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歴史の授業〜魔法武器編〜

 先日ご飯をご馳走になった部屋で、バベルはルシオンと別れてからの話を語った。タンゴと並んで街へと戻る途中で、祭りの喧騒が聞こえて来たこと。そこで口喧嘩になったこと。街に戻ってすぐに向かった集会所で、勇者一行との邂逅したこと。そこで、タンゴを殴ったこと。

 これについては、ルシオンに怒られた。曰く「どんな理由があろうとも、友を殴るな」と。間違っている友人は殴ってでも止めるべきだと言ったら、ルシオンは困ったように眉を下げただけだった。

 それから、レインのことも話した。彼女のことなど、ルシオンには関係ないはずなのに。

 タンゴを殴った事に対しての言以外では、ルシオンは黙って淹れてくれたココアをこちらに向けながら、その顔に微笑を浮かべるだけで傾聴の姿勢を取ってくれていた。それに甘える形で、バベルはとにかく語った。自然に囲まれた清涼なこの邸宅から出た後の、森で出会った新たな友と別れた後の、つまらない凡骨男の物語を。

 冒険者達が、勇者を筆頭に森へ向かったことを語った時には、ルシオンも暗い顔をこちらに見せた。

 街に残ったバベルは集会所でヴォルガダの書いた英雄譚を読み、それから石壁の内側で爆発が起きて、突如溢れ返った魔物と剣を交えたと、木のマグカップを軋ませながら語った。

 裾の広がった衣装を纏った踊り子のように、カップの内側でココアが揺れた。

 予想していた通り、やはり、魔物は森の住民だったらしい。ルシオンが、重々しげに口を開き、教えてくれた。

 胸の中に開いた穴に、ドブのように汚れた水が流れ込んできたような感覚だった。一口含んだココアが痛んでいたと言うのならば、どれほど心安らかでいられただろう。

 ココアは新鮮だ。と、言うよりも、それが入っていたあのブリキの容器自体も、買ったばかりの、作ったばかりのようにピカピカだった。だから、今手元にあるこのココアだって、大腕を広げて大地に根を張り巡らせた樹木から落ちた果実から生まれ出た、嗜好の種が挽かれてできたばかりとだって言える。

 カップを机の上に置き、バベルはルシオンの瞳をまっすぐに見た。心の中に入ってきたそれが、ココアでもドブ水でもないと、自分自身が一番分かっていたから。

 バベルは語った。マゼンタの瞳だけを見つめ、静かに語った。シックネススコーピオンの目を潰したこと。足を切り落としたこと。あの赤子を、何も知らない幼子を苦しませたと。ポツリポツリと、口にした。

「気にすることはない。魔物の世界は、弱肉強食が鉄則だ」

 バベルの話を聞いたルシオンが答えたのはそれだけだった。そうして、また傾聴の姿勢に戻る。この間にも、ハーゲンティはずっと、バベルの発した言葉を反芻するだけだった。話を理解してる風には見えなかった。

 その後、夢でルシオンと会ったことも話した。「夢なのに、本当にそこにいる気がした」と話した時にはルシオンは目を細めたが、それ以外にこれといったものを見せず、口を開くこともなかった。

 語り終わったバベルは、最後に再度「ごめん……」と小さく呟いた。その一言には、森の魔物を殺したことだけでなく、フラクシスを殺すことを止められなかった事に対する謝罪の意味も含まれていて、ルシオンはそれを全て見抜いているかのように頷いた。

「バベル。先程も言ったが、魔物の世界は弱肉強食だ。君はその優しさから、種族を超えて命を平等に見て、人間の枠に当て嵌めているのだろう。それ自体は素晴らしいことだ。何物も尊ぶべきだと言うその考えは」ルシオンはそれから、マゼンタの瞳をバベルの瞳に反射させた。「しかし、その考えを魔物側(こちら)に押し付けるのは失礼にあたる事だ。だからそれ以上、強者としてここにいる事を、勝者としてこの家に再度訪れてくれた事を、悔いないでくれ。それが、君にできる彼らの供養なのだから」

