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変人奇人とコイン人間

 コーラルが誇る、各分野の研究者が集まって出来た研究機関<アイザック>。そこが、バベルの今日の目的地だ。場所は学校の直ぐ近くで、この二つの建物があるおかげで、北東の一区画は教育研究区画と呼ばれている。

 大通りに出たバベルはまず、学校近くまで目指した。昨日の帰路で分かったが、大通り以外はその殆どが使えなくなっている。近道を考えれば、大通りが一番だ。しかし、アイザックは学校の裏側で、道を外れる必要がある。通常の道で行くのであればの話だが。

 バベルは学んだ。地上は殆ど使えないのだから、空中を移動した方が早いと。

 学校より、幾本か中央広場寄りに建てられた店舗。ここは確か文房具屋だったか。学校で必要な文房具が切れれば、タンゴと一緒にここへ来ていた記憶がある。

 脇に伸びた通りからでもアイザックには行けるのだが、見事に瓦礫だらけだ。広めな通りだが、魔物や人間の死体も散乱していて、そのままでは通れそうになかった。

 元文具店は、正面扉の取り付けられた壁が、綺麗に店内を押しつぶす形で倒れてくれていた。屋根が、角度の強めな坂道となってバベルの眼前に用意されていた。

 ここを登れば、他の建物の屋根に乗ることができる。

「よっ、ほっ——ととっ!」

 バケツを右手に、骨や爪牙を包んだ毛皮を左手にと、両手が塞がり重心が傾いていた。坂道を登るのも一苦労だ。中身が溢れれば大惨事のため、バベルは慎重かつ、素早く屋根に登った。

 風が頬を撫でて行く。夢の中の方が澄んだ空気だったが、地上よりはマシだ。

 アイザックの屋上は、学校と殆ど同じぐらいの高さにある。この辺りの建物より頭一つ飛び抜けていて、一目で距離を計ることができた。そして、研究所としての機能を維持していることが分かった。

 窓から見える廊下を、白衣を着た青年老人が慌ただしく走り回っていた。フラクシスの件だろうか。

 これだけ面倒なルート取りをしたんだ。突き返されたら、そのままその辺に捨てよう。冒険者の死体の側に撒いておけば、職員たちが回収してくれるだろう。

「忘れてた。バケツ、どうしよう……」

 バケツには、冒険者協会の備品管理シールが貼られている。そのままアイザックの人に任せられるだろうか。

(中央広場に行けば、誰かしらいるか)

 屋根を慎重に進みつつ、バベルはそう答えを出した。

 今日の予定は未定のままだ。研究所以外、特に何をするでもない。

 屋根の上は、地上よりも快適だった。まず風通しが良い。石壁を越えて流れてくる風が、心地よかった。死体と土砂の混じった臭いがここまでくることはなく、清らかな緑の風が、足元にまで這い寄っていた死の気配を押し除ける。完全に消えるわけではないが、地上よりも息がしやすかった。

 そして足場。崩れかけていて、一歩間違えれば屋根ごとバベルも落下するが、それは一部分のみの話で、見極められれば問題ない。

 路地を通れば二十分はかかったであろう道のりを、バベルはものの五分で到着した。

 研究機関アイザックの石畳に足をつけ、その巨体を見上げて感嘆の息を漏らす。壮観な眺めだった。

 灰色の粘土とレンガでできた眼前の建物は、左右に腕を伸ばしてバベルを抱き止めるように囲み、要所要所に研究分野ごとのシンボルが掘られていた。

 薬草と丸底フラスコは薬学。植木鉢に若芽は植物学。猪頭にナイフは解剖学だったか。その他にも錬金術、鍛治、裁縫といった、職人業種系統の分野のシンボルも見られた。

 ここだけこんなに綺麗なのは、何か理由があるのだろうか。

 研究施設アイザックだけは、傷一つ無い綺麗なままだった。ここだけは、時間が止まっているように。ここだけは、その時コーラルにはいなかったように。

 正面玄関を目指して眺め歩くバベルの視線は、一つのシンボルに釘付けになった。足を止めて、それを見上げた。

 魔法陣にハテナマーク。

「魔法学、か」

 バベルは一人呟き、一人のエルフを思い浮かべていた。

 ルシオン達魔族が使える特別な技術だ。つまり、人間では到底扱えない異業。それでも研究に勤しむ者がいるのだから、研究者とは、変わった生き物だ。

 両開きの扉の片方を開いたバベルは、数メートル先の受付カウンターへと真っ直ぐに向かった。白衣を着た研究者らしい見た目の青年が、こちらをじっと見ていた。

「どうも」

「……なんの御用で?」

 見てわかる通り、不機嫌だ。寝不足が原因か、はたまた臓物を持ってくる冒険者が多すぎるのが原因か、受付としてそれはどうなのかと聞きたくなる程、態度が悪かった。

「コボルトとアトオミケの肉と内臓です。処分してもらいたいんですけど」

 バベルの言葉に、青年はクマの濃い両目をかっ! と音が出そうな勢いで開き、受付カウンターから身を乗り出してきた。

「処分?」

 言い方が悪かったようだ。しかし、買い取ってくれと言うのも上からすぎる気がする。こんな時は、何と言って渡すべきなのだろう。

「こんなに素晴らしい内臓を、君は捨てろと言うのかい?」

 違った。かなり気に入っていた。

「ここにこれらを持ってくる冒険者は非常に少なくてね。内臓なんか、全て燃やしてしまえって考えらしい。こんなに素晴らしいのにだよ!」青年は目を輝かせて、バケツをひったくった。「どれも腐敗していない! 良い、実に良いよ君!」

