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「ゆずれないもの」……佐久那  4


 昨夜、あれ以上何も言わず猛彦の背中から剥がれた私は、一人の夜をこの上なく安らかに過ごした。改めてこの家で猛彦と一緒に過ごせている幸せを知ったかのようだった。


「だが、今日からは話が違う。一緒に行動するとなったならば、私は全身全霊をかけて猛彦を守らねばならない」


 そして、いち早くプロテクトコードを見つけなければならない。


「あ……そうか、私は……まだ大切なことを猛彦に伝えていないじゃないか」


 眠気を吹き飛ばすために勢いよく洗顔している最中に、思い出してしまった。そして洗面台の鏡に映った猛彦と目があってしまった。


「おはよう」

「あ、ああ……」


 それだけ残して猛彦はトイレに消えてしまった。洗顔が終わったら入ろうと思っていたのに、ここはいなくなってもらってよかったかもしれない。


「ともかく、今日はそれも伝えよう」


 だが、何度か話そうとする拍子でお互いがずれてしまい、結局家を出るようになるまでその機会はやってこなかった。


「猛彦、待ってくれ」


 スニーカーに足を入れて、先んじて出て行こうとする猛彦を呼び止めた。だが、ドアは既に開かれて、猛彦は外気を取り入れてしまった。


「おう、おはよう!」

「お、おはよう……」


 玄関のドアを開いた所には、祭とよしのが立っていた。祭は何を気にしようという風にいつもと変わらず、よしのは少しばつが悪そうだった。


「ふたりとも……おはよう」

「おはよう……」


 猛彦もさすがに昨日の話を聞いて、ふたりがまだ自分たちに付き合うと思っていなかったみたいだ。もちろん、猛彦は説得しようと思ったが、私でさえ今日も二人がやってくることは想定していなかった。


「あ、その……昨日の話聞いといて何なんだけど、私は今日も二人と一緒に行動するから……も、もちろん笠屋君が心配なんだけど、その……佐久那だって、私の大事に友達だから……困ってるなら、助けてあげたい」

「けっ、よくいうぜ。たったそれだけの事を言えるかどうかって、ボクが来る前から猛彦ん家の前でウロウロウロウロしてたくせに。ボクがご近所さんなら、間違いなくストーカがうろついていますって通報してるな」


 祭は盛大に笑い飛ばすが、違うと反論するかと思ったよしのはしなかった。どうやら表情を見る限り、自分でもやばいと思っていたらしい。


「二人とも、これからは昨日、佐久那が言ったように、生命の危険ってやつも出て来るんだよ?」

「はは、言うじゃないかよ猛彦。お前はいつから隊長に命令できるほど偉くなったんだ?」

「そ、そんなの関係ないよ!」

「うん……祭ちゃんのいう事は、まぁこっちに置いておいても……」

「置いておくんじゃねぇ! それにだ、ボクらにとやかく言うが、じゃあどうして猛彦はまだそうやって佐久那の隣にいるんだ? お前だって昨日、佐久那にいらないって言われたんだろう」

「そ、それは……」


 猛彦は、頭をたれて口ごもる。要するにこれは堂々巡りなのだ。嬉しいことだから、少し自分自身で結論づけるのは恥かしいのだが、みんな、想いは同じだったのだ。


「まぁ、そういうことだ。お前が大切に想うように、ボク達にとっても大切だったってことだ」


 祭は横であわわとなっているよしのを無視して恥かしがりもせずに言ってのける。それは強さかもしれないと一瞬考えたが、そうではないだろう。祭はそういうことを臆面なく言うことができる性格なのだ。


「わかった。ならば、もう何も言わない。一緒に来てくれ。私は全力でお前たち仲間を守る」

「おぉ、力強いじゃないか。まぁあんな怪力持ってる佐久那がこう言うんだ、少々の危険なんて大丈夫だろ」

「え、え、何? 怪力って?」

「もう、よしのはいいよ……とりあえず宇宙人ってのは、ボクらが理解出来ないくらいに強いって相場は決まってるんだよ。マンガやアニメだってそうだろう」

「マンガやアニメと同じにしないでよっ」

「もういいから、チチだけよしのは、黙ってボクに従ってればいいんだよ。難しい理屈とかはいらねぇんだ。佐久那はボクらの仲間で、ほんのちょっと普通とは違うってな。ほら、よしのとボクのおっぱいの大きさが違うってくらいだ」

