第3話「幽霊侍女と呪い姫」ーⅢ
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〈ジグラート王室〉。その血筋には現在この国の騎士王を始め、三人の妃との間に四人の王子と八人の王女がいた。
アステリアは第三王妃の娘であり、王女の中では末妹として生まれた。当時の母は正妃と側妃のどちらでもなく王が他所で関係を持った非公認の愛妾であった為、アステリアの存在を認める者は少なかった。
王の娘を身籠った母は発覚後すぐに側妃として王室に召し上げられるも不純な経緯から権威は弱く、王家や貴族の血を引く二人の妃たちに比べて平民出身のしがない街娘だった彼女は身分も立場も格下である。
けれどアステリアが王家の血を引いているのは紛れもない事実であり、何より母は王が最も愛した人でもあったため、正統な血筋を重んじる者たちは王の権限で説き伏せられ、母の側役は王が信頼し理解を示す者たちが付くこととなった。
――そんなある日、事件は起きてしまう。
何者かが使用した黒魔術により、当時5歳半ばだったアステリアが暗殺されかけたのだ。
異変に気付いた周囲が早期に駆け付けるも、アステリアの身体には「呪い」なるものが刻まれてしまう。
――『負の呪詛』。それは呪った相手の身体を蝕み続け、死して魂だけの存在となっても尚、永遠に苦しみが終わることのない呪いだった。
本来この呪いは強力で、幼い身では耐えきれずに数分で死に至らしめるものであったが幸いこの国には強い浄化の力を持つ神官が居たため、アステリアは一命を取り留めた。
しかし今直ぐに呪詛そのものを取り払うまでには至らず、その神官は時間をかけて徐々に呪いの力を弱体化させることで解呪できると推察し、長期に渡って治療することとした。
アステリアを襲った犯人は捕らえられ、尋問で王族を狙った単独犯だと吐いた後、処刑された。事件の詳細は襲撃のことだけを公表し、呪詛については要らぬ混乱を避けるために秘匿された。
これで一先ず収束したかに思えたが……一部の者たちは黒幕の存在も視野に入れているらしい……。
その後、ここぞとばかりにアステリアの存在を快く思っていなかった王妃を囲う派閥の者たちが「『負の呪詛』は周囲にも影響を及ぼすものである。」と、陰で吹聴したことで宮中の者たちは呪いの余波に巻き込まれぬ様、彼女に近付くことを恐れてしまうようになる。
結果、孤立を余儀なくされたアステリアは宮で過ごす事が難しくなってしまった。
王妃派閥によって彼女に関してあることないことまで囁かれてしまい、それを真に受けた愚か者が再び害を成そうとまでする始末。
そこで第三王妃を支援する王の腹心たちはこれ以上の危険を懸念し、信頼の置ける者たちだけをアステリアの傍に就かせて静養のできる場所へ住まいを移すよう手を回し、事情を知らない世間には病弱なために表舞台に立つことが難しいという話を通した。
そうして選ばれた住まいが〈北の塔〉である。
正式には「瑠璃宮」という名であるのだが、今では前者の方が知れ渡っている。曰く付きではあるがここならば滅多なことでは不用意に近付く者もいないだろうと考えられた。
敷地は他の宮に比べてやや劣るものの、本来の使用目的から今でも強い「結界」が働いているため、設定した対象者に害をなす者は決して通さず、また対象者が認めた者以外も宮の中へ入ることすらできないのがこの場所を選んだ一番の理由だった。
以来、アステリアは十数年間この〈北の塔〉で守られ続けているのだ。
けれどそれがアステリア自身にとってどのような不自由をもたらしているのか、本当の意味で理解することができる者はごく僅かなのかもしれない。
呪いは病でなければ伝染することもない。それ故、外に出ることは可能ではあるが彼女を否定する者たちからの危害を失くすために行動範囲は限られている。
信頼の置ける者を傍に就かせていてもそれはほんの数人。皆アステリアよりも遥かに歳上であって、同年代の友人を作ることも出会うこともできない環境下だ。
一日の殆どを塔の中で過ごし、外の空気を吸いたい時は窓を開けるだけ。
