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「ゆずれないもの」……佐久那  1

「ゆずれないもの」……佐久那



     1


 私が猛彦と出会って、この星の暦でもう一ヶ月が過ぎようとしている。

 その間に私は出会うべきでなかった人々と出会ったのだろう。本来、猛彦と出逢ったことさえ過ちだとするべきなのに、私は猛彦の申し出を受けてしまった。

 私の任務には危険が伴う。

 それはレコーダを狙っているのが私だけではないからだ。もちろん、私の星からこの星に来たのは私だけだ。だが、私を追ってきたものがいる。同じように終焉を迎えようとしている姉妹星の住人だ。彼らはレコーダを私たちよりも先に入手することに関して、現地人の安否を優先事項としない。

 それは母星を旅立つ前からわかっていたことだ。だから、この任務で私は現地の者とできるだけ関わらないようにしようと決めていた。

 しかし、それを私の父は嘲笑った。

 それは、レコーダの設計者を母に、製作者を父に持つというだけで、探索者に選ばれた私には無理だということだと思った。


『そんな考えでは、レコーダを見つけたとしても最後の欠片を入手するのは無理だな……』


 父はそう言ってさらに冷笑した。旅立つ娘を前に、私にはそう言った。同じく旅立つ妹には微笑みかけて。

 私は優秀な妹の影に隠れて生きてきた。私が妹に勝っていたのは、ほんの幼少の頃だけだった。妹は私よりも早く歩き始め、私よりも早く話し始めた。宇宙校に私が最年少で入学しても一年後には妹がその記録を塗り替える。そして私よりも先に卒業してしまう。

 確かに出来のいい妹に劣等感を抱いていないわけではない。

 しかし、私はそれ以上に愛していた。妹が笑うととても嬉しかったし、妹のあげる成果には感心した。

 でも、妹の笑顔が増えていく代わりに、私は次第に笑顔を忘れていった。

 妹だけを自慢のように取り扱う父。

 妹だけを愛したように微笑む母。

 私はどこにいてもひとりだという感覚に囚われていた。その結果が探索者試験の一項目だった「単独航行試験」でトップの成績をとった理由だとしたら、なんと皮肉なことだろう。

 しかし、たった一項目であろうと、妹に勝った事実は、事実だ。


「あの時、妹は私に何と言ったのだったかな……」


 私が呟いても、笑顔のままの妹はそれに答えなかった。焼き立てのパンを持った父と出来立てのスープを持った母と一緒に後姿のままで消えてしまう。

 私だけを孤独に残して、行ってしまう。どんなに手を伸ばしても、父の腕も母の腕も妹の肩にかけられて、私に差し伸べる手はなかった。


「いか……ないで……くれ」


 漏らした視界を急に眩しい光が包んだ。


「佐久那、どうしたの? もう朝だよ……と言っても十時だけどね」


 どうやら私は夢を見ていたようだ。あの頃の嫌な夢。

 もちろん、私の夢の内容などは猛彦にわかるはずもなく、微笑んでいるだけだ。でも、私はこれに救われている。猛彦は私が自分を救ったなどというけれど、本当は違うのだ。

 現地人との関係を一切絶って任務にあたっていた私は、なぜか猛彦から逃げる事を忘れた。そればかりか、自分から接触してしまったのだ。

 そして、よしのに出逢い、三奈にも接触し、祭とも出逢った。刷り込み程度であっても、猛彦の父にも母にもよくしてもらっている。猛彦に言わせれば、私が姉や姪に似ているからだというが、私は私の父や母に足りないものをみているせいで、他人のそれが、足りないものだと思いたくない性質が備わってしまっている。

 それは、幻想なのだろうが、私はそう信じたいんだ。

 私が見つけた猛彦の父や母が、そのような存在だとばかりは思いたくないんだ。

 それを猛彦には「恨む権利」のように言ってしまった。だけど、猛彦はそれを理解してくれた。私も父や母を同じく憎んでいるのかもしれない。でも、それを誰かに穢されることに、心のどこかが悲鳴をあげるのだ。


