エピソード 03
俺はカプチーノを、もう一杯作ってからカウンター席のマスターへ渡した。
「ありがと」
うん? マスターがカプチーノを飲みながら、密かにジンをじろじろと脇目で見ているようだ。だが、ジンは今のところ気が付いていないようだった。
「ああ。マスター。そいつは、スラム街から来たジンっていう名の俺の新しい依頼人だ。報酬はがっぽり。敵は壮大。寝食昼寝付きのプラチナ級の依頼だがね」
「ほほう。うーん……その……報酬はがっぽり? で、間違いないんだな?」
「ああ……」
「そうか。そうか……。うんうん。良かった良かった」
「ふふん。だが、敵はあのアンダーワールドの組織だと思うんだ」
「……それ、本当?」
「ああ」
「別の依頼はないの? 変えられないの?」
「ない。変えない」
「……」
ジンは首を傾げる。
世間知らずもいいところだが。
いや、裏の世界を知らな過ぎだ。
……
「お! 凄いなあ! この金……?!」
しばらく雨の音に耳を傾けて、これからの計画を順に練っていたが、マスターの晴れやかな声で思考が停止する。カプチーノの入っていたカップを洗っていた手を止め。キッチンから振り向くと、マスターがジンとスマホ同士をコードに繋げて、金を貰っているようだった。
途端に、マスターがカウンター席から失神して転げ落ちてしまった。その顔面蒼白の顔は白目を開けて、泡まで吹いていた……。
「ああー!! マスターー?!」
俺は生まれて初めて、間の抜けた声を上げた。
「やれやれ……マスターが死んだらどうするんだ……」
しばらくして、俺は冷静さを取り戻すと、ジンの可愛い顔をこれでもかと冷たい目で睨んでいた。
それでも、ジンはこちらに向かって、ニッコリ微笑んだ。
床で倒れているマスターを介抱してやるために、二階へ負ぶって行くとジンが、のこのことついて来た。
この調子だと、もう母と自分の命は安全だと思っているようだ。
信用第一だからジンには言わないが……俺たちは、正直途方もなく厄介な敵を迎えるはずだった。
投げ出したいくらいに……。
その人身売買組織は想像を絶するほど巨大で……。どうしても危険だった。
アンダーワールドのどこかに存在しているのだそうだ。
そのアンダーワールドに行くには、例え俺の身体が100体あったとしても、短期間で入り口を調べるのことは、ほぼ可能性ゼロだった。サイバー・ジャンクシティのどこかにあるといわれている。
地下の超巨大都市。
いくら考えても、あやかしには人権のようなものはないはずだし。代わりに簡易保護制度があるくらいなのだ。それだけ、いつぴょんと現れてはひょっこりと消えてしまう不可思議な存在なのだ。そんなあやかしを捕えるほどの酔狂な奴らはそこにしかない。いや、捕まえられないものでも捕まえてしまうことができる者たちといったほうがいいな。……アンダーワールドは、その死の商人たちの溜り場なのだ。
あるいは、暗黒の終着地とも呼ばれている。
闇医者にお尋ね者。非合法組織に、テロリスト。そんなものたちの行き着く場所でもあった。
そんな場所での超巨大な組織だ。人身売買組織を相手にするのはどうかしてるのだろう。
俺のAI情報網では「シンフォニック・エラー」が一番最初に発生した都市がそこだとも認識している。あやかしとシンフォニック・エラー……一体? この二つには、どんな関連性があるのだろうか?
「ふぅー、ジン。これだけは言っておく。階段のそこには絶対に手を振れるな……」
「へ? ここ?」
俺は、その階段の踊り場にある鏡の横を指差した。
ジンは踊り場で、ニコニコとしながら指摘したところを今も右手で触れている。
「ああ。そこには、ある武器が隠してあるんだ。金の無い時に中古で買った壊れた銃さ。だから、引き金が軽いんだ。触るだけでもかなり危険だぞ」
「うん……わかった」
その時。
ジンの顔色が一瞬、ほんの少し変わった。狐耳をひょっこりとだして、俺に真面目な目を向ける。何かに警戒しているようだ。その瞳は、怯えた目だった。
カランカランとドアが開く音がした。
階下から数人の訓練された足音がする。
その足音は耳をすましても聞こえないほど小さかった。
「さっき言った言葉を撤回する。そこから武器を取れ!」
「え? いいの?」
「ああ、弾は装填されている。引き金が軽いから気を付けろ!」
俺はマスターを床に静かに置いて、階下へ走りだした。