 全くその通りだと思った。また人間の傲慢さが出ていたのだと、マグカップを包んだ両手に力を込めた。

 勝手にこちらの常識を押し付け、魔物の尊厳を踏みにじった。そう思った瞬間、自分の両手がとても汚らしいものに見えて、両肩が飛び跳ねた。

 命懸けの争いに相手への敬意など、魔物は必要としていない。必要なのは、どれだけ泥臭かろうと、血みどろに塗れても生きようともがく、その意志ではなかろうか。

「話は戻るが、バベル。君が見た夢は、正確には夢ではない」

 バベルは驚き、目を見開いた。それを変わらず真顔で見続けるルシオンは言った。

「現実に起きたことだ」

「ハイッテキタ、コトリ」

 ハーゲンティが、こちらに鹿の面を向ける。

 まただ。『コトリ』とは、何を指しているのだろう。

「コトリとは、君のことだ。バベル」ルシオンがこちらを指差す。「君が夢の中で見た私は、私自身だ。私もまた、この子の中に入った君の気配を感じ取った。夢での私の発言はそれ故だ」

 夢の中でのルシオンの視線が、目の前に座っている本物のルシオンと重なった。

「何でそんな事が」

 あまりの非現実さに、バベルは動揺を隠せなかった。そもそも、あの時見た樹木の魔物は、木でできた何かだった。ハーゲンティとは似ても似つかない。この子は、寄せ集めたようにも見えるが、きちんと生物の体を持っている。それに、中に入るなど魔法でも使わない限りできない奇跡だ。

「魔法ではないさ」

 ルシオンは、はっきりそう言い切った。

「…………そんなに僕って、顔に出てる?」

「ああ。かなりな」

 ルシオンの同意の言葉が、頭を振ってきたようで、バベルは少しショックを受けた。

「……魔法じゃないなら、何?」

「その原理は、未だ解明されていない。が、かなりの人物が経験している突発的な自然現象だ。私の古い知人もその経験を持っていた」懐かしそうにらには目を細めて窓の向こうを見た。「原理はわからないが、私なりの仮説ならば聞かせることができる」