 そのまま、中身を口に含みそうな角度でバケツを覗き込む青年は、嬉しそうに飛び跳ねた。バケツの中身が溢れないかと、バベルは心配になった。

「それじゃあ、お願いしますね」

 そのまま戻ろうとしたバベルだったが、青年の「待ってくれ!」と大きな声が背後から投げられことで、渋々振り返った。

 やはり、バケツは持って帰らなければいけないのか。

「こんなに素晴らしい物を無償でなんて、貰えないよ。研究室に案内しよう。そこで報酬を支払わせてくれ!」

 この人は変人だ。でなければ、病人。

 バベルは、心底冷えた眼差しを向けていたと思う。

「こっちだ。ついて来てくれ」

 白衣の青年は、バベルのなまざしなど気づきもせず、と言うより、見もせずに、さっきまでの不機嫌さは消え去った顔で、バケツを片手に鼻歌混じりにステップを踏んでいた。

 外見が綺麗だったアイザックは、中身も被害がなかった。周りの建物は崩れているが、ここだけは全く綺麗なままだった。

「この建物は、無事だったんですね」

 不思議に思ったバベルは、鼻歌を歌いながら歩く、ご機嫌な青年に質問した。

 正直、これは異常なことだ。他の建物に被害が出ていてここだけ無事なのは、どこかの研究の成果なのか。それを発表していなかったことを、住民に叩かれるのではないだろうか。

「そうなんだ。先生たちが言うには、色んな分野で出た薬品の匂いが魔物を近寄らせなかったんじゃないかって。そりゃあもう、大慌てさ」

 窓から見えたのは、その可能性を立証しようとしているグループだったのかもしれない。

 肉や内臓、血脂の詰まったバケツを揺らして歩く青年と、部外者のバベル。一見不審に思われる組み合わせだが、廊下を進む二人を他の研究者は全く気にしていなかった。そもそも、ここに二人がいる事に気づいているかすら疑わしい。誰もが、自分の研究に没頭していたから。

 階段を上がり、三階を目指す。

「皆さんすごい集中力ですね。廊下でも研究に没頭してるなんて」

 呆れ半分に言ったバベルは、階段を上り切った所で、手元の書類を見つめた研究者同士がぶつかりそうな場面を目撃した。

 バベルは「危ない!」と、叫ぼうとしたが、彼らは視線を上げる事なく、互いに少しズレて、そのまま通り過ぎて行った。

「…………凄いですね」

 人間業か? あれ。

「みんな自分の研究以外は無関心な連中だから。かくいう僕もね」

 自信満々に言っているが、バベルはこれらには共感も憧れも感じなかった。ただただ変人の集まりだと、一歩引いた位置で冷めた目で見ていた。

「ここが僕の研究室だ」

 三階廊下の突き当たり、入り口からは最も遠い場所。扉には『魔物正体研究室』の文字が見られた。他の研究室には、印刷道具を使って書かれた大層なプレートが掛けられていたのに、ここは紙に手書きで貼り付けられているだけだった。

「ささ、どうぞどうぞ」

 中は備品が乱雑に置かれ、廃墟の様相を呈していた。埃の積もった瓶棚。置き場のない出しっぱなしの実験道具が占領しているテーブル。床に散乱した書類の数々。足の踏み場もない。

「…………えっと?」

 このままでは、書類を踏んでしまいますよ? そう言おうとしたバベルだったが、お構い無しに踏みつける青年を見て、色々と察した。

「お邪魔、します…………」

 ガサガサと、音を立てる足元が異様に気になりながらも、バベルは部屋の中へ青年の背中を追う。時々足に引っ付く紙を剥がして見れば、そのどれもが重要そうな書類だった。中には、研究成果らしきものをまとめた物もあった。

「魔物の生態を研究してるんですか?」

 一枚の書類を流し見たバベルは、青年に声をかけた。

 バベルは、入り口で見た掛札の文字が間違っていると思った。『正体』ではなく『生態』ではないのかと。

 青年はクマの濃い顔をバベルに向け、にこりと笑みを返した。恐らく、何度も言われて来たのだろう。そう、顔が物語っていた。

「あれは、間違っているわけじゃないんだ。僕の研究科対象は魔物なんだけど、その生態よりも、発生源に惹かれて研究しているんだ」

 だから正体。青年はそう言った。

「発生源? 魔物は、魔物じゃないんですか?」

 言っていて妙な気分になった。

「確かに。誰もがそう思っているね。だが僕は見た。この目でね」眼鏡を指で押し上げ、青年は言った。「何の変哲もない犬が、魔物になる瞬間を」

 当然、信じられない夢物語だ。図書室で読んだ御伽噺の方が、まだ現実味があると感じた。

「信じてないね。当然さ。僕だって、直接見ていなければ信じてないからね」

「本当に、見たんですか?」

 バベルの問いに、青年は首が取れそうな程縦に振る。まともに話を聞いてくれたことの方が、少ないのだろう。異常な喜び様だった。

「本当なんだ! なんせ魔物になったのは、僕が子供の頃に飼っていた一匹の犬なんだから」

「犬が、魔物に……」

 コボルトだろうか。確かになりそうだとは、バベルも子供の頃は思っていた。しかし、ありえない。

 この手の研究は、昔から続いている。その大半が、現代では禁止になった危険な実験ばかりで、研究者はもれなく監獄行きとなって処刑された。目の前の青年が、その類いでないでくれと、バベルは心の中で祈った。

 不思議と、この青年に不快感はなかった。どこかの英雄とは——同じような眼鏡をかけた男とは——大違いだと思った。

 恐らく、視線の先だろう。彼の目には、研究以外何も映っていない。誰が彼に話そうが、空気と同一なのは変わらない。しかし、あの眼鏡——ウィルアムは違う。身分で人を判断していた。パーティメンバーとこちらに向ける視線が違うのは、まあ分かる。しかし、支部長のオルソですら、バベルへ向ける視線と同じ物だった。

 昔、バベルは同じ目を向けられた事がある。街へやって来た貴族の一団だ。誰もが自分が一番だと信じて疑わず、上からの物言いと魔物でも見ているような視線が、今もバベルの中で、不快な物として残っていた。

