酔わせてみてよ、後輩くん〜憧れの先輩の家でサシ飲みすることになったんだけど、これって俺を誘ってるんじゃないの?〜
「後輩くん、今日家でサシ飲みしない?」
憧れの先輩からのお誘い。
即答したい気持ちだったがここは我慢。冷静に聞き返す。
「珍しいですね先輩、もしかしていいお酒でも買ったんですか?」
「正解♪ いやー後輩くんは分かってるねぇ~」
「だと思いましたよ。それで、どんなお酒を?」
「【簪】の12年……どう?」
「うわぉ……先輩無茶しましたね」
「就活終了祝いってことでね~」
ニヘラと頬を緩ませる先輩。
就活のために黒に染め直した髪が艶やかで眩しい。
「それにしても宅飲みですか……」
「あら、気に入らない? 美味しいおつまみも用意してあるんだけど?」
「そうじゃなくて男を家に入れてサシ飲みって……」
「後輩くんのことは信頼してるからね~、それに私がどれだけ強いか、知ってるでしょ?」
言葉の通り先輩はかなりの愛飲家で酒豪。
幾人もの男が下心丸出しで近づいて、そして潰された──酔わされて。
同じく愛飲家ということで何かと話が合う先輩だったのだが……
そっか~、ついに宅飲みに誘われるレベルにまで来たか~。
嬉しいような……男として見られてないようで複雑というか。
「じゃ、ご相伴に預かりますよ。先輩」
「そうこなくっちゃ! いや~今から楽しみだな~」
「だからって授業サボっちゃダメですからね」
「うっ、何故バレた……」
「先輩のことならお見通しです」
ずっと目で追ってきた憧れの先輩だ。
こういう時何をしそうか──大体予想はつく。
「早めに帰って煮込み料理を作ろうと思ったんだけどな~」
「作りながら飲めばいいでしょ? 俺も手伝いますよ」
「ホント? さっすが後輩くん! 頼りにしてるよ?」
「任されました」
「いや~、今日は楽しい夜になりそうだな~♪」
上機嫌の先輩。
弾けるような笑顔が眩しい。
就活が終わって肩の荷が降りたのだろう。
「先輩が【簪】を用意してくれるっていうなら……俺も気合い入れないといけませんね」
「おっ? まさか?」
「バイト先のツテで手に入れた数量限定のワインを持っていきましょう。先輩の就活終了祝いです。この機会に飲んじゃいましょうか」
「いいねいいね♪ 今から楽しみになってきたよ~」
「ついでにワインに合うチーズもあります」
「天才、さすが後輩くん」
バシバシ、と。
やや強めに背中を叩かれる。
痛いです、と身をよじりながらも俺の顔はだらしなく緩んでいたはずだ。
俺がMとかそういうのじゃなくて……楽しみと期待が自然とそうさせる。
「それじゃ、今日の夜待ってるから」
「はい、よろしくです」
「家の場所は分かる?」
「何となくですけど」
「じゃ、後で地図送っとくね。割と目立つ場所にあるから迷ったりはしないはずだよ」
「楽しみにしてます」
「私も」
「いえ、多分俺の方がそれ以上に」
「おっとぉ? 張り合うねぇ」
「ここは譲れませんよ」
ちょっとしたじゃれ合い。
俺と先輩の日常。その時間が何よりも癒し。
夏休み明け、憂鬱でしかない日々が色づいていく。
その日の夕方。
秋の日は釣瓶落とし。
急激に辺りは暗くなっていくのと、気温が下がっていく気配に秋を感じる。
俺は先輩からの地図を頼りに住宅街を歩いていく。
「にしても……少し気合い入れ過ぎか?」
独りごちる。
普段より気合いを入れた──それでもTPOに合った綺麗めカジュアルな服装。
両手いっぱいに抱えたお土産代わりのお酒とツマミ。
傍から見れば舞い上がっているように見えるかもしれない。
子供が無邪気に公園でダンスを踊るかのように。
でもそれでも構わないと思う自分がいた。
だって今日は男としての覚悟だって決めて来たんだから。
ふんす。
荒めの鼻息。
下心全開の輩と自分は違うと思いつつも、あるかもしれない可能性に思いを馳せて、住宅街を進んでいく。
それから数分で先輩の住むマンションに到着した。
ラインで「もう着きます」と連絡を送って、先輩の部屋へと向かう。
302号室……あった。
一人暮らし、それも女性。
当然表札は出ていない。
だからちょっと部屋を間違えていないか、心配になりながら。
控えめにインターホンをポチリ。
ピンポーン。
