んだとしてもそれは自然なことだし、何なら死ぬのも仕事の内だろう。

「随分淡白な反応だな。君は彼らと、親しい仲ではなかったのか?」

「いえ、全然」

 正面でスープを啜るタンゴが、非難の視線を向けてきた。しかし事実だ。今回の依頼が終われば、全くの他人に戻るだけなのだから。

 そこからの食事に、会話はなかった。気まずくなったとかではない。空っぽの胃袋に、体を乗っ取られたのだ。落とされた時のものか。全身に入った擦り傷や切り傷が痛みながらもバベルは両手を休める事なく、テーブルの上を綺麗にした。

「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

 両手を合わせたバベルはそう言い、食器を重ねて一つの塔を建てる。

「ふぅ、食った~」

 タンゴは、右腕が使えないことで食べにくそうではあったが、それでも完食し、今は椅子の背もたれに体を預け食事の余韻に浸っていた。

「さて、では少し話をしよう」

 誕生日席のフード男はそう言って、二人に視線を送った

「まずは、互いの名前からだ」フード男が姿勢を正す。「私はルシオン・ラビフット。ルシオンと呼んでくれ」

 何故だかそうしないといけない気がして、バベルも姿勢を正した。

「僕はバベル。バベル・アルカナム、です。僕もバベルで大丈夫です」

「タンゴ」

 変わらず椅子にもたれかかるタンゴは雑に応える。左手をひらひら振って、今にも寝てしまいそうだ。

 「これは、タンゴ・トリーゲルです」

 しょうがないと、バベルはフードの男にタンゴの名を伝えた。

 既に、半分以上寝ている気がする。

「そうか。ではバベル、私に敬語は必要ない。緊張もしなくて良い。少し、君に聞きたいことがあるんだ」

「はい、えっと何、ですか?」

 いきなり敬語はいらないと言われても、なかなかに難しい。タンゴとの会話を参考にしようと思ったが、こんな時には、全く思い出せない。日常の一コマなど、そんなものなのだろう。

「まぁいきなりは難しいだろう。ゆっくりでいい」

 ルシオンの年上らしい態度に、バベルはほっと安心が胸を撫でた。

「君に聞きたいのは、コレのことだ」

 そう言ったルシオンは、テーブルの上に一振りの短剣を置く。白を基調とした空色の刃。ガストンの短剣だった。

「それは!」

「君が倒れている側に落ちていた。君のものだろう?」

 ルシオンは、短剣を少しこちらに押しやった。しかし、ここで短剣を受け取るのは、何故か失礼な気がする。

「それは親、代わりの人から借りた物です」

 バベルの質問は、ルシオンの求めていた答えとは少し違かったらしい。質問を重ねてきた。

「では、君はこの短剣がどんなものか知らないのかい?」

「はい。ただ、お前の力になってくれるだろう、と」

 ガストンとの会話を思い出す。集会所でポーチと一緒に渡された時、確かそんなことを言われた気がする。実際短剣は物凄い切れ味で、ミルミクスの肉を簡単に切り裂けたのだから、ガストンの言っていたことに間違いはなかった。

 この人は、何故こんなにもガストンの短剣に興味を持っているのだろう。宿代替わりに寄越せと言われても、それはできない。それだけは、しっかり伝えなければ。

「コレは、魔法武器だ」

「魔法武器!」

 ルシオンの言葉に真っ先に反応したのは、タンゴだった。ちゃんと起きていたらしい。椅子の背もたれから飛び起きるように身を起こしたタンゴは、テーブルの短剣とルシオンの顔を、交互に見つめた。

 随分興奮気味だが、それもそうだ。タンゴの好きな英雄譚にも、不思議な武器は数多く出てくる。本の中では、それぞれに名称は異なっていたが、そのどれもが、魔法のような奇跡を引き起こしていた。確か、タンゴが好きだった英雄譚の中の英雄も、そういった不思議なものを身につけていた。

 鎧は呪いを弾き、左手の剣は闇を祓う炎を操る。だっただろうか。あまり記憶にはないが、何故左手だったのだろう。英雄は左利きだったのか?

 この英雄譚は、タンゴが変に気に入りその話を幾度となくしてきた。だが、その肝心な内容を忘れてしまっていた。確か、集会所の二階に置かれてい他はずだ。幼い頃、タンゴと二人で、何度もその本を開いた気がする。

