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罪作りな男

 ―あの男は「罪」に苛まれているのです。しかし、彼はその罪が一体何なのか、なぜそのことによって苦しんでいるのか全く分からないのです。わかっているのは、ただ苦しいということと、謝らねばならないという去来する思念だけなのです。—



 肌寒い山道を進むわたしは、次の街への道すがら手ごろなモンスターを狩りながら思案していた。いったいこの先に何があるというのだろうか。

 この先にははじまりの街アルスがある。だがそんなことはわかっているのだ。もっとわからないのは、わたしの旅がどこに向かっているのかということである。

 こんなこと、考えても埒があかないのはわかっている。しかし―わたしは火焔魔法を迫りくる獣人型モンスターの群れに放ちながら、雑念を今日も反芻する。モンスターはまとめて気管から炎上し、爆ぜて霧散した。残された有用なアイテムを選別し、先を急ぐ。


 もう日も落ちて、アルスまでの距離を考えても今日は野営が必要だと判断したわたしは、手ごろな場所を見つけてテントと焚火の用意を始める。山道にはところどころこうした野営用に整備された平地があり、魔物除けを焚火にくべておけばひとまずは安心できる。

 わたしは道中に狩ったリザードの肉と携帯用の調味料、野草類をアイテムボックスから取り出し、簡単なスープを作ることにした。わたしのアイテムボックスはきちんとスキル強化をしてあるので生鮮食品の劣化がほとんどなく、いつも新鮮な食材にありつくことができる。もっとも、そんなスキルのないころに食べた干し肉や干し芋イモの味も嫌いではないから、いつもそれらを少量作って携行している。

 水魔法で適量の水を生成し、そこに切り分けた食材を入れて煮込む。鍋は長年愛用している魔道鉱石製のもので、食材の回復効果を高めてくれるものだ。もっとも、わたしがこの鍋を気に入っているのは調理の際に適切な火加減の位置で浮遊してくれるからなのだが。

 出来上がったスープとひとかけらのパンを手に、折り畳みの椅子に座って空を眺める。見渡す限り雲もない夜空には満点の星が山岳地域の澄んだ空気とともに眩く瞬いていた。わたしは今こうして眺めている星は、生前の世界の星と同じなのか、そうではないのかについて思いをはせた。かくいうわたしはいわゆる「転生者」であり、おそらく別の世界で死んで今ここにいるのだ。


 多くの転生者は生前の記憶を保持した状態で転生しており、場合によってはその記憶や知識を活かしてこの世界で活躍している。わたしはそうした生前の記憶というものをほとんど失っているから大変戸惑ったが、幸いこの世界と生前の世界ではそこまで構造的な差がないらしく、不思議とすぐになじむことができた。

 今でも思い出せるのは、最初にこの世界に来たときのことだ。そのときわたしは暗い森の中で突っ立っていて、気が付くと魑魅魍魎に囲まれていた。わたしは無我夢中で魔法を放ち、それらを一掃した。そのときは自分でもよくわからなかったが、後に転生者特有の強力な魔法の力であることがわかった。わたしは訳もわからぬまま森の中を駆け数えきれない魔物を屠った、どれだけの時間そうしていたかわからないが、夜が明けるのと同じ頃に開けた崖の上から大きな街を望むことができた。それがアルスの街だったのである。


 わたしは食事を終え、テントに入ってスノーハウンドの毛皮にくるまった。旅の疲労と食事の余韻が眠気を誘う。明日の行程をぼんやりと考えていると、テントの外、森の方から男の悲鳴が聞こえた。おそらくここからそう遠くはない場所からの悲鳴に混じって魔物の咆哮が聞こえる。咆哮からこのあたりで最も危険な小型のワイバーンであろうことが察せられた。わたしは森の中へと急いだ。

 森の中に開けた草地があり、そこで男とワイバーンは交戦していた。交戦していた、というよりは一方的に男が襲われ、負傷し息も絶え絶えに逃げ回る男が捕食されるのも時間の問題であった。

 身の丈が成人男性の4倍ほどあるワイバーンが男に食らいつこうというすんでのところでわたしは氷結魔法でワイバーンの両足を拘束した。氷漬けになった足の痛みでワイバーンが絶叫する。

「離れていろ!」

 わたしは男に声をかけ、男が距離をとるのを見ると間髪入れずにワイバーンに破断魔法を放つ。周囲の空間が瞬時に位相をずらすように回転し、ワイバーンは空間もろとも裁断されブロック状の肉塊となった。