「だから、胸は関係ないでしょ!」


 二人の会話は面白い。会って二日しかたっていないというのに、もう十年来の友であるかのようだ。


「わかったよ……みんなで行こう。みんなで佐久那と一緒にいよう」

「そうそ、それでいいんだよ猛彦隊員。以後、イチ隊員が隊長に逆らわないように。んで、佐久那隊員、今日はどこへ行くんだ?」

「あ、ああ……そうだな、じゃあコロロのところにでも行くか……少し話しておきたいことがあるんだ」

「コロロ?」


 よしのは事情が飲み込めないので思案顔だ。だけど、祭よしのの理解を待つつもりはないらしい。


「いいから、いいから、道すがら十分間でボクがその出会いから別れまで、国語のテスト問題でも百点満点な説明をくれてやる」


 祭はまた笑って今度はよしのの腕を掴んで歩き出した。そしてそれを追って、私と猛彦も歩き始める。

 夏の朝は、朝なのにごく早い時間しか涼しくないと、この星に来て初めて知った。


「なぁ猛彦……」

「何?」

「いや、どうして命の危険が目の前にあるというのに、よしのや祭はあんなにも楽しそうなんだ?」

「う~ん、佐久那のことだからじゃない? って自分で答えがわかっている質問をしちゃうのはずるいよなぁ」


 猛彦の苦笑いで、私は気付かされる。よしのも祭も猛彦も、そして私も同じなのだ。

 みんな同じ想いの元で集っているならば、誰かがそれを乱して独りになろうとしても、残りの仲間がそれを追いかけてしまう。

 独りになろうとしても、想いを共有してしまったならば、逃れることはできないのだ。

 温かな追跡者からは……。

 そして私も猛彦もその存在を求めていたのかもしれない。そして、深層の意識だとしても、それを求め続けていたから、私は猛彦と巡り会って、猛彦は私と巡り会ったのだ。

 そこに引き寄せられて、よしのも祭も集った。それはとても幸せなことに違いないのだ。


「さ、そんな難しい顔しないで、二人が待ってるから、行こう」

「そんなに私は難しい顔をしているか?」


 いいながら猛彦は手を差し伸べてくれる。もちろんこの三度目の手にも猛彦にとって特別な意味はない。

 だが、私は特別な意味を込めてこの手を取る。


「遅い、遅い、遅い! 二人でイチャイチャしながらチンタラしてんじゃない!」

「そ、そうね……」


 道すがら、祭からコロロの事を聞いたのか、よしのはすごく神妙な顔をして目印の木を見つめていた。


「ごめんごめん」


 猛彦が悪びれて頭をかいている横をすり抜けて、私は三人が作る図形の中心にはいった。正直、猛彦と手を切ってしまうのは、口惜しいが、仕方ない。私はこれから謝罪しなければならないのだから。そんな時まで猛彦に手をとってもらっていては、よしのにも祭にも笑われてしまうだろう。

 それに、もう恐れはない。この告白を終えたとしても、誰一人として私から離れないと、自信を持てたからだ。


「聞いてくれ……私は星の生態レコーダである銀河の欠片を探しているといったが、八割は嘘なんだ」

「嘘? んじゃ、何を毎日探してたんだ?」

「ああ、レコーダの本体は、ここで猛彦と出逢った日に発見していた。だが、このレコーダは外部からあるコードを入力してプロテクトを解除しないとサンプリングした情報の送信を開始しないのだ。私が探していたのは、そのコードなのだ」


 話すうちにやはり胸を張っていえることではなかったために、私はうな垂れてしまった。


「そうか……それじゃ、そのコードっていうのは、暗号か何かなの? 目に見えるもの?」

「どうかしらね……こういう場合のコードっていうのは、機械に打ち込む言葉というか、パスワードって解釈するほうがいいんじゃないかしら?」

「んじゃ、思いつく言葉を片っ端からぶち込んでいけばいいだろう」

「あのね、今時銀行のATMだって、そんなに何度も何度も間違ったの打ち込んでたら、警察呼ばれちゃうわよ」


 私は、本当に取り越し苦労が好きなのかもしれないな。この場には私の嘘を責める者がいないばかりか、瞬時にパスコード探しを始めてくれている。


「よしのの言うとおり、パスコードは一度しか打ち込めないし、間違うと機密保持のために、全ての情報を消去した後に、自爆してしまう」

「おいおい、自爆とは穏やかじゃないな」

「そうだな……ま、まぁあれだよね、マンガみたいに周囲五キロ圏内を更地にする高性能爆薬とかは入ってないよね?」

「安心しろ、銀河の欠片が消滅する程度のものだ。この星や地域社会に甚大な被害を与えるものではない」


 一同がホッと胸を撫で下ろす。私もそんな姿を見て、安心してしまう。この三人には、どんな事を言っても許してもらえそうな気がしてしまう。


「むにぃ……難しいなぁ……何かヒントはねぇのかよ」

「そうだな……わかっているというか、与えられている情報は、現地の言葉であって、その中でも一番重要な言葉らしい」

「それは、ますます難しいわね。現地の言葉を同時に回収して、自分の星の言葉に翻訳する機能ってのはあるにしても、一番大事っていうのは、総意で決まるものじゃなくて、個人の意識で決まるのが普通だもの」

「そうだよね……人によって一番なんて、色々違うはずだから」


 猛彦とよしのは同じような顔をして思考を澱ませる。私だってそれで悩んでいるのだから、仕方ないだろう。


「まぁ、あれじゃね? それを作った奴がわかれば、答えの見当もつくだろう」


 もはや、会話の内容が高度過ぎてついてこれていないかと思っていた祭が、最高のヒントをくれた。いや、どうして私は一番にそこへ思考が向かなかったのだ。


「レコーダの設計者は私の母で、製作者は私の父だ」

「そっか! なら大丈夫だな。ボク達は佐久那がその言葉を見つけられるようにフォローしてればいいわけだな」


 祭の言うことはもっともだが、それが見つけられなくて、今までフラフラしていたのが私なのだ。それはきっと家族と向き合うことをしていなかった、私への罰なのだ。すまない……だが、なぜだろう。今ならばその答えを導き出せる気がする。

 一陣の風というものは、こういう晴れやかな時にこそ吹いて欲しい。心を熱された大気から解き放つように、優しく、優しく涼やかに。

 だが、私に吹いてきたのは、寒々しいまでに冷えた、嫌な風だった。


「いい事聞かせてもらったなぁ、おい」


 風に紛れて響いてきたのは、あの声だった。猛彦のものとは違う、尖った声。自らの好機だけを嬉々としている声。

 これは私の敵の声だ。


「デリッド!」


 私は自分でも棘があるとわかる声で反応する。私が警戒したのも悪かったかもしれないが、猛彦たちの表情が一変してしまった。


「みんな動くな。早く私の後ろに回るんだ」

「おいおい、そりゃねぇぜ。あんなに楽しい時間を一緒に過ごした俺を邪険にしなくたっていいだろう?」


 誰がいつお前と楽しい時間を過ごしたと言うんだ。少なくとも私は過ごしていない。

 私が指示したおかげで、猛彦たちは私の体が壁になれる位置に、入ってくれた。


「まったく、こっちは友好的にいこうと思ってるのに、最初ッから好戦的な態度ってのはよくないぜ? まぁそれもいいか。お前さんの星の性質をよくあらわしてるしなぁ」


 デリッドは大きく何かを含んだ口ぶりで、私に告げる。確かに私は初めから好戦的だ。しかしそれはデリッドを危険だと判断したうえでのことであるし、このタイミングで姿を見せたことに意図がないはずがない。