「まったく、やっかいなものだ」

「ん? どうしたの、朝から難しい顔して」

「何でもない。着替えるから出て行け。それとも見たいのか? 素直にそういえば見せてやらないこともないぞ」

「い、いや、いいよ!」


 慌ててドアを鳴らして出て行った猛彦の後姿に、私は呟く。


「お前は、私がついている大きな嘘を知っても、やはり微笑んでいそうだな」


 パジャマにしているTシャツを脱ぎながら、その嘘の事を考える。

 私は出逢ったときに、猛彦にはレコーダを探していると言った。もちろん、それに嘘はないのだが、事実は少し違う。それは、私が探しているのがレコーダ本体ではないことだ。

 本体は、猛彦と出逢ったあの森で見つけていた。そう、猛彦と出逢ったあの日に見つけていたのだ。


「だから、私は浮き足立っていたのか……だから、猛彦にも接触してしまったのか」


 思うけれど、それは正しくない。否定だ。

 私は、遠巻きに猛彦の姿を見つけていた。

 初めて発見した時は、猛彦が生命活動を停止いているのかと思った。しかし、近づくにつれ、それは微弱ながらも生きていると知った。そう、身体的にはどこにも不備がないのに、命の火とでもいおうか、それが消えかかっていた。


「随分、考えの表現方法が比喩的になったものだ。これも芸術に触れたためか」


 私は猛彦の姉が残していた普段着を着込みながら、積み上げたマンガを見る。これも、猛彦との繋がりから生まれた変化なのだろうか。


「佐久那! 早くしろよ」


 猛彦が朝食に呼んでいる。

 あの日あの時、猛彦に声をかけたのは、私に似ていたからだ。

 父からも母からも、妹からも切り離された私がそこに寝転がっているのかと思ったからだ。同族相憐れむというのだろうか。私は私から目を反らすことが出来なかった。


「おはよう、佐久那ちゃん」

「おはようございます」


 猛彦の母は私が席につくと、そう言って白いご飯の盛られた茶碗をおくと、居間の方へ消えてしまった。

 猛彦の母は、私には物腰が緩やかなのだが、猛彦には関心がないように扱う。私は猛彦の話を半分は信じて、半分は思い違いだと思っていた。だが、それは間違いだった。

 猛彦の言っていたことは事実だった。しかし、それでも私が何かを恨んだり憎んだりすることは違うと思う。例えば私が私の父や母のことを猛彦に話したとして、猛彦はやはり、それを憎んだり、恨んだりはしないだろう。


「どうしたのさ、難しい顔して。ご飯、美味しくないの?」

「いや、そんな事はないぞ。ご飯はいつもとても美味しい……猛彦と一緒に食べているしな」


 答えると猛彦は嬉しそうにニッと笑ってまたご飯を頬張った。私はそれを確認してから、自分の山盛り白飯を豪快にかき込んだ。初めは猛彦もお行儀が悪いとか言っていたが、今はもう諦めたのだろう。それとも箸が上手く使えるようになったからだろうか。

 そういえば猛彦は箸の持ち方というか使い方にはうるさかったけれど、私がこんな風に食べていることには何も言わなかった。

 猛彦にとっては、重要としている点がそこではなかったということなのだろう。人の視点というのは、たった一つのことをとっても様々だと改めて気付いた。

 宇宙に出るための訓練では、そんな事は当たり前のように考えていたのに、長い旅の中で忘れてしまっていたのだろうか。


「今日は、どっち方面に出かけてみる?」

「ん……何がだ?」

「いや、銀河の欠片のことだけど」

「あ、そうだったな。すまん」


 私は口内に残る玉子焼きを喉に流し込みながら、抜けた感覚のままで答える。どうも、あんな夢を見たせいで思考回路がまだまだ働いていない。こういう場合は糖分が必要だ。


「その前に猛彦、ゼリーを食べていいか? 昨日、買ってきたやつだ」

「いいけど、今食べたら、後でデザートがないって言っても知らないからな」


 私は後のデザートよりも、現在の糖分摂取のほうが重要なので、冷蔵庫のゼリーを取り出した。


「よし、猛彦……これを食べたら……今日は……お前の……学校の方へ……行ってみるぞ」

「はは、いいけど……食べてから喋るか、喋ってから食べるかにしろよ」

「なんだ、欲しいならそう言え。最後の一口だが、お前にもこの美味しさを分けてやろう。ソーダのしゅわしゅわとパインの酸味が最高の組合わせだぞ」


 私は惜しみながらも、最後の一口を猛彦に差し出した。なぜか猛彦は顔を赤らめているが、私が再度突き出すと、やっと口に収めた。


「よく味わうのだぞ。私が我慢して食べさせてやったんだからな」

「う、うん……すごく、美味しいよ」


 猛彦は私に視線を合わせずに、ゼリーを飲み込むと、席を立った。席を立ってキッチンから出て行こうとする猛彦の背中が、夢と重なってしまった。あんな夢を見た日は、本当にろくなことがない。