 男を見やると、全身に痛手を負っているが幸い四肢の欠損もなく治癒魔法でどうにかできる範囲であった。

「大丈夫か?」

「ああ。助かった。……あんた転生者か。破断魔法なんて初めて見たよ」

「それよりもなんでこんなところを夜中にうろついているんだ、見たところ冒険者でもない」

「自分は、罪を償うためにここへ来たのだ。そして、死のうと思っていた。でも死ぬのは怖かったし、今こうして生きている」

「それではわたしは余計なことをしたのかな」

「でも、ありがとう。もう少しだけ生きていてもいいかもしれない。あんたに礼もしたくなった。自分の名前はラスコーだ。あんたは?」

「わたしの名はセラーズだ」


 わたしはワイバーンから有用な素材と肉をはぎ取りラスコーとともに野営地に戻った。ラスコーにスープの残りを与え、わたしたちは焚火の元でしばらくくつろいでいた。

「自分は常に申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ。何もない時はその気持ちが水面下でじっとしていてくれるのだが、ふとした瞬間にそれが爆発していてもたってもいられなくなってしまうんだ。そして、なんでこんなに申し訳ないのかすらよくわからないんだ。生きていて申し訳ない、こんな人間で申し訳ない、そんな抽象的なことでずっと苦しんでいるんだ、人を殺したわけでもないのに」

 そんな風にふとラスコーが語りだした。

「そうなのか。何に対して申し訳ないんだ?」

「それもよくわからないんだ。いつも自分は妻に対して謝ってしまうのだが、謝る必要のないようなことで謝り続けて気が狂わんばかりになってしまうことも度々あって、そのたびにもう謝らないで、お願いだから、という感じでどうしようもないくらいに険悪になってしまうんだよ」

「それは妻も大変だな」

「ああ。自分はそのこともよくわかっているからますます申し訳なくなって、重ねて謝り続けてしまうんだ。謝ることに対して謝っているのだから、もうこれは終いにすることも叶わないんだ」

「それで、死のうと思ったのか。終いにするために」

「そうなんだ。ただ存在するだけで罪の意識に苛まれるのならば、もう消えてしまうよりほかにないんじゃないかと思って。そんなことはよくある解決法だし、何にも面白くもないだろう、そのことがますます自分の申し訳なさを加速させていくんだ。こんなつまらない人間でごめんなさいって。何度も何度も死のうと思ったが、でも死ぬこともできなかったな、そんな弱い自分も申し訳なくてたまらなかったんだ」

「今日も死ねなかった」

「ああ、あんたのおかげでね。わたしは申し訳ない、消えたいと思いながら、本当は死にたくなんてないんだよ。でも生きていると辛くなる。なんとなくこの気持ちはわかると思うんだ。わたしはそれが人一倍強く出てくるらしい。アルスの医者にもそう言われたよ。だから、今こうして話しているが、あんたには感謝しているんだよ」

「そうか」


 わたしたちはしばしの沈黙を共有した。焚火の揺らめきと輝く星々を交互に見やりながらわたしは罪の意識について考えていた。

 わたしもこの世界に来て生きるために様々なことをしてきた。ギルドからの依頼でモンスターや野党を討伐したり、有事の際には「敵」を躊躇なく殺した。

 しかしながらそれらについて罪の意識を感じたことはなかった。それは狩りや食事をするように生きるために仕方のない行為であると思われたからだ。善か悪かということも、立場によって変わってしまう。もっとも、わたしは強盗をしたり、むやみに殺生をしたことはない。魔法の力も極力人のために有意義に使うように善処している。一人旅をしているのも、自分の力を特定の勢力のために使うのを避けるためでもある。

 しかし、ラスコーという男の悩みはそういう何かに対する罪の意識ということではない。彼は自らの存在について申し訳ないと言っていた。すなわち、生きるために何かを犠牲にする、そもそも自らがそこに存在している、そういうことの全体が申し訳ないということなのだ。

 ラスコーはそういう苦しみを抱えながらも普段はまっとうにありきたりの仕事をこなすくらいの力はあるし、妻と生活をしていくこともできている。しかし、ふとした瞬間にそういう普通の皮が剥がれて罪の意識に染まってしまう。それを根本的に解消するには消えるしかない。そう、彼は考えた。


 わたしは、目の前のやつれた男を見つめた。歳は三十くらい、中肉中背の一般的な男性だ。アルスの街中で出会ってもなんの変哲もない一般人として記憶が処理するであろう人物である。

 もしわたしがワイバーンを倒さなければこの男は今頃八つ裂きにされワイバーンの胃袋に収まっていたに違いない。そうすれば、ワイバーンは死なずに済んだし、一方で夫が食われた妻は悲しんだであろう。

 彼はここで死ぬことで何を解消しようとしたのだろうか。それは罪なのだろうか。それとも罪の意識なのだろうか。彼が星に還れば罪は消えるのだろうか?彼が消えれば罪の意識も消えるのだろうか?少なくとも彼は死に、そして場合によってはわたしのように別の世界に転生することだろう。もし、彼が転生してしまった場合は再び同様の罪の意識に苛まれることになる。そして再び生の半ばで死を選び、転生……そうなれば彼の苦しみは永劫消えるものではない。

