第1話「幽霊侍女と呪い姫」ーⅠ
――どんな「物語」にも必ず終わりがやってくる。
それが例え永遠の約束を交わしたお話や、長い年月をかけた戦いのお話でも、「結末」というものは必ず最後についてくるものだ。
平和な結末ならハッピーエンド、悲しい結末ならバットエンドといったように全ての物語には終わりが待っている。
けれどそれは書物が語る世界や舞台で演じる世界など、あくまでも御伽噺の上での法則だ。と、殆どの人々は思っているだろう。
勿論実際にある歴史の記述を元にしたものもあるが、幸せな時が続けば続くほど人はその事を忘れてしまう。
寿命で終わりを迎えたならば、まだ報われていたかもしれない。けれど……物語はいつ、どこで、どのように終わってしまうのかは誰にも分からない。
奪われることで結末を迎えてしまうことだってあるのだ。
それはこの現実世界においても例外ではないということを、この時の人々はまだ知る由もないまま過ごしていた……――。
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「――おい、聞いたか? 隣国の皇帝が逝去されたって。」
「あぁ、今朝の記事だろ? 病死だって話だよな。」
それはとある朝のこと。街中では突然舞い降りた隣国の訃報を聞き付けた国民たちの噂話で持ちきりだった。
「あそこの皇帝陛下は立派な方だって聞いていたが……残念だよ。」
「うちの国とは同盟結んでた筈だよな? 確か国王陛下とも友好関係にあったって。」
「次の王位には誰が就くと思う? 確かうちと同じく皇太子はまだ決まってなかったって話だろ。順当に行けば第一王子かなあ。」
「いいえ、第一皇子様は病弱だそうだから第二皇子様じゃないかしら?」
「えっ、確か第二皇子は野心家であまり良い噂は聞かなかったぞ。」
他国のことにも噂好きな人々は興味津々だ。
次代の王は誰かと囁かれる中、次第に会話は思わぬ方向へと反れていった。
「……でも変なんだよな。確か亡くなられた皇帝ってつい最近見た記事では生誕祭で馬上槍してたみたいで、「まだまだ快活!」って見出しにあったぞ。健康そのものだって。」
情報通な者の一言で、それを聞いていた周囲の人々はザワつき始める。
「それ本当か? だとしたら病死っておかしくないか?」
「記事には発作って書いてあったよな……。健康体だったなら尚更不思議だ。」
「毒でも口にしたとか? ……ま、まさか暗殺?」
「おいおい、滅多な事言うな! 誰がそんな事するっていうんだよ。……そんなのまるで……」
様々な推察が飛び交い始める中、こんな物騒な憶測まで囁かれた。
「反逆でも起きたとか?」
――……という噂は街中だけには留まらず、国の王宮に務める侍女や侍従たちによる話のつまみにまでなっていた。
そこは彼らの休憩室であり、仕事の空き時間に街で聞いた噂話について語っているようだ。その内容について一人の侍女が人差し指を口許に立て、慌てて制止させている。
「しっ! ここ何処だと思ってるの? こんな所で同盟国の物騒な話なんて言うもんじゃ……――きゃっ!?」
言い終える前に、『ドンッ』と背中に軽い衝撃を受けた侍女が思わず声を上げた。物騒な会話を制止しようと駆け寄ったためか、誰かにぶつかってしまったようだ。
「……っ、ごめんなさいっ。大丈……――ひっ!?」
お詫びをしようと振り返った瞬間、その侍女はおろか会話に混ざっていた他の者たちまで思わず揃って悲鳴をあげてしまう。
けれどぶつかった人物の姿をはっきり認識すると、侍女は青ざめた表情から通常へ戻った。
「……あ、貴女……〈北の塔〉の……」
ぶつかった人物は同じく侍女だった。
悲鳴の理由は「背後に音もなく人が居た」という事よりも「その人物自体が怖かった」の方が正しい表現だろう。
というのも彼女たちと同じお仕着せを着用しているにも関わらず驚かれてしまうのは当人の容姿が要因である。