「猛彦……待て」

「ん、何?」

「猛彦は、その…………嘘についてどう思う」


 猛彦は私の質問に、体を反転させる。


「難しいことをさらっと聞くんだなぁ……しかも随分いきなり」

「いいから、答えろ……どう思う」


 猛彦は一度長めに目を瞑り、ぱっと開いてから、それでもしぶしぶとしながら口を開いた。


「そうだな……もちろん基本的にはよくないことだよ。ただ、嘘の種類やつくタイミング、その内容によって、色んなものが変わってくると思うよ」

「例えば?」


 すぐに返すと、猛彦はまた困ったように顔をしかめて、今度は顎に指を置く。面倒くさそうでもなく、でも歯切れよくもなく、猛彦は片方の眉をあげて面白い顔をする。


「今朝は質問攻めなんだな……上手く例えられないけど、ついちゃいけない嘘とついてもいい嘘とかかな。さっきのゼリーだけど、佐久那は本当は美味しくないと感じていたのに、最後の一口を僕に食べさせたくて、さも美味しいように言ってみせるとかね」

「む、私が知りたいのは、そんな冗談の手助けみたいな嘘のことじゃないぞ」


 自然に唇を尖らせていたら、猛彦に笑われてしまった。


「あら、難しい話してるのね。二人とも出かけるなら、今日も暑くなるそうだから、しっかりと水分を取っていくのよ。猛彦、あんたは佐久那ちゃんのために水筒の用意ぐらいしなさい」

「あぁ、うん」


 私の質問は、猛彦の母に遮られてしまった。まぁいい、学校への道中にいくらでも聞けばいいのだ。私は私のしている事への回答がどうしても欲しいのだ。私に似た猛彦ならば、私がだせないでいるものにも答えてくれる気がするからだ。


「猛彦、どうせなら水筒にはスポーツ飲料を入れていこう。あれの体内浸透力は驚異的だ。私のレーションと同等だからな」

「はいはい、遠足気分だな、もう」


 猛彦は水筒を戸棚から引っ張り出すと、冷蔵庫から取り出したスポーツ飲料をこぽこぽと注いでいった。浸透力はすごいのだが、味がタンパクすぎて、私は自動販売機で売っているしゅわしゅわいっぱいの奴のが好みだ。

 こうして、本来の目的から思考をずらす行為も自分を嘘で欺くことなのだろうか。


(猛彦はこんなことを聞いたとしても、真剣に悩んで答えるのだろうな)


 私は独り言を口に出さず、玄関で靴を履いている猛彦を見た。猛彦は私を出会ってから、よく外出するようになったと母が言っていた。でも、相変わらずこの家では自分の部屋以外に居場所がないようにも見えてしまう。

