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「ゆずれないもの」……佐久那  2


 校舎は、猛彦の入学前に校内が改修されたそうで、私が思う以上に整っていて、綺麗だった。


「うほほーー。やっぱり何もかもがでけぇぞ! スケールアップ!」

「祭、走り回ると危ないよ。窓とか割っても知らないぞ」

「大丈夫だ。割っちゃってもよしのを犯人にしとけば、保険でカタがつくだろう。気にしない気にしない」

「ちょっと、なんで私なのよっ! 自分が割ったら、自分がちゃんと怒られなさい。第一、高校はそれでお咎めなしなんて、甘くないのよ」


 よしのが言うことは、もっとだな。しかし学校というのは、本当にどこも変わらないな。生徒が暮らしている、いないに関係なく、整いすぎていて冷たい感覚を喚起させる。しかしそれは私の記憶による問題だけだとは思う。現に祭は私の目の前ではしゃぎまわっている。


「そうしてみると、歳相応なんだな、祭も」

「ばっか、楽しくて、わくわくする冒険心なんてものに、歳相応なんて関係ないんだよ」

「さすが隊長はいうことが違うんだな。感心するよ」


 不意に猛彦に褒められた祭は急に大人しくなって、ばたばたさせていた足を落ち着けて猛彦に擦り寄っていった。


「ちょっと、何してるのっ! 離れて、離れて!」


 祭は言葉を無視して腕にぶら下がる。よしのの前でもお構いなしだな。まぁ相手が私だとしても祭は遠慮なんてしたことはない。私がそれを咎めないことが悪いのかもしれないが、言ったところで聞くはずもない。

 祭が言うことを聞かないのは、いい。だが、私は薄い期待を裏切られるためにだとしても、よしのに聞かねばならない。


「あの、よしの」

「何?」


 よしのは祭を猛彦から引き剥がそうと必死なところだったが、顔だけは私に向けてくれた。


「この学校には緑色の髪の毛をしたやつはいるか?」

「いえ、知らないわ。そんな色してたら、話題になるだろうから、すぐにわかるわよ」

「それもそうだな……」

「まぁ緑じゃなくても、佐久那くらいだったら、きんぴかなだけで話題だろうけどな」


 祭は器用によしのに小さな紅い舌をべぇっと出しながら言う。


「確かに佐久那の髪の毛は綺麗だもんなぁ」


 呟いた瞬間、よしのはむくれて、祭は力の限り猛彦の腕を絞り上げた。私の思考がこんな風に滞っていなければ、きっと「嬉しい」を感じる所だろう。すまんな……よしのや祭のようにしてやれなくて。

 思考の中でだけ行う謝罪など、何の足しにもならないとわかっている。猛彦の優しさに報いたいならば、空気中に発せられる言葉として伝えなければ意味はない。

 私は自ら望んで猛彦の手をとったというのに、何も行動できない愚かな女だ。

 よしのの様に、素直な態度で猛彦に好意を表せない。

 祭の様に、直接的な行動で好意を表せない。


(私は何で伝えられる……)


 考えてひとつよぎった。

 これから私は「敵」と交戦する可能性が大きくなる。奴がわざわざ姿を見せたのは、警告だったからなのかもしれない。


(原種の中では、まだ良識があったということか)


 それはきっと猛彦たちを巻き込むなという警告だったのだ。

 私にできること、伝えられる形はそれなのかもしれない。


「だが、私は捨て去れるのか……この尊き記憶を紡ぐ存在を」


 口に出すと、少しだけ自分の心の形がわかったような気分になった。随分と回りくどいやり方でしか自分を表現できないものだなと、ちょっとおかしくなった。

 だけど。

 私は捨てるんじゃない。

 私は守るんだ。

 私は、私は…………。


「た……」

「さ、行こうぜ。次は定番の怪談スポットだ。よしの隊員、案内しなさい。ひとつ紹介するたびに、猛彦の腕を十秒握る権利をあげるぞ」

「え……」

「ちょ、僕の意見は無視かよ」

「か、笠屋君、私じゃ嫌なの?」

「そ、そ、そんなこと……ないよ?」


 私の思考を粉微塵にして楽しい会話は続く。守ると言った。捨てないと言った。

 ではなぜ私はよしのたちのように、楽しく猛彦と過ごせない。

 私にはもしかしたら、あと一歩の勇気が足りないのかもしれない。真空に飛び出す勇気はあっても、完成されつつある輪に飛び込む勇気がないのかもしれない。

 それは何の負い目だ。

 よしのは自分の気持ちに偽らなくなった。

 祭は猛彦の前で泣いた。

 だけど、私はどうした……私は猛彦に救われたと言ってもらっただけだ。それだけなんだ。


(それなのに、私は嘘で欺いている)