一人で食事を摂り、一人で勉学の書を読んで学ぶ日々。素養として必要な王女教育は側近の侍女から教わっていた。
来客は月に一度定期検診に訪れる神官と、ほんの時折見舞いにやって来る王のみ。
――事件以降、一番の見方だった母は今まで娘を守ろうと気を張っていた為か次第に衰弱していき、更に唯一の肉親の訃報という度重なるショックで遂に心を病んでしまう。
父王は床に伏せがちになってしまった母に付きっきりになり、本来なら彼女も娘と共に〈北の塔〉へ行く予定であったが、王がそれを制止して傍に置き続けている。
必然的に母と離れて暮らすことになった彼女は行動が制限される中では面会は出来ず、手紙を送ることは出来ても返事を返せる状態ではないために連絡も取れない。
父王は多忙な身の上、本宮から距離のある塔へは頻繁に訪れることはできなかった。
騎士王と第三王妃の間にはアステリアの後に二人の弟王子が生まれているがまだ決まっていない王太子の教育を受けるためと、当時まだ赤子だった王子たちを周囲が気遣ってか、同じく会うことが出来ずにいる。
そうしてアステリアは一人きりで呪詛の苦しみに堪え続けてきた。
事件に遭う前から彼女は自身を疎んじる者たちによって数々の嫌がらせという名の仕打ちを受けている。
最初は王室に入ったばかりの第三王妃を貶めようと画策する者がいたが、それを知った王の怒りを買って処罰されたことで彼女に手出しをする者は減った。代わりにその矛先はまだ幼いアステリアへと向けられてしまったのだ。
〈北の塔〉という場所へ送り出したことで直接の危害は減ったものの、謂れのない噂は吹聴され続けている。
宮での「静養」は「幽閉」だと解釈され、襲撃で彼女が狙われたのは血筋以外にも後ろ暗い問題があったのだと囁かれ、宮に追いやられたことで王にも見捨てられたのだと憐れむ声もある。……王が大切なのは母であって、娘ではないと……。
いつしか第八王女は『宝華』や『幻姫』という名の他に、『呪い姫』と呼ばれるようになっていった。
それらの噂を父王は把握していない。彼の心労を第一として考える臣下によってその耳まで届かせなかったからだ。代わりに掻き消そうと動いてはいるらしいが、そういった案件は目を配っていてもやはり行き届かないものだ。人の悪意は中々消すことはできない。
そんな孤独な日々の中でも、アステリアは明るく振るまっていた。彼女は何時如何なる時でも笑顔を絶やさず、宮の中で暮らすことも意見一つ言わず受け入れている。どんな仕打ちを受けようとも……。
――それから幾年か過ぎた頃、アステリアはようやく孤独ではなくなった。
側近との仲は良好だったが大人相手ではやはり寂しさを覚えていたのかもしれない。
ある日、友人もいなかった彼女の元へ同年代の新しい侍女がやってきたことでアステリアは本当の意味で笑顔を浮かべる事ができたのだ。
「――美味しい……!」
「……本当ですか? 良かった……。」
「セレンの作る食事はやっぱりどれも凄いわね。こんなに美味しい料理が作れるなんて、宮廷料理人にもなれるかもしれないわ。」
「……いっ、いえそんな滅相もないっ! ……です。……私などがそんな、恐れ多い……。」
朝食に出されたふわふわのオムレツを口にした瞬間、彼女は微笑を浮かべて大絶賛していた。料理を褒められたセレンは首を左右に振ってあわあわと恐縮している。
「……あの、ところで姫さ――」
「な・ま・えっ。」
話題を変えて訊ねようとすると、アステリアはすかさず呼び方を指摘した。少し頬を膨らませてむくれた表情を見せると、セレンは思わず頬を染めながら躊躇いがちに言い直した。
「……ア、アス……アス、テリア……様。ほ、本日のご夕食なのですが、何かリクエストはありますでしょうか……?」
「私が決めてもいいの?」
「……勿論です。姫……いえ、ア、アステリア様のお好きな品をお出し出来たらと思いまして……。それにお食事でもアステリア様にはいつも喜んで頂ける、良い時間を過ごして頂けたら……私も嬉しいですから……。」
セレンの言葉にアステリアはオムレツを掬っていたスプーンの手をふいに止めた。彼女は言い終えてから照れてしまったのか、気恥ずかしそうに下を俯いている。
