お客様名『山本 勲』その壱~「あの世の不動産屋」~
ワードデータからコピーをした際に、ルビを振っている文字が全部歯抜けになっていたので、慌てて修正しました。
全て書き直せているとは思いますが、抜けていたらご容赦下さいませ。
――俺はまた逃げてしまった。生きることからも……。
もう何日、この暗いトンネルを歩いているのだろうか? 明かりが無く何も見えないが、不思議と一緒に歩いている者達だけがハッキリと見える。行儀よく一列となりトンネルを進む者達の中に、俺と同じく自殺した者は一体何人いるのだろうか?
そんな俺達の足音だけが今もなお響いていた。途方もない程の時間を歩いていることだけは分かるが、全く疲れないし、腹は減らない……喉も乾かない。おまけに眠くもならない。
俺は、山本 勲 。三十九歳。死因は電車にアタック……さっきも言ったが自殺だ……。仕方ないだろ。もう、生きる気力もなくなったのだから。
あの世なんてただの空想話と思っていたが……目の前の光景を見る限り、噂通りの世界が確かに実在している。一体誰がどうやって、この光景を現世に広めたのだろうか?
だが一つだけ生前の情報と違うところがあるとすれば、白装束と頭に付ける三角の布を身に付けている人は居ない。ほとんどが私服だ。俺は死ぬ直前に記憶している、ジーパンとモスグリーンのチェック柄のネルシャツ。もしかすると皆も俺と同じく生前の姿なのかもしれない。
更にだいたい数日後……。ようやく暗いトンネルから外に出ることができた。晴天でなく分厚い灰色の雲に覆われてはいるが、久々に見る外の景色は十分に眩しく感じた。
「あれが、三途の川?」
赤い彼岸花の間を一直線に走る道の向こう側に、大きな川が見える。必死に泳いでいる者や、木船に乗っている者……。クルーザーなんてものもある。
道半ばまで歩いた時、何気に横の茂みの先に目をやると、遠くの方に建物が見えた。ビルでもなく住居っぽくもない。店舗? ……のようだ。
周囲の人は気付いていないらしい。俺は、後ろの爺さんに声を掛けた。
「なぁ、あの建物なんだと思います?」
「うるさい、さっさと歩けぃ」
前の若い女性にも声を掛けた。
「あの、アレなんだと思います?」
「ちょっと、肩触んないでくれる‼」
俺だけにあの建物が見えているのか?
近づいて確認したいが、そうできない理由がある。誰に説明されたワケでもないが、何故か分かるのだ。――この行列から抜けると、もう列には戻れないということが。
現に行列の外でじっと佇み、羨ましそうにこちらを見つめる者達もチラホラいる。きっと興味本位で列から出たことで、戻れなくなってしまったのだろう。
大人しく川を渡るべきか? だが渡ってどうする? 生前の情報通りなら、自殺者に待っているのは耐え難い拷問と苦しみだけだろう。かと言って、あの建物に向かい何もなければ、俺は一体どうなってしまうのだろうか? この彼岸花に囲まれた道の周囲で、彼らのように彷徨い続けるのか? それとも川を渡り、生前の行いを清算するべきなのだろうか?
………………………………………………
いや、行列から抜ける‼ 拷問は嫌だ、一瞬だったとはいえ、一度経験した死の感覚がハッキリと脳裏に焼きついている。どんな形であれ、あの苦しみと痛みを何度も耐えしのげるほど、俺の精神はタフじゃない。それよりも、今はあの建物が気になって仕方がない。そう思い、俺は……列から抜けた。すぐに俺が居たスペースは詰められた。もう戻れない……。
俺は赤い茂みの中に入り、ただひたすら進んだ。赤い彼岸花の中にまばらに見えた白い彼岸花は、建物に近づくにつれ対比が逆転してゆく。そして、ようやくその建物の全貌が見えた。
『異世界リアルエステート』
そう書かれた電飾看板。ガラス張りの店頭には何枚かの紙が貼られていた。
「リアルエステート? 不動産屋?」
この場所には似つかわしくないが、至って普通の不動産屋のように見える。
建物に近づき、自動ドアの外から店内を眺める。アーチ状の白いカウンターテーブルに、同じく白い椅子が八脚。テーブル席は二つ。客は居ない……。暖色の明かりで照らされた店内は、どこかアンティークショップのようにも見える。
カウンターの中から、紺色のスーツを着た七:三オールバックに、銀縁スクエアフレームのインテリ眼鏡を掛けた男が、こっちを見てニコリと爽やかな笑顔を浮かべている。切れ長の目と端正な顔付きから放たれる清涼感のある笑顔は、現世で目にしてきたイケメン俳優と並んでいても違和感が無い程だ。この店の店員なのだろうか? まぁ、カウンターの中にいるのだから間違いないだろう。
あの男ならほかの連中とは違って、まともな会話ができるのだろうか。
そしてこの店は一体何なのか? それが今は無性に知りたいのだ。
入ってもいいのかな? いいよな……。俺は、思い切って自動ドアを潜った。
「いらっしゃいませ。本日はどのような異世界をお探しでしょうか?」
「異世界?」
男は深く頭を垂れながら、変わらぬ笑顔でそう言ったのだ。