 そんな事の報いだったら、今すぐに済ませたい。済ませて楽になって、心の底から笑ってみたい。家族を恨んで妬んだ時点で、すでに笑うなんてことを忘れてしまった私でも、猛彦となら笑えるんだ。猛彦となら……。


(だから、それを失うのが怖いんだろう)


 私の中で、私が呟いた。

 その言葉が終わると、胸が疼いた。


「さぁさぁ、案内しろ。定番の音楽室か? 理科室か? どこでも行くぜ」

「そ、そうね……まずは図書館かしら」

「図書館? 僕も知らない話だな」

「図書館か、面白い話だろうな」


私は、失うのが怖いのだ。この会話を。この関わりを。

 私は、猛彦たちを信じているフリをして、実は疑っているのだ。

 私が話す真実に侵されて、みなが消えてしまうと疑っている。

 猛彦が私の前から消えてしまうと疑っている。

 だから、怖くて話せないのだ。真実を告げることを罪の材料にして、それをいつまでも味わって、この立ち位置を失わないようにしているのだ。


「どれほど、卑怯なんだ……だから父は私には無理だと言ったのか……」

「ムリ? 佐久那はオバケごときが怖いのか! そ、それとも、そういう方がポイントが高いのか!」


 塞ぎこむ私を見上げて、祭が聞いてくる。この好奇心で輝いた瞳に映る私の顔は、考え事に染まってひどくみすぼらしい。

 祭に私を救うなどという感覚はない。だが、私は救われる。思考の中にどんな闇を抱えていても、今は忘れてもいいぞと言われているようだ。


「どうだろうな。それは私ではなく、猛彦にでも聞いたほうがいいぞ」

「そうだな。猛彦はどうなんだ。オバケ屋敷では腕をぎゅってされたい派の人間か?」

「ど、どうかな。オバケ屋敷なんて行った事ないから……わかんないよ」

「なるほど、じゃあ今度ボクが連れて行ってやろう。二人きりでな」

「ちょっと! 二人なんて禁止よ、禁止。その時は私もついていきます。当然、佐久那もね」

 ああ、そうだな……みんなで集まれることがあるならば、私は参加したい。

 だからこそ、私は決断するべきなのかもしれない。

「まぁいいや。とりあえず図書館行こうぜ。ボクの学校にはないエロい本があるに違いない」

「ないない……」


 私はひとり、会話に遅れて歩く。それこそ、マンガでは「トボトボ」なんて擬音が使われるかもしれないな。

 長くつるつるした光沢を放つリノリウム製の床が、私が歩く現実の下に鏡合わせで仮想の世界を作り出す。それこそ鏡面効果が見せる錯覚だ。だが、私が歩いているのが、下に広がる誰もいない仮想の世界で、みんながいるのが、上に広がる現実世界のようにさえ思えてくる。すぐ隣りあわせで存在しているのに、どうしようもないくらい隔たりのある世界。