使い古された音。
「はーい」
中から声がした。
ガチャリ。
鍵が開かれる音。
「後輩くん?」
チェーンロック越しに先輩の声。
防犯意識はしっかりしているらしい、よかった。
「そうです、お邪魔してもいいですか?」
「どーぞー」
「っとすいません。両手塞がってるので開けてもらってもいいです?」
「あ、ごめんごめん。気が利かなかったね」
ドアがゆっくりと開かれる。
匂い立つ異性の香り。
それと何か煮込み料理の芳醇な匂い。
複雑に絡まって出来上がる他所の家の香り。
「うわぉ、いっぱい持ってきてくれたねぇ」
「【簪】に先輩の手料理と来たらそれなりの物を用意しなきゃダメかなって」
「ふふっ、相変わらず律儀だね」
「ところで先輩、冷蔵庫借りてもいいですか?」
「もちろん、それは……ビール?」
「普段は発泡酒なんですけど、今日は気合い入れてプレミアムなやつです」
「……冷えてるかい?」
「もちろんですとも」
「さっすが後輩くん。分かってるぅ~」
招かれるまま先輩の家に足を踏み入れる。
一人暮らしにはありがちな1Kの間取り。
当然部屋の一角にはベッドもあって、生活感が生々しい。
なるべく見ないように──と意識するのはかえって不自然か。
「それじゃ、さっそく乾杯と行きたいんだけど……最初はやっぱり?」
「ビール、ですよね」
「最近は飲み会でも初手ハイボールとかレモンサワーとか、それが普通になりつつあるけど、私から言わせれば甘い。やっぱり『とりあえず生』の文化は次代に継いでいくべきだと、そう思うんだよね」
「先輩、もう酔ってます?」
「まさか、まだちょっとしか飲んでないよ」
「先に初めてたんですかい……」
「まぁね~♪ ほら、煮物料理を待つ間に飲むお酒って美味しいし……」
「分かりますけども」
先輩の頬はほんのりと赤い。
先輩はお酒を飲むとすぐに顔に出るタイプだ。
ただ、ここから本気で酔うまでは極めて長いのだが……。
つまりは楽しく酔える時間が常人の三倍はある、素直に羨ましい。
テキパキと。
枝豆に筑前煮がテーブルに並べられる。
夜は長い。ジャンキーなつまみは夜更けになってから。
ぷしゅり。
ビール缶を開けてとくとくとグラスに黄金色の液体を注ぐ。
泡の比率は3:7 少し多めが好み。
「先輩のも注ぎますよ」
「お、後輩くんの入れたビールが飲めるとは……いいねいいねぇ♪」
「はい、先輩」
グラスを渡す──ついでに腕にグラスをピトリ。
先輩がちべたい、と甘えたような声を出す。
飲み会前のちょっとしたおふざけ。
互いにくすりと笑みを浮かべてグラスを掲げる。
「それじゃ、後輩くん。乾杯と行こうか。音頭は任せたよ!」
「任されました。それじゃ、先輩の就活終了を祝して……乾杯!」
「かんぱーい」
俺にとって人生で一番長い夜が始まった。
おかしい。
酔わないはずの先輩のテンションが今日に限って妙だ。
「ねえ、後輩くん」
「はい」
「【愛してるゲーム】をやりましょう」
「ぶはっ……マジで言ってるんですか?」
「マジよマジ。そろそろ普通に飲むだけっていうのも味気なくない? 煮物に七味、飲み会にはゲーム。アクセントが必要なのよ」
「俺としては先輩と普通に飲んでるだけでも楽しいんですけどね」
「あはっ、嬉しいこと言ってくれるね。このこの~」
後ろに回ってきた先輩が俺の頭を両方から拳で挟んでグリグリと。
痛い、普通に痛い。
「いだだだ! 先輩、そこはダメです!」
「あ、なんかその言い方私が襲ってるみたいじゃない?」
「ある意味で襲われてますよ……」
言い方にドキリ。
アルコールのせいで上がった心拍数。
バクバクとして汗が出てきそうだ。
「それで、【愛してるゲーム】やらないの?」
「それ合コンとかでやるやつですよね……」
「そそ、相手に愛してるって言って照れさせたら勝ち、照れたら負け」
「サシ飲みでやりますか普通?」
「え~ダメ? ノリわるーい」
「……良いんですね?」
「もちろん」
大きく頷く先輩。
肉食動物を連想させるような獰猛な視線をぎらつかせて。
獲物は俺らしい。
愛してるゲーム……愛してるゲームかぁ。
バカなサークルの飲み会でやったことあるけど、誰相手でも変に意識しちゃってすぐ負けちゃうんだよなぁ。
でも逆に考えろ?
