うすっぺらな人生
一
(あんたは、身を寄せる家族がいない、誰も支えてくれる人がいない、天涯孤独ね)
(あんたも、そうでしょう)
(うん、だけど、あたしはなぜだか負けん気が強いのね。でも、あんたはやさしいから、嫌なことがあってもがまんするでしょう)
(そうかしら)
(あんたを見てると、あたし、かなしくなってくる。あんたはつらいこと、かなしいこと、どんなことでも黙ってがまんしている、表情も変えず、身動きもしない。でも、あたし、わかっている、あんたは、ひとりになったら、涙を流している、部屋で泣いている)
‥
(あたしが、あんたの話し相手になってやりたいけれど、それは無理ね、家族のようにはいかない。だからあたし、あんたが家族のように何でも話すことができる相手を探したの。いろいろ考えて、悪戦苦闘して、やっと思いついたの)
(誰なの?)
(星よ)
(えっ)
(笑わないでね、バカにしないでね)
(笑わないけど、バカにしないけど、あの夜空の星?)
(そう、あたしが行き着いたのはそれよ、それしかなかった。最初に、星が輝いているのは、星の涙だと思ったの、・・涙がキラキラ輝いている)
(そう)
(地上でかなしみにある人のことを思って、涙を流しているって考えたの。そしてね、地上でかなしみにある人に、一つの星がつながっている、いっしょに生きているって考えたの)
(そう)
(大きなかなしみをもっている人よ、その人のために泣いているの、そして慰めてくれる、そして話し相手になってくれる)
(そう)
(あたし、そう考えて、実際にそうしてみた、夜空の星と話してみた)
(どうだった?)
(まだうまくはできていない、でも半分ぐらいできた。だからじゃないけど、あんたに話したの、どうかなって、やってみないかなって、そう思ったの)
(・・・・・)
‥
できた、やっとできた、ああ、むずかしかった、でも、何とかできた。すぐに話したいけれど、もう少し考えてみよう、何度か反芻してみよう、それから話そう。
それがいい、今はまだできたばっかりだから、もう少し時間を置いて、日にちを置いて、確信してから話そう。
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「どう、大丈夫?」
「何とかね、でももうダメかなあ」
「もう少しがまんして、ねっ、きっと何かいいことあるから」
「あるかなあ」
「わからないけど、それしかないから、そう思って」
「まあね、あんたが言うんだから、そうしないとね」
「思っていいんだから、少しだけでも思えば、少しだけでもがんばれるんだから」
「わかった、やってみる」
‥
「誰か、話す人がいればいいんだけどね」
「あんたがいるわよ」
「あたしはダメよ、もっと何でも話せる相手よ」
「そんな人いないわよ、無理よ」
「無理じゃない、いるんだから」
「彼氏ってこと?」
「違う、それはできるかどうかもわからない。その前によ、今よ」
「今かあ、何でも話せる人かあ」
「いるんだからね、もうちょっと待っててね」
「まあね、待つのはいいけど、間に合うかなあ」
「またあ、弱音はそのときに吐いて」
「いつかわからないのに」
「もうすぐだって」
「わかった」
二
トコは大きなかなしみを背負っている、そしてそれを降ろす手立てがない。降ろせるはずよ、そうじゃないと、このままだと、トコは倒れてしまう。あたしが助けてあげるからね、もう少し待っててね。
‥
(大きなかなしみをもっている人は、星とつながっている。星がいっしょにかなしんでくれる、涙を流してくれる)
(星が涙を流すのかあ)
(そうよ、あのキラキラ輝くのは、星の涙よ)
(まあ、そう見えなくもないけどね)
(そして、絶体絶命のとき、助けてくれる、力を与えてくれるのよ)
(あら、すごい)
(信じられない?)
(わからない)
(“信じる”じゃなくて、“思う”でもいいんじゃない。人間の心臓が休みなく動いているってこと、信じているでしょう。でも、どうして動いているのかわからないでしょう、それでも信じている、どうしてかわからなくてもね、これと同じじゃない。星とつながっている、そう思ってもいいと思うの、・・むずかしい?)
