第三章「お天気雨」……五条祭 2
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端から見ればデコボコトリオの珍道中だろうが、ボクだけはそんなことを考えていない。猛彦や佐久那の真意はよくわからないけれど、まぁ何にしたって、力仕事の人員くらいにはなるだろう。喉が渇いたら、またジュースでもおごらせればいいのだ。
「というわけで、ボクたちの目的地は残りすくないのだ」
「なるほどな……このご時世だから、埋めるっていってもどこでもいいわけじゃないのか。考えてるね祭ちゃん」
う、言ってることはマトモなんだけど、一箇所がすごく背筋をゾクゾクさせたぞ。
「ボクをちゃんづけとかで呼ぶんじゃねぇ、キモイだろうが! そんなのおばあちゃんにしか言われたことねぇぞ」
「んじゃ、どう呼べばいいんだよ」
く、それくらい自分で考えて欲しいんだが、また最高級の困り顔しやがって……まるっきりボクが悪者じゃないか……猛彦のこういう顔は胸がきゅってなるからイヤなんだよ、さっきから……。
「祭って呼び捨てとけばいいだろう。歳も離れてるんだから……」
まったく、こんな小さな躓きで進行をとめないでくれよ。陽が長い夏の一日っていっても、確実に夜は近づくんだぞ。
「今日中になんとかしないといけないんだから、そこのところを考えてくれよ……手伝うって言ったんだろうが」
ボクはリーダーたる威厳をもって、二人に言い聞かせる。
「ああ、そうだな。猛彦わかったか?」
どうやら隊内のパワーバランスはボク→佐久那→猛彦らしい。まぁもっともだな。
猛彦はわかったよと一言告げて、ボクの行動を待っている。
「んじゃ行くからしっかりついて来いよ」
ボクはコロロのバッグをかつぐと、先頭を歩き出す。もちろん、この公園だって何の目的もなしで来たわけじゃない。口実としては猛彦たちを誘導したってことになるけれど、ここは実際、散歩とかでよく来ていた場所だ。
今のベンチだって散歩で疲れてよく座っていた場所だ。でも、さすがにこんな所にコロロを埋めるわけにはいかない。子どもなボクだって、そううことが許される場所と、そうじゃない場所くらいは見分けがつくぞ。
「じゃあ、ドコなら許されるんだ……」
「何か言った?」
ああ、反応しなくていい独り言なのに……猛彦はいちいち聞き逃してくれない。
「別に……どうしてお母さんはコロロを庭に埋める事を許さなかったのかなって思っただけだよ」
ボクにしてみれば、特に答えが欲しくて言ったわけじゃない。でも、猛彦はそんなことも逃さなかった。
「そうだな……色んな理由があると思うぞ……」
「どんなだよ……ちなみにお母さんは別に犬嫌いってわけじゃなかったぞ」
それはそうだろう。コロロをもらってきてくれたのはお母さんなのだから。
そう聞いた猛彦は黙ってしまった。佐久那はそんな猛彦の背中越しにボクをみて、なぜか笑っている。嫌味なぐらいかわいい女だな。
「うん……それは祭のためなのかもしれないな」
そんな風にもらした猛彦をボクは見る。言ってる意味がわからなかったからだ。さっきからこいつは難解なパズルみたいなことを言う。わざわざ聞きなおさないと理解できないなんて、屈辱だぞ。
「どういう意味だよ……」
「そうだなぁ……大切なものだから、傍に置いておきたくなるよな?」
それはそうだろう。逆に大切でもないものを手元に置いておくはずがない。佐久那だって大切だからお前は真夏なのにくっついて歩いてるんだろう。今更聞くことなのか……いや、こんな事から言い出すから、ボクにとって猛彦の言うことがパズルみたいになってしまうのだ。
「そんなこと当たり前だろ……」
「でも、大切なものだから、傍にあると悲しい事もある……」
「ふむ……親しきものの死は、傍らにあるとつい振り返ってしまうし、再生しやすくなってしまうからな……それなりの距離をおいてあるほうがいい事もあるだろう」
そう言われれば人が死んだとしても、庭にお墓があることなんてない。それとは少し違うけど、単にお庭に埋めてあげましょうって言わなかったお母さんは、コロロをそれだけ大切な存在だと思っていたってことなのか?
