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第二章「愛されるべき」……大岡よしの  2


私たちが歩いているのはなんでもない、小、中、高校と通いなれた通学路だ。十年以上も同じ道を通っていれば、飽きたという感覚さえある。

その道をしばらく歩き、角を曲がると住宅街に入る。ここは山のふもとの閑静な場所なので、ヒグラシの声がさらによく聞こえた。


「それにしても、夏が長くなったよね。大丈夫かな、この星って?」

「そうだね、生態系は確実に壊れてきてるってニュースでも言ってたし」


 でもそれは他人事だ。だって、私たちが生きている間に、世界が崩壊する事はないだろうから。

星の死というのはきっととても緩やかで、明確に見えてもそれからが長いのだろう。私たちじゃそれは計れない。だって人が歴史を持ってからの時間なんて、星の歴史にしたら一瞬だもの。

それにその時に、私たち人間が立ち会えるという確証もない。それは諦めるという事に似ているのかもしれない。

 そしてこの気持ちは、笠屋君がクラスにいなくても、何の疑問も持たないのと同じだ。

 みんな、彼がいない事を諦めていて、取るに足りないことにしてしまっている。


「……よく言うよ……私だって、その十字架を背負ってるのに……」

「……よしのちゃんて、独り言多いよね。なんか意味がよくわかんないし……もしかして趣味は妄想?」


 かなり酷いことを言われている気がするけれど、きっとそうなのだろう。私は叶えられない願いというか、想いを想像に置き換えて満足しているんだ。それをきっと妄想と呼ぶんだろう。


「そうかもね、友達もあんまりいないしさ」


 言っていて悲しかった。だが事実だ。私は学校でも、近寄り難いクールな印象の委員長で通されて、体よく仲間はずれにされている。


(でも笠屋君は、そんな私にも色々話しかけてくれた……放課後、みんなに押し付けられた仕事も、こっそり手伝ってくれた……忙しそうで、いつもはすぐに帰ってしまってたのに……)


私はきっと笠屋君に助けられたんだと思う。本当に何気ない事で、彼にどんな思惑があってのことかも私にはわからない。

でも私は笠屋君の行為が「優しさ」だと思えた。ひとりぼっちだと思っていた私の心に彼は優しさをくれたんだ。

 だからなおさら、渡す事も出来ないのに、ひたすら彼のためなんて理由をつけて、ノートをとり続けている自分が許せない。


「んん? どうしたのよしのちゃん、眉間にしわが寄ってるよ」

「えっ、そう?」

「うん。美人がそんな表情だとソンしちゃうよ」


 私は自分が美人だなんて夢にも思った事はない。まして容姿など関係なく得した事などない。それよりも損していることがはるかに多いというのに……それに私の事を美人なんていうのは、三奈ちゃんくらいだ。三奈ちゃんには悪いけれど、彼女ひとりの意見でその気になって踊れるほど、私は素直じゃないのだろう。


「私は美人なんかじゃ……違うよ……三奈ちゃんみたいにかわいく笑えるほうがよかったよ……」


私は本心からそう言った。包み隠さず、素直な心を口にした。


「へ? そ、そうかな……そんな事、言われた経験ないから照れるじゃん」


 だから、とても綺麗な笑顔が見れた。

 私は笠屋君にも、こんな風に本心で話せば、すっきりするのだろう。

 でもそれは、「学校に行ったら?」というような、単純で誰にでも言える言葉なのだろうか?

 きっと違う。だから私はためらっているのだ。彼のこぼす答えが怖いから。私に対する見方が変わってしまうのが怖いから。


「うん。よしのちゃんと話しながらだったから、意外に近く感じたよ。もう着いちゃった」

「そうだね……」

「笠屋君の家に行くのって面倒だったりするけど、ひとつだけ楽しい事があるんだよね」

 三奈ちゃんは見える笠屋君の家じゃなく、お隣の塀に擦り寄っていく。

「ほらほら、おいで」


 三奈ちゃんが呼ぶと、「わん」と一つ鳴いた犬が、鼻を鳴らしながらやってきた。


「ねぇ、よしのちゃん。この子かわいいでしょ? すっごく愛想がいいんだよ」


 三奈ちゃんは、塀の隙間からひょっこり出ている、犬の顎をさすってご満悦だ。


「三奈ちゃん、犬は後でもいいから、先にプリント渡してくれば……」


 笠屋君の家はすぐそこなのに……そう思って向けた視界に、その姿が飛び込んできた。


「かさ……や、くん?」


 呟いた私の声に、三奈ちゃんが振り返る。


「げっ、なにあれ! ヒッキーのくせに、女と逢引?」


 三奈ちゃんは、まるで汚いものでも見るように顔をしかめる。


「それに、何あの娘? 見た事ない制服だし、さらっさらの金髪? いい気なもんだ。プリント持ってきた私が、バカみたいじゃん!」


 きっと三奈ちゃんが言う事が、もっともなのだろう。でも、私は心臓が口から飛び出しそうになるのを、必死でこらえていた。


「ちょっと、笠屋……」

「ああっ、ダメ!」


 私はまだ距離のある二人の方に歩み寄ろうとする三奈ちゃんの口を、後ろから塞いだ。そしてそのまま電柱の影まで引っ張る。

 三奈ちゃんは無言で、「何でよ?」という顔をしながら私を見る。

 でも、私自身どうして制止してしまったのかわからない。


(違う……私は知っているんだ……その理由を……だから、だから……)