「知りたい。聞かせて」

 バベルの即答に、ハーゲンティも「キキタイ」と言葉を重ねた。

「簡潔に言えば、シンクロだ」

「シンクロ?」

「シンクロ」

 バベルの疑問の言葉と、ハーゲンティの言語学習の言葉が重なった。

「他者の五感を共有する側と、他者の意識を体内へ受け入れる側とで、何らかの接点が結び付き起きる現象だ」

「…………ちょっと、よくわからないんだけど?」

「ワカンナイ」

「つまり、君とハーゲンティが繋がる直前、何らかの接点ができていた。ということだ、そしてバベルはその接点を通って、ハーゲンティの中へと迷い込んだ」

 言われても理解できなかった。ハーゲンティとは、見た目から何まで似ている部分はない。

 それまで大人しく椅子に座っていたハーゲンティが、唐突にその身をブルリと振るわせ、鹿の面を斜めに傾がせ言った。

「アレ、ツヨカッタ」

 あれ、とは何のことだろうか。発声練習ではないのは分かったが、その言葉の真意は汲み取れなかった。

「君が感じた強い感情を、ハーゲンティも感じたと。そう言うことだ」

 強い感情。ここ最近の目まぐるしい非日常の中のどれかのことを指しているのだろうが、候補がありすぎて絞り込めなかった。

「それらの波長が似通っていた為に結び合い、互いを共有した」

 それがシンクロだと、ルシオンは締め括った。

「なる、ほど……」

 分かったようなわからないような曖昧な返事をしつつ、バベルは握りしめていたマグカップを持ち上げた。

 口の中に、ココア特有の甘い香りと味が広がった。

 頭の中でぐるぐる回るルシオンの説明文の一つひとつを整理するのを手伝おうと、そのココアの甘さが脳にまで這い上がり広がった。

「つまり、ハーゲンティが感じた何かを、僕も感じたってこと?」

「対象が同じである必要はないが、それがきっかけだろう」

「対象?」

「アレ、ツヨカッタ」

 また『アレ』か。

「あれとは、勇者達のことだ。ハーゲンティは君と繋がる前、勇者達と戦闘を行った」

 マグカップを再度持ち上げた手が止まった。そして、驚きで見開いたその目をハーゲンティへ向けた。

「本当に?」

 しかしそうなると、幼子のような言動をするこの魔物は、勇者一行と交戦し生き延びた事になる。そこまでの戦闘能力を有していると言うのだろうか。

「勇者との交戦で得たこの子の恐怖や絶望は、君の持っていた絶望と結びついたのだろう」

「僕の、恐怖、絶望……」

 恐らく、フラクシスの死がそれに一番近いのだろう。それが、ハーゲンティの受けた感情と似た波長だった、と。

「ユウシャ、コワイ」

「そうだな」

 ルシオンはハーゲンティの言葉に同意して、その恐怖心に寄り添っているようだったが、バベルは何も言えなかった。

 ハーゲンティは震えているが、その力が勇者に匹敵すると知った今、心配することが憚れたから。なんせ、バベルより強いのだから。

「……そういえば、勇者は聖剣を使うって聞いたんだけど、どんな剣だった?」

「セイ、ケン?」

「何だそれは?」

 ハーゲンティの疑問とルシオンの疑問が重なった。

「ルシオンでも知らないの?」

「ああ、聞いたこともないな」

 不思議そうな顔をしたエルフに、バベルはグリッドから聞いた話をそのまま語った。

「勇者パーティは全員なんらかの魔法武器を持ってるみたいなんだけど、勇者のそれがなんなのかわからなくて」

 だからここに来たと、バベルは最後につけたし口を閉じるとルシオンを仰ぎ見た。 

「聖剣か。その性能がわかれば、どのような物かの見当は付いたと思うが」

 顎に指を這わせて考えるルシオンはそう言って言葉を切った。

 古い記憶を遡っているのか、ルシオンは目を瞑った。それを見ていたバベルとハーゲンティは、邪魔をしてはいけない空気を悟ったからか、二人とも何も言わず、ルシオンが動き出すのをじっと待っていた。

「まさか、魔剣か? いやしかし、そんなことは…………」

「魔剣?」

『魔道具』『魔装具』『魔法武器』それらとは別に出てきた、新しい魔法の技術『魔剣』。

 バベルの脳は、書架から無数の御伽噺を引っ張り出した。魔剣も聖剣も、どちらも御伽噺の産物だ。少なくとも、人間の世界ではそうなっている。

「魔法武器とは、魔法を付与された武器を指す。だが、魔剣は魔法が剣へと具現化した姿だ」

 目を瞑ったまま、ルシオンは数日前に魔法武器について教えてくれた時と同じ声音で語り出した。

「魔法が、具現化?」

「この話をするには、魔法についても教えなければいけないな」

 そこで目を開いたルシオンは、唐突に席を立った。

「だが、その前に昼食としよう」

 どうやらキッチンへ行くらしい。その場に残されたバベルはココアを一気に呷り、これまでの情報を整理しようと大きく息を吐き出した。

「バル」

「ん?」

 ハーゲンティがこちらを見つめている。大人しく椅子に座っている歪さもさることながら、虚な瞳がこちらの胸中を見透かしているようで、首筋がソワソワした。

「ナニ、アッタ?」

「何が?」

「ゼツボウ、ナニ、アッタ?」

「あぁ…………」

 ハーゲンティの好奇心は、現在は繋がったバベルの絶望に矛先を向けているらしい。

「ユウシャ、コワカッタ……イタ、カッタ」

「僕は、大切な知人を失ったんだ」

「チ、ジン?」

「知り合い。僕とハーゲンティみたいな関係だよ」ハーゲンティの被ったバングルディアの瞳と、フラクシスの虚な瞳が重なって見えた。「勇者達に殺されたんだ」

 今思い出しても、胸が痛む。獣が寝転ぶ以外には真っ暗な空間を広げ切った胸の中で、痛みが縦横無尽に飛びまわっているようだった。

「シンダラ、ドウナル?」

 ハーゲンティは瞬きをしない眼をこちらに向け、問いかける。その答えはとても難しい。それを知るには死ななければいけない。しかし、死人は喋らない。そして、バベルはまだ生きていた。