(・・・・・)
(昼間は現実的ね、夜は神秘的よ。片方だけではダメ、両方必要よ、両立ね)
‥
(かなしみをもって生きる、かなしみといっしょに生きていく、――そうしたら、ひとりで生きていないことがわかる、誰かといっしょに生きていることがわかる)
(“誰か”なのね)
(星であるし、他の“誰か”であってもいい)
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「つらいんだけど、あたしだけじゃない、同じ境遇の人たちががんばっている、だからあたしもがんばらなければね」
「それはそうだけど、みんな同じじゃないんだから、心が強い人と弱い人がいるんだからね。それでね、あたし、考えたの、あなたが強い心になるようなことよ」
「どんなこと?」
「それが、一応考えたんだけど、まだあんたに話す踏ん切りがついていないの、つまり自信がないの、だから、もう少し待っていて」
「ええ、待っているわ、楽しみにしてる」
「うん、あたし、がんばる」
‥
「あたし、人生を考えたの、どんな生き方がすばらしい人生かって。いろいろ考えて、あたし、かなしみをもって生きるってことにたどり着いた」
「そう」
「あたし、この世で終わりだと思っている人は、かなしみがないんだと思う。自分のことだけを考えているから、周りにいるかなしみのある人のことは考えない、それはまちがっている」
「そう」
「死んで、そこで終ってしまうのよ、そんなのうすっぺらな人生よ。何のために生きてきたの? 何もないでしょう。まあ、楽しい人生だったからって、それで終わってもいいんだろうけどね」
「死んで次があるのね、あたしもそう思っているけど」
「ある、そうじゃないと、何も考えられない」
「あんたは昔からそう言ってるね、天国に行ける人と行けない人がいるんだってね」
「行けない人のことはどうでもいいんだけれど、死んでから罰を受けるんじゃない、もう受けている。うすっぺらな人生を生きていることが罰なのよ、すばらしい喜びや感動を知らないんだからね」
‥
「かなしみを背負って生きている人は、かわいそうと思っていいの?」
「それすらわからない、もっと考えないといけない」
三
トコはひとりで泣いている、誰も話す人がいない、かわいそう。あたしにも話せない、誰か話す相手を探してあげたいと思った。他人は無理、人間は無理と思った。家族のように話せる相手、助けてくれる何かがあっていい、あるべきよ。
話し相手って、何も話さなくても、そばにいてくれるだけでいい。いっしょの気持ちになってかなしんでくれる、そうしたら、心を奮い立たせて、強く生きようと思う。
‥
(あんたは、星と話しているの?)
(話している、言葉でなくてもやりとりしている)
(どの星かわかるの?)
(あたしの星は、無数にある中の一つよ、どれかわからないけれど、どこかにあるの。その星が泣いている、あたしのかなしみに涙を流しているの。あたしは星を見ていてなぐさめられる、そしてかなしみをがまんして、がんばろうと思う)
(そう)
(そしてね、他のたくさんの星もそれぞれ、大きなかなしみをもった人のために泣いている、あたしはそれを見てその人たちのことを思う、かなしみに耐えていることを思うの)
‥
(目の不自由な人、耳の不自由な人、からだを動かせない人、病気の人、貧しい人、どうしてあの人であって、あたしではないのか? ――あたし、ずっと考えてきた、答えがわからなかった)
(そう)
(それがわかったの。――彼らのことを考えなさい、その心をわかろうとしなさい、ということだった。彼らが正しく生きている、それを見習いなさいと)
(そうなの)
(あたし、こんなこと言ったら失礼になるかもしれないけれど、目の不自由な人、耳の不自由な人は、星と話をしていると思うの)
(・・・・・)
‥
(大きなかなしみにある人の心を想像したら、同じ心になったとしたら、生きることに感謝するはずよ。そうしたら、将来の不安はなくなる、死も恐れなくなる)
(そう)
(このことを知らない人は、人生のすばらしさを知らずに終わってしまう、人生を棒に振っている、・・哀れと思う。いいっ、からだを鍛えるように、心を鍛えるんの、・・日々たゆみなく、かなしみにある人のことを想像するのよ)
(うーん)
‥
(毎日、何のために生きているの?)
(幸せになるため?)
(それもあるけど、一番は“正しく生きる”ことよ)
(むずかしいわね)
(正しく生きなかったら、意味がない、うすっぺらな人生よ)
(そうかあ)
(あたし、星とそのことを話している)
(星が教えてくれるの?)
