魔法の世界の優しい騎士の話
「僕の話はこれでおしまい。次は君の番だよ、リン」
「ありがと、ツヴァイ。私はなにを話そうかな……じゃあ、学校のことを話してあげる」
ツヴァイが楽しそうに頷くのを見て、リンは話し始めます。
「これは私が高校に通っていた頃の話なんだけどね……」
二人はいつもこうして、それぞれの経験などを話しては自分の世界を広げているのです。
ここは、他人と接することの少ない二人が他の世界に接する数少ない場所。
大きな森の小さな広場で、二人はのんびり話しています。
◇ ◇ ◇
「今日、ここに来る途中でシア様に会ったんだ。リンはシア様のこと、まだ知らないよね?」
ある日。ツヴァイの問いかけに、リンはこくりと頷きます。
「じゃあ、話してあげる。シア様はね……」
シア様とは、この森の守り神の様なものであること。とてつもない力を持っていて、貴重な動植物が生息するこの森を荒そうとする人間を退治していること。荒らす気を持たなくても、森に入ろうとする人間は追い返していること。
とても頭がよく、人間たちの長と取引をして森の端っこから動植物を少しとっていくことを許す代わりに密猟者を取り締まらせていることなど。
ツヴァイの話を聞いて、リンは目を丸くしました。
「シア様ってすごいんだね……でも、私は森の結構奥にあるこの広場にずっといるけど、会ったことも見たこともないよ。ツヴァイのおかげ?」
「ううん。僕はなにもしてないよ。でも、シア様は許してる」
不思議そうな顔をするリンを見て、ツヴァイは柔らかく微笑みます。
「リンは特別だから。じゃあ、僕は仕事に行くね」
「前話してた騎士団のお仕事?」
「うん。そうだよ」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
一瞬強い風が吹き、リンがまばたきするとツヴァイはもういませんでした。
「特別って……やっぱり、記憶のせい?」
シア様の話をしている時のツヴァイは、リンが知らない顔をしていました。
普段と変わらない森の小さな広場。しかし、一人空を見上げるリンの頬をなでる風は……季節差の少ないこの森では珍しく、冷たいものでした。
◇ ◇ ◇
またある日、リンは不安そうに広場を歩いていました。ツヴァイが帰って来ると言っていた時間になっても現れないのです。リンは、ツヴァイの人間離れした強さを……魔法が存在するこの世界においてもなお、人間ではあり得ないほどの強さを知っています。そのツヴァイが連絡もせずに遅れるというのはかなりの異常事態に違いありません。
今まで遅れる時はいつの間にか手紙が置いてあったのですが、今日はどれだけ探しても見当たらないのです。
リンからすれば、ツヴァイは高い戦闘力を持つ人の代表のような認識です。屈強な男たちを一瞬で無力化し、幼いリンを保護してくれたその強さに対する信頼はちょっとやそっとでは揺らぎません。しかし……どれだけ信じていようと、不安というものはどんどんわいてくるものなのです。
森の広場の端。小さな家の前をぐるぐるしていると、一際強い風が吹いて少し離れたところにツヴァイが現れました。気が付いたリンはツヴァイに駆け寄ろうとして……違和感を覚えます。ツヴァイの、体幹の良さがわかるような格好いい立ち姿がほんの少し傾いているのです。
「リン、遅れちゃってごめん。いつ帰って来るのかもわからないのにずっと待ってたの?」
いつも通り優しい口調で話すツヴァイですが、近づくと違和感の原因が分かりました。
左手が、無いのです。
「なんで⁉どうしたのツヴァイ!」
「どうし……あぁ、腕か。落ち着いて、リン。大丈夫だよ」
「何が大丈夫なの⁉腕が、腕がなくなっちゃってるんだよ⁉」
リンは、数百年に一度生まれるという『転生者』です。前世では戦いと無縁の生活を送り、高水準の教育を受けた記憶による知識を目当てに小さい時に攫われて売られそうになったところをツヴァイに助けられたのでした。よって、『親しい人の腕がなくなる』などという事態に遭遇したことがあるわけがありません。
ツヴァイは完全にパニックになっているリンを右手一本で抱きしめて、背中をさすりながら話しかけます。
「今はリンの無事を確認したかったからこのまま来たけど、切られた腕は回収して魔法で保存してあるから知り合いに頼めば直ぐに治るよ。安心して」
そう、この世界には魔法という便利なものがあるのです。四肢をつけなおすことができるほどの術者はそのツヴァイの知り合いのほかに数人しかいないほど希少ですが、リンは知る由もありません。
「落ち着いた?」
リンが頷くと、ツヴァイが体を離します。
「リン、君に何もなくて良かった。腕を治してもらってくるね」
ツヴァイはそのままかき消すようにいなくなってしまいました。
リンからしてみると世界で唯一の家族の様な人の腕がなくなってしまったというのに、原因から解決、再生まで自分が手の届かないところで完結してしまっているのです。何も悪くありませんし、自分にできることがない事も分かっています。それでも、リンはどこかやるせない思いを抱えて立ち尽くしていました。
◇ ◇ ◇
「ねえ、ツヴァイ。この前はなんで腕がなくなっちゃったの?」
数日後のことです。リンはツヴァイに尋ねました。ツヴァイの左腕は翌日には治っていたのですが、その原因はまだ話してくれていません。
その質問にツヴァイは驚いたようでした。
「楽しい話じゃないよ。聞きたいの?」
気遣う様子のツヴァイに、リンは強く頷きます。今までのリンは、ツヴァイに前世の記憶を……それも役に立つ知識ではなく思い出を聞かれるままに話していただけでした。
森の外の話をツヴァイから聞いた時も、楽しそうだと思っても自分の目で見に行きたいとは思いませんでした。しかし、自分の手が届かないところで大きな出来事が進んでいく経験から、自分ができることをできる限りしたい、関われなくても知っておきたいという気持ちが出てきたのです。
纏まらない言葉でそんなことを話すリンに、ツヴァイは優しく答えました。
「分かった、話してあげる。この前のことだけじゃなくて、リンが知りたいこと全部。森の外にも行こう。この世界は、広いんだから。いいでしょ?シア様」
最後の一言は森の方を見て。そのツヴァイの目線の先に、白い狼の耳と尻尾がついた少女が現れました。
「いいっすよ。森の通行許可を出しときます」
十歳程に見える小さな守り神は、リンの目をまっすぐに見つめて口を開きました。
[同郷のよしみでアドバイスです。急速すぎる発展のないこの世界においても、前に進む事は大切ですので。あなたにはツヴァイがついているのですから失敗を恐れる必要はありませんよ、凛さん]
この世界のものでない言語でそれだけ言うと、シア様はツヴァイに向き直って二言三言話して消えてしまいました。シア様の言葉に驚いたリンは話が耳に入ってきませんでしたが……シア様と話すツヴァイの楽しそうな顔は、リンの思い出話を聞くときと同じものでした。
◇ ◇ ◇
「準備はできた?リン」
「できてるよ、ツヴァイ。私はなにも持たなくていいんでしょ?」
ツヴァイが楽しそうに頷くのを見ながら、リンは家のドアを閉めます。
「行ってきます!」
二人はこれから、ツヴァイの働く騎士団の詰め所に行って仕事をするのです。
リンの持つ高い計算能力は、書類仕事が滞りがちな騎士団にとても役立ちます。
美しい世界の大きな森で、二人はのんびり歩いています。