 死後がどうなるかなど、生者にはわからない。

「わからない。どこかの教えでは、命の天輪に戻って次の生が始まるまでそこで休憩するとか」

 こんな話をハーゲンティにしたところで、理解できないだろう。難しすぎる。言葉も考えも、まだそこまで育っていないのだ。

 現に、ハーゲンティは首を傾げてその角が窓を軽く叩いていた。

「ごめん、僕にはわからないや」

 結果、バベルも理解していないと首を振った。

「イノチ……ワ?」

「輪、輪っかの事だよ」そう言って、バベルは胸の前で、両手を軽く曲げて円を形作った。

「ワッカ」

 ハーゲンティのトカゲの五指が同じ形を作った。

 意外と使いこなしているらしい。歪な見た目から肉をくっ付けただけだと思ったが、その中身はきちんと繋がっているのかもしれない。


 「用意ができた。皆で頂こう」

 キッチンから盆を両手に持ったルシオンが出てきたのは、ハーゲンティに手を使った仕草を教えていた時のことだった。

 最後に教えたのは、いただきますと、ごちそうさまでしただった。

 盆の上で湯気を登らせる美味しそうな匂いに、バベルの胃袋は知らせを送る。

「ところで、ハーゲンティは何を食べるの?」

 ご飯のマナーをついでに教えていたが、食事をとるのか聞いていなかった。

「基本的には日光と水だけだが、時々魔物の肉を食す」

 魔物の肉、その残骸が、今の身体になっているということだ。

「なるほど」

「ナルホド」

 ハーゲンティは口真似して、テーブルへとその身を翻す。どうやら今日がその日のようだ。

 硬めのパンとバングルディアのスープ。同じバングルディアの骨付き肉の香草焼きがテーブルに並んでいた。ハーゲンティも人間の食事でいいらしい。

 味覚も同じなのだろうか。

「では、頂こう」

「いただきます」

「イタダキマス」

 二人と一体が、テーブルを囲んで両手を合わせている光景に、バベルはなんだか安心感を覚えた。

 ルシオンとの再会で、本当にたくさんのことを得た。その中で一番なのは、着実に人間臭い仕草も覚える、この魔物の学習能力だろう。


 昼食をとり終えたバベルとルシオンは、話の続きを再開した。バベルには一生使うことのできない技術、魔法について。そして、魔剣について。

「最初に、魔法に必要なものが何かは分かるかい?」

「えっと……魔力は亜嚢の中のものを使うんだよね? それ以外に必要なものがあるの?」

 こめかみの辺りを小突くバベルを見たルシオンは一つ頷き、それから魔法について話し始めた。

「確かに、以前私は亜嚢に蓄積された魔力を使用すると言った。しかし、それ以外にも魔法には必要不可欠なものがあるんだ」

「それは?」

 バベルは、神事などで使用する祭具を思い描いたが、以前タンゴに回復魔法をかけたときのルシオンは、そんな物を持っていなかった。フラクシスもだ。

 思い出して、少し身震いした。

 顔を覆ったあの感触も、時間と共に忘れてしまうのだ。フラクシスの死は、時間の経過で古くなって行く。その事実を、実感した。

「魔力の他に必要な物。それは呪文だ」

「呪文……ああ」

 御伽噺に出てくる悪い魔法使いがよく呟いている物だ。確かに、タンゴに手をかざていたとき、ルシオンも何かを呟いていた。

「正確には、『現語』と呼ばれる言葉を使用する」

「ゲンゴって名前の……言語なの?」

「ああ、現世に現象を引き出す言ノ葉。だから現語だ」

 なるほど。この言葉を生み出した者は、なかなかのネーミングセンスを持っているらしい。バベルは一人、食後のハーブティを口に運びながら思った。

「魔法の行使には、亜嚢の魔力と現語による呪文。この二つが必要となる」

 魔力と呪文。魔法っぽい話だ。

「そして、この世に現存する魔法は、基本的に六つに分類されている」

 そう切り出し説明を続けるルシオンの顔は、学生時代に見た教師連中のそれだった。あまり好きな部類ではないが、話が話なだけに、バベルは前のめりに机に齧り付き教わった。