合法的に後腐れなく先輩に告白できるチャンスだと思えば悪くないのでは?
ていうかむしろ先輩、俺のことを誘ってるのでは?
アルコールで思考が鈍ったせいで正常な判断が下せない。
俺とて酒豪の先輩に付き合えるくらいなのだから決して弱いわけではないのだが、それでも理性にブレーキがかかってふわふわとした気分にはなっている。
先輩の誘いに乗ってしまうのも無理はないことだった。
「それじゃ、後輩くんからどーぞ」
「俺からですか?」
「じゃ、私からやろうか?」
「……いえ、俺から行きます」
ごくり。
喉を鳴らして大きく深呼吸。
……もう一度深呼吸。
そんな俺の様子を先輩は面白そうにロックグラスを片手に見つめている。
見てろ、その余裕な表情に少しでもヒビを入れてみせる!
全身全霊の力を丹田にこめて声を絞り出す。
「先輩! 愛してます」
反応なし。
恥ずかしがる様子もなければドン引きする様子もない。
一番心にクる。
それでも数舜の後、先輩はニヤリと片頬を吊り上げて、
「ありがとう後輩くん、私も愛してる♡」
「ぶはっ」
思わず粗相しそうになってしまった。
何その不意打ち、何その破壊力。
妖艶に微笑む先輩の言葉に俺は即堕ちしてしまった。
「アハハハハ……後輩くん弱すぎ~」
「先輩、今のはズルじゃないですか?」
そう、今のはカウンターだ。
正々堂々の撃ち合いかと思ったら、俺の撃ち終わりを的確に射抜いてきた。
「じゃあ、もう一回やる?」
「受けてたちましょう、今度は先攻後攻交代で」
「それじゃ、私からね」
「はい」
「ア・イ・シ・テ・ル」
「んぐぅ……!」
無理、勝てない。
先輩の一言の破壊力が高すぎる。
「アハハハハ……あ~、お腹痛い。後輩くん私のこと好きすぎでしょ~」
「……」
「拗ねちゃってカワイイ~」
「参りました」
「うむ、よろしい」
バカにされるのは甘んじて受け入れよう。
先輩に愛してる、と目を見て言ってもらえたのだ、例えゲームでも。
むしろ役得、プラマイで言えばプラスだと言える。
「あ~、笑い過ぎたら暑くなってきちゃった」
「俺もです……恥ずかしさで顔が燃えそう」
「ヨイショっと」
「……!?」
先輩が突然Tシャツを脱ぎ始めた。
俺の目の前で。
目が離せない。見ちゃいけないと思いつつも。
ふわり。
脳髄を溶かしてくるような、甘い匂い。
「あー暑い、しばらくはこれで飲もうかな」
「先輩……その格好はさすがに……」
さすがに下着そのまま、ということはなかったが今の先輩はノースリーブのキャミソール姿。
豊かな胸の双眸が強調されて目に毒だ。
「驚いた? 私って結構着痩せするタイプなんだよね♪」
「はぁ……そうですか」
としか言えないだろうが。
どう答えてもセクハラになるわ、こんなもん。
にしても……今日の先輩は妙に積極的だ。
これってもしかして……。
本当にもしかすると、俺のことを誘ってるんじゃないんだろうか?
ていうか年下とは言え、体が一回りも大きい男の前でそんな無防備な姿を晒すなんて。
お酒も入ってる。
襲われても文句は言えないレベルだ。
ごくり。
生唾を飲み込む。
でも俺は理性で獣欲を封じ込めてみせる。
──後輩くんのことは信頼してるからね~
先輩の言葉がリフレイン。
その信頼に背きたくない、という思いがギリギリの所で俺を律する。
「ねえ、後輩くん?」
「何ですか?」
「そろそろ日付変わるけどまだ付き合える?」
「もちろんです」
「よかった、今日は家だから思いっきり飲めるね。普段だと飲み足りなくて……」
「でも俺は……このあと帰らないといけないんで程々にしときますよ」
「泊って行けばいいじゃない。ここからキャンパスまで近いし」
「……!?」
全く人の気も知らないでこの先輩は……!