 貴族の視線。それが、眼鏡を毛嫌いしていた理由だった。

「僕が犬を連れて散歩に出た日の事だ。なんてことはない、いつもの街の通り。そして、気持ちがいいくらいに晴れていた」

 青年が、一人過去を語り始めた。気付けば、研究の話を聞く流れになっていた。ただ臓物の処分をしに来ただけなのに。

「人通りもいつもと変わりなく、僕とチロは通りの真ん中を歩いていたんだ」

 チロ? 犬の名前だろうか。仲が良かったのかな。

「しかし、その時だ。突然チロが地面を転がり、その場でうずくまって呻き声を漏らしたんだ」何がそんなに嬉しいのか、青年は狂気的な笑みをこちらに向けて来た。「勿論、僕は心配で近寄ったんだ」

 瞳孔が開いている。興奮しすぎだろ。

「そしたら、チロがいきなり僕に爪を立てて来たんだ。こう、引っ掻くようにね」

 研究者の彼は、両手の指を曲げて空気を書くような仕草をして見せた。

「それはただ、チロがあなたを攻撃しただけでは?」

 黙って聞いている事ができなくなったバベルは、現実的な答えを口にした。

 飼い犬に噛まれる、よくある事だ。

「そうじゃないんだ」青年は大袈裟に腕を振って否定した。「あの目は、いつものチロじゃなかった!」

「目?」

「そう、目だ。まるで……そう! このコボルトのように、結膜は淡黄。角膜は赤く、瞳孔がさらに鮮やかな血のような赤色に変色していたんだよ!」

 部屋も自分も汚れるのをお構いなしに、口の開いていた胃袋を素手で引っ掴むと、その中に入れていた眼球を拾い上げて、こちらに向けてきた。曇ったレンズが、バベルのなんとも言えない表情を反射していた。

「何かの病気だった、とか?」

「それだけじゃあないんだ! 僕に爪を立てて来た後、チロは火を吹いた」

「火?」

 犬が火を吹く病気など、確かに聞いた事がない。

「僕が仕込んだ芸なんかじゃない! 誓って言えるさ!」

 青年が力説するたびに腕を振るので、床や天井、テーブルの上に赤い斑点がいくつもできていた。

 この人は、研究以外に興味が無い。そう、研究者として必要な資料や研究成果の報告書ですら、この人にとっては無価値な存在なのだと分かった。だから、研究所内でも干されているのだろう。床の斑点を見たバベルは、その考えが確信に変わった。

 この青年に最初に会った時、彼は不機嫌を露わにしていた。それは、フラクシスの研究に参加させて貰えなかったからだ。

 研究者にとって研究結果は、自身の命と同等。時にはそれ以上の価値で見ている。それを土足で踏みにじる彼が、他の研究者に受け入れられるわけがなかった。

「それじゃあ、その火って……」

 バベルは床から視線を剥がし、興奮して挙動不審気味になっていた青年に戻した。満足げに笑っている。それが答えだ。

「魔法だ! 一部の魔物が使える、火の魔法を使ったんだ! 僕の、チロが!」

 魔法? 飼い犬が? 

「あり得ない」と、思ったことが、そのまま口から出ていた。しかし、その答えを聞いた青年は、再度満足げに頷いた。

「そうだろう。だから僕は研究しているんだ。全く新しい魔物の誕生に立ち会った。この僕が!」

「ちなみにその、チロは結局どうしたんですか?」

 殺されたんだろうことは、分かる。街中に魔物が現れれば、即討伐対象だ。憲兵か冒険者か、違いがあるとすればその辺りだろう。

「逃げたよ。僕からも、憲兵からもね」

「逃げた? じゃあ今は」

「ああ、どこに居るのかわからないんだ。生きているのか、死んでいるのかすらね」

 少し悲しげなのは、自分のペットだったからではないと、バベルは理解していた。せっかくの研究材料が逃げた事が、悔やまれているのだろう。

「君は、鶏と卵、どちらが先かといった問題を聞いたことはあるかい?」

 突然の話題の転換に、バベルは面食らった。チロはどこに行った?

「まぁ、はい。聞いた事ありますけど」

「どっちだと思う?」

 青年の瞳が、ギラついた研究者然としたものから、少年のような純粋な輝きを放つものへと変わっていた。

「そう、ですね」

 バベルがこの問題を聞いたのは、森に初めて行った時よりも幼かった気がする。あの頃の自分は、どちらと答えたのだったか。古く色褪せた記憶を辿りながら、ぽつりと答えた。

「卵、ですかね。多分」

 しばらく考え、出した答えは後者だった。

 どこかの鳥が産んだ一個の卵から孵ったのが、偶然ひよこだった。この流れが、バベルの中ではしっくりときた。

「僕は鶏だと思ってる」

 青年とは、全体的に価値観が合わないようだ。

「元々は別の鳥だった個体が、ある日突然鶏になったんだ」

 青年の言っている『ある日突然』とは、長い年月をかけての進化のことではないのだろう。

「チロと同じように、変化のない日常の中で、その肉体に何らかの変化が起こった。その結果だと思うんだ」

 それが魔物の原点だと、青年はそう言った。

 バベルは沈黙していた。何を言って良いのかわからなかった。

(そもそも、魔物の発生源を特定したからといって、それが何だと言うのだろう?)