――腰まで届く濁った灰色の長い髪は艶が無く乾燥しており、後ろに束ねて三角巾型のヘッドドレスを着けていてもパサついているのが分かってしまう。そして前髪は目元が隠れてしまう長さに伸びているため、覗き込みでもしない限り素顔を見るのは難しい。
このように普段から頭が俯いた状態で覇気の弱い声色では表情の一端も窺えず、どうしても存在感は薄くなっていく。それが彼女の印象だった。
背後に立っていても気付かれず、この暗い容姿では余計に他者の恐怖心を煽ってしまうらしい。
王宮侍女という職は侍女の中でも最も華やかな職種に当てはまる筈なのだが……。残念ながら、彼女がそんな反応を取られてしまう事はいつものことだった。
「ご、ごめんなさいね。私ったらその……怖……いえ! ビックリしちゃって……!おほほ…」
「……いえ、こちらこそすみません……。」
誤魔化すようにやんわりと言葉を濁しながらの謝罪に対し、当の彼女も静かにぺこり……と礼儀正しく頭を下げた。
そんなやりとりを他の侍女たちも窺い、その空気はやはり何処かドギマギした緊張感のようなものが漂っていた。
「……あの、」
僅かな静止を気に留めた様子もなく、暗い雰囲気の侍女はまたゆっくりと口を開く。そしてその動作に尋ねられた侍女もまた肩をビクッとひくつかせた。
「な、何かしら…?」
「侍女長を見かけませんでしたか……? 」
「……え? あぁ、ハリエ侍女長ならさっき東の回廊辺りで見かけたわよ。」
ぎこちない笑顔で質問に答える侍女に、暗い雰囲気の侍女は再び頭を下げた。
「……分かりました、ありがとうございます。」
丁寧にお礼を言ってから、彼女が静かな足取りでその場を退室していく姿を確認すると、侍女たちは溜め込んでいた空気を吐き出すかのように肩を落としていた。
「はぁ~、びっくりしたぁ。」
「相変わらず気配が無いわよね、あの娘。いつもあんな感じだから毎回驚かされるわ。」
「仕事も出来るし良い娘ではあるんだけど……あの暗い容姿だとどうしてもねぇ。独特な空気感だし無駄に緊張しちゃう。」
彼女たちの話題はあっという間にその侍女の話題に変わった。
「名前は確か……セリー……・ポーム? って言ったかしら? 担当場所もここから離れてるし、定期的な業務以外は中々会う機会もないから全然慣れないわね。」
件の侍女が派遣されている職場は彼女たちの居る本宮からは結構な距離がある。王城の敷地はとても広く、敷地内に創設されている離宮も多い。同時に生活居住もその宮になるため、接する機会は限られているのだ。
「あの娘の担当って何処だっけ?」
「ほら、あそこよ。例の〈北の塔〉!」
その場所を聞いた途端侍女たちはまたザワつき、別の人物の話題に続いた。
「あぁ、あのお姫様のいらっしゃる所だったわね……。」
「いらっしゃるというか、閉じ込められているというか……、あんな怖い所でよく生活出来るわ。私だったら耐えられない。」
「務めたがる人も居ないものね。王宮侍女っていったら身なりにも厳しいけど、あの娘の容姿でも採用されちゃうくらい、あの辺りは人手不足だって言うしねぇ。」
「あら。それなら貴女が行ってあげたら? 一国の王女様に対して侍女一人と月毎に変わる護衛騎士数人だけじゃあ、「王族」の生活としてはままならないだろうし。」
「ええっ!?嫌よ!私まで呪いにかかっちゃったらどうするのっ!?」
何かを恐れながら、けれどさも他人事の様に会話する彼女たちは、自身には関係ないといった言い方で世間話を楽しんでいる。
「それにしても……〈北の塔〉に『呪い姫』、それに『幽霊侍女』だなんて、オカルト好きが聞いたら食い付くような単語よねぇ。」
この内容についての会話は王宮内では誰もが知り得る話だった。
――この王城には北に進んだ先に曰く付きの宮が在る。
