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嵐の傘は狐雨

作者: 碧生かずき

初めて書いた小説です。

どうか温かい目でご覧くださいませ。

 空は鈍色だった。

 

 時折光が走り、雲の陰が怪しく揺らめく。遠くから、空が怒ったみたいな音が聞こえる。


 雨が激しく街を鳴らしていた。風が演奏家みたいに雨を操って、気まぐれに屋根を叩き、窓を打つ。


 窓に預けた肩が熱を失っていることに気づく。どれくらい時間が経ったっけ。短編集から目を離して時計を見やると、針がちょうど四時を指したところだった。

 わたしはひとつ深呼吸をして、頭をこつんとガラスにぶつける。


 もうすぐお母さんが買ってくれた小説が届くはず。


 ずっと気になっていた小説シリーズをまとめ買いした。この前買った本はすっかり読み終わり、退屈しのぎの短編集は、何度も読み返したせいで内容をほとんど覚えてしまっている。ページには折り目がつき、表紙は汚れていた。


 家族はみんな出かけてしまっているから、宅配業者さんが来たらわたしが応対しなければならない。


 いつも玄関で談笑をしながら荷物を受け取るお母さんの姿を思い出す。確か、受け取りにはハンコを使っていたはず。ハンコは玄関の棚にある小さな箱の中に入っているし、扉口まで履くサンダルも用意してある。

 

 やり方が分からなくてもたもたしていたら、宅配業者さんに迷惑がかかってしまう。中学生にもなって宅配便の受け取りもしたことがない変な子だと思われてしまうかもしれない。宅配業者さんにはわたしが何歳かなんてわかりはしないのだけれど。


 雨音に閉ざされて、誰もいない家の中はしんとしていた。この家だけが外の世界から切り離されてしまったみたいだ。

 時計も、短編集の文字も、次第に鈍色の影に沈んで形を失っていく。わたしはそれをぼうっと眺めていた。


 来客は突然だった。チャイムが嫌に大きく響いて、わたしの心臓は一瞬、きゅっと縮む。


 慌てて立ち上がると、窓にくっつけていたせいで冷たくなった頭が痛んだ。痛みを打ち消すように拳で数度頭を叩いて、インターホンのモニターを見る。


 キャップを被って段ボール箱を抱えた、狐目の男の人が映っていた。何か珍しいものでもあるのか、あたりを見回していて落ち着きがない。 

 背後に停められたトラックに宅配業者のマークを確認してから、通話ボタンを押す。


「はい」


 声がかすれてしまった。すっかり対応になれたような、凛として大人びた返事をしようと思ったのに、これでは寝起きみたいだ。

 でも、モニターの中の人はそんなこと気にも留めない様子。わたしの声に気づくとこちらに向き直り、きつい目元に似合わない間延びした声で「あ、宅配便でーす」と名乗って、キャップのつばに触れながらヘコヘコと頭を下げている。


 とにかく何事もなくこのミッションを終わらせなければ。ハンコを掴み取ると、サンダルをつま先にひっかけてドアの鍵を回す。ドアがいつもより重く感じたので、体重をかけて押し開ける。


 途端に、ドアの隙間から湿った風が流れ込んできた。


 横殴りの雨が玄関のひさしをくぐり抜け、顔にしぶきを散らしていく。


 わたしは目を細めて来客を見上げた。


 若くて背の高い人だった。背中を丸め、お腹のところに届け物を抱え込んでいる。

 腕に赤い傘を下げているけれど、服はびっしょり濡れていた。せっかくの傘もこの風雨では役に立たないのかもしれない。このままでは風邪をひいてしまいそうだ。


 その人はわたしの姿を見ると、釣り上がった目尻をぎこちなく下げた。ひどい悪天なのに、陽だまりにいるみたいな表情で朗らかに挨拶してくる。


「こんにちはー」


 とりとめのないことを考えていたからか、反応が遅れてしまった。焦って目を逸らし、視線を彷徨わせながらなんとか会釈する。

 住所や氏名の確認に対してもただ首を縦に振る事しかできない。まるで人見知りの子供みたい。


「じゃあ、ここにサインをお願いしますー」


 声に従って慌ててハンコのふたを開ける。なんとか指差された先に押し当てたけれど、向きが逆になってしまった。


 思わずあっと声が漏れる。頭上で笑う気配がして、頬が熱くなった。

 逆さまのサインがおかしかったのだろうか。それともあたふたするわたしが滑稽だったのだろうか。 

 どちらにしても、わたしはもう顔を上げることすらできなくなってしまった。


「はい、ありがとうございましたー」


 俯いたまま、段ボール箱を受け取った。来客の足音は遠ざかっていく。

 腕に本のずっしりとした重さが伝わってきた。さらりと乾いた質感と肌に馴染む温度が心地良くて、きつく胸に抱いてしまう。


 ふと、その感覚に違和感を覚えた。あの人の姿を思い起こす。


 濡れた服。


 傘。


 はっと息を呑んで顔を上げる。


「あのっ」


 気がつくとわたしは叫んでいた。


 道路に停まったトラックの前で、陽だまりが振り返った。


 雨の中で、赤い傘は閉じたままだった。


 柔らかな笑みを不器用に目元に湛え、わたしの言葉を待っている。


 呼び止めたことを後悔した。

 どうしてこんなことをしてしまったのか。早く何か言わないと。風邪をひかせてしまうかもしれない。わたしはあの人に何を伝えたいのだろう。


 気持ちの整理がつかず、戸惑いながら口にする。


「傘は、いらないのですか」


 男の人の細い目が見開かれた。でも、すぐにお日様みたいに笑って、言った。


「僕には必要ありませんよ」


 トラックが去った後も、胸にはあたたかさが残っていた。

誤字・脱字の報告などしていただけると助かります。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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