7. とある少年兵の確認
ああ、良かった。
ちゃんと居た――。
それが、アリエス・ホーエンツェルンの名を確認したルネの、真っ先に浮かんだ感想だった。
ことの起こりは、ルネが魔術師会議に呼び出された日から数週間前にさかのぼる。
マノンという、最も付き合いの長い友人を亡くしてすぐのこと。
唐突に頭の中によみがえった、知るはずのない未来の記憶を得たルネは、自身の死を回避して生き延びるため、戦場からの逃亡という結論にたどり着いた。
そして、穏当に軍を離れるには戦死を偽装するのが一番だと考えたルネは、どのように自分の死を演出するかについて色々と頭を悩ませた挙句――。
(最後に死ぬところ以外、あの日見た未来を全て再現すればいいのでは?)
この不思議な記憶をフルに活用することにした。
ルネの計画はこうだ。
まず、友人を亡くした憎しみに駆られ、カーレトリア軍を激しく攻撃する振りをする。
絶望して自棄になり、過度の魔力消費によって生命を削ることも躊躇せずに仇敵に立ち向かっているという印象を、他の魔術師の連中に強く植え付けられるように。
ここでのポイントは、高魔力の攻撃を狂ったようにバンバンと繰り出すことだ。
魔力量の多いルネであっても身体に大きな負担がかかるレベルだが、戦力としての有用性が連中に認められてこそ、ルネはあの記憶の通りに振る舞える。
幸いなことに、生命を削らずに派手な攻撃を演出するコツには心得があった。
そしてルネの価値を認めた魔術師会議が、記憶にある通りに敵魔術師の討伐命令を出してきたら、あとは一世一代の大舞台、文字通り死ぬ気で演じるまでである。
カーレトリアの魔術師と対峙した記憶から、相手の実力の程度や魔術傾向はしっかり把握できていた。
ルネを殺した青年魔術師こと、アリエス・ホーエンツェルンはかなりの実力者であり、正直なところ二度目であってもルネがまともに勝てる相手ではない。
だが、勝利が目的でないのならば話は別だ。
相手の攻撃を予測し、その攻撃を受けてルネが負傷する様子を幻覚の魔術で演出する。
攻撃し、負傷し、落命するまでを、記憶の通り寸分違わずに。
幻覚の魔術を編むには時間がかかるため、激しい戦闘中に欺瞞を目的として使用するのは実践的ではないとされていたが、敵魔術師と激戦を繰り広げた記憶を持つ今のルネにとっては非常に有力な手段だった。
(あの記憶では、最後には西の崖まで追い詰められていたっけ。崖の下の川は連日の雨で増水していたはずだから、最期は崖から川に向かって落下して遺体は残りませんでした、で丸く収まるはず。)
落下の衝撃は、浮遊の魔術で相殺可能だ。
あとは川の流れに身を任せていれば、誰にも見咎められることなく戦場脱出という筋書きである。
(呼吸や水圧の問題は魔術で何とかなるし、大きな障害物も取り除けるけど、小さな石なんかをいちいち避けるのは大変だな。でも打撲は嫌だし……。)
ルネは少考ののち、やむを得まい、とため息を吐いた。
(仕方ない、魔術師連中の着ているローブを手に入れておこう。機動性には欠けるが、衝撃を和らげる素材を使っていて防御力は高めだと聞いた。それに。)
そこでちらりと右手に目をやる。
(これと違ってローブには妙な仕掛けはない。逃亡後は売り払って生活資金の足しにでもするか。)
その視線の先にあったのは、自身の右手首にはめられている魔力制御装置だ。
魔術師が「杖」と呼ぶそれは腕輪の形をしており、この装置を通して彼らは魔力を調整し様々な魔術を行使している。
しかし。
(どうにも胡散臭いんだよな、これ。メンテナスとか言って定期的に回収されるけど、何か情報収集しているみたいだし。やたらと頑丈だから壊そうにも壊せないし。)
機構の詳細は分からないが、ルネはこの機械に対して疑念を抱いている。
最悪、持ち出すことによって居場所を追跡される可能性もあるため、逃亡時には捨てていこうと考えていた。
とまあ、逃亡計画を立てて、綿密なシミュレーションを頭の中で繰り返してはいたのだが――。
(流石に、あの記憶が全て妄想の産物だったとしたら何もかもがパァだ。)
そんなわけで、例の記憶による情報の確かさを裏付けた「アリエス・ホーエンツェルン」の実在は、ルネにとって非常に喜ばしい限りであった。
(目下、計画は順調に進行している。結構結構。)
夕食を食べ損ねても、ルネはご機嫌だった。
(ここ最近、戦場で派手に暴れてみせた甲斐があったね。自棄になった演技も、我ながらなかなかのものだった気がする。亡命先では役者を目指してみるのもありかな?)
そんなことを考えながら、魔術師会議で渡された資料を読み進める。
(アリエス・ホーエンツェルン。階級は大尉。推定年齢は20代前半。不鮮明だが写真あり。容姿に関する記述あり。単独行動の目撃証言あり。)
そして、それ以外は記載なし。
(まあ、記憶にある通りか。目新しい情報はなし、と。)
魔術師は戦場における戦力の要であり、貴重な戦力の情報をそう安易に漏らすような敵軍ではない。
それはフロンディアス軍も同じで、動きにくそうなあの黒いローブもおそらくは、魔術師個人を特定しにくくするのに一役買っているのだろう。
(他の魔術師の情報も似たり寄ったりで、決定的な情報は記載なし。むしろ容姿の記述があるだけ、アリエス・ホーエンツェルンはましな方かな。)
遠くから不鮮明な写真を撮るよりも、魔術師の容姿を近くで確認する方が難しい。
顔の容貌がはっきりと分かるほどに接近した敵を、彼らが見逃すことは稀だ。
(しかしこの容姿の記述……。黒髪に碧眼は良いとして、「一目で分かる美形」ってどうなんだろう……。いや、確かに顔が整っていた記憶はあるけど、もうちょっと書き方があったのでは。)
多分、目撃した兵士が「美形だった、一目見れば分かる」みたいに言ったのを、そのまま記載したのだろう。
敵に対してどうなんだろうと思わなくもなかったが、とはいえ分かりやすい方が重要か、とルネは思い直した。
いずれにせよ、ルネがやるべきことは揺るがない。
そうして資料を読み終えたあと、ルネは、もっともらしい理屈を並べ立てて魔術師のローブを都合してもらうことに成功した。
戦闘中にこんな動きにくいものを着ている奴らの気が知れないと思っていたルネだったが、手にしてみれば上質な生地で肌ざわりも良かったので、さっそく今夜から敷布団として使おうと思う。
睡眠の時間は、食事の次にルネが愛するものであった。
とはいえ、永遠の眠りはご勘弁いただきたいと願う日々である。