そこには、その身に呪いをかけられたお姫様と、お姫様に仕える侍女の幽霊が住んでいる……と。
そのせいか例の建物に近付きたがる者は居らず、現在では脚色された噂ばかりがひとり歩きしている始末なのである。
――そしてその話題が上がる度に侵害なあだ名を付けられた当の侍女の耳にも入ってしまうのだが、今日の彼女は最初に上がっていた噂についてぼんやりと考えていた。
(――隣国の皇帝様、亡くなってしまったのね……。)
宮内の回廊を東へと足を進めながら、侍女は今朝耳に入ってきた隣国の訃報について悼んでいた。
(安らかにありますように……。)
伸びた前髪の奥に隠れた瞳を揺らし、心の中で呟いていると同僚の侍女から教えられた東の回廊に辿り着く。そこには聞いたとおり、探していた侍女長がいた。
資料を片手に政務官と何かの通達をしているようで、彼女は静かに口を開き声をかけた。
「……ハリエ様、お取り込み中失礼致します。」
声に気付いた二人は視線を向け、彼女の存在に気付く。政務官はその存在感の無さと暗い容姿に「うわっ!?」と、声を上げて驚いていたが侍女長のハリエは少しだけ目を見開いてから溜め息を溢し、直ぐにきりっとした姿勢で彼女の方へと向き直った。
「――ポーヴルね。……はぁ、相変わらず陰の薄いこと。……何か用かしら?」
どこか怪訝な眼差しで棘のある言葉を返された彼女は、僅かに肩を震わせきゅっと唇を結ぶ。そして短い深呼吸をしてから再び口を開いた。
「……今月の……〈北の塔〉への生活費がまだ支給されておらず、侍女長様に確認を取りたくお伺い致しました。」
「生活費? ……ああ、うっかりしていたわ。このところ忙しくてねぇ。」
その言葉に彼女は礼儀正しく前に組んでいた手に力が入った。湧き出た感情を抑えるように掌をぐっと掴む。
目の前にいる上司はわざとらしく右手を頬に当て、疲れているような素振りを見せているが、声と表情に感情は篭っておらず悪びれる様子は一切見受けられなかった。
侍女長のハリエはスカートのポケットから小袋を取り出すと、それを彼女に手渡した。
「丁度よかった、いつ貴女を呼ぼうかと思ってたの。はい、これが今月の分よ。」
小袋からはコインの擦れ合う音が聞こえた。中には硬貨が入っている。彼女は小袋を受け取るが、掌から感じる重みに眉を潜ませた。
前髪で彼女の表情が見えていない侍女長はそのまま態度を崩さずに背を向けた。
「もう用は済んだでしょう? 私は忙しいのよ、早く行って頂戴。」
「……ありがとうございます。…失礼……致します。」
面倒そうにしっしっと手を下に振り追い返そうとする侍女長に、何かを言いかけるも口ごもり、静かに頭を下げた彼女はその場を後にした。
隣で様子を見ていた政務官はこそこそと耳打ちする様に侍女長に話しかけた。
「あれが例の『幽霊侍女』ですか? 本当に聞いてた通りの印象ですね。
顔の隠れた髪に暗い雰囲気……成る程。確かにあの姿で近くに来られたら驚いてしまいますね。朝から出たのかと思……こ、こほんっ。失礼。」
失言を誤魔化しながら咳払いをする財務官をよそに 、侍女長は去っていく彼女の後ろ姿を見下すように視線を向けながら口を開いた。
「ふん。あんな薄気味悪い娘に余計な気遣いは無用ですわ。格式高い王宮侍女に相応しくない下賎の生まれなど、担当があの姫の所でなければさっさと追い出してやったものを。」
「はは、これは手厳しい。……しかし大丈夫でしょうか? あの侍女、気付いてますよね。支給金のこと。上の者に報告されない様こちらに引き入れておいた方がよいのでは?」
「問題ありませんわ。あの娘が何を告発したところで相手にする危篤な者などおりません。
……ましてや姫に味方する者などもう城にはいないでしょう? ですから私たちが何を至福に肥やそうが誰も問い質すことはありませんわ。」
そう言って侍女長は悪い笑みを浮かべていた……。