 魔法の六分類。

 魔力を物質に変換する『チェイン』

 魔力を操作して万物を操る『コール』

 存在している物質を他の物質に変身させる『フィックス』

 事象を消去する『レイズ』

 意思疎通を図る『アドミット』

 この世の理に触れる『トゥルー』。

「これら六分類の魔法を武器や防具、または道具に付与することができるのが付与魔法だ」

 ルシオンの説明を聞き終えて、バベルは首を傾げた。

「だったら、最初から七分類だって言えば良かったんじゃない? 話を聞いた感じだと、付与魔法はどれとも合致しない気がするけど?」

 謙遜しているのだろうか。

「分類とは、年々増える魔法を纏めることで分かりやすくする措置だ。中には、どれに分類するのが正しいのかと、未だ議論されている魔法もある」

「つまり?」

「付与魔法は、たった一つだけ。これを新しい分類に分けるのは間違いだと言うことだ」それに、とルシオンは続けた。「私の付与魔法は、現在フィックスに分類されている」

 フィックス、別の物質への変身。この変身というのも、少し違和感を覚える。普通は変化とか、変質ではなかろうか。ただ、そうなると『チェイン』に近づくことになるため、あまりこの分類は当てにならないのかもしれない。

「先に言っておくが、話の大元になっている魔剣とは、これら六分類の魔法では作製できないとされている異物だ」

「えっ?」

 付与魔法ではないと、ルシオンの口ぶりから察していたが『チェイン』だと思っていたがために、バベルは驚いた。その隣では、ハーゲンティがバングルディアの骨をバリボリガリっ、と食べている。

 そこまで綺麗に食べるとなると、人間より行儀が良くなってしまったかもしれない。

「魔剣は、私が研究者をしていた時から謎の多いものとして、多くの探究家たちの解明対象だった」ルシオンは一呼吸置いて放った。「しかし、結局詳細は分からぬまま、魔王に全て封印されてしまった」

 封印。つまり、この世には存在しないはずの『異物』。

「封印敢行当時、魔剣は他の世界からの渡来物だと言う説が広まった。研究を続行できなくなったことと、魔剣を精製できた者がいなかったことが相まって、この説が通説となるのもそう時間はかからなかった」

「だったら、その線はないんじゃないの?」

「そうだな。しかし、それ以外で『聖剣』などと大層な名前をつけられる物を、私は知らない」

 魔剣か。そんな物騒な物が、この世にはあったのか。

「マケン……アノケン、アブナカッタ」

「危なかった? どんな風に?」

 ハーゲンティの言葉に、バベルは興味を持った。骨を綺麗に三人分平らげたハーゲンティは、乾燥し切った灰色の舌をベロリと見せた。

「ササレタキズ、クズレタ」

 崩れた?

 毒の系統だろうか。しかしならば、ルシオンでも知っているだろうし、すぐに教えてくれただろう。

「でも、ルシオンの記憶にはないんだよね?」

「すまない。私の知る限り、細剣に毒を付与した者などはいなかった」

 ルシオンは言った。昔の剣士は小細工を嫌い、毒などは嫌われる最たる例だったそうだ。

 昔の冒険者は、騎士道精神溢れる者が多かったようだ。

「今の冒険者も昔とそうは変わらないさ」

 また読まれた。

 ハーゲンティのように何か仮面でも被るかと、本気で考え始めたバベルは、一先ずそれを頭の後ろ辺りに放り目下の疑問を口にした。

「見たの? 冒険者」

「この森に攻めてきた時にな」ルシオンは平然と言ってのけた。「魔物を殺して喜ぶ者は、今も昔も多少はいたものだ」

「そうなの?」

「生命の根に宿るものは、時代に流されるようなものではないと言うことだ。」

 ここでのルシオンとバベルの話は少し難しかったようで、ハーゲンティは話の途中で、視線を窓へと向けていた。植物らしく、日光浴が好きなのか? 体に使用しているその肉片じみたものたちは、腐らないのだろうか?