「もしかして、魔法が使えるのか?」

 一気にテンションが上がったタンゴは、今にもルシオンの両肩を掴み揺さぶりそうな勢いだった。

「落ち着いてよタンゴ。まだルシオン、が話してる途中でしょ」

 年上の、それも初対面の男を呼び捨てにする。その違和感に言葉が詰まった。

「この短剣の名は『空暦剣アルマ』。所持者の記憶を保存し、共に成長する魔法が付与されている」

  ルシオンが、思い出に浸るかのように短剣に視線を向けていた。

 バベルはルシオンの向けるその透き通った瞳の中に、彼自身の過去が鮮明に映っている気がした。

「魔法武器って、何なんですか?」

 タンゴから聞いた英雄譚以外に情報を持っていなかったバベルには、これと言った現実味がなかった。

 ルシオンがマゼンタの瞳をこちらに向けてきた。その瞳には、もう過去は映っていなかった。

「魔法武器とは、今より昔。二つの種族が協力して産み出した技術だ」

 それから、ルシオンは遠くへと視線を向け、話を続けた。ここではないどこか。今よりもっと昔を、懐かしむように眺めていると感じた。

 魔法武器。それは、付与魔法を施した武器の総称だとルシオンは語った。人の手で扱う武器に魔法を施し、安全に魔法を扱えるようにする。まさに魔法の武器だった。

 魔法の使用には、人間の持っていない素材が必要になる。らしい。

 それは、脳の中に存在する器官『亜嚢』に入った魔力だと、ルシオンは語る。

「アノウ?」

 タンゴは、聞きなれない言葉に目を点にしていた。

「亜嚢。魔力を貯めておく器官のことだ」

 これには、バベルが疑問を抱いた。

「魔力って、空気中にあるんじゃないですか? それを使うんじゃ?」

 フードの男は、ふふっと口元を綻ばせた。

「そうだな。魔法を使えない種族の間では、そのように言われている。しかし、空気中の魔力とは、言ってしまえば毒だ。過剰摂取すれば肉体が崩壊するし、興味本位で使用した者は、体の半分がこの世から消えた」

 いきなりの物騒な話にバベルもタンゴも少し身を引いた。この話は、聞いて良い類なのものなのだろうか。

「空気中の魔力は、綺麗すぎる。私達は、これをプレーンと呼んだ」

 私達、か。

「君達が魔族と呼ぶ者達は、プレーンを酸素と一緒に体内に取り込む。そして、酸素は肺に。プレーンは脳の中の亜嚢に運び込まれる」

 人体の内部構造は、正直難しい。ただでさえ、バベルもタンゴも科学や薬学が苦手なのに、魔力や魔法なんて別の生物の固有能力を聞いても、理解することなどできるわけがなかった。タンゴは頭から煙を出し、視線を宙に浮かせてしまっている。脳を使いすぎたらしい。しかし、バベルも頭が痛んでいた。情報が渦を巻き、脳を締めつける。

 それでもルシオンは説明を続け、バベルの耳がその声を捉え続けた。

「運び入れたプレーンは、亜嚢の中で時間をかけ、無毒化される」

 ルシオンの説明をなんとか噛み砕き、バベルは頭に叩き込む。

「無毒化された魔力は魔法の燃料として、最も適しているんだ」

 まとめると、魔法には当然だが魔力が必要で、それは脳内の器官『亜嚢』から取り出す必要がある。空気中にも魔力は存在しているが、これはプレーンと呼ばれ、毒性が強い。故に使えば体が半分になってしまう。そのプレーンは、口や鼻から酸素と一緒に体内に入るが、脳の亜嚢に運ばれそこで無毒化される。魔族などの魔法を使える者は、これを取り出して魔法の燃料にしている。

 なるほど、難しすぎる。

「要するに、人間には使えないんですね」

 聞いた大部分は省き、バベルは頭を抱えるタンゴの為にも簡単な答えに落ち着いた。

「いや、使用自体はできる」

 しかし、ルシオンは否定した。

 タンゴはもう、気絶寸前だった。

「確かに、人間の脳には亜嚢が存在しない」

「それじゃあ——」

「しかし、魔法を使うこと自体は可能だ」

 ルシオンの力強い声に、バベルは気圧された。言われなくとも分かる。分かってしまった。人間が魔族のように、魔法を使う方法。それは……。

「魔族の脳を使用すればいい」

 ルシオンの言葉が、脳内の自分の声と重なり反響した。

 魔族の脳、つまり頭部を持つ。それが意味していることはバベルにだって分かる。

「ただ、これにも問題があった」

 ルシオンの声が沈んで聞こえる。

「魔法を使った人間の約半数は、消し飛んでしまったんだ」

 明確な数字を口にはしなかったが、多くの人間が魔族の首を持ったということだ。そして、その半数は消えた。

 自業自得だと笑い飛ばせれば、どれだけ良かっただろう。消し飛ばした魔族はすでに死んでいる。この話では、誰も残らなかったことになる。無意味だ。

「後に判明したことなのだが、空気中の魔力。つまりプレーンは、その名の通りの状態だったんだ。私達は、知らずのうちに真名を与えていたらしい」

 バベルは黙りこくっていたが、ルシオンは構わず話を進める。

「亜嚢に取り込まれたプレーンは形を変える。適応変化だ。無毒化は、この適応変化の副次的な効果だということだ」

 「つまり、亜嚢に取り込まれたプレーンは、その肉体に適した形に変化していた?」

 ルシオンは頷きながら補足する。

「ほとんど正解だが、一点だけ修正しよう。肉体ではなく、魂だ。魂に準じる形状へと変わる。だから、亜嚢内の魔力は魔法に適していたんだ。魂に準じた形に変化していたのだから、当然と言えば当然だ」