(言葉はないけれど、あたしね、星と話しているときが、心が成長しているって思うの)
(そう)
‥
話せるかなあ、むずかしいなあ、真面目な話だからなあ、でも話してあげたい。
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「あたしね、かなしみのない人って、お金持ちの人だと思う」
「あらっ」
「かなしみにある人のことがわからない、だから助けないんじゃないの。かなしみにある人を犠牲にしてお金を貯めている、だから助けるわけがない」
「まあ、言うわね」
「あたし、その人たちに怒りとか憎しみをもっているんじゃないの、かわいそうと思う。――うすっぺらな人生よ」
「あんたは、正しく生きることがわかったのね」
「大きなかなしみにある人たちのことを考えるということがわかった、でも中身はまだわかっていないの、これからずっと考えていく」
「そうなの」
‥
「悪い人のことは気にしないの、うっちゃっておくの。うすっぺらな人生だと打ち払うのよ」
「あんたは、“うすっぺら”っていう言葉が好きなのね」
「そう、これが気に入っているの。そう思うから、憎みはしない、哀れに思う」
「あたしも、そうしようかなあ」
「懐に持ってる札束が厚いぶん、心はうすっぺらよ」
「うまいなあ」
「名言でしょう」
「うんうん、後世に残る」
「えへへ」
‥
「大きなかなしみをもっている人は、不平不満や文句は言わない。そして、それ以外の人は、みんなクレーマーよ」
「まあ」
「彼らと同じ心にならなければ、たぶんうすっぺらな人生なのよ。できるだけ思いをよせて、できるだけその心を知ろうとして、生きていく。そうして、少しでもいい人生にしたいと思う」
「うん」
「彼らから見れば、あたしたちのしていることは、言いたいことを言って、したいことをして、何もがまんや辛抱をしていないのよ。もっとしっかり、きびしく生きなければいけないのよ」
「あんた、あの人たちの心がわかるの?」
「わからない、あの人たちは口に出さない、たぶんあたしも、わかったとしても口に出さないだろうな」
「そう、そんなにきびしいものなの」
「あの人たちに比べたら、あたしたちの喜怒哀楽なんて、うすっぺらなのよ。あの人たちは、生きる力、生きようとする力をもっている、あきらめたら終わりだから、絶対にあきらめない強い心をもっている」
‥
「かなしみに押しつぶされないの、かなしみの向こうに何かがあるの、きっとすばらしいものよ、それをつかむのよ」
「そうか」
‥
「かなしい思いを背負って、何十年もがまんして、がんばって、何とか背中から降ろすことができたら、それで“はい、終わり”なの? それでいいの? いいわけないじゃん、いいわけないよ」
「そうねえ」
「まちがった人は、“ああ、楽しかった”で終わっていい。でも正しく生きた人が、“ああ、つらかった”で終わるの? そんなのあんまりよ」
「そうよねえ」
「だから、次の世があるの、絶対にあるのよ」
‥
「どうしてまちがってしまったのかって、考えない。そんな時間があったら、かなしみにある人たちのことを考える。考えることもだけど、思うだけでもいい」
「わかった」
四
星が涙を流している、あたしはそう見える、そう思える。――どうしてだろう? あたしにも、誰も話す人がいないからかなあ? 家族がいない人は、そうあっていいんじゃないかなあ。
あたしは、ハンディのある人たちのことをずっと思ってきたから、こんなことを思いついたのか? ――あの人たちのことはわからない、そう思っていた。でも違う、わかろうとしなければいけない、そう気づいた。ハンディのある人たち、貧しい人の中で最も貧しい人たち、何か研ぎ澄まされている、何かあたしたちが知らないもの、あたしたちがもっていないものがある。
かなしみがあるから、生きようとするんじゃないかな? かなしみをがまんすることが、人生(の喜び)じゃないのかな? かなしみのない人生なんて、うすっぺらよ。
‥
(あたしがわからないことを、教えてくれるかなあ)
(教えてくれるわよ)
(そうだとしたらすごいね、・・あたし、そうだったらどうしよう)
(こわい?)
(わからない、でも教えてもらいたい)
(答えはあるよ、大きなかなしみをもっている人たちは知っているのよ)
(そうだね)
‥
(星と話をするのよ)
(星があたしのために、涙を流してくれるのね)
(乙女心をくすぐるでしょう)
(ふふふ)
(きれいだし、数限りなく散らばっているし、そして星座もいい。暗い夜空に、明るい大きな一つの月と、小さな無数の星たちというのもいいなあ)
(あたし、そう思って見てみる、話してみる)
(無理しないでね)
(無理なんかしない、ありのままを感じる。あたし、そうしかできない)
(あたしも)
(フキは強いね)
(そんなことない)
(トコはやさしい)
(そんなことない)
(それ、星が教えてくれるかも)
(まあ)
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二人は児童養護施設に入っていた、親の虐待によるものだった、そこで友だちになった。同じ歳だったし、背丈や体形もほぼ同じだったから、よくまちがえられた。それを二人は喜んだ。
二人外に出て、陽のあたる壁に寄りかかって、膝を抱いてくっついて座った。「かなしいね」、そう言って空を見ていた。「あの雲、牛に似てる」「うん、似てる」、そんなことを話していた。
高校を卒業して施設を出た、そして二人は同じ会社に就職して、社員寮に入った。
大人になって、もう「かなしいね」って言わなくなった。言えなくなった、口に出して言えない、でも言いたい。だからあたし、トコが言える相手を探した、そしてあたしが言えるようにもだ。
トコが泣いているのがわかる、部屋の片隅に膝を抱いて座って、ひとりで泣いている。
‥
「トコ、いる?」
返事はなく、少ししてドアが開いた。
いつもの場所に座って、フキは意を決した。
「トコ、あのね」