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追憶のセレーネ  作者: シュカ
第一章「安寧の終わりと運命の始まり」
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第2話「幽霊侍女と呪い姫」ーⅡ

 


 ――場所は変わり、そこには〈北の塔〉と呼ばれている建物が在った。

 王城の本宮より北の外れに建つ、とある離宮に続く高い塔をそのまま指した名称であるが、裏では〈茨の塔〉や〈呪いの塔〉とも呼ばれている曰く付きである。


 また、何世代か前までは「軟禁部屋」として使用されていた塔であり、罪を犯した高貴な身分である王族や貴族を捕える際の収容所とされていたそうな……。

 今では平和な世の中になっていった為か、その記録だけが残るような場所である。使用目的が物騒なだけに長年誰も足を踏み入れては居らず、いつしか管理も行き届かなくなった忘れ去られた塔だ。


 そのせいか建物の周りの自然は生い茂った雑草が囲み、壁はひび割れ、苔は生え、邸内は埃や煤にまみれ、蜘蛛の巣が幾つもある酷く空気の悪い状態だった。



 ――そんな〈北の塔〉は十数年前からある方(・・・)の住まいとして使われる事となる。



 当時使用する為に訪れた者たちはこの最悪の環境下に暫く開いた口が塞がらないほどドン引きしていた。

 誰かの意図か妨害か、少なく割り振られた(・・・・・・・・・)資金を上手く使い日数をかけて徐々に修繕していき、現在では辛うじて住める程度に改善しているがそれでも尚、生活するには不便な場所だ。

 それも一国の姫(・・・・)が住まうには尚更だった。


 以前の使用目的などを理由にその〈北の塔〉に勤務したいと志願する者はおらず、特にそこに住まう人物の存在を恐れている(・・・・・)せいか、常に人材が足りていなかった。


 最初は侍女二人と護衛の騎士が五人。それでも少ない方だったが、騎士の内三人は定年で退職することになり、侍女は一人、また一人と不幸事で亡くなってしまった為、事態は更に悪化してしまう。

 未だまともな管理や警備もままならない場所だが、一年程前からようやく新しい侍女が務めにやって来た。



 ――それが、『幽霊侍女』と呼ばれる彼女である。



「……失礼致します、朝の身支度に参りました。」



 扉にノックをしてから、彼女はその部屋の主に丁寧に挨拶をした。



「……お早う御座います、姫様。」



 そう言われて目を覚ました人物はゆっくりと寝台から起き上がり、優しく目を細めて彼女に微笑んだ。



「お早う、セレン。いつもありがとう。」



 ――『幽霊侍女』ことセレン・ポーヴルは、一国の城に務めている王宮侍女である。


 太古の神々が造りし〈カルディナ大陸〉の東に位置する大国・〈ジグラス王国〉。

 この国の王都に聳え立つ〈王城・ジグラート〉に住み込みで働き始めて一年の月日が流れていた。



「ねぇ、セレン。他の人とはもう話せるようになったかしら?」


「……えっ、……あ…………あまり……です……。」



 ドレッサーの椅子に腰掛け、セレンに髪を梳かされながらその人は彼女の近況を訊ねた。

 質問に対してセレンは思わず櫛を持っていた手が止まり、自信なさげに答えている。



「ふふ、その様子だとまだみたいね。人に緊張してしまう一面を和らげるにはもう少し時間が必要みたい。」


「……す、すみません……。」



 彼女に姫と呼ばれるその人は優しい表情で微笑んでいた。セレンの性分をよく理解しているようだ。

 申し訳なさそうに肩を落とすセレンは手を動かしながら、その人の髪を丁寧に整えていく。



「貴女は優しくて仕事にも真面目な良い娘よ。話せるようになったら、きっと素敵なお友達が出来るわ。…どう? 侍女の人たちなら身近な分、声をかけやすいんじゃないかしら。」


「同僚は貴族の生まれの方ばかりですから……王宮侍女に平民は殆どおりませんし……いずれにしても、()のような者では……」



 セレンは器用にその人の髪を結いながら、今朝の侍女たちとの会話を思い出していた。


 業務の為緊張しつつも勇気を出して彼女たちに声をかけるも、いつもの如くぎこちない態度を取られてしまった事。

 自分とはあまり目を合わせず、距離を取って無理に笑ってくれようとしている事をセレンは気付いていた。


 けれど当人にとってそれは当然の反応だとも納得している。彼女たちに関わらず、他の者が自分を受け入れられないのは仕方のない事だと。

 未だに名前を覚えられることもなく、本来なら関わり合う事も言葉を交わす事すらもない身分の者など避けられて当然だと考えているからだった。


 加えて彼女は、この宮の陰で何という別称で囁かれているかも知っている。


 ――『幽霊侍女』。その呼び名はセレンの身分も、容姿も、振る舞いも、従者であれどこの宮に立ち入るには不釣り合いな存在である。とでも総論されているかのように、彼女が自身を卑下する理由の一つとなっていた。



「セレン、そんな事…」


「……こんな身分の私でも雇ってくださった姫様にはとても感謝しております。私には…それだけでもう十分なんです。」



 セレンは平民だった。けれど普通の平民ではなく、彼女はその中でも身分の最も低い下層階級(アンダークラス)という分類に生まれ、国で最も貧しい町で暮らしていた。

 父親は誰かも分からず親戚もいない。唯一の血縁だった母は幼い頃に病で亡くし、その後はシスターに引き取られて孤児院で過ごしてきた。


 シスターに作法を教わり、生活苦を凌ぐために下働きをしてきた経験で侍女職に就く事ができた。

 けれど「侍女」というのは貴族子女や平民でもなることのできる職……ではあるものの、王族に仕える「王宮侍女」にだけはセレンの身分(下層階級)ではなることのできない上級職の一つだ。