 私が来た事で、猛彦は息抜き程度の外出をして、上手く気分転換をしてくれているだろうか。

 こんな、私の嘘に付き合って……。


「あの、猛彦……」


 話しかけた時、唐突に玄関のドアが開いた。


「おっす、お前ら元気にしてたか!」

「祭! びっくりするだろう、呼び鈴も鳴らさずにいきなり入ってきたら」

「ふふふ、ボクくらいになると、お前らなんている事が気配でわかっちまうんだよ」


 祭はコロロの一件から、よくここを訪れるようになった。きっと猛彦のことを気に入ったのだろう。猛彦が多くに愛されることは私にしても嬉しいことなので、いいのだ。

 自分に似た猛彦が、愛されることは、自分が愛される事にも似ているから。


「今日はこれからどこに行くんだ? デートだったら邪魔はしないけどな」

「ふむ。今日は猛彦の学校周辺へ出かける。祭も一緒に来るといい」


 私がそう言うと、祭はぱっと表情を弾けさせて、猛彦の腕に巻きついた。第一印象ではこんなことをする娘ではなかったのだが、人とはつくづく変わるものだ。

 まんざらでもなさそうな猛彦を見ていると、少し複雑な気分にはなるが……。

 こういう感情を嫉妬だとか呼ぶならば、私は随分、正常な感情を取り戻しているということだろう。

 私は猛彦と出逢ったことで、色々なことを考えるようになった。いや、また考えるようになったのだ。忘れていたり、わざとしなかったことをするようになった。

 色々なものを取り戻しているのだ。


「祭、祭は嘘をつくか?」

「は? そんなの当たり前だろう」


 祭は私の声に猛彦の腕を放して言う。特に悪びれている様子はない。子どもといえば怒るかもしれないが、私からみれば、そう呼ぶ年齢に相応しい祭には、嘘をつくことへの罪悪感が薄いのだろうか。実際、私が祭と同じくらいの時には、立派に自分に嘘をつく方法を知っていた。


「嘘をつかずに生きてる人間なんているわけねぇだろ。そりゃ取り返しのつかない嘘なんてのはダメだろうが、小さな嘘なんて生きてれば必ず必要になるんだよ。ボクだってそんなもんだ。まぁボクは美少女なので、大概の嘘は許されるがな」


 あははと祭は笑うと、また猛彦にくっついた。こんなに暑いのに、そんなにくっつきたいのか。確かに猛彦の手は温かいが……。

 しかし、結局は祭がくれた答えも猛彦に負けず劣らず、私が求めたものとは少し違っていた。唯一拾えたのは、生きていることと嘘をつくことは組み合わせられたものだということだろうか。呼吸するように嘘をつくのは詐欺師だけだろうが、人は何かを騙しながら嘘をついて生きているのかもしれない。

 それは、私だって猛彦に嘘をつきながら生きていることで、すぐに納得できた。


「なーー、お前の学校はまだなのか?」

「ん、もうすぐだよ。学校へは徒歩通学だから、電車通学とかに憧れるよ」

「心配するな。例え電車通学でも猛彦が望んでいるような、出来事は起こらない。間違っても電車である日突然、ラブレターがもらえるなんて思わないことだ。佐久那もいるし、こんな美少女のボクと腕を組んでいてまだ満足しないのか」


 祭はニシシと笑いながら、猛彦をからかう。全くどちらの年齢が上なのか。猛彦もいいなりのままだ。しかし、それが猛彦でもある。きっと私が同じ事をしても、猛彦は同じ反応をするだろう。


「少し照れながらも、笑って許してくれる……か」


 私の嘘にも、そうしてくれると確信がある。

 だけど、確信がある事と、核心を告げることとは、少し違う。


(私は罪悪感に苛まれているだけなのか)


 心の呟きは漏らさないように、今はふたつの影を追う。朝も十時をまわり、正午が近づけば、日差しも容赦がなくなってくる。ふたつの真上近くから照らされる小さな影は、今の私では踏めない。ただそれだけなのに、すごく孤独な気がした。

 あんな夢を見たせいで、今日という一日は最悪のはじまりで、その最悪が尾を引いている気までしてくる。

 そんなことだから、私は嫌な気配を感じた。少し離れた二人の影を追おうと踏み出した瞬間、二人のものとは明らかに違う影に気付いた。


(!)


 だが、それは一瞬で消えてしまった。鳥などが頭上を通り過ぎれば、こういうことはよくあるし、気配だって私が仲間外れを痛感しているために起きた誤認である可能性が高い。今はそれが往々にして起きる状態なのだ。


「猛彦、待て!」


 私が声を上げてしまったので、猛彦は慌てて振り返った。きっと私がすごく不機嫌そうな顔をしていたので、さっきの質問の続きが気になると解釈したのだろう。


「嘘の話は難しいからすぐには答えられないよ?」

「いや、そうじゃない……だが、その、いや、いい……」


 私が引き下がったので、猛彦はすぐにまた腕に祭をぶら下げたまま歩き出してしまう。


「あ……」


 猛彦相手に口ごもるなど、今まではなかったことだ。それを今日はあんな夢を見たせいで、全ての調律が狂ってしまったようだ。すごくぎこちない。いつもは澄んでいてとても優しい味のする空気まで、喉元にひっかかってなかなか抜けていかない気がしてくる。

 そんな息苦しさを猛彦たちに気付かせまいとしているが、口を開き言葉を紡ごうとすると、私の思考に雑音が混じったようになって、上手く話すことが出来なくなる。


(仕方ない。あの夢が霧散するまで、口を慎むことにしよう)


