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第二章「愛されるべき」……大岡よしの  1

第二章「愛されるべき」……大岡よしの


     1


 窓際の私の席には、色んな音が届く。

こんな時期まで続いている、体育のプール授業が奏でる激しい水音と、はしゃぐ歓声。

中庭で風に体を揺らす木々の葉づれ。

黒板に走るチョークのカツカツという音。

それを必死に書き取る、みんなのシャーペンが走る乾いた音。


「ふぅ……補習がプール授業っていうのも、どうかとは思うけど……三年生用の計らいかぁ」


そして続くのは私の溜息と、あてのない愚痴。

視線を漂わす窓の外には中庭を挟んで、去年まで私たちがいた校舎と教室が見える。


(でも、彼はこの教室にも、あの教室にもいない……)


 笠屋猛彦君は、今も学校に来ていない。

 彼が学校に来なくなったのは、まだ私と同じクラスだった時だ。

 でもみんな、それがどうしたんだという顔だった。彼ひとりがいないからといって、学校生活が激変するわけじゃないと、みんな言わず語っていた。

 見て見ぬふりという言葉で……。

 もちろんそれは、地球が明日滅びますって言っているのに、自分のパーソナリティを重んじて無関心……みたいなのとは違う。違うけれど、やっぱり悲しい。そんなものと比べてしまうと、よけいにちっぽけに感じて、嫌になる。そう考えてしまう自分が腹立たしい。だから私はこのモヤモヤをみんなのせいにする。


(理由も知らないで……)


 私は呟く。

 私は彼が学校へ来なくなった理由を知っている数少ない人間だろう。

 それは当時……今もだけど、学級委員長なんてやっているからかもしれない。

それだって眼鏡をかけていて、黒い長髪がクールで真面目そう、なんていういい加減な見た目の基準で決められたものだったに違いない。

高校に入りたてで、みんながみんなの事を知らないなら、その程度の理由が妥当だろう。だから、それはいい。

でも、私が笠屋君の理由を知っているのは、彼だけが私の『お奉行』なんていう恥かしいあだ名を呼ばなかったからかもしれない。


「ふぅ……」


 だからいつも後悔している。あの頃も、そして今も、何も出来ないでいる自分を。

 今彼が在籍しているクラスの委員長は、私の幼馴染である榊原三奈(さかきばらみな)ちゃんが勤めている。

だから会うたびに、彼の様子をそれとなく聞いてみたりするのだ。

 でも三奈ちゃんは、彼のことをあまり快く思っていないらしく、すぐに不機嫌な顔をする。

 その顔はあの頃のみんなによく似ている。

 でもそれを私は責められない。例えばどんな事を知っていたとしても、沈黙は罪と変わらない。いやむしろ重罪だ。既知でありながら不動なんて、最低で最悪だ。

 でも私には、彼は……笠屋君は違うんだと、みんなの前で宣言する勇気がなかった。


「だからなのかな……今だって自分のとは別で、彼のためにせっせとノートなんて、とり続けてるのは……」


 それが罪滅ぼしのつもりなら、私はとんでもなく卑怯な女かもしれない。



 その日の放課後もとても暑く、まだ夏の真ん中なんだなと、嫌でも感じさせられた。

 遠くからは、ヒグラシの切ない鳴き声が聞こえてくる。本当に、何でヒグラシの声はこんなにも切なく聞こえるのかわからない。どんなに明るい気分も棘の出っ張った思い出にすりかえてしまう。

 手をかざして、夕日にはほど遠い太陽から注ぐ光線を和らげた視界に、私は見覚えのある後姿を見つけた。大胆に外ハネしたショートの髪の毛が、歩く風で上下に揺れている。


「お~い、三奈ちゃん!」


 私は恥かしさを感じる間もなく、叫んでいた。


「はいっ?」


 誰だろう、何て頭の中の疑問符が誰にでもわかる声を出して、三奈ちゃんは振り向く。


「ちょっと、待って!」


 私は柄でもなくまた声を荒げて、駆け寄る。

 なんだかんだで、彼女の傍に来るまでには汗が滴っていた。夏は午後一時から四時頃までが一番暑いって聞いたことがあるけど、この汗はそれを体現していると言ってもいい。


「よしのちゃん? どうしたの、そんなに急いでさ……」

「いや、あのね……一緒に帰ろうと思って」


 それにしては必死だなぁと自分でも思う。スカートのポケットから引っ張り出したハンドタオルで汗を拭うけど、拭いても拭いても後から後から汗が溢れてくる。


「いいけど、今日は寄り道しなくちゃいけないよ?」


 言う三奈ちゃんの顔が曇る。夕立瞬前の空みたいだ。


「えっ? どこに……」

「あの人の家だよ。全く、委員長だからって、どうしてこんなプリントやら何やらまで届けてあげなきゃいけないのよ……家が意外に近いからって理由だけでさ……ホント酷いと思わない? 委員長だって好きでやってるわけじゃないのに……」