「ふ……これこそ怪談の一種だな。祭に教えてやれば、目を輝かせて聞いてくれるだろうか」


 考えて泳がせた視線に、ひとつの影が映った。

 私はまた緑髪の奴かと身構えたが、その姿は違っていた。みんなから遅れて歩いていた私を待っていた姿だった。


「猛彦……」


 私はできるだけ、小さく聞こえないように呟くしかなかった。

 猛彦はよしのや祭から外れ気味に歩いていた私に気付いていた。

 だから、私を待っていたし、あんな目で私を見ているんだ。


「泣かず濡れた眼で私を見るのは、反則だぞ」


 届けてはいけない言葉を置き去りにして、私は猛彦に追いついた。


「おぉ、ここが図書館か。高校には優しい司書さんとかがいるのか?」


「よく知ってるわね。まぁ今は夏休みだから図書委員が交代で当番してるけどね」

「ふふん。そのくらいはマンガにだって描いてあるんだよ。図書委員てのは、どこも大変だな。本が好きじゃないと勤まらないな」


 誇らしげな祭は揚々として図書室に入っていった。よしのも猛彦もそれに続き、私が最後に入り、扉を閉めた。


「うは、涼しい! 図書館はこれだからやめられねぇな」

「ちょっと祭ちゃん、図書館では静かにって習わなかったの?」

「まぁ別にいいだろう。見た感じボクたち以外に誰もいないじゃないか」

「確かに……だけど、おかしくない?」

「そうね……図書委員も受付にいないわ……休憩かな。それにしても、こんなに静なのは珍しいわ。誰の吐息もなみたい」

「細かいことはいいんだよ。ほら、佐久那もこっちに来て涼もうぜ。ボクたちの独占だ」


 祭は窓際の席に腰を下ろして、わたしを呼ぶ。

 だが、この状況は猛彦やよしのの意見が正しいと思う。夏という季節にあって、機械で冷房された空間は、それだけで別世界のように感じる特別なものだ。長期間宇宙を漂っていると、宇宙船の中と外の区別ができなくなって、全てが溶け合ってしまったように感じることがある。空間を空間と認識する力が弱まってしまうのだ。それは変化に乏しい生活などが要因ではあるけれど、これは違う。猛彦にとっては久しい場所かもしれないが、日々をここで過ごしているよしのが感じる違和感は、重要なものだ。


「難しい顔してないで、早くこの図書館で起こる怪談ってやつを教えてくれよ」

「ん、そうね……」


 だが、よしのはそれを奇異と感じる訓練を受けているわけではない。この違和感も私がよしのの言動から感じ取ったものに過ぎない。だから警戒することさえ、本当は取り越し苦労なのかもしれない。


(いや、そう願っている)


 私はまた苦い顔をして祭が勧める席についた。


「祭ちゃん、この席順に少し質問があるんだけど、いいかしら?」

「はい、よしの隊員に発言権は認めれられていません。ボクの隣が猛彦でお前たちふたりが対面という構図のどこに質問の余地があるんだ?」

「大アリよ! 佐久那もこれで納得してるの? 何とか言ってあげなさい」

「いや、私はこの方がいいぞ。猛彦がちゃんと正面で見られるからな」


 思考が別のところへ向いているときは、得てして飾った言葉などはでないものだ。


「ふ、ふん、そういうポジティブシンキングしたって、ボクが一番傍にいるという事実は変わらないんだからなっ」


 祭は唇を尖らせながら、猛彦の腕に巻きつく。どうやら、あれを臆面なくできるのは、祭の特権みたいなものらしい。例えば他人から見て私が猛彦の第一の彼女だとしても、人前でその行為をすることは考えられない。それはよしのもわかってしまったらしく、溜息のように呼吸を深くして、大人しく怪談を紡ぎはじめた。


「怪談ってほどのものじゃないかもしれないけどね……これは私が先輩に聞いた話なの」


 腹いせだろうか、それとも悪戯心だろうか。よしのは祭をどうせなら、精一杯怖がらせてやろうという判断をしたらしい。雰囲気を非情なまでに作り上げていく。年端もいかない相手に行うのは少々気が咎めると思うのだが、よしのは祭に容赦することをやめたのだろう。それは祭の気持ちがただの面白いことを求めての行為ではなく、真剣なものだと認めたからだろう。これがよしのなりの流儀なんだ。


「この図書館に、滅多に返却されないから、なかなかお目にかかれないマボロシの本があるらしいの。外国の小説だって話で、とても面白いからいつも貸し出し中なんだろうって事だった。だけど偶然その先輩の友達が本を見つけてしまったの」


 よしのは組んだ手で口元を隠し、祭にだけ語るようにしながら、視線をその後ろの窓の外へと向けているようだ。

 その視線の外し方が、さらに冷房の効いた室内を、冷凍庫のように凍えた雰囲気へと変えていく。


「そ、そうか……それで、その友達は中身を読んだんだな」

「ええ……すごく面白かったらしいわ。最後までいっぺんに読みたいから、もうメールしてこないでって言われたらしいの」

「へ、へぇ……よっぽど面白かったんだね。友達とのメールを切っちゃうくらいに」

「猛彦、声が震えてるぞ」


 まったく、猛彦はこういう話はニガテなのか。私は……残念ながら、猛彦好みに恐怖から腕に巻きつく系統ではない。


「そ、そ、そんなことないよ。お、大岡さん続けて……」

「う、ん、わかったわ……それから一週間くらいたって、もう読み終わっただろうって思って先輩からメールを送ったらしいの。それで、返ってきた内容が、すごくおかしいものだったの」

