婚約破棄された悪役令嬢がこっちをにらんでるんですけど、そういえば僕が王子の役でしたね。
「わたしはエルザとの婚約を解消する!」
王立学校卒業パーティー名物の婚約破棄が始まった。
まったくいい加減にしてほしい。
この重苦しい空気の中で作り笑いを浮かべながら、こんな戯言に参加するこっちの身にもなってほしいよ。
そのうえ今回の婚約破棄はさらに重苦しい。
だって、たった今、婚約破棄を高らかに宣言したのは我が国の王太子なんだから
伯爵家と男爵家の婚約解消とはわけが違う。
王家と侯爵家の婚約を解消しようというんだ。
しかも侯爵家といってもただの侯爵家じゃない。この国の重鎮で民からの信頼も厚く、もっとも影響力を持つと言ってもいい貴族だよ。
最悪、国がふたつに割れることだってあり得ない話じゃないよ?
この王太子、大丈夫なの?
えっ? 侯爵家のご令嬢であるエルザが、男爵家の令嬢を虐めていたって?
まさにこれは、今流行りの婚約破棄された悪役令嬢からのざまぁテンプレだ。
「それがどうかしましたの?」
おいおい、それがどうかしましたって。そんなことを言うと自ら認めちゃうことになっちゃう。ちょっとは反論したらどうなの。
「どうせ信じてはいただけないでしょうし。そう思うのなら、どうぞご自由に」
開き直っちゃった。まったくもう。このお嬢様はプライドが高いというか何というか、少しくらい弁解したってよさそうなものなのに。
もっとも見ている人たちもエルザが全面的に悪いとは思ってないね。
だって、王太子が抱き寄せてる女は他人のものを取るのが大好きな、あざとさMAXの天然令嬢だもん。
「ああん、王子さまぁぁん。わたくし怖かったですわぁぁん」
うん。あざといどころか腹黒いね。
こんな女に騙される男がいたら顔が見たいよ。
「心配するなマリン。このわたしがついている」
いたわそんな奴。しかも目の前に。
「ああん、王子さまぁぁん、もう離さないでくださいまし」
「もちろんだマリン。もう離さないぞ!」
臆面もなく抱き合う二人。あまりにがっちり抱き合ってるから、どこからかブーイングが飛んできたが当の二人は自分たちの世界に浸りきってる。
誰がブーイングしたのか僕にはわかってるけど。
と思ったら、エルザが僕の顔をにらんでる。
「なにやってんのよ」
エルザが小さい声で僕に言う。
「あんたの番でしょ!」
完全に忘れてた。エルザの顔が怖い。たしかにここで僕が登場しないと、エルザは婚約破棄された、ただの惨めな令嬢だもんね。
しかたない。やるか。
「おお! こんなときにこんなことを言うわたしをお許しください。わたくしことフリードはあなたを初めて見たときに恋に落ちたのです。どうかこのわたしと結婚してくれませんか」
「ああ、あなたはお忍びで我が国にやってきていた隣国の王太子のフリード!」
なんだこの説明的なセリフは?
「どうか、このわたしを王妃にしてください」
あまりに打算的過ぎて、ざまぁ感がまったくない。
でも仕方ないので僕はエルザを抱き寄せた。
「ちょっと、もっと抱きしめなさいよ」
「でもエルザのお父さんがにらんでるもん」
「いいのよ。王立幼稚園の子供の出し物にケチをつける大人なんていないんだから」
エルザの迫力に気圧されて僕はエルザを抱きしめた。
もっともまだ6才のエルザを抱きしめたところで何かが反応するわけもなく僕はいたって冷静だ。
だからお父さんもそんなににらまないでください。
横にいるマリンのお父さんもそんなに殺気を出さないで。あくまでこれは子供のお芝居なんですから。
「キスは?」
「はあ?」
「台本に書いてあったでしょ」
「読んでない」
「なんで!」
「だってくそ長いんだもん。タイトル覚えるだけでいっぱいだよ。『婚約破棄された悪役令嬢ですが隣国の王太子に求婚されて気がついたら蜘蛛でした。でもほんとはスローライフがしたいんですがもう遅い。さあ復讐を始めよう』って意味が分からないよ」
「『書籍化決定』が抜けてるわ」
「誰が買うんだよ」
「馬鹿な親たちに決まってるじゃない! そんなことより早くキスしなさい。客が待ってるわよ」
「幼稚園の学芸会のキスシーンなんて誰も待ってないよ」
「なに言ってるの。あんたそれでも役者? 役者魂はどこ行ったのよ」
「だから幼稚園児に役者魂を求められても」
「あたしなんて去年の学芸会では泥団子を食べたんだから」
「なんて恐ろしい子」
「もうじれったいわね。えい!」
あっというまに唇を奪われた。客席で腰の剣に手をかけようとしているエルザのお父さんが怖い。だって今のはどう見ても僕が唇を奪われましたよね?
でも客席からは拍手喝采だ。
さっきまで怒り心頭だった国王陛下と王妃様も拍手してくれてる。
「あのふたり、昔、本当に婚約破棄して結婚したからね」
「なんか怒ってると思ったら」
「ちなみに婚約破棄されたのが、わたしのお母さん」
「客席の方が面白そうだ」
「さあ、後半よ。これから半島を足掛かりに大陸を制覇して伝説の暗殺者になるシーンなんだから」
「広げ過ぎて回収できる気がしないよ」
「いいのよ、最後は夢落ちで誤魔化すんだから」
「最悪だ」
「目が覚めた?」
僕の顔を誰かが覗き込んでいる。まだ視界がぼんやりして顔がよく見えない。
「だれ?」
「わたしよ」
聞きなれた声に僕は安心した。
エルザだ。
「夢を見てた」
「どんな?」
「王立幼稚園の芝居の夢。あの芝居は楽しかった」
「当たり前よ。わたしが書いた台本なんだから。『婚約破棄された悪役令嬢ですが隣国の王太子に求婚されて気がついたらスライムでしたがもう遅い。生まれ変わってもまた結婚してくれますか』だったっけ?」
「後半が違ってる気がする」
「今の気分だとこうなるのよ」
「書籍化決定が抜けてる」
「誰も買わないわ」
「僕が買うよ」
エルザが僕の手を取って握りしめた。
ちくしょう。今の僕には握り返す力がない。
年を取るって嫌なもんだ。
「いいのよ。こうやってフリードに触れているだけで幸せなの」
「僕の唇を奪ったの覚えてる?」
「あら、そうだったかしら? 唇を奪われたことなら覚えてるんだけど」
「もういっかい、奪ってほしいな」
「こんなおばあちゃんに?」
「そんなおばあちゃんにだよ」
エルザは僕に体重をかけないよう優しく覆いかぶさって、あの日と同じように僕の唇を奪ってくれた。
もう何年も寝たきりで体を動かせない僕だけど、エルザの唇の感触だけはいつまでも変わらない。
「今までずっとエルザを追っかけてきたから、今度は僕が先に行って待ってるよ」
「うん、すぐに行くから」
「そんなに急いで来なくていいよ」
そうして僕は意識が朦朧としてきて、瞼をあけるのも辛くなった。
最後までエルザの顔を見ていたかったけど、もう無理みたいだ。
「もういくね」
「いかないで……」
「どこにも行かないよ。だってまだ芝居は終わってないんだから……」
最後までお読みいただきありがとうございました。