「何が言いたい?」

「何? 言うじゃないか。まさかお前の星の教科書が全て正しいとか思ってんじゃねぇだろうな?」


 デリッドは口元を歪めて敵意を露にする。それはさっきまで冗談を口走っていたものと同じなのかと問い正したくなる。


「こんなミクロな世界でも、真実はひとつでもちょこっと多面的な切り口をしてみるだけでモノゴト色々変わっちまうってモンなのに、自分の世界だけは違うとか思うんじゃねぇ」


 デリッドは切り捨てるように言ってのける。だが、その言い口は私にでもわかることだ。コロロのことで祭と話したから、今の私にはわかる。


「どうせお前の星じゃ俺たちの星の事を姉妹星とか呼んでるんだろう? 本当は蹂躙して侵略して手に入れた殖民星なのによ」

「歴史は黒い部分を隠して、白く見えるところだけを残すものだってことか……」


 猛彦の後ろに隠れていたよしのは、眉をひそめて真実を語る。私にだってわかる。それは私が妹と比べられる事実だけを根にもって、妹の優しさを埋めてしまったのと同じ。違うのは、私の歴史は白ではなく、黒で塗られているということだけだ。

 そして、デリッドが学んだことは、私の星で白くなっていた部分の裏側にある、黒い部分なのだ。


「それにお前、後生大事にしてる銀河の欠片ってやつが、どれだけ無意味なものか知ってるのか?」

「どういうことだよっ、これがないと佐久那の星はヤバイんだろうが! 負け惜しみ言ってんじゃねぇぞ!」


 完全に猛彦の背中から覗いている形だが、祭は元気なままだ。もしかしたら、この中では唯一私のことを信頼して、守ってくれると思ってくれているかもしれない。


「あぁ、確かにあのままじゃ星は死んじまうな……ただし、俺の星はまだまだ死なない。十分にサンプリングをする環境も残っている。だけどそれを俺の星に頼むのは、パワーバランスを崩しかねない大事だからな。お前たちの星間首相は体裁を選んだんだよ。星の大事さえも政治の一部にしちまったんだ」


 私は驚愕しつつも、所詮は末端の私が知るよしもない深層だと解釈する。それは心に順じたものではないが、この場合は有効な手段だ。


「はは……真相は知りませんでしたってツラだな。それでもいいさ。だが、お前の父親や母親が知らなかったとでも思うのか?」

「何!」


 平静に冷静にと思っていた心に、一瞬の火が灯る。


「当たり前だろう……お前の両親はお前が知る以上に星の根幹に関わってんだよ。そして、無意味と知りながら、その探索に娘を送り出したってわけだ。生きて帰るとも知れぬ銀河の旅にな!」

「く…………」


 だからなのか……無意味なものとわかっていたから、私にも関心を示さなかったのか……愛などくれなかったのか……帰らぬものと諦めていたから……。

 後悔だけが私を埋め尽くしていく。もう、溢れ出る溢れ出ると心が私に訴えかけていた。


「違う! そんなはずあるか! 例え欠片の回収が無意味なものだとして、佐久那のお父さんやお母さんがそんな事を思うはずがない!」


 猛彦の強い言葉が、私とデリッドの空間を切り裂いた。そして私の心も切り裂いていく。

 猛彦の言葉が嬉しい一方で、事実とは全く違うんだと心が叫び、私を締め付ける。

 だがそれは私が猛彦の母親に落胆はしていても、恨むことはしていないのと同じで、猛彦も私の両親を恨むことはしないだろう。私が私の家族のことを語れば、猛彦は泣いてくれるだろうか……それでも私は尊い存在だと言ってくれるだろうか。

 今この時放った強き言葉をまたくれるだろうか。


「ほぉ、言うじゃねぇかよ」

「ああ……だってどんな存在だろうと、佐久那の親まであんたが否定することは出来ないだろう」


 猛彦は言いつけを破って、私の前に出る。

 そして大きく優しい両手を広げた。


「何のつもりだ、にぃちゃん。ナイト様のご登場ってか? だがそんな優しいもん、そいつには必要ないぜ?」

「どういうことだよ」

「なんだ知らねぇのか」


 デリッドはボサボサの髪の毛の隙間から、私を流し見て口元を緩める。


(なんだ、こいつは……何を言うつもりなんだ……私の……何……を)


 鈍る思考がヒリヒリと痛み始め、私の見ている世界まで醜く歪めていく。私の前で、私を守るように両手を広げている背中まで歪めていく。


「や、や…………やめろ! 言うな!」


 気付くと私は叫んでいた。


「そいつには守る価値なんてねぇんだよ」

「やめろ!」

「そいつは長期間の真空生活に適応できるように……辿りついたどんな星でも図太く生き延びることが出来るようにと体をいじくりまわしてんだよ!」

「やめてくれ!」

「その華奢でいつでも誘ってるような体の中に肉眼では見えない機械がうじゃうじゃ這い回ってる……そうそう、ここいらにはいい言葉があるじゃねぇか。そんなやつを呼ぶのによぉ人間なんて呼ぶにはもったいねぇし、呼べやしねぇ。お似合いなのは……バケモノだ!」

「もう、やめてくれ!」

「こんなバケモノに、命張る価値なんてねぇぞ?」

「やめ……て……くれ……」


 私は猛彦の背中を見つめたままで、崩れ落ちた。

 デリッドの言った事に嘘も偽りもない。私が肉体改造を施して、体内にナノマシンを常駐させている事も真実だ。

 だが私は猛彦たちと過ごしている日々で、そのことを考える必要がなかった。考えずとも私は私になれそうだった。私は私を取り戻せそうだった。いつかに置き去りにしたままの私を連れ戻すことが出来そうだった。

 しかし、デリッドが全てを奪った。だがそれは当たり前だ。私ではないにしろ、私たちはデリッドの星から全てを奪い去った者なのだからこれくらいの報いは当然なのかもしれない。