 これは彼が意識を残して転生した場合には特に苦しむであろうことを鑑みて、やはり罪の意識こそが彼を苦しめているのだろうと推察される。もし彼がわたしのように生前の記憶を失って転生すれば、彼の感じている罪自体は消えずとも罪の意識に苛まれることはなくなるだろうからだ。転生せずとも単に星に還れば、意識は星の精霊と一体化するであろうから、苦しむこともないだろう。


 では、わたしはこの男を見殺しにするべきだったのだろうか。いや、目の前で悲鳴を上げている者を見殺しにはできない。そもそも、この男が何を考えているかなんてその段階ではわからなかったのだ。

 彼はわたしに罪についての感情を今与えてくれた。彼の役割とはそういうことなのかもしれない。もしかするとわたし自身、転生したラスコーのような存在なのかもしれないのだ。そう考えるとわたしは罪の意識には苛まれてはいないことに感謝すべきであろう。

 ラスコーも、今しばらく生きてみることで、彼の本当に苦しんでいる罪の意識の源泉を解消できることがあるかもしれない。

「セラーズさん」

「どうした」

「いや、あんたがどこかここにいるようでここにいないような、そんな雰囲気で自分を見つめているものですから、何を考えているのか気になって」

「わたしはお前について、そして自分について考えていた。いつだってそうだろう。人というのは人について考えながら自分について考えるものだ」

「そうして、どこかへ行ってしまうのでしょうか。自分について何かわかったことはありますか?」

「そうだな、お前はお前自身について苦しんでいるのだ。それは罪についての苦しみではない。お前の罪はお前自身のものだが、お前の苦しみはお前自身が作り出したものだ」

「罪は自分自身のものであり苦しみは自分自身の作り出したものということですか。でも、それだとどっちも自分自身のものについての苦しみということではないのですか」

「罪は例え自分の存在と分かちがたくそこにあるとしても、それを苦しむこととは別のことだ。そして、苦しむ意識はお前自身でありお前自身に対して苦しんでいるのだ」

「では自分は罪のために苦しいのではなく自分のために苦しいと、そういうことなのでしょうか」

「そうだな」


 再び沈黙が流れる。夜は更け、辺りには雪光虫のほのかな明かりが漂うばかりである。わたしはラスコーに毛布とテントの一区画を与え、休息をとるように促した。彼は先にテントに入っていき、しばらくすると寝息が聞こえてきた。

 わたしは冴えてしまった頭で焚火を眺めながら、安眠効果のある薬草を煎じた茶を沸かして一息ついている。

 自分が作り出した世界に生きているということは神話の世界の住人の話だが、わたしたちはその末裔として少なからず自分の世界を持っている。これはこの世界における宗教観に根付いた考え方だ。もっとも、転生者も多くいるここでは、実際に別の世界が入れ子上に存在しているといえる以上、正しい見方でもある。

 そして、すでにある世界と自分の世界とでは、それらは同じものの別の言い換えということではなく、別の存在としてそこにあるものとしてとらえる必要がある。おそらくラスコーには彼の新しい世界があり、それが苦しみを生んでいるのだ。彼自身の罪とは別のところで。しかし、離れがたくは結びついて。

 わたしは清涼感のある上等な薬草の香りに癒されながら、そんなことを考え、小さなあくびをした。テントに向かい、しばしの休息をとることにした。


 翌朝、わたしが目を覚ますとラスコーは先に起きて料理を作っていた。

「ああ、セラーズさん。昨日のワイバーンの肉で適当な料理を作ったのですが、どうでしょうか」

「いただくよ」

 昨日の残りのスープとパン、そしてワイバーンの香草焼き、朝食には少々重たいが、アルスまでの行路を考えたら、ここで英気を養っておくのはよいことであろう。わたしたちはそれを平らげ、野営を片付け、旅の支度を整えた。

「お前はこの先どうするのだ」

「自分はあんたについて行ってアルスに戻るよ。妻にはカンカンに怒られるだろうが、まあいつものことだ。」

「そうか」

「それよりも、あんたの言ってたことを考えたくなったんだ。自分は自分のことで申し訳なくなっているってことを。なんだかよくわからなくって、何でこんなことで悩んでるんだろうって、自分でもよくわからなくって」

「そうか」

 わたしたちは荷物をアイテムボックスにしまい、手持ちの装備を整え、朝の山岳地帯の涼やかな光の中を先へと進む。

 心なしかラスコーが別の人間のように血色がいいように感じられた。

 

「見えましたよ、アルスですね」

「ああ」

 わたしたちは山道からはじまりの街が見下ろせるところまでやってきていた。アルスの街は広大な円形で、そこに人々の生活と息吹を感じさせる。

「早く帰って風呂にでも入りたいものです」

「昨日死にそうだったにしては暢気なものだ」

そうしてわたしたちは、街へと下る道を歩みだすのであった。

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