 これで話は終わりだと、ルシオンは口を閉ざす。室内に沈黙が落とされた。とても静かで、部屋の外からも何も聞こえない。まるで、時間が止まったようだ。

「えっと、つまり? それが魔法武器となんの関係が?」

 思考停止していたタンゴが、再起動した。意識はあったらしい。

「魔法武器は、亜嚢を持たない生物。つまりは人間が魔法を使用する目的の道具だ」

「人間のため、だったんですか?」

 バベルは驚きのあまり、危うく後ろに倒れそうになった。

「何を驚いて——いやそうか。君たちは知らないんだったか」

 何かを考え込む仕草を見せたルシオンは、二人の顔を交互に見て、一つ頷いた。

「今よりはるか昔、数百年では足りないほど昔のことだ。私達は、人間と魔族などと区別せず、ましてや争ってはいなかった」

 ルシオンの発言に、タンゴは飛びついた。

「そんなことはない!」

「なぜそう言い切れる?」

 眉ひとつ動かさず、ルシオンはタンゴを見る。その表情は、幼い子供の話を聞く好々爺のそれだった。

「誰だって知ってることだ! 人間と魔族は、生まれた時から互いを嫌い合っていた。本にもそう書いてある!」

「それは、対立した後に人間が描いたシナリオだからだ。真実ではない」

 ルシオンの言葉には、不思議な力が宿っている。否定したタンゴも、それ以上何も言えなくなり椅子に深く座り直した。

「つまりルシオン、さんは、対立する前から生きているんですね?」

 バベルがルシオンの顔。正確にはフードに隠された部分を見てそう言った。魔族の証を隠しているだろうフードは、相変わらず沈黙を続けていた。

「その通りだ。私は、君達が魔族と称する種族の一つ——」

 顔を覆っていたフードを外し、隠れていたその証が姿を現した。

「エルフだ」

 エルフ。その名は御伽噺や英雄譚で何度も目にしたことがある。特徴はやはり、ナイフのように尖った長い耳だろう。そして、この世の生物で一番上手く魔法が扱える種族だ。

 ルシオンの耳はその名の通り長い、と思う。実際は、金属製の耳飾りを被せているせいで正確には分からない。が、そう見える。多分、きっと。

 ルシオンの耳へ視線を向けるまでに、一秒もかからなかったはずだ。それでも、目の前ではタンゴがルシオンの首を掻き切ろうと、短剣をルシオンの首筋に押し込んでいた。

「——っくそ!」

 奇襲が失敗したタンゴは、表情を歪めている。恐らく、殺せなかった事よりも、傷が痛むせいだろう。

「なかなかの速度。そして筋力だなタンゴ。しかし、私の話はまだ終わっていない」

「黙れよ、魔族。俺の中では終わってんだよ。飯を食い終わった時には、な!」

 吊るされた右腕で、短剣をさらに押し込んだ。タンゴの表情は一層深く歪められた。対するルシオンも、首筋に当たりかけている短剣を止めるのに必死なようだ。口元が真一文字に結ばれていた。

「タンゴ止めろ!」

 思わず止めに入ったバベルは、タンゴの右腕を強く掴んでしまった。

 「っ痛ってぇ!」

 短剣を落としたタンゴが、右腕を庇って後ろに転がった。

「あっ、ごめん」

 床で丸まったタンゴに、テーブルを挟んでバベルは謝る。思わず力一杯に掴んでしまった。

「バベル、助かった。感謝する」

 ルシオンも体勢を崩していたらしく、床から立ち上がりつつ短剣を拾い上げていた。

「これは君が」

 短剣の柄が向けられる。確かに、その方が色々と安全だろう。

 少なくとも、ここで血が流れることはなくなる。

「タンゴ、大丈夫?」

 短剣を受け取ったバベルは、テーブルを回り込み、タンゴの隣に膝をついた。

 変わらず丸まっている。よほど痛いらしい。

「私が治そう」

 ルシオンもタンゴの側に片膝をつき、左手をかざす。その姿勢は、どことなく信者へ信託を与える壁画の神を思わせた。

「・ー・・・ーー・・ー・・・ー・」

 ルシオンが、何か口の中で呟いた。言葉は聞き取れなかったが、瞳と同じマゼンタの輝きが、左手から漏れ出て来たことで悟った。これが魔法だ。

 暫くの間、タンゴもルシオンも動かなかった。

 丸まったままのタンゴと、左手をかざしたままのルシオン。客観的に見ると、確かに救済を求める一般人と、救いの手を差し伸べる神官の構図になっている。壁画の神を感じたのは、あながち間違いではないのかも知れない。

