わからないなぁ
なにか心に残ったらすごいですね
私は先輩に恋をしている。
恋の定義なんてものを聞かれれば、それは何となく、としか言えないけれど。考えるとドキドキする、少し話しかけられたり構ってくれるとそれはもう嬉しくて、口角が何処かに行ってしまったと思うほどだ。
マスクは偉大だ。
まぁ、目の形でばれるかもしれないが。こいついっつもニヤニヤしてるな、何て思われていたらどうしよう。そんな風に一喜一憂する日々。
楽しくはあるが嬉しくはない。なんていったってもう私は二年生。つまり先輩は三年生なのだ。
三年生と言えば、誰もが恐れる受験が控える学年。勉強の得意でない先輩はただの一後輩に構っている暇などない。要するに進展を望むことが難しいのである。
一年のときに部活で出会い、先輩が受験生になるまでは呑気なままでいられた。まぁ、一応友人と兄を利用してのライン交換はさりげなく完了したがな。
少し成績でマウントを取れば乗ってくれ、いい反応をしてくれる。
面白くて可愛くて、しっかりするところは格好良く決める。贔屓目があるとは思うが、そんな先輩には是非受かってほしい。
同じ学年だったら教えられるのかなと思ったりもしたが、それは違うと思った。
我ながら「ただ一緒にいれればいい」なんて一筋縄では行かない自分に呆れた。
別に先輩が他の人と仲良くしていてもモヤッとしないし、私と同い年の子と仲良くしていても嫉妬なんて湧かなかった。
ドライなのか、はたまた私が本当は恋とは別の感情を恋だと勘違いしているのか。自分が傷付かないように知らんぷりを決め込んでいる可能性もある。
恋や愛は、人によって色んな形があると言われるだけある。全然わからないし参考なんて探せない。巷には『これって脈あり?!ウンタラカンタラー』みたいな記事があったりするが、読んでも読んでも別の解釈を見つけてしまい納得行かない。
構ってもらえないときは少し寂しくて、ピノを一粒他人にあげたような気持ちだが、構ってもらえたときの気持ちは喜びはガリガリ君が連続で当たったような気持ちだ。
しかしこれは一般的に分かりやすい例なので個人的にはクリーム系のアイスを愛す。だからどちらかと言うとピノを沢山食べれた方が…誰か来たようだ。
自分はマイナスな気持ちに鈍いのか?それもわからない。自分のことは自分がよく知っているんじゃないのか。話が逸れた。が、また別の話題を出そう。
世の中、期待していない方がストレスが少なく済むと私は思う。それは人間関係は勿論、これは感動具合だが、スポーツの観戦だってそうだと思う。期待しなければそっかー、やっぱりなぁで済むし、選手は挽回の手立てを考えたりと余裕がうまれるだろう。逆にあと少しで逆転!なんて時に逆転出来なかったなら、期待しただけ失望感的なのも大きいだろう。上がれば上がるほど下がるときには大きく下がるとは、ジェットコースター談。
だから私は、もう卒部した先輩と繋がりのある後輩が、部活の人手が少し足りないかもしれない時に
「先輩呼ぼうかなぁ」
と、ボソッと言ったのを聞いたときに知らないフリをした。変に期待を持ちたくなかったのだ。淡い期待なんて、物語においては打ち砕かれるものに過ぎない。
それでも、少しだけ、期待をする私がいた。
何故なら、長ったらしい前置きは後付けに過ぎないから。
会えるならその方がいいだろう。
まぁ来なかったけど。
来ないか?と誘われた結果来なかったというのと、なにも言われなかった、というのでは私の気持ちの持ちようが違う。もし断った結果ならば私がいるから…?なんて自意識が過剰過ぎる考えを持ってしまう。しかし誘われていないのなら自分がーなんていう自意識過剰な考えに囚われずにすむ。
自意識過剰な考えを持ってしまうと、ショックと心配というストレスだけでなく、その後に羞恥心が襲ってくるから実に厄介だ。
折角先輩と会えても、自分から行く勇気なんて、振り絞っても出ない。出てくるのは勇気という名の汚水だ。
世の恋する者は皆強い。改めて実感する。そもそも友人にさえもあまり自分から話し掛けない人間にもっと高いハードルを跳ばせようとするなんて親ライオンか何かなのか??
仮に、もし、偶然、話し掛けることに成功してもその後の会話が続かなければ勇気は排水溝から流れていく。
よし、話し掛けるのはやめよう。
こうやって時間は減り、言い訳と妄想だけが積み上がっていくのだ。
女心は難しい。
ね?何読んだか記憶ないでしょう?