 だが、それは今でなくてもいいだろう。私が一人の時にいくらでも払ってやろう。だから、今はこれ以上この優しい背中の前で言わないでくれ。

 猛彦の耳にも、よしのの耳にも祭の耳にも届けないでくれ……罰なら受けてやるから。


「言いたい事はそれだけか……だけど、これ以上、佐久那を悪く言うのはやめろ!」

「どうしたナイトくん。バケモノ女でもかまわねぇってか、心が広いねぇ。俺ならバケモノ女の後ろにいるお二人のが好みだけどなぁ」

「誰も……お前には触れさせない。僕がみんな守る。大岡さんも、祭も……佐久那も!」


 猛彦の声が私の意識に光を射す。


「お前がバケモノと呼んでも、僕の中では変わらない。ラーメンが大好きで、箸の使い方がヘタクソで、マンガに大笑いして、尊大な喋り方なのに優しい所もあって、僕を救ってくれた佐久那だ。佐久那は佐久那だ!」

「たけ……ひこ……」


 私は震える手を伸ばす。だが、滲んだ視界で像が上手く結べなくて、その温かさに触れることができない。


「けっ、そこまで言うなら覚悟ってやつでも見せてもらおうかな。生憎と俺はお前らの命をどうこうって義務はねぇからな。侵略者に供するってんなら、みんな俺の敵だ……それに俺はお前たちみたいな、傷の舐めあいしていい気になってる奴らが殺したいほど嫌いなんだよ!」


 デリッドは微動だにしない猛彦に向かって地面を蹴った。

 どうした私の足、こんなところで地べたにくっついてる場合ではないぞ。今、デリッドから猛彦を守れるのは、私しかいないのだぞ。

 この心を守ってくれた猛彦を守ることが出来るのは、自分だけなんだぞ!

 決意の変わりにぴしゃりと一撃平手を入れたら、私の足は言うことを聞いてくれた。そして立ち上がりながら、動作を殺さず流れるように猛彦の前に出た。


「くくくく……そうこなくっちゃなぁ……こんな奴、一瞬で八つ裂きにしたって何の気もおさまらねぇからな!」


 デリッドの一撃を受け止めた私の耳元に、低い声が響く。


「くっ!」


 私はそれを押し返して、間合いをこじ開ける。なんて重い一撃だ。私は格闘術の訓練のもちゃんと受けている。そのあらゆる技術をマスターして初めて探索者の称号は与えられるのだ。


(その私でも梃子摺る相手というわけか……追跡者というものは)


 私は一撃を受け止めた手の痺れを払いながら、固まっている三人から距離をとっていく。


「三人とも、固まって少し離れていろ」


 後ろ手で指示を出しながらも、意識は前方のデリッドから外さない。


「そう心配するなよ。お前をぐちゃぐちゃにした後でゆっくりぐっちゃぐちゃにしてやるから……」


 吐きながらデリッドは私から視線をずらして、猛彦たち三人を見てほくそえむ。眼前にいるのが私と知りながら、そんな隙をみせるとは、愚かな奴だ。

 いちいち呼吸を合わせて攻撃を放ってやる必要はない。奴の呼吸を読み取って、数瞬だけずらしてやればいい。

 私は顔をデリッドに据えたまま、腰まで引いた右手をしなりのまま打ち出す。通常レベルならば、それで十分だろうが、こいつは私の一撃を涼しい顔で払いのけた。

 そればかりか、逆手で反撃まで加えてくる。


「それくらい受けられる!」


 私は余った腕で、デリッドがしたように反撃を払い飛ばした。攻撃の後には、必ず隙が生まれる。現に、攻撃に使った腕を払われたデリッドは大きく胸の急所を開いている。


「ガラ空きだとでも思ったか?」


 私がその隙間に蹴りを放った瞬間だった。

 やけに声が耳元で聞こえた。


「何!」


 意識に視線を外す前まで目の前にあったデリッドの体が、私の脇に滑り込んできていた。それだけなら体をさばけば済むことだったが、デリッドは体勢を低く構え、既に拳撃の準備をしていた。これはもう捌く余裕がない。受け止めて、次を考えるしかない。


「真っ暗な未来を考えるより、目先のダメージでも気にしてろっ」


 重い一撃を受けた。体が少し揺らいだが、問題はない。次の動作に支障を来すものでもない。私は切り替えて、また正面からナイフで切り上げる様に蹴り上げる。


「く、やるやるぅ! 楽しくなってきたねぇ!」


 デリッドは私のつま先がかすった頬をなでつけながら、指先に滲んだ血を感じて満足そうに笑ってみせる。


「お前こそ余裕を見せている暇などあるのかっ! 私はお前に対戦的高揚感を覚えてなどいないぞ!」

「そいつぁつまり、躊躇なく蟲でも捻るように、俺をぶっとばせるってことか……嬉しいねぇ」


 デリッドは私の言葉にひるむ事もなく、顔に一層に深いしわを刻んで哂う。そして、長い手足を鞭のようにしならせて、私の要所をえぐろうと、拳やつま先を投げつけてくる。


「ほらほら、どした! 弾いてるばっかじゃどうにもなんねぇぞ。手数の裏には隙があんだろ、攻めて来いよ!」

「お前に言われるまでもない! 私は守らねばならない存在があるのだからっ」


 デリッドの言った通り、手数の隙間を見つけて、私は反撃を加えていく。

 だが力が均衡しているとでも言うのか、私たちの攻防は一進一退で決定打が生まれない。だが、やめるつもりはない。こいつは野放しにしておくと危険なのだ。全てに躊躇いがないからだ。自分の想いに忠実で、どんな非道も正当化できる力を持っている。

 だから、私は負けるわけにはいかない。

 猛彦のくれた言葉を守るためにも、こいつは粉砕しないといけないのだ。


「私の意志の元で、私の思考において、お前を地べたにごろごろ転がす!」


 私は拳と拳が弾けてひらいた間合いで宣言する。


「いいぞ、佐久那やっちまえ!」


 祭の声援を受けた私は、構えなおしてデリッドに向き合う。

 私の腕や足、全身には奴の攻撃を防御した痛みが残っている。刻まれた痛みが無駄ではないように、刻んだ痛みも無駄ではない。

 天秤がいつまでも同じ振り幅で動かないのと同じだ。私の腕が痺れているのと同様に、デリッドの肩口も明らかに下がっている。

 この好機を逃してはならない。身体的疲労だけでなく、奴は地形的にも追い込まれていることを気付いていない。奴の背中は切り取られたような山肌のすぐ前だ。そのあたりは雑草も生い茂っていて、足場も悪い。派手な動きは出来ないだろうと算段する。だから私は腕を片方捨てる覚悟をした。覚悟をして捨てのために、わざと緩くだが、弾かねばならない速度で拳撃を打ち出した。