「これで、だいぶ楽になっただろう」

 左手から光が消え、ルシオンは立ち上がる。その表情は、随分と疲れて見えた。魔法とは、そんなに大変なものなのだろうか。

「タンゴ……タンゴ、大丈夫!?」

 注意を払い、背中を軽く揺する。しかし、タンゴは全く反応を返さなかった。

「寝てしまったな」

 その様子を、上から見下ろしていたルシオンは、タンゴを抱き上げた。

「どうする気ですか?」

「心配するな。ベットに運ぶだけだ」

 タンゴを抱えたルシオンは、部屋を出てどこかに姿を消した。ついて行っても良かったが、今のバベルにはそんな力は残っていなかった。

 床についた両膝が、離れようとしない。力なく垂れ下がった腕が、動いてくれない。首を持ち上げようとしても、まだ座っていない赤子のように、ぐらりと明後日の方へ傾いてしまった。

 タンゴを掴んだあの時、バベルの中に残った力を全て使い果たしたらしい。

「バベル、君ももう寝るか?」

 部屋に戻ってきたルシオンが、こちらに放った一言目だった。

「いえ、もう少し」

話が聞きたい。その言葉は、口からは出てこなかった。

「手伝おう」

 ルシオンが気を遣ってくれている。手伝うなんて言っているが、さっきのタンゴと同じように、抱き上げられた。

「何か飲み物を用意しよう。少し、このまま待っていてくれ」

 椅子にバベルを運んだルシオンは、そのまま部屋の一角に設けられたキッチンへと姿を消した。

 水を流す音が聞こえる。続いて、何かを洗う音。バベル達が使った食器類だろう。ルシオン、一体何を考えているんだ。

「さぁ飲みたまえ、ココアだ」

 洗い物から飲み物の用意まで、そこそこ時間がかかった。正直、洗い物をしている時に手伝おうと体を動かしたが、全く言う事を聞かず、ルシオンが湯気を立ち上らせる木製のマグカップを持って出てくるまで、バベルは何もできなかった。

「それで、何が聞きたいんだ?」

 テーブルにマグカップを置いたルシオンは、バベルの正面に座り直した。

「それじゃあ、魔法武器の話を」

 テーブルの上に置かれた短剣は、天井からの光を受け、空色の刃を輝かせている。この短剣は、ガストンが生まれるよりも、もっと長い時代を生きてきた業物だ。それを知るには、先ず魔法武器の成り立ちを知る必要がある。

「どこまで話したのだったか」

 ルシオンが、マグカップを一口つける。

「人間のために、作ったと」

 重い体をなんとか動かし、バベルもマグカップを持ち上げた。

「そうだったな。それも結果の話でな、元々は命の短い魔法族の延命技術だったんだ」

 ルシオンの瞳が、カップの中へと落とされる。そこにはきっと、カップ内で揺れ動くココアではなく、過ぎ去った遠い記憶が浮かんでいるのだろう。

「魔法族、って何ですか?」

 ルシオンはカップに口につけ、唇を湿らせた。

「昔の魔族の総称だ。今の人間や亜人と呼ばれる種族は、まとめて『非魔法族』と呼んでいた」

 今目の前にいるエルフは、少なくとも千年は生きている。歴史の授業で魔法族、非魔法族なんて言葉は聞いたことがない。そして、大きな疑問が一つ。

「魔族、魔法族が短命だった?」

「ああ、非魔法族と比べれば、その半分も生きれれば長い方だった」

 だとしたら、目の前にいるエルフはどうして生きているのだろう。とっくに、人間の寿命を超えているはずだ。

「後に判明したのだが、魔法が魔法族の体を破壊していたからだ。もっと早くに気づくべきだった。魔法が及ぼす人体の影響。その甚大さに」

 ルシオンは言った。手で触れずに物を浮かせるのが、どれほど異常な事かと。何もない空間に物を出現させる事が、どれほど危険な事かと。

「魔法とは、ただ便利なだけの奇跡ではない。魔法の使用には大きな代償が必要なのだ」

 私達は、それが寿命だった。そのルシオンの言葉を聞いた上で、バベルの中に、ある疑問が膨れ上がった。

「じゃあ、何で魔法武器を作ったの? 魔法は、危険な物だったんでしょ?」

 ルシオンは動きを止めた。マゼンタの瞳が大きく開かれていた。

「ルシオンが関係してるんでしょ? 魔法武器の出自には」

 暫くの沈黙。マゼンタの瞳はテーブルに落とされていたが、そこには何も映ってはいなかった。ただ、考えている。何をどう話せば良いのかと。

「それは、少し長くなるな」

「分かった」

 頷いたバベルは、マグカップを持って席を立った。体はまだ重くふらつくが、動けないほどではない。

 重い足をキッチンへと向ける。ココアを淹れよう、ルシオンの分も。

「ココア、おかわりもらうね」

「手伝おう」

 ルシオンも席を立ち、二人でキッチンに並ぶ。

 キッチンには、見たことのない道具が置かれていた。

 燃焼石のついたコンロは? 流水枝の蛇口は? 水を捨てる飲藻は?