 それがとある縁で幸運にも侍女職の中でも花形の王宮侍女に推薦で務める事が可能になった。

 本来なら面接資格すらない筈の王宮侍女にどうしてなれたのか……、それは仕える主が身分を問わない性分だからであり、通常の募集では務めたがる者が居ないという複雑な事情(・・・・・)があったからだ。


 そんな時、セレンはたまたま人材を探していた者と知り合った。その縁でこの仕事を紹介して貰えたのだ。

 上級職に就き、主にも恵まれたのは一生の幸運。そのありがたさだけを噛み締めて、他には何も望まない。


 彼女に対してぎこちない接し方をする者だけならまだマシな方だ。彼女の存在そのものを受け入れまいとする者が相手だと、どれほど侮蔑の眼差しを向けられ罵倒されるか、セレンは身を持って知っている。……先程の侍女長の様に。



(……私みたいな卑しい身分に醜い容姿の人間なんて、きっと誰も関り合いになりたくない……。姫様が受け入れて下さっただけで奇跡なのだから……。)



 セレンが自身を卑下してしまうのは様々なコンプレックスがあっての事だった。


 後ろで下を俯くセレンに、その人は心配そうに振り返った。伸ばした前髪の隙間から、彼女の寂しそうな瞳が見える。けれどその瞳はセレンの卑下する醜さなどとは程遠い、綺麗な色をしていた。

 その人は椅子からゆっくりと立ち上がり、彼女の手をそっと両手で包み込む。突然触れた優しい温もりにセレンは慌てて顔を上げた。



「! ……っひ、姫様……?」


「あのね、セレン。私は貴女に感謝しているのよ。」


「……感……謝……?」



 伝えられた言葉の意味が分からなかった。逆なら然り、こんな自分に感謝だなんて……どういう事なのだろうと。



「私は貴女と出会わなければ、この塔で死ぬまで一人寂しく生きていくだけだった。……私の傍に居てくれた側近は皆いなくなってしまったし……今ここには役目を嫌々押し付けられた人しか立ち入らない。

 けれど貴女は純粋な優しさで私と接してくれている。……私の事を知っても(・・・・・・・・)怖がらずに心配してくれて、この優しい手で毎日私の髪を丁寧に梳かしてくれる……。

 そんなセレンだから、私は孤独だった毎日を素敵な思い出に変えていくことができたのよ。」


「……姫様……。」



 握った手に力を込めて、その人は偽りのない言葉で真っ直ぐ彼女に伝えた。



「だからね、もう自分をそんな悲しい言葉で否定しないで。私の大切な貴女を傷付けないで頂戴。」


「……はい。」



「大切」。その言葉はセレンの臆病な心に優しく響いていく。惹かれるように返事をした彼女の瞳はじんわりと潤んでいた。



「それと! 私の事はそろそろ名前で呼んでほしいとお願いした事、忘れちゃった?」



 そんなしんみりとした空気から気を取り直して明るく話すその人に、セレンは先程の質問よりも『ギクッ!』と息を詰まらせた。



「勿論貴女の気持ちを優先したいけれど……流石に半年もの間焦らされてしまうと……そろそろ私は読書をしていても文字が頭に入らなくなってしまうほど気を揉んで、食事中でも喉が通らないほど上の空、大好きな外を眺めていても景色が目に入らず上の空、睡眠もとれずに挙げ句の果てには……――」


「す、すみませんっ!すみませんっ……!」



 途中から悪ノリしているような雰囲気を漂わせつつあったが、それを本気に捉える純粋なセレンはこれ以上堪えきれずに慌ててぺこぺこと頭を下げて謝罪した。するとその人は口許を指で軽く触れ、微笑してみせた。



「ふふっ、冗談よ。でも名前で呼んでほしいのは本当。……ね? そろそろ呼んで欲しいな。」



 悪戯っぽく懇願してみせる仕草はとても可愛らしく、セレンは思わず胸が高鳴った。


 このお願いは以前からされていたことだ。ここで働き始めて半年程過ぎた頃にその人が提案した。人に対して必要以上に緊張し萎縮してしまうセレンにとって、踏み込んだ間柄になるような呼び方は勇気のいる課題だった。その人は彼女にそんな配慮をした上で気長に待っていたようだ。

 けれど流石に半年というのはお願い内容の割に待ちすぎたと思い、少々オーバーに語って強行しようという作戦だろうか。一方でセレンもそうでもしないと中々勇気がでない性分であるため、これはこれで良かったのかもしれない。


 身体を小さくさせてやや気恥ずかしそうに口籠っていたが、その人の優しい眼差しを逸らすことはできず、セレンは小さく返事をした。



「……はい……ア……、……アステリア様……。」



 ようやく名前を呼ばれるとその人は満足そうに、それでいて優しい笑顔を浮かべていたのだった……。



 ――その人の名前はアステリア・フォン・ジグラート。このジグラス騎士国の第八王女の位に生を受けた存在である。


 ふんわりと軽い天然ウェーブのかかった蒼銀の髪はとても艶やかで美しく、穢れのない澄んだ海(アクアブルー)の瞳は誰に対してもいつも優しい眼差しを向けている。

 王女の身分に相応しい洗練された優雅な所作は思わず魅入られる程に素晴らしく、その可憐な容姿はこの国でも1、2を争う紛れもない美少女だ。


 幼い頃からその純粋な儚い美しさを『宝華』と称える者もいれば、病弱であまり表舞台に姿を見せることがないことから『幻姫』など、彼女を総評する呼び名は絶えず囁かれていた。



 ――あるいは、〈北の塔〉に幽閉され続けているジグラスの『呪われた姫』とも……――



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