「大切な存在が消えたという事実は、近すぎると逆に悲しいんだよ……」
コロロの棺を開けたときもそうだったけど、どうして猛彦はこうも死ってものに敏感なんだろう。たしかに人は色々な死を体験はすると思う。ボクだってコロロだけじゃなく、ひぃおばぁちゃんの葬式とかなら覚えてる。かわいがってくれた人だったけど、これが例えば友達のおばぁちゃんだとかだと、もうどういう気持ちになればいいか、よくわからないものだ。
それを猛彦は、まるで自分の肉親でも亡くしたみたいな目をしている。
大人の言葉を借りれば「たかが犬」のことで……ボクには猛彦がどんな気持ちでこのお葬式に付き合ってくれているのかがわからない。きっとボクはそれが気持ち悪いのだろう。別に猛彦や佐久那が気持ち悪いのではない。はっきりとしないボク自身の心が気持ち悪いのだ。
それを猛彦の態度のせいにしている自分を子どもだと思わなければいけないのが、すごく悔しい。すごく悔しいなんて、すごく安い感情だけど今のボクはそれでいっぱいだ。
だからこそ、ボクは猛彦のことを意地でも理解してやろうと思う。頭脳明晰なボクにかかれば、残り数時間だとしても、それは十分に可能なはずだ。
「お前の秘密も、その考えも全部全部、理解してやるからなっ!」
もちろん猛彦は何を言っているの? という顔をしているが、構わない。これはボクの決意なんだから。
「さ、次いくぞ! もうここには用がない……こんなとこにいつまでもいたって、懐かしい想い出が出てきちまうだけだ」
「それだって大事なことだろう……」
言いかける猛彦を置いて、ボクは止めていた足を踏み出して、スタスタと歩き始める。だって、どんな想い出が出てきたって、ここにコロロを埋める事はできないんだ。想い出に涙したりすることはとても大切なことだ。でも、今はこの狭い箱からはやく大きな場所にコロロを移してあげたいんだよ。
「まぁいいじゃないか猛彦。祭が急ぐといっているんだ、私たちはそれに従おう」
ナイスだぞ佐久那。さすがボクの片腕だ。状況を的確に判断した素晴らしい言動だ。ボクはこういうやつを部下に持って幸せだぞ。
「よし、決まったことだしボクにしっかりついてこいよ」
でもボクは、ふと足を迷わせる。結局向かう場所はコロロの想い出がいっぱいある場所なんだ。それなのにボクはその想い出から逃げようともしている。
大切だから傍に置いておきたくないこともあるっていうのは、こういうことの一部なのかもしれないな……。
「で、次はどこに行くんだ? こうして黙ってついていっていればいいのか?」
「……う、うん、そうだよ。黙ってついて来い。隊長の足取りは絶対なのだ。隊員はそれに従うのみっ!」
ボクは浮かび始めた答えの糸口を頭の隅に格納しながら、二人を引き連れる。
キャスケットのひさしが作る影から空を見上げてみる。普段はしようと思ってそんなことはしない。見えた空は本当に嫌味なくらいに青い色だ。太陽に入道雲でもかかって、少しは陰ればすごしやすくもなるっていうのに、肝心なところが抜けているのが許せない。
ボクは歩くたびに肩にかかるコロロの重さを味わいながら、公園前のバス停まで来た。
後ろは振り返らないけれど、ちゃんとふたりともついてきている。
ちなみにボクの所持金はさっきのポケットにあった三十円ぽっちではないぞ。ちゃんと腰のチョークバッグにはお財布と携帯とかが入っている。さっきはただ単にそれを出すのがメンドかっただけなのだ。
「ボクは携帯電話の認証で乗れるけど、お前たちお金あるんだろうな?」
猛彦の所持金がさっきのジュース二本で尽きていたら少し面白いが、今は状況が変わったのでこいつらを手放す気はない。佐久那はきっとお金をもっていないだろう。さっきジュースを買うのも渋っていたほどだ。それになぜかこいつは「お金」なんてものと無縁な匂いがする。
「大丈夫だよ。そのくらいならあるから」
猛彦が答えるのをさも当然なように佐久那は笑った。む、こういう便利なカレシなら少し欲しいかもな。
ここは一応街中なので、バスはわりと頻繁にやってくる。なので、すぐに乗ることができた。時間を無駄にできないこの隊にはうってつけだ。