 幸い、私は普段も特別おしゃべりなわけではないので、構わないだろう。今朝も猛彦は質問攻めだなと、私の口数が多いことを不思議がったくらいだからな。


「そういえば、猛彦と佐久那はどうして毎日ブラブラしてるんだ?」

「あぁ、その……探し物だよ」


 猛彦と祭の会話が不意に閉じかけた聴覚を刺激する。猛彦はまだ探しているものが、カタチあるものだと思っている。実際そのレコーダは私がつけている腕時計型端末に情報連結されていて、呼び出せばいつでも眼前に現れる。残念ながら、ある程度はサンプリングにも時間がかかり、重要な物だとしても携帯できるほどに小さくもない。父がどんな意志を元に設計したか、はかりきれない。


「そうか……佐久那、ボクも一緒に探してやるから、気を落とすなよ」


 祭は悪意ない善意で私を締め付ける。こうして私の嘘はまた罪を増やして、人を巻き込んでいく。

 現地人と関わらないという方針を話した時、どうして父は私を冷笑したのだ。


「こんなにも、私の嘘が人の心を欺いているというのに……」


 呟いた声は幸いにもセミたちの声にかき消された。でも、私は本当に幸いなどと思っているのだろうか。ほんの些細なことからでも、猛彦たちに真実が漏れて、身軽になりたいとは思っていないか? 自分の嘘の罪から逃れたいと思ってないか?


(そうかもしれない、そうかもしれないが、なぜだ)


 私はそれほど綺麗な人間ではない。

 よしのは、猛彦が私を愛しているというが、本当に私は人に愛されるべき人間なのかがわからない。猛彦は愛されるべきだと話を聞いて思った。ならば、私もそうなのか……父や母、妹までもその真意を探る事無く恨んで、妬んできた私も。


「私も、猛彦になら救ってもらえると思ったから、あの時接触しようと思ったのか?」


 口に出してから後悔して、あの時猛彦が取ってくれた手のひらを見る。

 気温のせいで、薄く汗ばんだ掌が日光に輝いている。

 特に私の手が尊いという理由にはならないが、この手はあの時猛彦がとってくれたから、今輝いて見えるのだと思えた。

 だから、私は二度目に自分から猛彦の手をとったのだ。取りたくなったのだ。

 差し出される手の喜びを知ってしまったから……私はそれだけ弱くなったのだろう。

 じゃれ合う二人の声をセミたちの声に紛れ込ませて、自分の手をにぎにぎしていたら、学校の校門の前だった。

 しかし、今まで何度となくこの周辺をウロウロとしているのに、猛彦の学校へ来たのは初めてだった。何故だろうなどと考える必要もない。今までの私なら、猛彦が学校の敷地半径五〇〇メートル圏内であろうとも、立ち入りたくないだろうと、察せていたからだ。


「また、あの夢のせいか……」


 何でもかんでも夢に責任を押し付けてしまうのは忍びないが、それしか理由が見当たらない。それだけに私をかき乱したのが、遥か銀河の彼方に置いてきた過去だとすれば、私こそちっとも前など向けず、過去にこだわり続けているのだろう。


(猛彦に救われたのは、やはり私か……同じ心をした者同士が、寄り添ったということなのか……似ているから、お互いが足りない部分を知っていて、だから補えただけなのか)


 私は珍しく眉間にしわを寄せて歩いていた。

 不機嫌と見えれば見えたかもしれない。


「佐久那、そんなに妬くなよ。たかが腕組んで歩いてるくらいだろう」

「いや、そうじゃないぞ……ふむ、ただ考え事をしていただけだ。気にする必要はない」


 私は真実を述べたまでなのに、祭はむぅっと唸るようにしながらも、猛彦からは離れなかった。別にそれが悔しいわけではないが、より疎外感を感じることは避けられなかった。もとよりこの土地では異物なのだから、仕方ない。


(仕方ない仕方ないと言い聞かせて、私は自分も嘘で固めていくのか)


 それは何度もしてきたことだろうと、自分の思考に釘を刺して誰かの救済を諦めた。

 私はそれを望むには、すでに多くの罪を犯しすぎたのだろう。


(それでも、猛彦の力になれているというなら、まだいいほうだな)