 「だから、君が持って来た魔物の素材はこちらで買い取りたいんだ。内臓や肉だけじゃない。毛皮に骨。それから爪や牙なんかもね」

 まさかの申し出だ。この荷物を全てここで受け取ってもらえるのならば、それは喜ばしい事だ。

「じゃあお願いします。ああ、ついでと言っては何ですが、冒険者の死体回収の場所って知ってますか?」

「突然なんだい? 僕がそんなことを知っているわけが無いだろう」

 やっぱり、人間には興味が無いようだ。当然、死体を集めておく場所などバベルも知らない。

「そこに、カルカロと呼ばれる冒険者に擬態したミミクゥリの死体があるはずです。首に刺し傷があるだけなので、良かったらそちらも確認してみてはいかがでしょう」

 あの傲慢男が、目の前の変人の餌食になるのなら少し面白そうだ。バベルはそう考えた。

「本当かい! ミミクゥリの死体だと。それも、冒険者に擬態した状態で…………」

 やはり食い付いた。

「ありがとう。確認してみるよ! これは買取金だ。そしてこっちは、手間賃だと思ってくれ」

 テーブルの上に置かれた金庫から、幾つかの硬貨が手渡された。

 硬貨には、どれも王国の紋章が表面に、裏面には円形の線をいくつも重ね合わせたレリーフが。アウリス王国が発行している王国貨幣だ。

(うん、本物だ)

 このような公の場ではなかなか聞かないが、路地裏等に置かれた怪しげな店では、偽物が渡される事があるから気を付けろと、ガストンから教わっている。

 ガストンが持っていた偽硬貨の出来が良かったせいか、バベルは一目で硬貨の真偽鑑定ができるようになっていた。

 渡されたのは、金貨が一枚と銀貨が五枚。それに銅貨が十七枚と、そこそこ高額だった。

”1アギオス5フェノス17ティオン”それが今回の報酬だった。報酬なんて言い方は冒険者臭いが、それでも一種の達成感があったのも事実だ。

 1アギオスは25フェノスで、1フェノスが80ティオン。この辺りを纏めてくれるのは有り難い。硬貨をじゃらつかせるのは、あまり好きではないから。

「ありがとうございます。それじゃあ僕はこれで。お邪魔しました」

「ああ、こちらこそ。また何か魔物の素材を手に入れたら来てくれ!」

 研究室を出て、バベルは一人入って来た入り口まで戻る。

 道中、青年の名前を聞くのを忘れていた事に気がついたが、まぁ二度と持ってくる事は無いのだから気にしたってしょうがない。と、そのまま階段を下った。

「…………うわぁ」

「ん? お前は」

 一階の受付カウンター前で、関わりたくない人間の一人と目があってしまった。

 真っ直ぐに伸びた金の髪を流した軽薄そうな雰囲気を纏った男。『群攻』の二つ名を持つ英雄、グリッド・ナイジェラス・サフラン。現在進行形で、受付の女性研究者をナンパ中だった。

「なんだ、街長の息子じゃねぇか」

 若い女性研究者の両手を包んだまま、こちらに首だけを曲げてきた。

 白を基調とした金縁の上着。その中には、何の素材で作っているのか、赤い布製の服が袖口から見えた。黒のスラックスは、特有の光沢を持っている。恐らくコラプスバジリスクの抜け殻が使われているのだろう。

 見るからに高価な防具だ。名前でもわかっていたが、貴族出身はやはり違う。

「息子じゃないです。群攻様は一体ここで何を?」

 嫁探しだろうか。冒険者は、いつ死ぬかわからないからな。それも勇者の仲間であれば、より危険度は増すものだ。

「嫁探しだ」

 まさかの正解だった。しかし、それを女性の前で堂々と言うのはどうなのだろう。それも、両手を握りしめたままの姿勢で。

 今思い出したが、この男は会議室でもレインを凝視していた。握られている両手を見つめて、惚けている女性研究者とレインとでは随分ベクトルが違うようだが、この男には見境と呼ばれるものが無いのだろうか。

「お前、顔に全部出てるぞ」グリッドが、呆れたように腰に手を置いた。「こっちにも事情があってな」

「そうですか」

 手で口元を隠したバベルは、グリッドの海のような深みのある瞳から目を逸した。

 この男の目は、眼鏡とは違うらしいが、信用できる相手ではない。フラクシスの一件もある。あまり関わりたくない。

「僕はこれで失礼します」

 早口にそう言ったバベルは、グリッドの横を通り抜けようとした。が、これを肩を掴まれたことで停止させられてしまった。

 視線を少し上に上げれば、爽やかな笑みが降ってきた。

「まぁ待てよ。俺は、彼女の先生が作った薬をここで待たなきゃなんだ。話し相手になってくれよ」

「いえ、こちらにも用事があるので」

 未定が予定だ。とても大切な予定を崩されるのは勘弁願いたい。そもそも、こんな女たらしと、一体何の話をしろと言うのか。趣味も話題も合わないだろう。

「それじゃあ、お嬢さん。先生によろしく!」

「は、ひゃい!」

 こちらなどお構いなしに、腕を肩に回してきた軽薄男はそのまま入り口隣のソファーに腰掛けた。勿論、腕を回されているバベルも巻き込まれ、その体はソファーに沈んだ。

「なぁお前さ、何でそんなに俺たちを毛嫌いしてるんだ?」

 グリッドの眼差しは、真剣なものに変わっていた。さっきの軽薄さは完全に隠れている。

「爺さん連中のは、まぁ分かる。今回のは俺たちの不手際だ。しかし、お前の目にはそれとは別の……なんて言うかな、敵を見るような、憎しみめいた何かが浮いてる気がすんだよ」

 一体何を言っているのやら、バベルにはグリッドの話がわからなかった。

「僕もガストンたち同様、この街を壊されたことを根に持ってるだけですよ」

 それ以外に、何かあるはずもない。フラクシスの話など、こいつにはしない。

「だから、全部顔に出てんだよ」ため息を吐き、グリッドは肩に回した腕を離した。「お前は、あの爺さん達のように、街を壊した事も住民に被害を出した事も気にしちゃいない。だからこそ不気味なんだ。一体何を理由に、俺たちを睨んでるんだ?」