ボクはバスに乗り込むと、一番後ろの席に座る。しかも窓際だ。猛彦と佐久那もボクに続いて、後ろの席に一並びした。
詳細にいえば、ボクと佐久那の間にはコロロのバッグがあるので、少しだけ距離があるな。でも、こうしてコロロと一緒にバスに乗るなんて今までは考えられなかった。
介助犬の仲間じゃないコロロは公共の交通機関に乗る事は許されない。もしかしたら、専用のバッグに入れていれば、何も言われないかもしれない。
ボクにしたら、その違いなんてないのに……世界はそう言う。だから、今ボクはコロロと一緒にバスに乗っている。名実ともに、命を亡くしたコロロは「モノ」になってしまったから……。
「皮肉だな……」
ボクの呟きに、キンパツをサラサラ揺らして、佐久那が首をかしげる。別にお前が気に病むことじゃない。これは、人からしたら「モノ」でも、ボクにしたら「人と同じ」っていうだけだ。
人と人とでモノの捕え方が違うっていうのは、ボクだってよく知ってるぞ。どんなテレビ番組を見たって、誰もが同じく面白いって言わないってことだろう? そんな事と同じに思われるのは腹が立つけど、モノを理解するっていうのは、身近なところから発展させるものだって、授業で聞いたからな。
発展させた結果が、コロロが「荷物」だって理解することだって泣いたりはしない。
それはボクが、ボクだけだとしても、コロロを荷物だなんて思っていないからだ。バッグに入っていたって、もうクンクン鳴いてくれなくたって、もう一緒に走れなくたって、ボクはコロロを抱きしめている。抱いているんだ……だから佐久那が顔をしかめることはない。
お前だって、誰かからみれば猛彦がただの男だとしても、自分にとっては特別なものなんだろう? 猛彦にしたって、佐久那がただの存在じゃないから寄り添っているんだろう?
これはそういうことなんだよ。
ボクは言ってしまえばいいことを二人に言わず、膝の上に置き直したクーラーバッグをぎゅっと抱いた。それは硬くて冷たいだけだけど、コロロが息をしている時のことを思い出せるものだ。でもだからって泣いたりはしない。
だって、コロロはボクの膝の上にいるんだからな。
「うし、次で降りるぞ」
「え、次って……」
ボクの号令に二人とも驚いている。いったい何だって言うんだよ。降りるバス停がお前の家の目の前とかいうんじゃないだろうな?
笑えないけど、もしそうなら笑ってやるぞ。
「いや、俺の家の近くだなって思ったからさ」
「ふむ。近くというか、行きもそこからバスに乗ったんだがな」
ということで、一番面白くない「最寄」というオチがついてしまった。全く笑えないな……仕方ないのでボクは止まったバスから無言で降り立った。
「ここまで帰ってくると、おかえりなさいという感じだな、猛彦」
「そうだね」
涼しい会話を始める二人を後ろに、ボクは歩き出す。しっかりついて来いよと言わなくても、地元みたいだから迷子にはならないだろう。むしろボクが迷子になる可能性は高いのだが、ボクだって一度もきたことがないわけじゃない。一度も来たことがない場所にコロロを埋めるはずないだろう。
「さて、猛彦に佐久那。お前らこの辺に住んでるんだよな?」
「うん、そうだよ」
「そうだ。猛彦はいつも私を置いて、このバス停から本屋へエッチな本を買いに行くのだ」
「いや、それは特に必要ない情報なんだけどな……」
あっっという口の形のまま、ひゅこひゅこ呼吸している猛彦はどうでもいい。男がエロいのは、どの歳でも同じなんだよ。お前が彼女に隠れてエロ本買っていようが、ボクは驚かない。そんな事よりも重要なことがあるのだ。
「聞きたいことがあるんだよ。この辺に二年前に来たことあるんだけど、森林公園みたいなトコどこだっけかな」
「……あれか……」
佐久那はふむふむとわかっているのか知らないが、金髪を揺らしながらボクと猛彦のやりとりを見守っている。
「あれが、どうしたんだよ?」
歯切れの悪い猛彦に、ボクは待つことができずに聞き返してしまった。これじゃ単に短気なヤツじゃないか。隊長たる威厳は持っている「余裕」の許容量で決まるはずなのに、ボクとしたことが……。
「いや、潰れたんだよ……去年さ。元々無理して作ったモンだったしね。第三セクターの崩壊で一番に切り捨てられちゃったよ」