 バベルの家に置かれたキッチンに取りつけられた物は、どこにも見当たらなかった。

「何、これ?」

 キッチンには、赤い正方形のプレートが長方形に窪んだ箱のようなテーブルの横に置かれているだけだった。更に不思議なのは、窪んだテーブルの中に、水を吐き出し続けている水差しが置かれていることだ。

「ここにある物は、すべて魔道具だ」

 魔道具。なるほど……何それ?

「魔道具?」

 バベルの疑問の声に、ルシオンはマグカップを赤いプレートの上に置いて説明した。

「魔道具とは、魔法武器の前身だ」

 置いたマグカップに、溢れる水差しから水を注ぎ入れる。不思議なことに、溢れた水が赤いプレートに落ちると、その場で踊り出し消えてしまった。

 驚き見つめるバベルを他所に、ルシオンは説明を続ける。

 曰く、魔法武器ができる以前から、道具への魔法付与は日常の中で行われていた。それらは、日常のちょっとした所で楽をさせてくれる便利アイテムだった。例えば、目の前の水差し。魔力を水に変換し永遠に水を注げる。赤いプレートは、魔力を熱に変換して置いたものを温めてくれる鍋敷きだった。その他にも、一人で移動してくれる馬車車や、汚れを自分で落としてくれる服なんて物もあるらしい。

 それら魔道具を研究していたルシオンは、これをもっと別の方向に利用できないかと考えた。

「魔道具は、仕組み自体は簡単だった。道具に魔法を刻み、プレーンを燃料に起動し続ければ良かったからな」

「プレーンは、危険な毒じゃなかったの?」

 キッチンに並んで立つバベルは、手に持ったマグカップの中に、永遠と溢れ出てくる魔法の水を入れながら言った。

「恐らく、魔法の発現元が生物かそれ以外かで、反応が違うんだ」

 ルシオンはバベルの疑問に答えながら、棚からブリキ缶を取り出した。円柱状のブリキ缶はとても綺麗で、昨日今日買ってきた物に見える。蓋を開け、茶色の粉をマグカップに振り入れた。中身はココアパウダーだった。

「ああ、これは保存の魔法が起動しているんだ。見ての通り中身だけでなく、缶自体も新品同様だろう?」

 この言い方は、この缶が年代物だと言っているようなものだ。ルシオンの年齢から考えれば現実味を感じるだけに、あまり深くは追求したくなかった。

 それにしても、生物か無生物かで反応が違うとは、それではまるで、プレーンとは生き物みたいではないか。

 プレーンは、生物にいいように使われるのを嫌い使用者の命を奪う。しかし、それが生き物ではないと分かれば、協力しようと動いている。そんなふうにも聞こえた。

「私は、安全に魔法が使える世界を夢見ていた。だからこそ、魔道具に可能性を感じていたんだ」

 スプーンでマグカップの中をかき混ぜるルシオンの声は、少し沈んでいた。まるで、カップの底にへばりついたココアパウダーのようだ。

「しかし、魔法武器はこれら魔道具とは似て非なる物だった。魔法の制御が困難だったんだ」

 マグカップを差し出したバベルは、黙って続きを促した。

「魔道具は、制御を必要としない簡単な魔法で完成している。しかし魔法武器はとても細かな制御が必要だった。無生物の武器に魔法を刻んでも、それを制御するのは生身の肉体だ。プレーンはこれを拒み、牙を剥いた」

 この言い方も、プレーンが生物であるかのように感じさせる。

「試験的に作成された魔法武器はどれも不安定な物ばかりでな、到底使用出来る物ではなかったんだ。しかし、研究員の一人は功を急いて研究を押し進めた。結果、プレーンは暴走しその研究員はその身を崩壊させた」

 事故だった。そうだろう。一人の焦りで本人が亡くなったのは、事故であり自業自得だ。しかし、視線を下げたルシオンが呟くように言い直した。

「いや、この言い方は適切では無いな。——私が殺した」

 最後の一言が、やけに大きく部屋に響いた。そんな事は無い。研究者が勝手にした事だろう。そう思ったが、言葉はバベルの口からは出て行かなかった。

 ルシオンの表情が暗かった。マゼンタの瞳には強い後悔を宿している。ここでバベルが何かを言っても、それは届かない。そう感じた。

「私は、研究を凍結する事にした。死者が出て、協力者達も怖気付いてしまった。何より、私の心が折れてしまったんだ」

 キッチンに立ったまま、バベルはココアを口にする。甘い筈の液体は、体内に熱を放って入ってくる。しかし、何故だか少し苦く感じた。

 ふと、バベルは自分に疑問を抱いた。何故、こんな話を聞いているのだろう。普段のバベルは、面倒事に巻き込まれないよう踏み込んだ話など絶対にしない。聞かない。関わらないと決めていた筈だ。元を正すと、ガストンの短剣だ。何故短剣の、魔法武器の歴史を聞こうと思ったのだろう。

 魔法が使いたい? 冒険者になりたい? 英雄になりたい?

