18. 頼みごとを引き受ける
立ち止まったセキズネシーの視線を剛がたどると、右手前方の建物から誰かが出てくるのが見えた。
貫頭衣かと思って身を縮める剛に対し、セキズネシーは特に警戒した様子もなく、むしろそちらに向かって手を挙げている。
「――セキズネシー!」
気が付いた相手がライオン男の名前を呼び、手を挙げて返してくる。
知り合いのようだ。
剛はセキズネシーに抱っこされたまま、身を縮こまらせていた。相手が人間だったら能天気面でセキズネシーの動向をうかがったかもしれないが、そうではないからだ。
「カーティ、会えて嬉しいぞ」
セキズネシーがにこやかに挨拶した相手は、鹿頭の人間だった。
トナカイかもしれないが、とにかく顔が長く、鼻が突き出ていて、つぶらな黒い目が顔の両側に付き、頭には二本の角が生えている。毛並みは妙な紺色だ。
一見するとパーティーグッズの鹿のかぶりものをした人間だが、彼はセキズネシーと同じく顔の筋肉をはっきりと動かしてしゃべって見せた。
「変わりないようだね。実は仕事を頼みたくて、会えてちょうど良かったよ」
改めて聞くと、少女アイドルのようなかわいらしい声が意外に感じる。角が生えているものの、ひょっとしたらメスなのかもしれない。
鹿人間は、セキズネシーが抱えている剛を見やると長い首を少し傾げた。
「人を連れているなんて、珍しいね」
「ああ――」
セキズネシーが思い出したように剛を地面に下ろしてくれる。
「この者は探し物をしている。ロルが役に立つと言うゆえ、手を貸しているのだ」
なるほどとうなずいた鹿人間は、所在なげにしている剛に笑いかけてきた。
「私はカーティ。ここに住んで山と海を見守る仕事をしてるんだ」
剛は鹿とセキズネシーを見比べ、今さら獣人に驚くこともないと思い肩をすくめて挨拶を返す。
「ども、城谷剛です」
「そちらは?」
カーティが蹄のある手で剛の腰のあたりを示す。蹄の根本あたりから毛の生えた親指が伸び、ミトンのような形の手になっている。最低限、物を掴む動きはできそうである。
彼(彼女?)が指しているのは剛が手に持ったスマホのようだ。
「ああ、これは俺の」
「なんて呼べばいい?」
剛は眉をねじまげた。獣人には持ち物の名前をきくしきたりでもあるのか。
「じゃあ、これはジョージ」
「城谷剛とジョージね。よろしく」
目を細めた鹿の顔は、にっこりと笑っているように見える。
スマホの名前を聞く神経はよく分からないが、セキズネシーと同様に愛想のいい人物なのは幸いだった。
「実はな、カーティ――」
二人の挨拶を見守っていたセキズネシーが話を始める。
「私は城谷剛の探し物に手を貸している。探し物は海上にあるようで、確かめるために船が必要なのだ。そなたの船を借りることはできまいか」
「ああ、そうだったの!」
カーティは何やら嬉しそうにうなずいた。
「奇遇だな、ちょうどきみに海に出る仕事を頼もうと思ってたんだ。渦潮の海谷にシュガキが出るようになって、穴に詰まって迷惑してるってトリアシが頭を抱えてたの。船は好きに使ってかまわないから、探し物がてら様子を見に行ってくれない?」
「渦潮の海谷か。城谷剛の探し物が第一ゆえ確約はできないが、可能であれば足を延ばそう」
「ああ、そっちの用事が終わった後でいいよ」
「そなたさえよければだが――」
セキズネシーが意見をうかがうように剛を見下ろす。
視線を感じた剛は顔を上げ、ライオン男と鹿人間を見比べて気まずそうに手の中のスマホを弄ぶ。
剛に聞かれても困る。なにしろカーティが口にした頼みごとの内容など一切理解できていないのだから。
「あー……俺はスマホが見つかればいいから、セキズネシーがいいならいいよ」
そうか、とセキズネシーが顔をほころばせる。
このライオン男はこうやって人の頼みを次々と引き受けて生きているのだろう、と剛は得心した。
きっとそこには損得勘定も感情的な桎梏もない。すべての仕事は等しい価値で、先に来たものを先に処理する。気にするのはその順番だけなのだろう。
「それじゃ、船まで案内するね」
快活に言ったカーティが前に立って歩きだす。巨体のセキズネシーと違ってスリムで背も低い鹿人間は、後ろからなら変な帽子でもかぶっただけの普通の人間に見えるシルエットだった。