 二人が、何事もなく視界から消えるのを待って、三奈ちゃんの口から手をどけた。そして、私はゆっくりとその手を、彼女の肩に置く。


「違うの、あれは違うのよ……きっと……」

「何が、どう? どう見たって仲良くデートしてるカップルじゃん」


 三奈ちゃんは手にしていたプリントの入った茶封筒をアスファルトに叩きつける。


「人がこうまでしてやってんのに、何だって言うの! 感じ悪いよ!」

「でも、それは……学校に行かないのとは関係ないでしょ」


 私はなぜか言った後、唇を噛んだ。どうしてだかこの時は、そうしなければ何かに耐えられなかった。


「なんでよしのちゃんは、笠屋なんてかばうのよ! 自分だって、去年はいっぱい困らされたんでしょ! だったら怒りなよ」

「だから、違うの……私は」


 私は俯いて、自分のつま先を見る。

 私はまたこうして、彼が違うという理由を誰にも話さないのだろうか。

 それが彼の弁護にもなるし、三奈ちゃんの誤解を解く方法でもあるのに。


「……よしのちゃん、やっぱりおかしいよ」


 三奈ちゃんは告げると、足元の茶封筒を乱暴に拾い上げ、つかつかと歩き出す。


「ふん」


 そして、投げ捨てるように、笠屋君の家のポストに突っ込んだ。


「もう帰るよ。用は済んだし、先生には笠屋君は学校に来てなくても、元気満点でしたって言っとく」


 三奈ちゃんは俯いたままの私に言って、さっさと歩きだしてしまった。


「ねぇ、そんな事を言っちゃだめだよ。きっと、理由があるんだから」

「理由? そんなのあるなら、あの娘じゃないの? あの娘にかまってて、学校に来る時間もないんじゃないの? とういうことは、あっちもヒッキーか? 時代の最先端カップルだわ、そりゃ!」


 三奈ちゃんの言葉には棘があった。それには笠屋君の机に、花瓶を置いた人たちと同じ痛みがあった。


「だから、そんな事……」

「じゃあ、よしのちゃんは、笠屋がヒッキーな本当の理由でも知ってるの?」


 知っている。私は知っているはずだ。


「それは…………」


 でも、口を割って言葉が出てくる事はなかった。


「ほら、知らないんでしょ? 今時、言えないほどの理由なんてないだろうしね。ニュースの方がよっぽど、きっついよ。もしあっても、誰もマジで相手になんかしないし」


 三奈ちゃんは軽く笑い飛ばすように言った。

 例え、ニュースで毎日囁かれているような事が実際にあったとしても、それは笑い飛ばせるようなものではない。

 少なくとも私が暮らしている日常では、当たり前の事じゃない。ニュースが私たちの感覚を鈍らせているとは言わないけど、それを当たり前にして、目を背けるのは間違っている。


「ヒッキーはヒッキー同士で仲良くしてるみたいだしね。もう、私たちの入る余地はないんだよ。いいじゃん、二人の世界で暮らしてればさ、永久に……」


 三奈ちゃんの言葉が、不意に私を襲った。

 もう二人の間に入り込む余地はない。

 その言葉が私に、ある事を気付かせた。


(笠屋君の理由。私だけが知っている理由……)


それは私が話せなかったんじゃない。

話さなかったんだ。

誰にも話したくなかったんだ。

私は彼の秘密を、ひとりで抱えてしまっていたかったんだ。

誰にも知られない秘密を共有する事で、私は彼と秘密の花園にでもいる気分になっていたんだ。そこでは私も、私でいられる気がしたから。手をつなぐことも許されない。誰よりも近くで声を聞く事も許されない。全てにおいて触れ合う事がなくても、私は彼の傍にいられる。誰よりも近くに彼を感じていられる。


「そんな歪んだ理由が、私の全て?」


 そんなものを持っていたいがために、私が笠屋君をひとりにしてしまっていたんだ。


「……く……」


 彼の本当を話そうにも、三奈ちゃんの背中は遠すぎた。

 そして、そんな愚かな私を笑うように、笠屋君と一緒にいた娘の顔が浮かんできた。


「楽しそうだった……私といる時じゃ、絶対に見られない顔……見せてくれない顔……」


 そして、ふと思う。私は笠屋君のあんな顔をどこかで見た事があると。

 そしてあの娘の顔も……どこかで……


「……そうか、あの時だ……」


 それは私たちが同じ高校に上がる前の事。

 同じ中学の、同じ教室で過ごしていた時のこと。

あのとても暑かった日。

今日みたいな夏の日の事だ。


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