 相変わらず祭とくっついて歩いている猛彦の背中を少しだけ妬んでみた。


「ほぉ、ここが高校か。小学校とは比べものにならねぇな。何でもかんでもデカく感じるぜ」

「そりゃ、通ってる人の平均的大きさがちょっと違うからなぁ」

「言うじゃないかよ。最近の小学生は発育いいんだぞ。五年、六年になりゃ、胸だって佐久那よりデカイやつだっているんだからな。せっかくだから、中に入ってそのデカさを味わうか。案内してくれよ、猛彦」

「あ、ああ……」


 言う祭が猛彦の腕に一層巻きつく。それを猛彦は真に受けて、目をそらす。どうやら、学校に寄り付きたくない事さえも、言えぬまま、校内へ行くみたいだ。まぁ猛彦らしい反応ではあるだろう。ここで少々卑猥で祭の身体的特徴を揶揄する言葉でも用いて、校内へ何としても行かないようにとしないのは、猛彦が純粋である証拠だ。

 祭自身、そういうことがわかっているから、猛彦をからかっているのだろう。猛彦が祭に対して、特殊な感情を抱いていなければ、微笑ましいと言ってしまえる光景ではある。

 だが、私もずっと二人の後ろばかりを歩いているのも、どこか負け犬みたいなので、いい加減並ぶことにした。

 校門をくぐり、三人並んで歩きはじめた時、校舎の出口に人影を見つけた。


「猛彦、大丈夫なのか?」

「あ……うん。今は……あの頃とは違うから……平気だよ」

「なんだよ、会いたくないヤツでもいるのか? そんなのは、誰でもいるけどなぁ……って、なんだ向こうからおっぱいが歩いてくるぞ!」


 祭は急に慌てながら、ゆっくりと歩いてくる人を指差して言う。初対面の人物に投げかける言葉として、そぐわないというのは私にでもわかるぞ。


「祭、それはあまりにも失礼というものだぞ。人を身体的特徴で揶揄するのは、恥ずべき行為だと教えられなかったのか?」

「いや、そうだけど。だったら、佐久那はアレをどう表現するんだよ。誰だって一番に眼がいくぞ!」


 祭は興奮気味に手を振り回して、私と猛彦に同意を求めてくる。私は女だし、特にそういう情報に気を惑わせることはないが、猛彦はそうでもないだろう。

 そう思い、猛彦をみたが、別段気の乱れもなかった。


「あれ?」


 私が猛彦に気を取られている間に、件の人影が私たちの前でとまった。


「なんだ、大岡さんじゃないか。祭が失礼なこと言うから、誰かと思っちゃったじゃないか」

「なるほど……」


 頷く私と猛彦に、その腕に絡まって、敵意のようなものを出しながら、よしのを見ている祭。間違いなく一番困惑しているのは、よしのだろう。


「え……と、三人で何してるの?」


 よしのは突然事に言葉を随分選んでいるように見える。だが、よしのにとって困惑する元になっているのは、私と猛彦が一緒にいることでも、正体不明の一見では男子か女子かもわからない祭のことではない。

 ここ……学校に猛彦がいるということだろう。

 私は求めなかったし、よしのはどんな事をしていたかは知らない。けれど、学校に猛彦を踏み込ませたのは、祭のたわいないおねだりだった。

 もしかしたら、私でもよしのでも、あんな風に腕にぶら下がって、頼んでいれば猛彦は答えてくれたかもしれない。

 だが、それは祭だからできることだ。無邪気に真実を知らないから求めて許されるのだ。私やよしのがそれをすれば、それは罪になる。

 猛彦の性格を上手く利用した、卑劣なやり方だ。それを必要とした時に、私はいなかったし、よしのにはその勇気や覚悟がなかったのだろう。今日、学校に行ってみようといったのは私かもしれないが、結果としてお遊びだとしても校内にまで入れたのは祭の功績だ。


「うぅ、何もしてないぞ、このおっぱい女! それでもこれに名前をつけるなら、ダブルデートってやつだ、悔しいか!」

「う、そ、そうなの……佐久那?」


 小学生相手にひるんでどうするんだ。


「よしの、そんなに祭が言うことを気にする必要ないぞ」

「む! よしのだと……じゃあ、お前か佐久那のライバルってのは!」

「な、何でそ、そ、そんなこと!」


 よしのはそんな事を猛彦の前で言うなと顔で語っている。が、相手が私ならそれでもいいのだが、祭には効き目がないだろう。

 案の定、祭いわくおっぱい女の正体が、私が話したよしのだとわかって、警戒を強めている。

 祭は別に私の味方という立ち位置ではないから、遠慮がない。祭が猛彦を気に入っていることは、私ごときの目から見ても明白だからな。私に遠慮がないように、よしのへの態度は当然という結果だ。