 どれも当てはまらない、では何故?

 疑問の尽きないバベルの脳が、好き放題考えを散らかしている。情報を書架にしまうのを諦め、ルシオンから聞いた言葉がその辺に落としされている。

 急いで片付けなければ、そう思ったのと同時に、ルシオンが話を続けた。

「そんな時だ、一人の非魔法族の青年と出会ったのは。不思議と、私は研究の事を話した。普段の私であれば、そんなことは絶対にしなかったのに。彼にだけは自然と心が開いた。実験で起きた事。私の苦悩。研究の凍結。全てを黙って聞いた彼は言ったんだ」

 ——なら、俺が使ってやるよ。

 何故か、バベルの耳にはルシオンとは別の男性の声が聞こえた気がした。タンゴに似たとても明るい声。

(あぁそうか。この人にとって非魔法族の青年は、僕にとってのタンゴだったんだ)

「最初は断った。二度とあんな惨劇を産みたく無かったから。なのに、あの青年は毎日私に付き纏って来た。研究は実験はと、とても煩く邪魔だった」

 自然と口元が綻んだ。恐らく、本人も気づいていないだろう。ルシオンの口元も緩く曲がっていた。瞳に、マゼンタの輝きが戻り始めた。

「その粘質さに私は負けた。研究を再開し、非魔法族の彼をテストユーザーに選んだ。彼は剣が得意だったからな」

 とても強かった。と懐かしむように付け加えた。

 種族毎の寿命の違い。その覆しようのない現実の中で二人は確かな時間を共にした。だから、バベルが少し寂しく感じるのは、失礼になるのだろう。

「そんな彼の協力の甲斐あって、魔法武器の開発は順調とはいかずとも、着実に進んだ。確実に研究が進んだのは、彼から与えられたアイディアだった」

 ——プレーンって、どこかに集まってたりしないのか? ほら、雨水が集まって泉ができる。的なさ。

 今回は、姿も想像出来た。

 想像の非魔法族の青年は、タンゴの様に長身で、ルシオンの隣を歩く。いつでも笑みを絶やさず、研究が進まないと落ち込むルシオンに笑みを向け、その悩みを吹き飛ばしてしてしまうのだ。海に沈んだルシオンを引っ張り上げる様に。

「実際、プレーンが集まっている物質は存在した。採取には結構苦労したがな」

 青春時代の楽しい思い出を語る様に、ルシオンは笑みを浮かべている。この物語は、ルシオンの長い寿命の中で確かな重さを持った色濃い物だったのだろう。バベルはそう思った。

 自分にはあるだろうか、こんな顔して思い出せる記憶が。そんな考えが頭を掠める。

(まだ十六。まだ子供だ。そんな餓鬼が何を分かったような事を)

 自分で自分を嘲笑うバベルの隣で、ルシオンはココアを煽る。

「プレーンは、純粋な物を好むんだ」

 一呼吸置いたルシオンが放った言葉。——純粋?

「この純粋とは、生物、無生物関係ない。例えば、この森の地下に溜まっている地底湖。あそこにはプレーンが濃く集まっている」

 ガストン達が、毒蛇を討伐しに行った場所だ。

「湖だけではない、この世界に生成された一部の鉱石、樹木、骨、そう言った物にプレーンは集まっていた」

「鉱石?」

「ああ、私と彼はそれらを材料に、一振りの剣を作成した。正確には製作を依頼したんだがね」

「誰にですか?」

「ドワーフだ。魔法族の中で、随一の制作技術を持つ種族だ」

 ドワーフ、聞いた事がある。

 山を切り裂く斧を持ったドワーフが、人間達を苦しめていた。金品の強奪。田畑の蹂躙。やりたい放題なドワーフの元に現れたのが、一人の英雄だった。名前はなんと言っただろう。英雄がドワーフからその斧と首を奪い、人間達を守る。そんな話だった気がする。本の題名もすっかり忘れた英雄譚には、そんな事が綴られていた。

