2. とある少年兵の別れ
言わずもがな、軍隊において脱走は厳しく処罰される。
さらにフロンディアス軍には、自軍の兵士が戦闘の最中に逃亡しないように見張りの役目を担う部隊も存在しているため、隙を見てカーレトリアに投降するのも難しそうだった。
もちろん、後方から逃げ出すことはそれ以上に至難の業である。
となれば、戦闘中に脱落したと見せかけてそのままフェードアウトするのが一番だろうか。
そんなことを考えながら、ルネは自陣の中を歩いていた。
その足が向かうのは、軍隊内で「第四会議室」ないし「第四」と呼ばれている一画である。
聞くところによると、第四会議室とはフロンディアス王国議会の建物の中にある部屋で、国王が地方議員の陳情を聞くために用意されている場であるらしい。
そしてこの戦場では、兵士の亡骸を移送するまで一時的に横たえておくための区画を意味する。
どちらも沈黙が常に場を支配している、というのが名前の由来らしい。
あるいは、全てが無に帰す場所、だったかもしれないが、ルネにはどうでも良かった。
「エベル。今日、マノンがそちらへ行ったよ。」
第四地区に辿り着き、ルネは誰ともなしに呟く。
エベルは、マノンの同郷の少年の名前だ。
やはり爆撃に巻き込まれて、ひと月前に戦死していた。
彼の右腕だけが、月光でわずかに照らされる第四地区のどこかに眠っている。
少しの間、月光の下の景色を眺めてから
「さて、始めるか。」
ルネは、魔術を構築し始めた。
ルネは、教会に併設された孤児院の出身である。
魔術の才能を見出されて軍に入るまでは、神父やシスターたちと共に暮らしていた。
その生活の中で幾つかの聖歌を教えられ、時おり教会のミサで披露したこともあった。
気難しい老神父も、その時ばかりはルネを褒めてくれた記憶がある。
――それをこんな形で活かすことになるとは、あの時は思っていなかった。
音を拡散させる魔術を構築しながら、少しばかりもの思いにふける。
音源を特定できないよう音の伝播の仕方をいじるための術式は、幾度となく繰り返したせいで、もうすっかり身についてしまっていた。
戦場の夜の闇に、歌声が吹き抜けてゆく。
魂を、天上へと送る歌だ。
歌が上手いと、最初にルネを褒めてくれたのは――。
俺が死んだら、歌の一つでも頼むぜと笑っていたのは――。
聖歌以外を知らないと言ったルネに、今度僕の故郷の歌を教えてあげるよと約束してくれたのは――。
みんな。
みんな。
遠くへと逝ってしまった。
でも、自分はまだ逝くわけにはいかない。
(僕は、生きていたいんだ。)
友人たちが眠るこの地で、今まで幾度となく歌を歌ってきた。
それももうすぐ終わる。
(さようなら。)
心の中で別れを告げて、ルネは最後の旋律を風に乗せる。
それは、一段ともの悲しく、戦場の夜に響き渡った。