「え、えと、笠屋君……このちっちゃい娘は?」

「うううん……なんだろう、友達かな?」

「そうそう、今は友達だな。猛彦が佐久那に捨てられたらボクがもらう予定だけどな。まぁボクたちだけの秘密ってやつもあるしな、猛彦?」

「え、あ……そうなのかな」


 こういうことに歯切れが悪いのはいつものことだが、さすがに私もちょっとイライラしてしまったぞ。残念だが、いつも読むマンガのように、私が「猛彦は私のものだ! 誰にもやらんぞ!」のようなセリフでも言えればいいのだが、それはできない。

 私は猛彦に手を握られたが、それはこの星では日常的なことであって、特別な意味を成すものではない。例え、二度目に自らが望んで手をとり、それに応じてもらったとしても、私は主張できるような人間ではない。

 それにはよしのが応えてくれるだろう。


「か、笠屋君はこんな感じの娘も好きなの? そ、そりゃ姪っ子さんと歳も近いだろうけど、え、ぇ、ぇぇ……でも、そんな……そんなことあるはずが……」

「おいおい、心の声が盛大に漏れ出てるぞ……大丈夫か?」

「ちょ、な! だ、大丈夫よ! わた、私だって十分、笠屋君の対象なはずだもん」

「ははは。猛彦はお前のおっぱいなんかに揺らぐことはないぞ。佐久那しかり、ボクしかり、こいつはなだらかな方が好みなんだ。よしのなんか見てるはずが…………って、めっちゃ見てるじゃないか!」

「か、笠屋君、そんなにマジマジみちゃダメだよ……」

「おかしいな。猛彦の好みは確実にないほうのはずなのに……だって、隠してあった本にはそんなタイプの女ばっかりが……」

「うわっ! な、な、何言ってるんだ、祭! というか、いつの間に! そんなの見ちゃだめだろ!」


 猛彦は激しく動揺しているが、私だってあんな単純な隠し場所は一瞬で察しがつくぞ。一般的男子が使用している学習机の一番大きな引き出しにはそういうものが詰まっていると、マンガにも明記してあったぞ。猛彦も本当に見られたくないなら、祭の身長では容易に届かない場所でも隠しておけばいいのだ。


「別にいいだろう。女が女の裸見て何が悪いんだ。ボクはそんなぼいんぼいんなんて気にしないぞ! というか、これくらいで勝ったと思うなよ!」

「そ、そんな、勝ったとか……二人とも喧嘩はやめてよ」

「まぁ、やらしておけ」


 私は少し呆れながらも、初めて会ったというのに、猛彦という共通点が存在しているだけで、これほどまでに打ち解けやすいものなのかと感心した。私にも猛彦という共通点が存在する。だからよしのは私を友達だといい、好敵手とした。祭だって、猛彦と一緒にいたから知り合う事ができた。

 私は、猛彦と関わってから、この星のことを本当に学んでいるのかもしれない。


(孤独に過ごしただけの時間は無駄だったのか?)


 息のあった会話を続ける祭とよしのをみながら、そんな思考を口の中で噛み続けていた。

 言葉と一緒に自分の唇まで噛もうとしていた。


「あ……」


 一陣の風が私の長く残している髪を揺らしたのだ。それは思わず声を上げてしまうほどにさわやかなものだった。地面の照り返しによって、この頃合に煮込まれた空気に包まれた体全部を、綺麗に洗い流してくれるほどの風だった。

 しかし、三人は相変わらず会話を続けている。あの風に気を取られなかったのだ。


(これなら、ひとりで過ごした日々も……)