 疑問が喉元まで出かかって、バベルはそれを飲み下した。そして、別の疑問をテーブルを挟んで向かいに座る教師に投げた。

「魔法の中で、生物を移動できるものってある?」

 バベルの脳裏に張り付いているのは、先日のコーラルの騒動だった。

「ある」短く放ったルシオンの声色は、今までの感情が全て嘘だったのではと思わせるほど、無機質だった。「空間魔法だ」

 「空間魔法?」

 名前だけで、なんとなく分かる。空間をどうこうの類だろう。そしてこちらの問いかけへの返答として出してくるあたり、生物を一瞬で移動させるなどなのだろう。

「考えている通りのものだ。大体はな」

 何がそんなに嫌なのか。ルシオンは、この話題に入った瞬間から、冷たさを孕んだ声を発っしていた。

「残りの一部は?」

「魔法の中でも危険な部類だ。空間魔法に仲間分けされている、転移魔法に関しては特にな」

 転移魔法。物を別の場所へ移すと言う。しかし、魔法ならばそう驚くものでもないように感じる。空を飛んだり、相手の考えを読んだり、相手の思考を操ったりできるのだから。

 まぁ、これらは全て、御伽噺で得た情報だ。あまり当てにはできない。

「転移魔法を含め、空間魔法のどれもがその範囲設定の難しさに、研究者たちは無空間爆発をよく引き起こしていた」

「ムクウカンバクハツ?」

 ハーゲンティのように、カタコトになってしまった。聞いたことのない単語には、人間も似た反応をするらしい。

「無空間爆発とはその名の通り、無空間の発生によって生じる制御の効かない爆発だ」

「無空間って何?」

「空間魔法とは、空間の入れ替えを行なう現象にすぎないんだ」ルシオンは、テーブルの上に置いたコップを片手に説明してくれた。「例えばこのコップ。ここからテーブルの端まで空間魔法で移動したい時」コップを盆の上に置いた。「その周りの空間も一緒に移動しなければならない」

 盆を持ち上げ、ルシオンはテーブルの端へと移動させて見せた。

「人単体とか、物体単体での設定はできないってこと?」

「無理とは言わないが、体の一部を失うだけで済めば御の字、と言ったぐあいだ」

 それは、ほぼ不可能というのではないだろうか。いや、再生できるのであれば、実質危険性はなくなり、他の物を巻き込む可能性も排せる。

(そんな生物がいれば、の話だけど)

「空間の設定が完了したら、あとは移動先の空間を切り取るだけなのだが……」ルシオンは、テーブルの端に置かれたハーゲンティが平らげた骨の入っていた器を持ち上げた。「見ての通り、コップと盆の大きさと、こちらの器の大きさとでは差異が発生するだろう」

「それは、入れ替えに指定した空間の量が違かったって事?」

「そうだ。移動先の空間を的確にこちらの空間と同量で取り出すのは、不可能ではないが、できる者は限られる」

 盆とコップをテーブルの端に、器を手元に置いたルシオンは首を振った。

「この差異が無空間と呼ばれる。切り出した空間の過不足によって起こる現象なのだが、その後に起こる現象が厄介なのだ」

「爆発?」

 バベルにも心当たりがあった。街で見た白光と爆発。あれが無空間爆発だったではなかろうか。あの時、街の各所の空間を切り出し、森の中の魔物を含めた空間と入れ替えた。その結果差異が生じ、無空間爆発を起こした。