「そうしてドワーフの剣に、私が魔法を刻み込んだ。結果は成功。魔法武器の完成だ」

 これが魔法武器の始まり。

 ドワーフが金槌を打ち、エルフが魔法を刻む。人間がその剣を握り、自然の逆風に抗う。非魔法族と魔法族の共存。

「これが、魔法武器についての簡単な話になるか」

「うん、ありがとう」

 ルシオンの話は何時の話なのか、それは聞けなかった。これ以上彼の過去を覗くような事は失礼に感じた。

「ついでと言ってはなんだが、私が完成させた付与魔法と魔法武器は、他の者の研究を推し進めてくれた」

 自分が完成させた魔法なのに、まるで他人事だ。

「他の研究?」

「ああ、『魔法装具』だ」

 また新しい単語が出てきた。

「まぁ、魔法装具とは、魔法を付与した防具の事だ。そんなに難しい話では無い。攻撃用が武器。防御用が防具と言った捉え方で問題無い」

「なるほど」

「それでは、君が知りたがっているもう一つにも答えよう」

「え?」

 僕が一体何を聞きたがっているのだろう。まだ何も質問していないのに。

「あの短剣について、正確には刻まれた魔法についてだ」

 ルシオンが、テーブルの上に置かれた空色の短剣を示す。

「分かるんですか?」

「当然だ。アレは私がドワーフの友人と、人族の彼と一緒に作った物だからな」

 まさかの制作者本人だった。そんな事があり得るのか。

 テーブルに戻ったバベルとルシオンは、短剣を眺めながら話を続ける。

「この短剣の名は、空暦剣アルマ。所持者と認めた者の生涯を記録し、共に成長する武器だ」

 

<空暦剣アルマ>

 付与魔法:記録魔法アルマナック

 制作者:ルシオン・ラビフット アース・ファルト フレイ・ユーリング

 所持者:ガストン・ジニアレス

 はるか昔、遠くへと離れる友人に送った一振りの短剣。飛航石ブルースカイを剣身に、赫灼龍の甲状軟骨とアエスクルスの枝で作られたこの短剣は、使用者の所有から死亡までを記録し、次の所持者へと引き継ぐ。


「それは、先程話した非魔法族の彼へのプレゼントだった。とある事情で、彼は遠くに出なくてはいけなくなった。そこで、私とドワーフの友人とで彼の為に作った」

 ルシオンは、我が子にするように優しく短剣を撫でる。

「彼は帰って来なかった」

「え?」

「何処かで死んだのか。それとも居場所を見つけたのかそれっきりだ」

 居場所を見つけた、つまり誰かと一緒になって余生を暮らした。もしそうであれば、ルシオンに何も言わないのはおかしな話だ。二人は友人以上の関係だ。それは話を聞いていれば分かる。そんな彼に、何も言わずに消えるだろうか。あり得ない。つまり、彼は死亡したんだ。どこでどう死んだかなんて、誰にも分からない。

 誰にも?

「ルシオン」

「何かな?」

「この短剣、アルマは使用者の記憶を保存しているんだよね?」

 ならば、あるはずだ。最初の所有者、ルシオンの友人の青年の記憶が。

「無理だ」

 ルシオンは頭を振る。こちらの考えを先読みしての行動だ。

「何で?」

「記憶を見られるのは所有者のみ。それも任意ではない。所有権が、次に移ったその時だけだ」

 所有権。今の所有者はガストンだ。つまり、ガストンは見たはずだ。しかし、それを聞くことはできない。森でエルフに会い、それが短剣の制作者だなんて、誰が信じるだろう。信じたとしても、そうなればバベルとタンゴは今度こそライセンスの永久発行禁止となり、コボルトの森には多くの冒険者が集まる。ルシオンを殺す為に。残る選択肢は……。

「止めなさい!」

 突然のルシオンの大声。考えに耽っていたバベルは椅子から体が浮いた。正面に座るルシオンの目には怒りが宿っていた。

「親代わりの人なのだろう? そんな事を考えるのは、止めなさい」

「ぁ、その……ごめんなさい」

 何を考えた。今、自分はとても恐ろしく、とても残酷な事を考えていた。

「それで、その……短剣のこと、なんですけど——」

 気まずくなった空気の中で、話を聞き決めたことをバベルは口にした。

「ルシオンに返すよ」

「何?」

 これは元々ルシオンの短剣だ。大切な友人に贈った大切な物だ。それをガストンが、ましてやバベルが手にして良い物じゃない。彼らの思い出を汚してはいけない。

「これは、ルシオンとドワーフと、非魔法族の青年の大切な思い出でしょ? それを、僕達みたいなのが持ってちゃいけないと思うんだ」

 しかし、ルシオンの反応は、バベルの思い描いたものとは別だった。

「バベル、私に同情は必要無い。この場においては、寧ろ侮辱とも取れる」

 ルシオンは、短剣の柄をこちらに向けて来た。その瞳は真っ直ぐで、なんの迷いも見せていなかった。

 やってしまった。バベルの脳が後悔を滲み出した。

 ルシオンと青年の間には確かな絆があった。それは話を聞いた中でも分かっていた事の筈だ。そんな二人の間に割って入るような発言。これでは、侮辱と呼んだ方が正確だ。バベルは今、二人の友情に同情と名の付いた泥を被せようとした。