 人と境界線を引いて、全ての関わりを遮断して、ただただ自分の星と違うこの星の原色を味わった。猛彦が住む国に来て、薄れ行くと言われている四季というものも味わった。


「空虚ではあっても、無駄ではなかったと感じられる。でも、やはりそれは猛彦のおかげなのか」


 私は改めてじゃれあう三人を見る。

そして思う。

いつか私も、あの中へ混じれればいいなと。


「おい、佐久那。そんなとこでぼーっとしてないで、本妻の意地でも見せてみろよ」

「な、ほ、本妻ってなによ。笠屋君は結婚なんてしてないでしょ! 私はそんなこと関係ないけど」

「ほほぉ。なかなか言うじゃないか。さすが堂々とライバル宣言するだけあるな。気に入ったぜ。よしのは祭隊の隊員三号にしてやろう。嬉しいだろう」

「気に入ってくれるのはいいけど、その祭隊っていうのは何をするのよ」

「そうだな、猛彦とぶらぶらすることが今は主たる任務だな」

「それは入隊しがいのある所だわ」

「そうだな……入隊記念に猛彦からしゅわしゅわのプレゼントがあるらしいぞ」


 私はやっと口を開いて、二人の間に声を差し込んだ。水を差しているようにも思えるのに、意外と二人は笑って迎えてくれた。

 そうか、これでいいのか……これでよかったのか……何かをする前に恐れずに。事が過ぎ去った後に悩むことが後悔であって、それが人の人たる由縁であるならば、今は何も考える必要がないのか。

 私は猛彦やよしのや祭と笑いあっていればいいのか。


「ふふ……お前たちは面白いな」

「お、佐久那が笑ったぞ。ふ、ふん。ちょっとかわいいからって、ボクには及ばないんだからムリすんなよ」

「ま、祭ちゃん……それは」


 意外に、その時は早く訪れたみたいだ。何も考える必要はない。今はプロテクトコードのことも忘れて、笑っていればいい。笑うことをやっと思い出した私に、それ以上のことはないはずだ。

 そしてまた風が吹いた。

 私たちの談笑を包んで、さっと消えていった。

 でも、その風は全てを壊した。夏という季節の暑さでもなく、私の感覚を壊していった。

 遠くなって行く風鳴きの音が、私を大きく嘲笑っていった。


 お前にはそんな日常を謳歌する資格はないと。


 私ははっきりと見たんだ。風に乱された細い髪が切り裂く世界の端に、私を見ている男の姿を。

 着ているのは、この高校の男子学生が着用する制服だ。

 肌は猛彦よりも病的に白い。手足も長く、身長も高い。真夏の只中にいて、存在する周辺を涼やかにするような雰囲気を持っている。

 しかし、そのどれよりもたったひとつが、私の心と思考をかき乱す。


「緑色の髪……だと?」


 背筋に冷ややかなものが走った。この辺境の星にあって、それを想像するのは容易ではない。もしくはこの星の単なる毛染め剤の効用かもしれない。

 また風が吹いた。そして奴の不ぞろいに伸びた緑色の髪が、宙にそよぐ。その一本一本が強い日差しにきらめいて、生まれついてでしか発しない色を灯した。


「ふ…………」


 そして薄く笑いを残して、体をひるがえして私の視界から消えた。これが白昼夢ならどんなによかったか。だが、私の目に映ったひとつひとつが全て真実で、思考に棘を刺し続ける。

 目の前にいる猛彦たちと、完全に隔離された現実が私だけにふってくる。


「あれが、レコーダを狙っている、姉妹星の原種か……」

「ん? 何か言った、佐久那……」

「い、いや、何でもない。それよりせっかく来たんだ。夏休みなら人も少ないだろう。校内でも見て回ったらどうだ」


 苦し紛れに出たのがこんな事なのだから、私は大した人間だ。


「そ、そうだよ。今日は補習も、もう終ったから誰もいないよ。笠屋君、リハビリしよ」

「なんだかよくわからんが、中が見られるなら、見たいぞ。よしの隊員、案内せよ」

「はは、みんなも言うし、行ってみるか。祭は期待しすぎると、つまんないぞ?」


 猛彦がいいと言ったので、私たちは校内に入ることになった。祭はやけに楽しそうだが、学校という場所は、きっとどこも同じ雰囲気だろう。私は楽しめるだろうか。猛彦が持つ記憶さえ薄いこの場所を。


「佐久那、ぼーっとしてたら、置いてくぞ」

「あ、ああ……悪い、今行く」


 祭のはしゃぐ声に呼ばれた私は、張り付いたままだった足をはがした。

 そして、もう一度だけ男がいた場所を振り返った。


「……来てしまったのだな……やはり」



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