「ちっ! なんだこりゃ」


 案の定腕を弾いてくれた。だが次の一撃に力を集中していた私は、激しいしなりを受けて骨と骨をつなぐ腱が伸びきることを防げない。意志通り一本の腕を捨てた。だが奴が言った通り、すぐにナノマシンが修復してくれるだろう。それよりも、思惑通り行き場を失ったデリッドの長い手足が山肌や雑草に絡まることに、私は微笑する。奴はこの星に愛されてなどいないのだ。


「誰もぐちゃぐちゃになどさせない! ぐちゃぐちゃではないが、けちょんけちょんにされるのはお前の方だッ!」


 私は言い終える間に距離を詰め、必殺の間合いに潜り込む。この間合いでこそ格闘教官の骨を三本粉砕した剛毅な蹴りをくれてやることが出来る。確実に奴の存在を粉砕できる!

 が、私の放った蹴りは全く手ごたえがなかった。


「けっ、そんなもん、わざわざ熱血っぽく受け止めてやる筋合いはねぇんだよ!」


 デリッドはこの一撃とマトモにやりあう気はなかったようだ。無理やりに手足で草を刈り散らして、逃げた。逃げることにも全力を注がれれば、必殺の一撃も避けられてしまうのか。そして私と山肌から逃げたデリッドは私の頭上を飛び越えて着地し、後ろで距離をとって固まっている三人の方へ走り出していた。


「く、三人とも逃げろ! このウソツキめがっ! 私のあとじゃなかったのか!」

「バカかお前は! お前に嘘をつかないなんて約束知るか! 第一、嘘はお前らの専売特許だろうがっ、騙して懐柔して、蹂躙して全てを奪うお前たちの常套手段だろうが!」


 高い身長、長い手とくれば再三受けた蹴りの通り、当然長い足も持っている。一歩二歩、三歩と、私の移動の常に先を行って、デリッドは一瞬逃げ遅れた祭を長い腕で絡めとる。


「くそ、離せ、こんにゃろ!」


 祭は絶命の危機だというのに、果敢にデリッドの腕を解こうとする。


「こらこら、暴れんじゃねぇ。目的を果たした後は、たっぷりシてやっからよ……」

「くそくそっ離せ! ボクに何かシてもいいのは猛彦だけなんだよっ!」

「ああそうかい……まぁいいや。おい、バケモノ。こいつがこの後一生、灰色の濁った目で過ごさなきゃならねぇことをここで経験させられたくなかったら、銀河の欠片を呼べ」


 じたばたともがく祭がそのうち奇跡でも起こして、デリッドの腕から逃れないかと淡い期待を抱くが、ありえない。


「お前には必要ないはずだ……そんなものをどうする気だ」

「あぁ? もちろんぶっ壊すに決まってるだろう。それが任務だからな……お前みたいに、目先の幸福にすがって、任務を後回しにするような奴とは違うんだよ」

「どこの優等生だ、お前は!」

「へへ……宿題はやってから遊ぶタイプなんだよ」

「く……………」


 私は苦渋を舐めながら、通信デバイスを装着している腕を空へと掲げる。


「カモフラージュ解除……ロックナンバーファーストフェイズ解除……セカンドフェイズ、サードふぇイズ……解除……一級召喚、銀河の欠片……」


 いくつかの手順を踏むと、空から私の目の前に欠片が降りてくる。欠片と呼ぶが、実はそれなりに大きいので、見栄えはする。


「ほぉ、そいつが銀河の欠片か。禍々しい形してやがるぜ……こいつをぶっ壊せば、お前の星は俺たちにすがるしかなくなる……こいつで、やっと俺たちは報われるんだ……やっと……星の命を失うくらいに長い時間をかけてやっと……」


 デリッドの目が恍惚に燃える。それは開放という長きにわたる悲願であるからか……それとも私たちを断罪する微笑か。


「もういいだろう、祭は離してやれ」

「け……お前の言うことを聞いてやる必要はねぇんだが、全てを失って、絶望しきったトコを狩るのは最高だからな……ひとりずつ順番に狩ってやっからな……さぁて、怖くて声が出てねぇあんたからにすっかなぁ……」


 デリッドは抱えていた祭を離すと、よしのを流し見て、上唇に舌を這わせる。


「い、いやっ!」

「大丈夫、大丈夫だよ……大岡さん。祭、早くこっちに来るんだ」


 猛彦は腕から駆け出してきた祭を抱きとめると、私の邪魔にならない位置まで下がった。


「さぁてと、どうしてやっかなぁ」


 欠片を眺めていたデリッドは片手を顎に、片手をポケットに突っ込んだ。


「無駄だぞ……通常兵器でこの欠片を壊すことなどできん。諦めるんだな」

「あぁ、もちろん知ってるぜ。俺はただ、こいつをぶっ壊すことで悲願が成るわけだから、感慨に浸ってんだよ……安い理想や幸福にしがみついてる奴にはわかんねぇだろがうがな……この感動は……」