 顔に全て出ていると言うのなら、分かるだろう。こっちは貴族が嫌いなんだ。それに、知り合いを殺した相手と、どうやって仲良くなれと言うんだ。

 バベルはソファーに深く座り直し、視線を入り口扉を挟んだ向こうの壁に向けて話題を逸らした。

「あなたこそ、何でこの街の女性に次から次へと手を出してるんですか? 嫁が多くては大変だと思いますけど?」

「そりゃお前、子供を多く残すためにきまってんだろ。生物の持つ絶対の使命だ」

 グリッドは話を変えられたことなど気にもせず、飄々と答えた。その態度には、軽薄さが戻っていた。

 恥ずかしげもなく言い放ったグリッドは、ニヤリとこちらに笑みを向けてきた。

「お前の片思いの嬢ちゃんも、俺の中じゃ範囲内ってわけだ」

 レインの事だろうか。タンゴといいこの男といい、何故レインが片想いになっているのだろう。

「俺の嫁にならないか、って聞いたんだ」

「そうですか。それで、彼女は何と?」

 口元に手を当てて、バベルは顔を隠す。考えを読まれるのは、決して気分の良いものでは無い。

「この街から出られるなら喜んで、だとさ」

 グリッドの言葉が、耳を打つ。

「それって、いつ話したんですか?」

「ん? お前が帰って来る前の晩だ。会議室に呼ばれて初めて会った時だな」

 初対面で告白とは、軽薄さから生まれたような男だ。しかし、今はそんなことはどうでも良いことだった。

 レインは既に、カルカロとの婚姻を破棄にできる手段を持っていた。だのに、こちらに話を持ちかけた。一体何故? いくつもの道を作り、確実性を取る為? それにしてはお粗末だ。英雄からの求婚と吊り合うものなど、そうそう無い。ましてや、ライセンスを持たないバベルでは、難易度を上げるだけだ。

(からかっていた、のか?)それが一番可能性のある話だ。容姿も頭脳も優れた彼女が、自分から危険な道を望むとは到底思えない。

「まぁ王都は難しいが、小さい街でなら家を買う事もできるって返したら、考えるってさ」グリッドはやれやれと首を振った。「その後、何の音沙汰も無し。なんか聞いてないか?」

「いえ、何も」と、口元を隠し俯いたバベルは短くそう返したが、思った以上に無感情な声が喉から出た。

 ヒヤリとした感覚が首筋に流れ、バベルはグリッドの海へと視線を向けた。

「……そうか」

 勘違いだったのか、グリッドはソファーから身を起こし、壁を見つめるバベルの視界の真ん中に映り込んできた。

「その、聞いてくれるか? 俺の話」その姿は荷物を背負い過ぎて、これ以上登ることができないと膝を負った登山家のようにも見えた。

「嫌です」

 即答した。相手が何をどれだけ抱えていようと、萎らしく頼んでこようが、面倒事はごめんだ。もしこれで、レインの説得を頼まれでもしたらことだ。

「俺は、出来るだけ多く子供を、子孫を残さなきゃならねぇんだ」

 こちらの話を無視して、グリッドは語り出した。さっきの研究員青年といい、変人たちは揃いも揃って語りたがりだ。

「……………それは何故?」

 こうなったら、早めに話を終わらせて帰るとしよう。

「アイビーの為だ」

「勇者の?」

 あまり勇者を慕っているようには見えない軽薄男だと思っていただけに、これは意外だった。それとも、勇者も範囲内なのだろうか。有り得る話だ。この男は恐らく、整った顔をしている女性であれば、誰でも良いのだろう。さっきの研究者とレインの共通点など、そのくらいしか思いつかない。

「あいつは強い。それ故、孤独だ」グリッドは見るからに、肩を落としていた。「俺達でも、足手纏いなのは分かってる。でも、勇者が全部一人で抱えるってのは、間違ってんだろ。だから俺は、残すことにしたんだ」

 俺の血を。その言葉は、研究所の壁や天井に、薄く消えて行った。

「ちょっと話が見えないです」

 男の一人語りが退屈で、バベルの脳は半分寝息を立て始めてしまっていた。勇者の為に、英雄の血を後世に残したい。それが全てだとは思うが、それは別にこの軽薄男のものでなくても良いはずだ。

「勇者は生まれ変わる。何度も何度も、何度もだ」

 これは歴史の授業で習ったことだ。曰く、記憶の継承がされている代がいるとか。そして、その勇者は歴代の勇者の中でも、無類の強さを誇ったとか。授業の内容は記憶に薄いが、その程度はまだ脳内に残っていた。

「今回の勇者もそれだと?」

「それは分からねぇ。あの性格だ。何考えてんのか読めねぇんだ」グリッドがしゃんと背筋を伸ばして、こちらを真っ直ぐに捉えて言った。「だが意味はある、と思ってる。俺の子供達がいつか、勇者を支える英雄になる。ってな」

 真っ直ぐな目だ。そこにちゃんと意志が宿っている。彼なりに考えてのことらしい。しかし、それは彼の事情だ。こちらにはそれを、助力する意味も意義もない。

「それを聞いて、僕に何しろと?」

 レインの説得など嫌だ。面倒だ。

「別に、何をって事はねえよ。ただ話を聞いて欲しかっただけだ」

 グリッドは乾いた笑みを浮かべ、ソファーに再度身を沈めた。

 全ての貴族が、皆一様に平民を見下しているわけじゃない。そんなのは分かっている。分かっていたが、この世には確かに不可視の柵が存在する。互いにどこかで一線を引き、貴族と平民を明確に区別している。しかし、目の前の英雄はまるで、目の前には何も無いかのようにその柵を越えてきた。

「ちなみにな」グリッドが、芝居がかった明るさを見せ言った。「他の街には嫁が十三人いるんだ。子供は十八人」

「………………は?」

 元気な事で…………。

「お待たせいたしました」

 廊下の奥から、ラッパのように高い声が届いた。見れば、頭のてっぺんが禿げ上がった老人が、木箱を両手で大事そうに持ち、ひょこひょことこちらに近づいてきた。その見た目は、さっきの青年や、受付でナンパされていた女性研究者よりよっぽど研究者らしい見た目だった。しかし、木箱を大切そうに持ちひょこひょことこちらへ向かう姿は、棘を踏んで飛び跳ねる猫のようで、バベルは少し笑ってしまった。