「内容……普通のおもしろかった~とかの感想じゃなかったのか?」

「そうなの。普通じゃなかった。外国の小説を訳したりする時、昔はよく登場人物の名前が日本名に置き換えらることがあったの。この本も、外国の小説のはずなのに、出てくる人たちが全部日本名だったらしいの。でも、その名前がおかしいの」

「名前が?」

「うん……一冊の本に何本かのお話が載っているオムニバス形式の本だったんだけど、出てくる名前がすごく今風の名前をしていて、その中のひとつがどこかで聞いたことがある名前だったらしいの。それも気になったらしいんだけど、一番気になったのが最後の部分……」

「う、うん」

 はっきりとではないが、猛彦も祭も喉が鳴る音が聞こえた。

「今、読んでる最後のお話は、私が主人公なのよって……臨場感もすごくて、本当に何かが自分に迫ってきてるみたいだって……それで、最後にどうなるかが楽しみで仕方ないから、もう切るからって」

「そ、それでどうなったんだ? そのお話の最後は? メール来たんだろう?」

「ううん……それが最後のメールだったらしいわ。そのままその友達は転校しちゃったの。それ以来何度連絡をとっても返信が途絶えたって。後で知ったんだけど、その友達……転校先で事故にあって、死んじゃってたの」

「ちょ、え…………」

「それでね、先輩は友達と自分の知っていた名前から、自分自身納得いかなくて、その本を探したらしいの……そして見つけてしまった……」

「あ、あぁぁ……」

「それでね。気付いたの……本を借りて、読み進めるうちに登場人物の女の子みんな、貸し出しカードに名前が書いてあるってことに。先輩が気付いた名前の人も一年前に学校を卒業した人だった。その前に書いてあった名前の人も一年前の卒業生、その前も、その前も、その前も……一年に一人ずつ借りて、そして一年に一人ずついなくなっている。転校先で事故死したり、卒業後に病死したり、在学中に自殺していたり……一年にひとりずつ……必ず、そのカードに名前を書いた人が消えていく。そして、その物語が本に追記されていく……」

「じゃ、じゃあ、その先輩さんはどうなったんだ? やっぱり転校して消えちゃったのか?」

「ううん……先輩は消えてないわ。先輩は運が良かったの……それは先輩が一年に二人目の人だったから……」

「そ、そうか……な、なら安心だなっ! はははははは!」

「そうもいかないわよ……その本は、今もこの図書室のどこかにあって、貸し出しを待っているって話だから……一年に一人のイケニエを求めて……」


「そう、そしてこいつが、その本ってわけだ」


「ぎゃーーーーーーーーーーーす!」


 祭の盛大な悲鳴に、うっかり話に引き込まれていた私も、背後の気配に今更気付いた。いや、私が気配を感じ取れないなどあるはずがない。ならば声の主は気配を消していたのだ。

 そしてその猛彦とはまるでタイプの違う、少し尖った物言いの人物を振り返った。


「どうした、金髪のお嬢さん、俺の顔に何かついてっか?」

「……いや、何でもない」


 驚愕している時というのは、返って冷静に言葉が出るものなのか。それとも、取り乱さないでいるのは、私がこういう状況を少しは想像していたからだろうか。

 厚い本を片手に私たちに話しかけてきたのは、緑色の髪をした男だった。少年といえば少年にもみせるし、青年といってもおかしくはない、不思議な雰囲気だった。遠目で見た時と、大して変わらない印象を覚える。

 もっとも、私にとってはどんな印象だろうと、こいつが危険な敵であることに変わりはない。


「お、おいお前……そ、それが本当に例の本なのか?」

「ん? 自分で調べてみたら……ほれ」


 緑髪の男は手に持っていた本を祭へと机を滑らせて渡す。


「う……ぼ、ボクは見ない、見ないぞ……た、猛彦見てくれ」

「いいよ……何々タイトルは……地球の自然って、これただの百科事典じゃないか」

「ちょ、お前! ボクを騙したなっ!」

「ははははっ! そんな面白い本なら、君らに見せる前に俺が借りちまってるさ。わざわざ楽しみをひけらかすようなことは、しねぇぜ」


 緑髪はケラケラと笑って、長い両手をポケットに突っ込んだ。


「ねぇあなた。制服着てるけど、どこの人? うちの学校じゃないよね」

「おっと、察しがいい娘がいるなぁ。そうそう、俺は二学期から転入する予定だからよろしくな。見ての通り、帰国子女ってやつだ。ちなみに本名はクソ長いから、みんなデリッドって呼ぶぜ」