 そんなのもはわかりたくもない。

 まず猛彦がいて、私が傍にあって、よしのや祭がいる生活が理想や小さな幸せだというならば、それに必死でしがみついてやる。それに固執してやる。

 過去の私ならばどうだったかわからないが、今の私になら、それが出来る。全てを賭けてそれを守ろうとすることが出来る自負がある。


「貴様の感動など知ったことか」

「つれないねぇ……お前は両親を憎んでるんだろ? なら、目の前でそいつらが作ったモンがぶっ壊れるのが見れるんだ、嬉しく思えよ……」

「だから、壊すなど無理だと言っている」

「そうだなぁ……俺の手に火薬式打ち出し拳銃とかしかなければなぁ。だけど、この手に光るのはぁ~~っと、じゃっじゃじゃ~ん」


 安っぽい効果音を口で発しながら、デリッドはポケットに突っ込んでいた手を引き抜く。


「こいつなら、どぉかなぁ……」

「?」


 私はそれがなんなのかわからなかった。いや、正確には見たことがない。資料にもない。まったく未知のものだった。

 もちろん、その形は拳銃のそれだが、私の知識に存在する形式のものではないのだ。


「安っぽいデザインは個人的にいただけねぇんだが、機能を考えれば背に腹はかえられねょな。ひひひ」

「機能だと?」


 私の引きつった顔を見たのか、デリッドはさらに顔にシワを深く刻んで哂って見せた。


「そうそうそう! 噂の超兵器、ずきゅーんってな感じだ。何と何と、極秘開発の試作品がこの手に! その名も構成組織分解銃~~」

「…………」

「あらら、リアクションがねぇな……ネーミングまずったか……まぁいいや」


 デリッドは私たちが無反応なままだったことに頭をかいてみせる。だが、私は奴が言った言葉の意味を必死で考えていた。構成組織を分解する? 言葉のままなら、そういう意味だ。では何を構成している組織を分解するのだ……わからない。


「難しい顔してるなぁ。こんな事をクソ真面目に考えてると、早めにフケるぜ? こんなモンの詳しい理論や仕組みなんてどうでもいいんだよ。知りたきゃお家に帰って、両親にでも聞くんだな。俺は、こいつが目的のために上手く使えればいいんだよ……使役者としてな……」


 デリッドはそれまでのチャラけた表情を捨てて、冷たい目つきで欠片を睨む。


「こいつは、あらゆるものの構成を解いて、バラバラにしちまうんだよ……モノならモノの原子に分子構造……人なら細胞のテロメアをぶっ壊し、細胞分裂の回数券ってやつを一気に引き千切って、終わりにしちまう」

「そ、そんなものをどうして……」


 私の表情を見て、デリッドは冷たい目のまま口元を歪める。


「……わかんねぇかなぁ……憎しみだよ……お前が心を歪めちまったのと同じ……憎しみだよ」

「その力が、そんな恐ろしいものを産んだというのか……」

「ま、そうなるな。ただ、試作品なもんで、お前が体の中で飼ってるナノマシン様には勝てねぇんだな、これが……お前個人もボッコボコにしてやりたかったが、さっきの戦闘でそいつぁ無理ってのがわかったんでな。どう、切り替えの早い、この俺のプロ意識。カッコよくねぇか?」

「どこがだ……」


 憮然とした私の態度をデリッドは鼻先で笑う。


「つれねぇな。任務も忘れてオトコとよろしくやってるよりは、よっぽどマシだけどなぁ……まぁいいや。別にお前そのものに、恨みはねぇし。こいつにカタつけたら、オサラバだ」


 デリッドは私の言葉など待たずに、それを構えて吐き捨てた。


「あばよ……何もかもにグッド・バイってやつだ」

「ま、待て!」


 引き金を引くデリッドを私は言葉で遮ろうとした。しかし、私の言葉は指一本の行為に遮られた。

 そして、私の視界は別のもので遮られた。

 それは温かく大きな背中だ。

 背格好は私と大差ない。特別頼りがいがあるわけではない。それほど見た目もいいわけではない。俗にいう普通な奴だ。

 ではなぜ、猛彦は私の目の前にいる? さっきまで後ろにいたじゃないか。どうして、私の前にある欠片の前にいる? どうしてデリッドが発動させた構成組織分解銃の弾丸から欠片を守っている?

 なぜ、そんな英雄的な行動をしている?


「猛彦!」


 宙を舞う鮮血の紅い糸を纏いながら、猛彦は地面へと吸い込まれるように倒れていく。

「笠屋君!」「猛彦!」と、よしのや祭の声が遠く聞こえる。視界の隅っこに、デリッドが肩をすくめるのが見えた。

 どうして私にはこんなにモノゴトを冷静に見ていられる余裕が存在する?


「あ、あぁ…………」


 だが、その余裕すらもはったりの嘘っぱちだった。私は意識とは別に足が立っていられなくなっていた。倒れる時、猛彦の血が降りかかった欠片に手をついて、そのぬめりで支えがなくなり、地面へと迎えられた。

 猛彦が横たわる地面へと迎えられた。


「た、たけ……ひ、こ……どうして……こん、な……」


 呼吸がまともに出来ない。どんなに激しい任務でも遂行できるようにと、改造されたこの肉体では、そんなことさえありえない……だけど、苦しくて肺が酸素を取り込まない。


「だ、って……あいつが、さく……なの……大切な……もの……お父さんとお母さんが……作ったも、の……壊そうとするから……」


 そこまで切れ切れで言った猛彦はガクリと全身から力を抜く。原因である傷は、意外と小さい。だが、出血が止まらない。血小板が機能していないかのように、血液が凝固しない。それでも何とか流れ出る血を止めようと、傷に触れる。だけど止まらない。止めようがない。私の指の隙間から、とめどなく血が溢れて腐葉土に吸われていく。


「あーあ、何やってんだか……お前にゃきかねぇが、ナノマシン処理もしてねぇ奴には、即死も免れないシロモノだってのに……まだ息があるだけ、こいつはラッキーだなぁ」

「何言ってやがる! お前がやったんだろうがっ! こ、こんな事で……ぼ、ボクの計画を……猛彦を佐久那から奪う計画……を、台無しにしやがったら……た、タダじゃおかねぇぞ!」