「おっ、爺さん。頼んでたのはできたかい?」

「ええ、ええぇ。グリッド様」老齢研究者は禿げ上がった頭頂部をこちらに見せた。「お持下さった調合表が、詳細明確でしたでな。調薬が本来以上に簡単でしたです」

 老人は手元の木箱の蓋を開き、蓋を隣に控えている女性研究者へと手渡した。その木箱の蓋には、薬草と丸底フラスコのシンボルが焼印されていた。話から察しはついていたが、薬学の研究者らしい。

 老人は木箱から小瓶を取り出し、グリッドへと渡した。小瓶の中身はピンク色の透き通った綺麗な液体で、その身を瓶の形状に沿わせて揺らしていた。グリッドはそれを片手で受け取り、腰のポーチへと仕舞い込んだ。バベルはその薬が何なのか、聞かなくても分かった気がした。たくさんの嫁と、世継ぎの使命感。そこに薬の調薬依頼。

(嫁と子供ができやすくなる、魔法の妙薬か)

 呆れ半分で老齢研究者とグリッドのやりとりを眺めていたバベルは、一つ聞いてみたいことが脳内に浮かび上がってきた。勿論、嫁作り関連ではない。

 何故この話をしていなかったのかと、さっきまでの自分を、拳でぶってやりたい気分になった。

「ありがとよ」

 グリッドは研究者に軽くお礼を言っていたが、その視線は、さっきの女性研究者へと注がれていた。

「あの、群攻、様。確認したい事があるのですが?」

 目の前の男に、敬語と敬称を使わなければいけないことに、少しの面倒臭さを感じる。尊敬していない相手への気遣いは疲れる。

「なんだ? ってか、その閃攻様ってのやめてくれないか? 俺に対して良い印象を持ってないお前が言うと、キモイぞ」

「そうですか。じゃあ、サフランさん。質問があります」

 ありがたい事だ。この男とは、勇者パーティの中でも比較的楽に会話ができそうだ。

「あなた方の、装備についてなのですが?」

 その質問はあまり答えたくないのか、グリッドの表情が少し陰った気がした。しかし、瞬き一回の間に軽薄な表情へと戻っていて、勘違いだと言われれば、それまでといった瞬間的なものだった。

「あぁ、そうだな。とりあえず、薬ありがとな爺さん。お嬢さんも」

 グリッドの視線が、目の前にいる二人へ順に注がれる。それを受け取った老齢研究者が、深々とお辞儀をしてから、女性研究者を半ば無理やりに、引っ張り去って行ってしまった。一体何なんだ。

「言っておくが、俺たち勇者パーティの武器は、その辺の鍛治師が鍛えたような凡庸品じゃないんだ」

「と、言うと?」

「王国から口止めされていてな。あまり詳しくは話せねぇんだ」

 それを知っていたのか、さっきの老人は。だから、見惚れていた女性研究者を引っ張り去った、と。

「そうですか、では僕もこれで失礼します」

 ただの好奇心で聞いただけに、これ以上追求する気はない。そもそもの話、国からのお達しなど面倒事のオンパレードだ。聞かない方がいいに決まっている。だのに、目の前の軽薄男は、立ち去ることを許してくれなかった。

「ちょっ、ちょっと待ってくれよ。もう少し、な!」なんて言って、こちらの腕を掴んできた。

「何ですか。そちらも用事済んだんでしょう。だったら早くこの街から出て行ってはいかがです?」

 思えば、目の前の男は英雄だ。国から認められた権力と実力を持つ者。深く関われば、こちらの首を絞めるだけだ。

 バベルは今まで以上に、自分の考えを顔に出して、グリッドに伝えた。元から筒抜けなのだから、こういった感情はあえて相手にぶつけても良いのかもしれない。この短時間で、バベルの脳がそう判断したことに、バベル自身驚いた。

「お前、顔に出やすいからってそれは、あんまりだろ……」

 肩を落として、グリッドは大きくため息を吐いた。

「ガストン達から言われてたでしょう、この街から出て行けって」

「それは、正午までは滞在して良いって許可を貰ったんだよ。出立には準備がいるからな」

「そうですか。それなら、ここで油売ってる余裕もないでしょ」

 目の前にいる男が、突然同年代のように見えた。見た目は年上なのに、その雰囲気は、どこかタンゴを感じる。

「いや、一人で買い出しとか、ちょっとつまんないじゃん? だから、一緒に来てくれよ」

 いや、子供過ぎるだろ。

「荷物持ちなんてごめんです。僕にもやる事がありますので」

「ちょっとなら話せるぞ。パーティの装備について」

「何でそこまで……いや、そうですね。分かりました。あなたの用事に付き合いますよ」

 そこまで一人が嫌なのは何故か。そんなどうでも良いことを聞くよりも、彼らの魔法武器について聞いた方がまだマシだ。そう、自分に言い聞かせたバベルは、グリッドの背中を追って、アイザックを後にした。


「それで? あなた方の装備の、何が特別なんです?」

 北の大通りを歩くグリッドの背中へと、バベルは質問を投げる。装備について話すと言ったから、バベルはここまでついて来ているのだ。さっさと話してもらいたい。でないと、荷物持ちなど引き受けるわけがない。

「俺たちの武器や防具はな、女神の祝福を受けてるんだ」

「はい?」

 いきなりの話の飛びように、バベルは面食らってしまった。

「例えばアリスの装備。アリルフランメは、使うだけで自由に薬物を生成できる」

 信じられない話を前に、バベルは言葉を失った。それに対して、グリッドは構わず話を続けた。

「他にも、テレサ。あいつのはなかなか地味なんだが」グリッドは一瞬言葉を詰まらせた。「長さを変えられる」

 確かに地味なものだ。

「あとは——」グリッドは、急に視線を周囲に向けたとか思うと、口を閉ざした。

 何かあったのかと、バベルも周囲を見渡し、そこでようやく気がついた。グリッドが付き添いを求めた理由も。

 通りを行き交う通行人達が、グリッドを一瞥しては遠ざかって行く。数日前までは歓迎ムードだったのが、一夜にしてこの態度の豹変ぶりだ。隣の青年がまいっているのも、付き添いを求めたのも、何となく理解できた。