 後悔と恥じらい。それに自己嫌悪に体が乗っ取られて、ルシオンのマゼンタの瞳も目の前に出された空色の短剣も、見れなくなってしまった。

 逃げ場のない視線を窓の外に向ける。まだ、夜は深い。バベルの胸の中も、窓の向こうのように真っ暗に染まっているのだろうか。だから他者を傷つける事を、平気で考えてしまうのだろうか。

「君は優しいのだな」

 ルシオンの声が聞こえる。とても優しくて、とても胸に突き刺さる声だ。ミルミクスに刺された釘など比較にもならない程痛い。

 どうせなら罵倒して欲しかった。唾を吐き捨て殴って欲しかった。優しくされては、更に自分が惨めになる。

「しかし、極端すぎる。それではいつか——」

 ルシオンが言葉を区切った。目を向けると、優しげな視線とぶつかった。心の底からこちらを心配する年上のそれだ。

「何ですか?」

「いや、何でもない。それよりも、もう一つ君話しておきたい事がある。眠くはないかな?」

「はい、大丈夫です」

 逆に、こんな状態では寝られないだろう。考え事が多過ぎる。

「彼の剣についてだ。本当であれば、彼のいる間に話したかったのだが、先にこちらを見せれば、私は殺されていただろう」

 部屋の中に置かれた木製のクローゼットを開いたルシオンは、中から赤黒い大剣を取り出し、こちらに見せてきた。

 確かにタンゴの剣だ。そして、ルシオンの考えは正しい。ガストンの短剣をテーブルから奪いルシオンの首に突き立てたのだから、あの剣だったならば、確実に切り飛ばされていただろう。

 タンゴの大剣、何処かの希少鉱石から削り出した柄から剣先まで一体型の大剣。赤黒色が特徴的の、長さ二〇〇センチの長物。

「打製石器みたいでしょ? それ」

 何故タンゴがこれに惹かれたのかは、バベルにも分からない。鉱石を削って作ったとは言っても、見た目が酷い。削り割られたの方が適切だ。

 雑に割られた剣身は、同等以上の硬度をもつ石をぶつけて無理やり刃をつけているようにガタガタだ。ガードの部分も、鉱石が叩き割られ左右に左右非対称の長さで広がっている。綺麗にならす事が出来なかった柄は、魔物の皮らしき黒い帯を巻き付けて、滑らないようにしている。

 何度見ても、ゴブリンが洞窟内で作った手斧の親戚だ。

「そうだな」

「まさか、それもルシオン達が作ったなんて言わないよね?」

「まさか。これは知らない。ただ、素材の方は知っている」

 テーブルに剣を置いたルシオンは、もう片方の手に持っていた物体も一緒に置く。

 赤黒色の結晶。タンゴの大剣と同じ色。光沢を放っている。

「これは?」

「光玉龍の心臓だ」

 心臓。つまりは臓物。こんなに硬く、キラキラ輝いている物が?

「この結晶はその一部だ。そしてこの剣は、その心臓を一つ使って作られた物だ」

 竜の内臓を握って戦っていたのか。タンゴは。

「それで? この剣がどうしたの?」

「プレーンの棲家なんだ。竜の死体は」

 つまり、この剣は魔法武器に出来ると言う事だ。

「じゃあ、ルシオンが魔法を刻めば、魔法が使えるようになるの?」

 ルシオンは頭を振った。

「いや、このように形状が不確かでは難しいだろう。この剣をしっかりと形に出来れば或いは、といった状態だ」

「そうなんだ。色々あるんだね、魔法にも」

「当然だ。付与魔法は、器の縁に合わせ、水を勢い良く注ぐような物だ。形が不確かでは、その水が溢れてしまう」

 もし溢れたらどうなるか、簡単な話だ。自分の半身とお別れだ。

「ドワーフと出会う機会があれば、整形を依頼すると良い。彼等ならば、これの扱いも知っている」

「タンゴに伝えてみるよ」

 きっと嫌がるだろうけど。

「さぁ、もうそろそろ休みなさい。陽が出たら、森の出口まで案内しよう」

 気付けば、眠気が頭をぼーっとさせている。丁度いい頃合いだ。

「そうだね。ありがとう」

 テーブルから立ち上がり、バベルはアルマを持って部屋を出た。

 疲労が眠気を加速させる。視界がぼやけて床が斜めにグネグネと曲がって見える。

 そんなぼんやり歪む世界で、見知らぬ明るい青年が、こちらへ笑いかけている気がした。

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