「なんてね、でもいいでしょ?」
先輩が妖艶に微笑む。
「今日は朝まで寝かさないから」
「語弊を招きますよ、その言い方」
たしなめる。
注いでもらった【簪】を口に運びながら。
うまい……舌の上で確かに感じる甘さと旨味、そして芳醇な香り。
普段飲んでる安ウイスキーとは作りから何まで全く違う。
思考をお酒を味わうことにシフトして気を逸らす。
そんな俺の気遣いなど無視して先輩は爆弾を落としてくる。
「さすがの私も朝まで飲んだら酔うかもね」
「先輩でも酔うんですか?」
「私だって無限に飲めるわけじゃないもの。自分の限界はちゃんと知ってるわ」
「意外だ……」
「ねえ、酔わせてみてよ。後輩くん……」
やってみろ。
そう言わんばかりの挑発的な表情。
俺の理性のセーフティーネットの一枚目がプツリと切れる。
「私が酔ったら……なんでも好きにしていいから、さ」
「言いましたね」
「言ったよ」
「本気ですか?」
「冗談でこんなこと言わないわ」
プツリ。
完全に理性がトんだ。
もうどうなっても知らないからな……先輩。
「じゃあ、ゲームしませんか。先輩」
「お、いいねぇ」
「トランプやりましょう。ババ抜き」
「二人で?」
「だからこそいいんですよ。負けた方がワンショット飲み干す、ルールはこれでどうですか?」
「いいよ、やろ」
先輩には悪いが俺はババ抜きの強さには自信がある。
これがメンタリズムの正しい使い方だ。
某メンタリストもこういう使い方をされるのが本望だろう。
それから俺はあの手この手で先輩を酔わせにかかった。
多少汚い手も使ったが、誘ってきた方が悪い。
責められるいわれはない。
飲ませて……飲ませて……飲んで……飲ませて……飲んで。
しかし、先に限界が来たのは……俺の方だった。
「はい、後輩くんの負け~。それじゃ、次の一杯どーぞ」
「先輩……」
「どうしたの?」
「ギブです」
もうダメだ……。
俺は自分の限界を知っている。
これ以上飲めば……。
「いいの? せっかくのチャンスなのに」
「せっかくのチャンスでも、です。俺は先輩の家で粗相する──なんてことしたくないですから」
「律儀だね」
「不器用だと笑ってください」
「笑わないよ、だって後輩くんのそういう所が好きなんだから」
「俺も好きです、先輩。これは酔った勢いとかじゃなくてガチです」
まだ意識のハッキリしているうちに伝えたかった。
信頼してくれているのは嬉しいけど、俺はやっぱり先輩に男として見て欲しい。
「知ってるよ」
先輩が優しく微笑む。
頬を薄紅色に染めながら。
「ていうかバレバレ」
「あはは……」
「ていうか、知ってた上で今日は後輩くんを試したんだ。ごめんね?」
「やっぱりそうでしたか……」
やっぱり……いくらなんでも大胆過ぎると思った。
「勇気出して告白してくれた後輩くんにはご褒美をあげましょう」
「……!?」
唇を塞がれた。
脳髄を直にまさぐられるような衝撃。
ゾクゾクとした快感が体中を暴れまわる。
「はい、残念賞。今日はこれで我慢して、ね?」
「……はい」
先輩は今までにないくらい優しい笑みを浮かべていた。
年上の余裕。
それを見せつけるかのように。
だが、酔っ払って思考が鈍る中でも見逃さなかった。
先輩の耳がしっかり赤くなっているのを。
「先輩」
「ん?」
「愛してます」
真っすぐ見据えて。
「わ、私も……愛してる」
不意を突かれた先輩の表情が引き攣る。
ぷい、と顔を背けた。
「ねえ、後輩くん。やっぱり我慢しなくていい……って言ったら?」
先輩が今度こそしっかりと恥じらいを見せて、おずおずと上目遣いで。
その破壊力に戻りかけた理性が飛ばされそうになるが──
「いえ、今日はもう。残念賞もらっちゃいましたから」
「そう……」
「でも、次は先輩を酔わせてみせます」
「え?」
「そしてちゃんとした雰囲気になってから据え膳はいただきます」
この流れでするのは違うだろう。
今日の所は俺の負け、それでいいんだ。
焦る必要なんてない。
「ぷっ……あはははは」
「何笑ってるんですか」
「いや君は本当に律儀な男だなって」
「それだけが取り柄ですから」
「また飲もうね」
「その時は必ず」
「うん、楽しみにしてる」
先輩が真っ赤になったまま頷く。
東の空がわずかに白くなり始めていた──
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