 あの人。


それは三奈ちゃんの口ぶりからして、彼しかいない。笠屋君だ。


「あっ、そういえばよしのちゃんって、あの人、笠屋君と去年同じクラスだったんだよね。こまんなかった? こんな事もいっぱいしたんでしょ?」

「う、うん……まあね」


 どうやら三奈ちゃんにとって、私がそれとなく彼について尋ねていた事なんて、記憶にさえあやふやなものだったみたいだ。


(それはそれでいいんだけど……)


と私はなぜか胸を撫で下ろす。


「そうだ、最近はどんな様子なの?」

「最近って言っても、私だって久し振りだから、どうかなんてわかんないよ」


 三奈ちゃんは口を尖らせて、足元の小石を蹴り上げる。


「それに私、笠屋君って苦手なんだよ。こうやってプリント持って行く以外で、接点ないし、渡したら渡したで、ろくに話もしないでひっこんじゃうし……まぁ、玄関先まで出てくるのはまだ救いなのかもね」


 本当にだるそうに、三奈ちゃんは話題に乗るためにだけ見た、ドラマの感想のように話す。


「でもさ、クラスメイトが欠けてるのって気にならない? 寂しいとかさ……」


 私は言ってみる。だって、私は少なからず、そう思っていたから。

いつもいつも座る人のいない席は、いつの間にかそれが当たり前になってしまう。

 だから、机に裏庭で摘まれた、コスモスが突っ込まれた花瓶が飾られる事だってある。まるで遠くから鑑賞する、美術館の風景画みたいに、他人事の世界を作ってしまう。

 そして私以外にそれを注意したり、後片付けする人もいなくなる。


「んん? どうだろうなぁ……寂しいと言うか……ジグソーパズルのピースが一個だけ足りないってコトよりも、ずっと違和感はないいよ? だって、私以外に入学してから面識ある人いないから」


 ああそうかとも思う。

私の中の笠屋君とは違う。三奈ちゃんのクラスメイトにとって、彼は元々いなかった人間なんだ。

 だから喪失感もない。認識さえしていないんだ。噂の域を決して逸脱しない、自分たちの想像に忠実な人物、それが笠屋君なんだ。


「やっぱり寂しいよ……それって」


 私は呟く。でもそれは三奈ちゃんに言ったのか、自分自身の心を再確認したのかはわからない。


「三奈ちゃんしか面識ないんだったら、三奈ちゃんだけでも、彼がいない事に違和感を抱かなきゃ……じゃなきゃ、笠屋君はいつまでたってもそこへ帰って来られないよ……」

「……よしのちゃんてさ、時々難しい事言うよね……」

「そうかな?」


 難しい事、何て言うけれどそれは出来るだけ遠まわしにして、本当に言いたい事を、覆い隠してるだけなんだ。

特に私の場合は。

 それは、自分ができなかった事を、三奈ちゃんに押し付けようとしていることに違いない。私は自分の苦手な部分だけ、足りない部分だけを三奈ちゃんを対価にして、自分と上手いこと交換しようとしているんだ。


「そんなに本気になって心配して、よしのちゃん……」

「へっ?」


 三奈ちゃんは何かを悟ったように、私に視線を絡ませてくる。

 私はなぜかその視線にどきりとした。いったい私の中の何に、三奈ちゃんは気付いたのだろう。


「……本当、いい人だよね」


 にっと笑った三奈ちゃんに、さっきまでの疑いめいた感じはない。

 そうだ。何に気付くと言うんだ。私でさえ認めていない事なのに。


「ねぇ、私もついて行っていい?」

「えっ、そりゃもちろん。私はよしのちゃんがいてくれたほうが、気が楽だよ。それに笠屋君も元クラスメイトがいたほうが、気が知れていいんじゃない?」


 と、また何かを含んだように言う。本当に、三奈ちゃんは何にも気付いてないのだろうか。

「よし、じゃあ出発だ!」


 私はこくりと頷いて、三奈ちゃんと並んで歩き出す。夏の小旅行なんていうには、暑すぎる日暮れを笠屋君の家に向けて私たちは歩きだした。


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