 デリッドと名のったこいつは、私の敵である原種に間違いない。ならば、どうしてこんな所に姿を現したんだ。先に考えたように、警告のためか。


「デリッド君ね、覚えておくわ……でも、その髪は」

「ああ、心配すんな。夏休み中だけってやつだからな」


 デリッドはよしのの言葉を遮り、長く不ぞろいな髪を首を振ってばさりとなびかせた。


「まぁんな難しいことはいいんだ。こんなにかわいい女の子をはべらせてる、そこのモテモテ君が羨ましくってね。お仲間に入れて欲しくて、ちょっと話しかけたってわけだ」

「猛彦はそんなのではないぞ」


 私は少し苛立ちながら、デリッドを見据えた。だが、それをこいつは鼻先で笑い、片手をポケットから取り出して、机の上についた。


「まぁまぁ、そう邪険にしないでくれよ。怪談話なら、俺も知ってるぜ。残念ながら、ここの学校ってわけじゃないけどな」

「どんなの?」


 猛彦に視線を移したデリッドは臆せず言葉が返ったことにニィっと唇を開いた。


「よくある話なんだけどな。鏡の話だ」

「夜中にあわせ鏡みたら、異界に行くとかそんなのじゃないだろうな」


 祭は猛彦の腕にしがみついたままで、デリッドを刺激する。どうやら、驚かされた事をかなり根に持っているようだ。


「はは、ここの言葉を借りると、当らずも遠からずってやつだな。まぁ鏡ってやつは、俺たちとは別の存在にとっては、此処と何処かをつなぐ通り道だって事だ。とりあえず、それは姿やなんかが映れば鏡ってわけで、水溜りでも空を映してりゃ鏡なんだ」

「その解釈だと、通り道がそこかしこにあるってことだね」

「ご名答。だから、時々混雑しちまうんだ。あっちにもこっちにも出口や入り口があるんだからな、大渋滞さ。そうなりゃ当然交通事故なんてのも起こっちまう。それが鏡割りさ」

「鏡割り?」


 猛彦もよしのも祭もオウム返しに声を重ねてデリッドを見た。私だけ視線を完全に外し、デリッドのいうような、窓ガラスを鏡にしてその姿を睨んだ。


「ああ、そう……たまにだけどな、出口で詰まった存在たちが、同じ場所から入ってくるモノたちとぶつかって、その鏡自体が割れちまうことがあるんだ……お、噂をしてたら……」


デリッドはすぅっと窓の外に視線を移して、ついていた手をあげて指差す。


「ほら」


 猛彦たちが指につられて窓の外に広がる中庭の方をみたときだった。


「ばーん」


 デリッドのちゃちな口擬音が終わると同時に、音が響いた。向かいの校舎の窓全てがぱきぱきと最初は緩やかにひびを走らせ、そしていっせいに弾けた。


「なっ!」


 声を上げたあとを追って、校舎に残る生徒たちの悲鳴が目の前の窓ガラスをびりびりと震えさせた。


「はい、これが鏡割りってやつだ。昼間に見えるなんて珍しいぜ?」


 悲鳴と、全ての窓ガラスが割れてしまった校舎にみんなが目を奪われていた。

 しかし、デリッドだけは私を斜に構えた目で見下ろしていた。


「佐久那さんも、珍しいもの見れてよかったねぇ……くく……」

「何が言いたい……」

「別に?」


 そう残して、視線を釘付けにされた猛彦たちに挨拶するでもなく、デリッドは図書室から出て行った。

 あれは、鏡割りなどという超常現象ではない。あいつ、デリッドがやったのだ。

 それは明らかに私に対する警告だ。

 レコーダを大人しく渡せば、危害は加えない。もしくは、これ以上、猛彦たちが首を突っ込むなら、身の安全は保障しないという。


「く…………」


 私は窓外に意識を集中している三人に見えないように、顔を苦渋に染めた。

 私は、もう……決断を余儀なくされてしまったのかもしれない……愛しき者を守るための決断を。

 冷房に凍えるように肩を抱きながら、暑く熱せられた大気が漂う窓の外を、ひとり別世界に感じた。

 自分が生きる凍えた世界と猛彦が生きる温かな世界の違いだと、ひとり肩を震わせた。





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