 このあたりの身勝手さは、さすが人間だと、バベルは思った。

「お前ぐらいだよ。終始、俺達に態度を変えなかった奴は」

 ため息混じりに空を見上げるグリッドの言葉には、少しの淋しさが感じられた。が、バベルからしたら、そこはどうでも良いことだ。

「あとは、何です?」チラリと、グリッドの腰に下げられた剣を見たバベルは、続きを促した。

「悪いな。こんな事に付き合ってもらって。ほんと、助かるよ」

「あの眼鏡と、あなたの武器はどんな事ができるんです?」

 何となく、バベルには予感があった。勇者一行の装備の中に、バベルが求めた答えがある。が、グリッドは全く続きを離そうとはしなかった。

 さてはこいつ、話す気が無いな。

「帰ります」踵を返そうとしたバベルの腕を引き、グリッドは、眉を下げて縋ってきた。

「今、今から話すから。ただ、アリスのお使いがよく分からないんだ。それだけ見てくれないか?」

 最初に見た時の大人っぽさはどこへやら。これが彼の素なのか。……そもそも、アリスって誰だ?

 仕方無いとバベルは体の向きを戻し、グリッドの隣へと進み出た。背の高いグリッドの方が足の幅も大きい。ついて行くには、バベルは足の回転を早めなければいけなかった。

「お使いとは?」

 隣に並んだバベルに、グリッドは一枚の紙片を寄越した。そこには綺麗な文字が、これまた綺麗に並んでいた。

「アリス——ウチの賢者様が、魔法薬の調薬用に幾つか素材を買いたいって言ってきたんだ。だが、どこに売っているのか分からなくてな。通行人に聞こうにも……」

 進行方向から来た通行人が、危うくグリッドにぶつかりかけた。が、顔を見た途端、目を細め大きな舌打ちをして、足早に去って行ってしまった。

「これだからなぁ」

「なるほど」

 紙片を片手に、バベルは通行人に背中を見た。あの男は、歓迎祭で笑顔を見せていた男だ。確か、子供を連れていたはずだが、死んだのだろうか。

(いや、だとしたらもっと危ないか)

 子供を奪われた親は、種族を問わず危険だ。命を捨てて、こちらに攻撃してくる。舌打ち程度で済んだ事を踏まえるに、あの男の子供は無事なのだろう。

「ええっと、ミントオイル、セント・プラタゴニスの種子とバンナマリー。その他にも色々書かれてるけど……これって、全部薬師通りで揃えられる物ですよ?」

「そうなのか? じゃあ、その薬師通りってのはどこにあるんだ?」

「冒険者区画の中の方です…………残っていれば、の話ですけど」

 そう言って紙片をグリッドに返したバベルは、そのまま隣を歩き続け、中央広場へと出た。大通りよりも人が多い広場だが、その全員が一斉に、こちらに首から上を向けてきた。正確には、隣のグリッドを見つめている。

「有名人は大変ですね」

「…………そうだな」

 こちらに聞こえる陰口が、広場のあちこちで上がっている。やれ「何が英雄だ」とか「犯罪者が、まだコーラルに居座るつもりか?」とか「さっさとどこかへ消えろよ」なんて声が聞こえてくる。本人達は、グリッドに聞こえないよう言っているつもりらしいが、バベルの耳にはしっかり届いている。恐らく、グリッドも。顔が真っ青になっているのがその証拠だ。

 しかし不思議だ。この程度でこんなに狼狽しているくせに、何故管理局ではあんなに大きな態度で、いられたのだろう。

 仲間のおかげ、か。

 人間、群れを成せば気が強くなる。ここに居る全員がいい例だ。彼らがもし一人でここにいたのなら、さっきの男同様、舌打ちと睨むのが精々だ。

 全く嫌になる。街の住民の被害者面は、見ていて心をざわつかせて来るから。

 黙ったグリッドは、足早に中央広場の噴水近くまで行き右に折れた。西の大通りから、冒険者区画に入るつもりらしい。広場の誰もが足を止め、グリッドを見ている。こうして外から見ると、実に哀れなものだ。あんなにも歓迎された彼が、今や魔物を見るような目を向けられている。しかし、バベルにはどうする事もできないし、する気もなかった。

 冒険者は助け合いだろ。誰がそう言ったのだったかあまり覚えていないが、バベルの耳に、不思議と響いてきた。だが、残念。バベルは冒険者ではない。ライセンスを持っていないのだから。これ以上、グリッドを助ける理由にはならない。

 ふとライセンスで思い出したが、臨時冒険者ライセンスを返し忘れていた。借りた物を返さないのは最低な行為だとガストンに教わったが、すっかり忘れていた。アルマとウエストポーチはガストンがくれたが、オルソから発行してもらった臨時冒険者ライセンス。これは返さねばならない。しかし、これにだってそれなりの理由があった。なんせ、帰ってすぐに勇者パーティとの会議で、その次の日には集会所に行ったは良いが職員は誰もおらず、突然の魔物の出現でそれどころではなくなってしまったのだから。そうして今日に至る。

 ここ数日の非日常で、バベルを取り巻く周囲の環境が、目に見えて変わってしまった。などと、思考の海に沈みかけていれば、グリッドとの距離が空いてしまっていた。急いで後を追おう。あの青い海の瞳を持つ青年には、現状手を貸してくれる者などこの街にはいないのだから。