 涼やかなデリッドに対し、私の代わりにと祭は吼える。小さな体から声を振り絞って吼える。私の代わりに……猛彦のために吼えてくれる。


「佐久那、ぼーっとしてないで、早く手当てをしなきゃ! あなたならどうにかならないの?」


 よしのはすぐに膝を折って、私と猛彦の傍についてくれる。私が呆然としている代わりに、毅然と猛彦の安否を気遣ってくれている。

 もちろん、ふたりの行動の原理が、私が考えている理由ではないとわかっている。

 それぞれに、猛彦を愛しているから、そうできるんだ。

 祭は恐怖も押し殺して、猛彦の矛になり。

 よしのは涙も押し殺して、猛彦の盾になり。


「じゃあ、私は何になれる……私の愛は……猛彦の何に答えてやれる……何を守ってやれるんだ……」


 ぶるぶると、がたがたと、みっともなく手が震え出す。猛彦の鮮血がべっとりと纏わりついた手が震え出す。


「わ、たしは……どうしたら……」

「しゃんとしなさい!」


 一言に全身が震えた。まるで幼い時に母親に一喝されたようだった。


「よ、しの……?」

「佐久那がそんなで、どうするの! 笠屋君が好きなんでしょ! 愛してるんでしょ! だったらどうしたらいいか、必死に考えなさい!」

「ああ、そうだ……私は愛している……失いたくない……一度目は偶然でも、二度目は自分からあの手を取ったんだ……私は猛彦の傍にずっといたいんだ!」


 私は、高らかに言いあげた。もはや隠す必要などない。もう、認めてもいい……愛を忘れ家族と接していた私でも、感じていい。

 それを猛彦は教えてくれた。私は何も教えてなどいない。私が猛彦から全てを学んだんだ。猛彦から、愛の全てを!


「ぉーおーー。愛とかクサイもんで勝手に盛り上がってくれちゃってるねぇ。そんなもんが侵略者にもあったら、俺の星もマトモだったんだろうけどなぁ……その侵略者であるところのお前にゃ、それを語る資格なんてあんのかねぇ?」

「…………ああ、お前の言うとおりだ。私にはそんな資格などなかった。だがここで、この星で猛彦と出会い、そして知ったのだ」

「ほぉ何を?」

「この星で最も大切な言葉と想い……愛をだっ!」

「そいつぁよかったなぁ……だけど、そんなもんで俺の星も、お前の星も救えやしねぇぞ?」

「……違うな……」


 私は横たわり、息を荒げる猛彦を膝に抱く。


「きっと、どんなものだろうと、愛がなければ救えないのだ……こんな言葉を思い出した……愛、尊く。愛は哀とならず……」

「なんだそのメンドくせぇ言葉は……」


 私は言うデリッドにゆっくりと視線を絡ませる。だが何だこのすごく安らかな気持ちは……私自身が宙にふわふわと浮かんだように感じてしまう。


「これは、私の教科書の隅に載っていた……お前の星の言葉だ」

「…………ふん…………そんなもん、シラねぇよ……」


 デリッドは軽い態度を潜めて、一瞬見せた冷めた表情をした。そして、銃をまた構えて欠片に標準をあわせる。


「さっさと終わらせて、俺は退散させてもらう……」

「好きにしろ……そんなもの、もう私には意味のないものだ……猛彦が身を挺して守ったものだとしても、猛彦の命と比べたら、何の価値もない」

「ああ、そうかい…………」


 引き金を引いた数瞬後、欠片は突然結合部分から一つ一つの部品にと分割されて、機能を停止した。

 これで、表向き私の任務は失敗したことになる。


「満足したか?」

「まぁそうだな。そいつの事は気の毒だが、あきらめろ。軌跡ってやつでも起きなきゃそいつは助からねぇ……さぁてと、俺は帰らしてもらうぜ……楽しみだな、パワーバランスの崩れた星と星の関係をこの目で拝めるのは……」


 デリッドは横たわり、荒く息を吐き続ける猛彦に視線をくれて、闇に溶けていった。


「い、行っちまったのか?」

「そうだな。もう奴は帰ってこないだろう、目的は果たしたわけだしな」


 デリッドがいなくなった瞬間、駆け寄って来た祭は猛彦と私の横にちょこんと座る。そして覗き込んでは、流れる血に慣れないようで、時折その大きく少々つった目をそらす。


「だが、それは今考える必要はない。猛彦、猛彦……」


 私は終わったことよりも、息も絶え絶えの猛彦の事を考える。


「なぁおい、佐久那……猛彦はどうしたら治るんだ……早くしないと……お前ならなんとかなるんだろ? なんとかしてくれよ!」


 祭の哀願を受け入れずとも、私は必死にその方法を探っている。だが、どうすればいいんだ。デリッドは奇跡でも起きないと猛彦が助かる可能性はないと言った。


「奇跡……奇跡なんてものだけなのか……」

「早く止血だけでもしないとダメだわ……」

「カッコつけても、足がガタガタ震えてるのバレてんだから、強がんなよ」

「そ、そうね……」


 独り立ったままだったよしのも、やっと許されたようにぺたんと腰を折った。そうして無策の女三人は座り込んで考え始める。

 だが、このごく僅かな制限時間付きの絶望的な状況で、何が浮かぶというのだ。

 時間ばかりが過ぎて、猛彦の荒い息だけが続く。


「ダメだ、このままでは……奇跡、奇跡だ……」


 呪いのように呟いていた私に一筋の案がうかんだ。だが、それはありえないことだ。


「奇跡……これが奇跡なのか……」

「どうした、いい考えでも出たのか?」


 祭は目を輝かせて私をみる。横にいるよしのも同じように期待している。


「だが、これは本当に奇跡になる。宇宙規模的な奇跡だ」


 私の描いた軌跡は、私のナノマシンの一部を猛彦の体に移すというものだ。だが、このナノマシンは私のために存在し、私のためにチューニングされた、いわば宇宙で私専用の存在なのだ。それを確証もないままに、試すことなどができるのか。