 辻褄は合う。

「その通りだ。空間の足りなかった方では無空間が発生し、その中で、新たな宇宙を形作ろうと爆発が起きる」

 とても物騒なことを聞いた。宇宙を作る? そんな事が、コーラルの中では何度も発生していたのか。

「無空間爆発が生じた時、もう一方では余りの空間が発生して空間の氾濫が発生する。これを空間軋轢と呼び、周りの空間を押しやるため、天変地異を思わせる嵐や竜巻が起きる」

 空間魔法とは、ただの便利移動魔法などでは全くなく、お手軽国家転覆技術だったようだ。

「この森でも、竜巻は起きていたよ。おそらく君が爆発を目にしていた時にな」

「そうだったんだ」

 そんな余裕がなかったのは当然だが、全く気がつかなかった。その中で生還した勇者一行とガストン達は、やはり超人の域を超えているのかも知れない。

「だから私は、空間魔法が嫌いなのだ」唾と一緒に吐き捨てたい。そんな態度でルシオンは続けた。「自身の力を勘違いした魔法族の多くが空間魔法に手を出し、災害をもたらしたからな」

 まさか、研究所内で行ったのか? だとしたら惨事では済まない大事だ。

「空間魔法を正確に行えるのは、私が知る限り二人だけだ」ルシオンが指を2本立てた。「私の妻と魔王」

 ………………今、何と言った?

「妻? ルシオン既婚者だったの?」

 まさかの事実に、バベルは危うく椅子から転げ落ちそうになった。

「ああ、とても美しく、可憐な女性だった。彼女の魅力は、周りにいた誰もを元気づけた」

 懐かしむルシオンの表情に、バベルはこれ以上の追求をためらった

「……あとは魔王…………魔王?」

 自分で言っていて、その矛盾に気がついた。

「どうした?」 

「いや、おかしいでしょ。魔王が空間魔法を扱えて、無空間爆発をさせない腕を持っているなら——」

「脳だ」ルシオンが、的確な修正を入れてきた。「正確には、腕ではなく脳だ。空間の設定は脳で行う」

「——とにかく、それだけの力量を持っていながらなんでコーラルでは無空間爆発を起こしたの?」

 ルシオンの知っている魔王と別人なのか、代替わりをしているのか。

 後者は、あまり現実的ではない。魔王の代替わりなど、今まで一度も聞いたことないのだから。歴史の授業でも、現代までの魔王はただ一人で、そのたった一人に、勇者は何代も何代も殺されてきた。

「何を言っている? 今回の騒動を引き起こした元凶は確かに魔王だが、空間魔法は非魔法族が行ったことだ」

「………………え?」

 ルシオンは、きょとんと目を開いていたが、何かを思い出したように、表情を一変させた。

「そうだったな。非魔法族の間では、すべて魔王が起こしたことになっていたのだったな」

 未だ驚愕と困惑から抜け出せていないバベルは、脳内に散らかった情報の断片をなんとか分別収集して、書架へ本として収納した。そこに追加の情報など入るのか怪しかったが、バベルの嫌な予感が自然と口を動かした。

「詳しく教えて」

「エアリゴンだ」

 ルシオンの断定したその言葉に、バベルの脳に妙な感覚が走った。電気が流れたような、何かが引っかかってそちらに引っ張られるような、そんな奇妙な感覚だった。

 ルシオンの口にしたその名前に、バベルは聞き覚えがある気がした。以前どこかで聞いたはずだと、脳内の記憶領域をバベルは漁った。どこだ……? 散らかった脳内を捜索しつつ、書架の方にも手を伸ばす。

「エアリゴン……」

 一人呟いたバベルは、脳の中で一枚の紙片を拾い上げた。まだ本になっていない、情報の欠片だ。そこに書かれていた内容はグリッドが話した、英雄達の魔法武器についてまとめたものだった。

空換斧(くうかんふ)エアリゴン。空間魔法を付与された、私の知人の作品だ」

 ルシオンも、何か嫌な記憶を持っているのか、その表情は険しくなっていた。

「オノ、アタッタ、アタマキエタ」

 それまで窓で日光浴を楽しんでいたハーゲンティが、突然鹿の頭をこちらに向けてきた。しかし、胴体は動かさなかったせいで、首がありえない方向に捻れてしまっていた。見ているこちらからすれば、恐怖の絵面だった。

