5. とある少年兵の画策
食事の時間はルネにとって、軍隊生活における数少ない楽しみである。
酒や煙草、賭け事。果ては新兵いじめなど――。
戦地に送られた兵士たちは、そういった気晴らしの選択肢をいくつか持ち合わせていたが、未成年であるルネは当然のことながら、その手の悪徳に興じるつもりはなかった。
人間の本能的な欲求のままに、食べ物を口の中に詰め込む。
空腹を満たして眠りにつくことができた日のとてつもない幸福感は、筆舌に尽くし難かった。
そんなルネの食事の時間を邪魔する行為は万死に値する。
将校相手であれ、軍務上の理由であれ、自分の食事時間を奪う事象に対して殺意を抱かずにいられたことはほとんどなかったのだが。
――しかし、この日ばかりは違った。
「帰還し次第、S-302へ向かうように。」
夕食の待機列に並ぶ自軍の兵士たちを横目に、ルネは一人、夕日の照らす荒れた大地を駆け抜けて、上官に指示された地区へと向かっていた。
今にも顔がにやけそうになるのを堪え、どうにか真面目くさった表情を作りながら疾走する。
(まずは第一関門突破だ。ここ最近、派手に動いた甲斐があった。)
S-302。
それはこの戦場において、従軍魔術師による作戦会議を意味する符牒の一つである。
そして、これまでルネを締め出してきた魔術師会議が、このタイミングで呼び出しをかけたという事実。
これは、ルネの脱走計画が一歩前進したことを示す吉報に他ならなかった。
(相変わらず、動きにくそうな服装の奴らの多いことだ。)
会議室に入室してから最初にルネが抱いたのは、そんな感想だった。
居並ぶ軍人の多くは、軍の魔術師に特徴的な黒いローブを身にまとっていた。
まばらに見える白いローブ姿は、中央から臨時に派遣された魔術師だろう。
合わせて、30人ほどいるだろうか。
身綺麗にしている彼らと並ぶと、戦闘から帰還したばかりのルネのみすぼらしさは、いっそう際立ってしまっていた。
「来たか。グランドール、お前の最近の活躍は聞いている。」
何の感情もうかがえない声で最初に口火を切ったのは、いかつい体格の老人だった。
この黒衣の老魔術師は、ルネの入隊手続きに立ち会っていた人物であると記憶している。
なおグランドールと呼ばれるのは、ルネが育った孤児院がグランドール教会附属の施設だったためである。
孤児のルネは苗字を持たなかった。
「ようやく己の務めを自覚したようで結構だ。」
ルネに対する侮蔑を隠さずに、老人のかたわらに控えていた青年将校が口を挟む。
貴族らしい傲慢さをにじませる彼にもまた、ルネは見覚えがあった。
確か、督戦隊――友軍の戦闘を監視する部隊――の責任者だ。
なるほど。ここ最近のルネの動向は、この青年将校を通じて魔術師たちへと伝えられていたらしい。
ルネが配属されてからずっと、彼はその手の任務の統括であったはずだ。
ルネに対する非友好的な態度からするに、戦闘意欲が低い兵士として目を付けられていた可能性もあるのだろうか。
(まあ、孤児院出の魔術師が気に入らないというのが大方の理由だろうが。後方から撃たれる前にとんずらしよう。)
そんな挑発的な青年将校を片手で制し、老魔術師は淡々と言葉を続ける。
「入隊時は率直に言って不安しかなかったが。しかし、ようやく重要な任務を任せられそうだと聞いた。」
入隊時のことを持ち出され、ルネの頬がわずかに引きつった。
あの忌々しい思い出は記憶の彼方へと葬り去ることにしたというのに。
幸い、老人はそれ以上言及はしなかった。
「手短にいこう。現状は知っての通り。両軍ともに拮抗しているが、一時的であれ相手に付け入る隙ができれば、勝利の天秤は我々の方へと一気に傾く。」
神妙に頷いてみせるルネ。
「そして魔術師は、どこの戦場においても戦力の要だ。」
つまり。
「――敵の魔術師を打ち破れと、ご命令でしょうか。」
「その通りだ。どうやら、聞いていたよりは頭が回るらしいな。」
何よりだ。
そうのたまう老魔術師の目は、少しだけ愉快そうに細められていた。
「まずは一人で良い。一週間後の大規模攻勢までに、何らかの成果を出すように。」
「はい。」
もちろん、それ以外の返事は許されない。
「カーレトリアの魔術師に関する我が軍の情報は限定されているが、ここに資料がある。目を通しておけ。」
「はい。」
ルネはまたもや真剣な面持ちで頷いた。
今にも笑みがこぼれ落ちてしまいそうなのを必死に抑えて。
――ここまでは、ルネの計画通りに進んでいる。
(あとは、当日までにできる限りの準備をしなければ。)
解放される日が近いと思えば、ぐるぐると空腹を訴えかけてくる腹も、今のルネには全く気にならなかった。
そして、渡された資料に「その名前」を見つけた時、興奮のあまりルネの空腹はどこかへと飛んで行ってしまった。
――アリエス・ホーエンツェルン。
それは、いつか見た未来で、ルネを殺した魔術師である。