「奇跡、奇跡って、佐久那がこの星に来て、笠屋君や私たちと出逢ったことだって、十分に宇宙的奇跡なのよ。恐れている場合じゃないわ」

「そうだぜ。それだけいっぱい奇跡を起こしてんだ、もう一個ぐらいどうってことねぇぞ!」


 よしのと祭の言葉で、私の中の何かが弾けた。そうだ、何を迷う事があるという。このまま放置していたって、それ以外に方法などありはしないのだ。ならば、宇宙的確率の賭けだろうとなんだろうと、成功というあたりがどこかに隠れているものならば、百億の空クジにも飲まれずに、私は引いてみせる。そして、引き当てて見せる。


「わかった……それしか方法がない。私は、今から奇跡を起こす。二人は奇跡を見届けてくれ」

「おう、行け!」

「お願い、佐久那……」


 二人からエールを受け、私も気合がはいる。

 が、ふとひとつの問題点が浮かび上がった。それはどうやって猛彦に、私の中のナノマシンを移すかということだ。

 必要な要因は「鮮血、体内液分泌を伴う、粘膜どうしの結合」だ。それは、どうすれば最も簡単に、そして外気に触れる事無く成されるのか。


(わ、私はこの緊急時に何を考えているんだ!)


 手っ取り早く頭に浮かんできた行為に私は頬を染めて、自分自身をたしなめた。ぶんぶんと頭を振ってそのいやらしい考えを吹き飛ばす。サイドの長い髪が頭の動きにあわせて触れて、熱い頬をぺしぺし打った。


「猛彦、今奇跡をやるぞ……受け取れ」


 私は言葉が終わると、猛彦の額を下げ、顎を上げさせて気道を確保する。そして思い切り自分の口内の頬肉を噛み切った。ぶつっという生々しい音が骨振動で鼓膜を揺らし、すぐに鉄サビの濃い味が広がった。それをとめないように、唾液を混ぜ込み、躊躇いなく猛彦の口から、それを流し込んだ。


「ちょ! 方法ってそれなのか!」

「そ、そんなぁ……誰もキスしていなんて言ってないよぉ……」


 ふたりの落胆などはこの際、放置だ。私はもう一度、反対側の頬肉を噛み千切って、唾液を混ぜる。今度はそれを脇腹の傷口に直接注ぎ込んだ。


「これで、どうだ……」


 血の匂いが残る息を吐いて、私は祈る。あとは奇跡を信じるだけだ。私と猛彦の運命と呼ばれるツヨサをを信じるだけだ。


「どうなの?」

「あぁ、おそらくすぐに何らかの兆しは見えると思う」

「猛彦、猛彦……頑張れ!」


 祭の声にぴくりと猛彦の体が反応した。第一段階はこれでいい。体が異物に反応して、一時的な覚醒が起こったのだ。問題はここからだ。その異物……ナノマシンがそれらの信号を上手くカットして、自分が有益なものだと、猛彦の体に教えてくれるように。そして猛彦の体が、それを望むように、私たちは祈るしかない。


「猛彦…………」


 私は名を呼ぶことくらいしかできない。不甲斐なさ、奇跡を待つだけの愚かさに表情が歪む。

 だが、しかめた視線の中を、ゆらゆらと手が左右に揺れた。


「猛彦! 気がついたのか!」


 私はその手を素早く取った。これで、三回目か……それでもいい。猛彦の血で染まった掌は、とても熱かった。


「さ、くな……僕は、僕……は」

「どうした、どうしたんだ!」

「僕は……きっと……ずっと、こうなりたかった……んだ……あの時……から」


 言葉の隙間に咳がからまり、意味を濁らせる。だが私は逃さまいと、まだすくった血をぽたぽたとこぼしている手を両手で包んだ。


「うん、うん……どうしたんだ」

「夕希……ちゃんたちが……死んじゃった時……僕は、ぼく……は、身代わりになりたかったんだ……こんな意味のない命でも、そうすれば……尊くなれる……気が……したんだ」

「違う、違うぞ、猛彦! お前はお前だから尊いのだ!」

「そうよ、笠屋君。私たちはあなたがここにいてくれるから、こうして集っているのよ。あなたがいてくれたから……私は自分の心に気付けたのよ!」

「諦めるな猛彦。お前がいなくなったら、ボクのステキ計画が崩れると言っただろう! そんな事は許さない、許さないぞ!」


 私たちの声は届いているのか。届いているならば、私のこの手を握り返してくれ。

 ここで初めて出逢ったときのように、力強く握り返してくれ。


「ぼく……は……そう……だよ……ち、がう……ちが、う……んだ……僕は、いつの間にか……違う…………さ、くな……」

「そうだ、猛彦。私の名前を呼べ!」

「さ、く、な……」

「私の名前を呼んでくれ!」


 私はお前の名をいくらでも呼んでやるぞ。声が枯れてもいい。どんなに痛めても、お前がまたしゅわしゅわなやつを買ってくれるんだろう? 

 また、残り具いっぱいのラーメンを作ってくれるんだろう? 私はアレがすごく好きなんだ。お前が作ってくれるから。

 また、マンガを一緒に読んで、議論してくれるんだろう? 私はお前の意見に反対してばかりだったが、実は認めていたんだぞ?

 そうだ、今度は一緒に学校に通うことにしよう。何、私が一緒ならば不安も何もないだろう? 私の不安をこんなにも取り去ってくれるのだ。私もお前の不安など、全て消し去ってやるぞ。

 そして、またみんなで笑おう。

 また、また、また……私の中に猛彦と過ごした日々が涙と一緒にあふれてくる。それの全てを私は「また」と貪欲に望んでいる。

 だが、この貪欲さが、猛彦に奇跡を呼び込む鐘となるならば、どこまでも貪欲に望んでやる。


 私は猛彦を愛しているから。


 どんなことだって望んでやれる。


「猛彦、猛彦、猛彦! 帰って来い。そして私の名を呼んでくれ。呼んでくれ……叫んでくれ!」


 私にも、愛を告げさせてくれ。

 そんな事はあるはずがないと決め付けていた……愛を私に語らせてくれ。


 手をつなぐ温かさだけじゃない。

 ちゃんと、私の唇から発して、お前の心に伝えさえてくれ。私から手をとったその意味を!


 お前がくれた……このお前を愛しているという心の全てを!


「猛彦――――――――――――――――」





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