「消えた? 今あるのは?」

「ハーゲンティは、一度肉体を失っている」

 ルシオン曰く、ハーゲンティの種族は、核となる球根を破壊されない限りは、そこから他の生物の血肉を取り込み、自身を強くしていくことができるらしい。つまり、死なない限り、際限なく強くなると言うことだ。

 前回は、ラムゴスとディーサントスを半分づつ寄生していたとか。

「ちなみに、その時には、頭部は二つあったのだが——」

「ゼンブ、モッテカレタ」

 ラムゴスもディーサントスも馬型の魔物で、この森でも珍しい魔物だ。きっと街に持ち帰り、換金したのだろう。 

「それじゃあ、夢でルシオンが言っていた斧って」

「ああ、エアリゴンのことだ。私は今回の騒動の元凶を知っていたことになる」

「そうだったんだ」

 バベルには、彼を責める気はなかった。バベル自身、この騒動の大元を把握していたのだから。それを棚に上げて、争いが終わった後に何を知ったとしても、それでルシオンを責めることなどできるわけがない。

「後は、その斧を誰が使っていたか。だね」

 そんな高価なものを所持できるのは、限られている。コーラルの三老人か、勇者一行のどちらかだ。

「英雄の一人だった。ハーゲンティも戦った」

 バベルの求めた答えは、すでにルシオンとハーゲンティが持っていた。

「アイツ、キライ」

 言われてみればだ。ハーゲンティと戦った人間など、勇者パーティしかいない。なぜ気づかなかったのだろう。そして、そのパーティで斧を使っているのは、たった一人だけだ。

「ウィリアム・アームストロング・ヘレボルス」

 あの眼鏡だ。しかし、それだと変だ。確か、アイツの武器の名前はエアリアルだったはずだ。似てはいるが、エアリゴンではない。

「グリッド——英雄の一人から聞いた名前と違うのはなんでだろう?」

 そんなバベルの疑問を、ルシオンはなんでもないと片手で払うが如く、易々と答えた。

「彼らは、魔法武器を詳しくは知らない。真銘を知らなくとも、不思議はないさ」

 なるほど。しかし「あの眼鏡の魔法武器か……」

 一気に吐き気が込み上げてきた。せっかくのご馳走を吐き出してしまってはもったいない。だが、よりにもよって一番気嫌いな男が持っていた斧が、今回の騒動の元凶だった。その事実に、バベルの体が、あらゆる不調で不快を表現していた。

 眩暈、吐き気、寒気。本当にあの男は、どこまでも不快な存在だ。

「空間魔法って、人間に扱える物なの?」

 あの眼鏡は、”使えている”の内には入らない。バベルの考えは、ルシオンにも伝わったらしい。

「人間にできる芸等ではないだろうな。それどころか、彼は無空間爆発と空間氾濫を付加効果だと思っている節があった」

 ルシオンの整った顔が浮かべるその表情も、険しさを増した。ルシオンもウィリアムが所有者では不満心頭らしい。

「そもそも、空間魔法を扱えること自体珍しいことなのだが、あの性格の所有者ではどれだけ鍛錬を積んでも無駄だろう」

 悲しい事だ。ルシオンはそう続けた。製作者側の視点を持っているだけに、正しく使えわれていない事実が彼を苦しめているのだろう。

「バル! アブナイ!」

 突然のハーゲンティの叫びは甲高く、声が裏返っていた。

 一体何事かと、ルシオンもバベルもハーゲンティを見たが、窓を背にしているハーゲンティの姿を目視で確認することは叶わなかった。

 白一色に眩く輝く窓の向こうに照らされ、ハーゲンティの細長い体躯は影に染められシルエットを浮かばせていた。

 次瞬間、窓の向こうの光は窓ガラスを突き破り、バベルたちのいる部屋いっぱいに流れ込み、二人を一体の体を包み込んだ。

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