「そうか……」
ちょっと期待を裏切られた感じだ。それがなかったら、ここに来た意味は、ほぼなくなってしまう。さて、どうしたものか。
「もうなくても、一応跡地とかに行きたいんだけどな……」
「うん、せっかくだし行こう。ここからだと歩いて十分ってトコだしね」
そういうと猛彦は先頭に立って歩き出す。佐久那は振り返りもせずにそれに付き添う。まぁ知れたことだ。こいつらはカップルなんだから、ボクが隊長だとしてもこういう扱いさ。小ぶりな佐久那のお尻でも蹴ってやろうか。それともやや広い猛彦の背中を平手で叩いてやろうか。
とも思うが、今のところは懸命な道案内役が必要なので、賢明なボクは子どもっぽい悪戯はしないことにする。ここで下手を打っていなくなられるのも、今更だからな。
それにしてもここは静かな住宅地だな。ボクの家がある場所とは少し違う。人の声よりも鳥や虫の鳴き声のほうが良く聞こえる。それにさっきから蝉がミンミン、ミンミンうるさいよ。
「そうだ、祭。ここが猛彦の家だぞ、寄っていくか?」
何を突然言い出すんだ。時間がないとあれほど言ったのに、佐久那はかわいそうな子なのか? でも、さっき水分補給したばかりなのに、数分歩くだけで滝汗なわけで、すなわち冷たいジュースと言わないまでも麦茶くらいをきゅーーーっとやってもいい。もしくはこんなにかわいい女の子が突然尋ねてきたわけで、気を効かせた家の人がアイスクリームなんかを出してくれるかもしれないぞ。確かにアイスはさっぱりとはしていないけど、あれはあれでいいのだ。夏の喉には無条件にアイスクリームがよく似合う。
「佐久那……家はまたでいいから、先を急ごう」
ふむ。確かにその通りだけれど、この場合は佐久那に同意しても構わない。だが猛彦はさっきまであった優しさをひるがえすように、先を急ぐ。どうしてそこまでする必要があるんだ。そんなに家の中を見られたくないのだろうか。
完全に進軍の足は止まり、ボクと佐久那対猛彦の図式が完成していた時だった。
わぅわぅ
人懐っこい感じの鳴き声がした。
「ん、犬か?」
ボクが言った瞬間だった。佐久那はボクの横から瞬間移動して、猛彦の後ろに隠れていた。エスパーか何かかお前は……
少し呆れて佐久那を見て、その超人的な動きの理由を思った。
塀と鉄格子の隙間から鼻をのぞけているわんこはいかにも利発で賢そうだ。これだけの人が騒いでいるのに、警戒するように吼えているわけではない。猛彦の家の近くだし、その匂いをかぎ分けているってことだ。
説明するなら、好きな人を見つけたので遊んでくれって言ってるのだ。ボクくらいになると、多少コトバもわかるのだよ。
でも佐久那はこの反応だ。
よくよく考えてみると、佐久那はコロロにもあまり近づいてない気がするぞ。公園でも猛彦の後ろから覗いてたしな……要するに、佐久那は犬嫌いなのだ。
ふむふむ、そうすると猛彦の行動も頷けるぞ。また要するにだと言ってしまうが、猛彦がなぜ家の前で止まることを反対したのかもわかった。
あんまり猛彦を褒めて、ボクの中でお株をあげると図に乗るのでよろしくはないのだが、認めないとダメだろう。部下の秀でた所も褒めないと伸びないからな。そういう柔軟な所も上官には必要なのだ。
猛彦は、佐久那が犬嫌いだという理由で、自宅に寄る事をよしとしなかったのだ。これは彼女を守るっていうポイントの高い行動だ。ボクだって女の子なので、こういうものを目の当たりにすることは、ちょっとキュンってしちゃうぞ。よし、二重マルを授けよう。
「え……」
そう思ってもう一度見た猛彦は、佐久那を見ていなかった。じっと、潤んだような目でボクを見ていたんだ。どうしてお前は震えてる彼女を置いて、ボクなんかを見ているんだ……。
思わずそんな言葉が「え」とか、だらしなく漏らした口から、ついでに出てしまうところだった。
でも、猛彦がボクを見ている意味がよくわからない。佐久那よりもボクを見ている理由……この場合、ボクの魅力が猛彦をメロメロにしてしまったという脳内回路の作った逃げ道的答えを選択してしまいそうになる。