「大通りに面した店舗の、『グレアド工房』と『ベルヌーイ工房』。その間から伸びた通りが、薬師通りです」

 西門に続く大通りに先に入ったグリッドに追いついたバベルは、縮こまった大きな背中へ声をかけた。慰めでも元気づけるでもなく、ただの道案内だ。本来なら、ここで気の利いた言葉を探すべきなのかもしれないが、バベルにはそんなことをする気はなかった。

「そ、そうか。悪いな、こんなことに付き合わせて」

「そう思うなら、早く教えて下さいよ。あなた方の装備について」

「そうだな。どこまで話したんだったか」

「全部話してくれるんですか?」

 国から止められているんでしょう? そう聞いたバベルは、口にしてから後悔した。大人しく聞いていれば、グリッドは全部話してくれたかも知れない。もしこれで、あと一人だけだと言われてしまっては、もったいない。

「まぁ、一から十まで全部とは行かないがな」

「賢者と奪命のは聞きました」

「そうだったか。それじゃああとは、俺とアイビー、ウィルの武器の話くらいはできるか」

 グリッドはパーティメンバーを、全員名前か愛称で呼んでいた。それに対して、バベルが持っているのは他のものから聞いた名前と彼らが行ったことを軽くだけだ。話の端々で名前が一致しない現象に、たびたび頭を悩ませた。

「俺のこの剣。名前はアトランデ。水を自由に扱えるんだ」

「水?」

 腰に下げられていた剣は、それは見事な装飾が施された派手な剣だった。

 スラリと伸びた流線型の柄と、見事な彫金細工の鍔。そこには、グリッドの瞳と同じ色の青い宝石が一つ嵌め込まれていて、それだけでも高価そうな貴族の武器らしい見た目をしていた。剣身部分は見えないが、そこもきっと見えている部分と同じく派手なのだろう。

 薬師通りの入り口の目印となる二つの工房。グレアド工房とベルヌーイ工房は、中央広場よりも西門に近い位置に建てられている。つまり、この大通りを歩く時間はそれなりにある。その間、二人で無言で歩くのでは街の暗い空気に押しつぶされてしまいそうで、バベルはそれを避けたかった。ただでさえ、暗く重い雰囲気が大通りに漂っているのに、隣にその原因の一端を連れているともなれば、バベルの方にも通行人達の圧が流れて来るのは必然だった。そんな中で、興味深い話を聞けるのは、非常に助かる。その話が現実味のない、子供ぽい話だとしてもだ。

 彼の言ってる女神の祝福とは、ルシオンが開発した付与魔法の事なのだろう。なんとなく察していただけに、それだと結論づけるのは容易だった。

 祝福とは名ばかりで、どれも魔法の効果だと思わせるものばかりだった。賢者の便利手袋だの、長さが変わる奪命の槍だの。隣の軽薄男のは、水操作だ。どこにも、女神要素も祝福などと呼ばれる神聖さもなかった。

「残りの眼鏡と勇者のは、どんなものなんです?」

「眼鏡って……本人には言うなよ。ああ見えて、ウィルは必死なんだ。勇者の為にってな」

「それで、街の破壊を許せと言われる側の気持ち、考えたことあります?」

「それを言われるとな……」

「まぁ、僕にはどうでも良いことです。早く話してください」

 話が逸らされそうになったところで、バベルはすぐに話を戻した。

 今の興味は、魔法武器以外にはない。

「残り二人の武器は特別でな。あまり詳しくは言えねぇんだ」

「特別?」

 そんな大層なものもあるのだろうか。

「ウィルの武器、あれの名はエアリアル。綺麗な斧なんだこれが。それに、何と言っても」笑みを深め、グリッドは自慢するかのように胸を張った。「あれは、アイビーにだって扱えなかった託物なんだ」

「コトヅカリモノ?」

 随分と仰々しい物言いだ。神殿の神官と話している気分にさせられる。

 バベルは、女神と信じていない。勇者の生まれ変わりの話は、聞いていても面白い部類だから頭に入れてはいるが、それが本当だとしても女神の言葉は嘘かただの妄言としか思っていなかった。

「お前は、ドワーフの山の御伽噺を読んだ事はあるか?」

 ドワーフの山? 山を斬ったドワーフの話だったか。一人の英雄がドワーフから斧を奪い、その首を切った話だ。

「ありますけど……その物語の中の斧が、それだって言うんですか?」

「らしい。とにかく、あの斧は特別なんだ。これ以上は言えないがな」

 疑問は残るが、グリッドはこれ以上教えてくれないだろう。軽薄そうに見えて、その実、結構真面目な男だ。この辺りも、タンゴに似ている。

「じゃあ最後に、勇者のは?」

「あいつのは、俺たちのとは全くの別物だな」

 そこまで言うグリッドの話から、とても強力な魔法が付与されている事が伝わってきた。

「あれは聖剣。勇者以外には使えないこの世で最も強い剣だ」

「は? 聖剣?」

 そんなものが、本当に存在すると言いたいのだろうか。隣の青年は、夢を見過ぎの気がする。

 聖剣、魔剣、神剣。どれも御伽噺での魔法武器の名前のことだと、バベルは先日の図書館旅行で理解した。

 名前が変わろうとも、その大元は、今コボルトの森にいる一人のエルフ、ルシオンが開発した付与魔法による産物だ。女神だの、奇跡だのの奇跡の御技などでは決してない。この世に存在する、確かな技術で作られたただの道具だ。

「ま、アイビーならただの剣でも強いのに、聖剣を使いこなせるもんだから。無敗の記録が立てられてるってことだ」

 嬉しそうに話すグリッドへと、通行人の白い目が向けられているが、本人は気づいていない。この話題は、意外と彼の趣向に沿った物だったらしい。

 それにしても、今回の事は一応勝利扱いになっているのだろうか。フラクシスは、魔王の所為でここまで飛ばされたと言っていた。取り逃した相手が一人息を引き取った事を、勝利とするのは少し強引な気がする。

 息を引き取った、か。長い事、苦しんだんだろうな。

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