自分を思ってくれる言葉に対し、アステリアはふと昔の出来事を思い出した。
――本宮に住んでいた頃は兄姉たちと共に食事を摂っていた。一人分とは思えないほど豊富な品数に豪華な料理が自分の前に並び、一口食べる度に何度も舌を唸らせた。
けれど、味方である父王が不在の時は一変して、彼女の分の食事だけ豪華とは程遠い質素なものに代わり、食材の品質も下げられ、味付けのひどい料理を出されていた。
それを遠巻きに見ては聞こえるようにくすくすと嘲笑う腹違いの姉たち。兄たちはというと、溜め息を吐いて我関せずといった冷たい態度。その様子に使用人たちははらはらと心配するような表情を見せてはいても、逆らえないのか言われるがままに料理を提供していたのだ。
自分の不幸を望む悪意ある仕打ちにアステリアは何も反論しなかった。何度同じ嫌がらせを受けようと、ただ静かにそのお世辞にも美味しいとは言えない料理を残さず食べていた。
〈北の塔〉に移り住んでからは接触する機会はないものの、残念ながら連れてきた側近の中に料理人は居なかった。
なので本宮にいる宮廷料理人が仕上げた料理を侍女が受け取って塔まで運んでいたため、遠い距離にある場所へ届けられる頃には冷めきってしまうのだ。おまけに食材の質や味付けなどは異母姉たちがすかさず手を回しているため、改善はされない。
それでも何も言わない彼女の為に側近たちは協力して一から調理を学び始めた。その後、当時の侍女が努力を重ねて食事を提供していたのだ。
届けられる食材の質は相変わらずだったが、ようやく温かい食事が提供された時、アステリアは側近たちに心からお礼を言った。
その側近たちも今のセレンと同じ様に告げたのだ。「貴女様にはいつも素敵な時間を過ごしてほしい」と。
母以外に自身を受け入れ、幸せを願ってくれている存在がいることをアステリアは改めて実感する。
歓迎されない態度、悪意ある仕打ち、冷えた酷い食事を出された日々。
それでも尚、笑顔を忘れず静かに受け入れていた。けれど決して心が傷付かない訳ではない。幼い子供に堪えられるだけの忍耐を強いられてしまう環境は酷だった。彼女はずっと寂しい思いを募らせていたのだ。
塔に住み始めて数年後。当時の側近たちが居なくなり、彼女はまた孤独な日々を過ごしていただけだったが、今はもう違う。
アステリアの傍には、一人の優しい侍女がいる。
いつでも自分を最優先に考えてくれるのに彼女自身の幸せには疎く、踏み出すことに臆病だけどとても思いやりのある優しい綺麗な瞳をした人が……。
「――じゃあ……温かいシチューが食べたいわ……。」
今もまた自分を想ってくれる言葉を告げ、だけど遠慮がちに恥ずかしがって俯く……そんなセレンの可愛らしい姿にアステリアは頬を綻ばせて答えたのだった。
「……シチュー、ですか? もっと他の……肉料理などでも大丈夫ですが……」
「いいえ。私ね、貴女の作るシチューが好きなの。食べるとじんわりと優しい温かさに包まれてとても嬉しい気持ちになるのよ。……心から、美味しいと感じるの。」
胸に手を当てて答えるアステリアに、セレンは再び頬を染めた。
「……あ、ありがとうございます……。」
「本当にそう思っているのよ? ……ここに支給される食材の品質は知っているでしょう? なのにここまで本職に負けず劣らずの品を作れるなんて、もう才能だわ。いつも心がほっこり温められてしまうし……何か秘訣でもあるの?」
絶賛する言葉にセレンは微笑んで答えを返した。
「……姫さ……アステリア様がそう思って下さっているのなら、それはきっと、スパイスのお陰かもしれませんね……。」
「スパイス? やっぱり特別な作り方があるのね!」
「……はい。」
それ以上の言葉は気恥ずかしくなって言えなかった。アステリアが楽しそうに思考を巡らせている傍で、セレンは暖かく見守っている。
彼女は料理をする時、いつもアステリアの事を想いながら作っていた。今日はどんな品にしよう、どんな味付けで提供したら喜んでくれるだろうか、美味しいと感じてくれるだろうか、と。
そんなセレンの優しい想いで作っているからこそ、きっとより心から美味しいと思えるのだ……――。