しかし、それを明晰なボクの頭脳、もといハートが許さない。そっちの道は通行止めにしておかないと、お前は一生逃げるだけだぞと言われているみたいだった。自分自身に言われているっていうのは、変な感覚だけどそう考えるのが正しいのだ。わかりやすくすれば、脳内会議みたいなもので、もっとちっこいボクが何人かいて、学級会みたいなやつをやっていると考えれば楽なものだ。と、誰かに説明しているというよりは、ボクは自分自身で確認して、心を落ち着けようとしているのだ。そうしないと、猛彦の視線に負けてしまいそうだった。
考えろ、考えるんだ、ボクの頭脳。こんなとき、部下の思考を汲み取ることも上官の務めだろう。
猛彦の視線の意味を考えるんだ。
ボクは無理やり自分に言い聞かせてひとつの問いに集中する。
世間でいう子どもだとしても、たった一つのことを逃げずに一生懸命考えれば、ちゃんと答えは出てくる。
この場合、ボクはまず猛彦がどんなやつかを思い出せばいいんだ。こいつは、他人の悲しみを自分の事のように哀しむやつなんだ。それはボクがコロロの棺を開けた時の表情で裏づけが取れている。じゃあ、今こいつが何を哀しんでいるか考えればいい。
今、ボクたちの前にはこんな構図が広がっている。ボク対猛彦、佐久那。そしてその真ん中に見知らぬわんこ。
「……………………なるほどな」
ボクは現状の構図を眺めなおして、やっと気がついた。
猛彦はここに犬がいることを知っていて、しかも、知った人には必ず挨拶に出てくるほど愛想のいいヤツだと知っていた。
それは、自分や佐久那がいるだけで、わんこがここに姿を現すとわかっていたということだ。
そして、この場でわんこに会いたくない、または会わせたくない人物は、犬嫌いの佐久那ではない。
コロロと別れたばかりでいる、このボクなのだ。ボクが「犬」に会う事で、コロロの事を思い出して、悲しむだろうと思ったのだ。
「……バカなヤツだ………………でも、あったかいと思うぞ……」
ボクは伝える意志もないけれど、そう呟いた。そして、ため息を吐きながら猛彦に言ってやる。
「そんなに気を使わなくってもいいぞ。わんこはわんこだが、コロロとは違うんだ。それに、こいつはとってもかわいいじゃないか。こんなヤツをボクに紹介もしないで、行ってしまうつもりだったのか?」
ボクの言葉を聞いて安心したのか、猛彦はやっと顔を緩めた。まったく……どっちが年上かわらないだろう。
「う、ごめんよ……こいつはジョンっていうんだ。ジョン!」
猛彦が呼ぶと、ジョンは律儀に「わう」とないて、鼻を鉄格子と塀の隙間から差し出してくる。本当にかわいいやつじゃないか。コロロとはタイプの違う犬だけど、ボクはこういうやつも大好きだぞ。まったく猛彦め、気を利かせているつもりだろうけど、ボクにしてみればいい迷惑だ。
「よぉし、こっちこいこい」
ボクは壁に近寄って、長い鼻先をなでてやる。なるほど、嫌がる様子もなくなでさせてくれるじゃないか。わうわう言わないし。なんていいやつだ。
「さ、阻む要素もなくなったんだし、猛彦の家でアイスでも食べていくか?」
「すまん。アイスは今朝、私が最後の一個を食べてしまった」
佐久那は猛彦に隠れつつ、ジョンをなでているボクを奇異の目で見るという高等技術をこなしながら訴える。
アイスもないなら、猛彦の家に行く意味もない。別に猛彦の部屋でエロ本を漁ることは、今日じゃなくても出来る。一刻と迫るひぐらしの時間から、ボクらは逃げつつ、目的地を目指さなければならない。
「それじゃ行こうか」
「うん」
ボクは猛彦の提案を受け入れて、ジョンから手を放す。猛彦に気をつかわれて、それに反発したけれど、つい最近だというのに、この感覚はやっぱり懐かしくて、切ない。
「ジョン……またな」
ボクがあいさつすると「わう」と短くかえして、ジョンは小屋の方へと歩いていった。
相変わらず佐久那は猛彦にぴったりだ。ボクは寄り添って歩く二人のあとをゆっくりとついて行った。別にふたりの関係が羨ましいとかではない。
けれど、今は少し温もりが恋しかった。
「夏だっていうのにな……」
もらした声は傾いてきた陽が作る濃い電柱の影に消えうせた。
こういう肝心な時に気が利かない男はモテないんだぞ、猛彦……。美少女が人知れず背中で泣いてるっていうのに。
今自分でそんなことを二人の背中に告げるのが、すごく負け犬な気分だった。