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第三章「お天気雨」……五条祭  3


 猛彦の言うとおり、二人を追って五分で山の中に入りだして、さらに五分で目的地に着いた。

 いや、目的地というよりは「目的地跡地」っていうちょっと変な言葉がぴったりだろう。


「うむ、見事に潰れてるな」


 ボクが来た時は綺麗だった白いゲートのペンキがみすぼらしく剥げてて、入り口は有刺鉄線のイガイガがここから先には入るなと睨みつけている。

 入ってすぐ、中央にある噴水の後がここからも見えた。開園したばかりで人がたくさんいて、あの縁に座ってお父さんが買ってくる白桃ソフトクリームを、お母さんとコロロと一緒に待っていたのを思い出した。

 でも、それを大人は感傷だとかいうのだろう。想い出は想い出なんだから、いちいち難しい名前をつけなくてもいいのに。


「大人ってのはメンドクサイな……」


 言い残して去ろうとするボクを猛彦が呼び止める。


「もういいの?」

「うん。これ以上ここにいたって無駄だろう。コロロをこんな寂れただけの場所になんて置いていけるか」

「そっか、それじゃ……この近くじゃダメなの?」

「この近く……あそこか、猛彦」


 ボクを置いてふたりは納得して話を進める。ここは猛彦の地元みたいなものだから、とっておきというか、秘密めいた場所を知っていても不思議ではない。どうせハズレの目的地しかまわれなかったんだ、ついでにもうひとつ付き合ってやったっていいだろう。


「見てみるくらいはしてやるぞ」


 ボクの言い方に顔色を変えず、猛彦と佐久那は歩き始めてしまう。それが子どもの強がりをたしなめてるみたいに思えてしまって少しイラついた。

 自分たちはふたり寄り添って歩いているのに、今行き場所を失ったボクをひとりで歩かせているというのはどういうことなんだよ。結局、お前たちはボクに自分たちの仲のよさを見せつけたかっただけなのか? 大切な存在を失ったボクを笑いたかったのか?

ボクはボク自身、自分がむしゃくしゃしている感情のうちに吐き出しているものが、全て間違っているとわかっている。それでも、これからどうしようっていう不安はボクに汚い感情を植えつけるんだ。

 佐久那はナゾな部分が多い。それでも猛彦の彼女なんだから、マトモなやつなんだろう。的確に猛彦の言動を捉えて、行動しているし考えていると思う。

 それに猛彦はさっき自分で考察しなおして、高ポイントを与えたばかりだ。疑う方が間違っている。だって、それは自分の考えて出した答えを否定しているってことだから。

 それでも、コロコロ感情を変えてしまうのは子どもの子どもたる由縁なんだ。

 ボクはボクの十一年の命と経験が、こんなに「足りないモノ」だと思ったことはない。そして、それはわかっていてもどうすることもできない。だって、どうしたらいいかというのもわからないんだ。だから、むくれたままでも猛彦と佐久那についていくしかない。

 こんなボクの気を紛らわせてくれるところに連れて行かなかったら、猛彦を後ろから蹴ってやる。

 それもまたボクに許された特権みたいなものだろう。例え蹴ったとしても、猛彦はきっと許すだろうからな。


「こいつは、きっと色んなところで損して、上手いこと生きていないやつなんだ」


 後姿に呟くボクは、そういうのを優しいっていうと今知ったのかもしれない。そして、正面きってそれに甘えるということも。

 歳をとると、人に甘えることが下手になるって担任は言っていた。だから、自分に甘えればいいと。でも、担任は少なくともボクが甘えられる存在じゃなかった。お父さんも、お母さんもクラス委員なんてやってるボクを過信して、子どもでいさせてくれなかった。それを大人だと見て、信じてくれているとか思うのは、実は身勝手なことだと思う。少なくともボクはお父さんにもお母さんにも甘えていたかった。

 だけど、コロロを連れて猛彦と佐久那の後について歩くボクは誰が見ても子どもなのだ。

 そして、自分でもそれをわかっていて、不器用な感情をぶつけても許される相手だと思っている。


「それが甘えてるってことか……」


 ボクが言ったことが聞こえたのか、猛彦が不意に振り返った。


「ついたよ……」

「ぇ?」


 考え事をしていて、猛彦と佐久那の後をついて行っただけだったので、目的地に到着していたことに気付かなかった。


「どうだ、ここは綺麗だろう?」


 佐久那は誇らしげに両手を広げると、傾きかけた陽を仰いだ。

 ボクもつられて空を見る。下を向いていただけだったボクの背骨や首がボキボキと豪快に音を立てる。

 そのノビが気持ちいいのは当然だけど、それ以上に見上げた空がデカかった。

 さっきより山の中に入ったからかな。周りの光が一段落ちて、空の色がよくわかる。普段は空なんて見上げることは少ない。ボクは背が低いので、人の顔とかを見上げるのに精一杯で、その上に広がる空まで気が回らないのだ。

 だけど、今は何もない。あるとすればそこには夕方があるだけだ。

 綺麗な青と淡い紫。そしてそのふたつを上手く混ぜた色。ボクが言えるのは三色きりだけど、とてもそれだけで表現できてはいない。


「ここはどう?」

「ああ、うん……いいところだな」


 ボクは空を見上げたままで、猛彦の声に答える。この場所はそれほど通りの激しい道路から離れているわけでもないし、住宅街からもそう遠くない。でもここにあるのは、蝉の合唱とひぐらしの輪唱。


「もう、ひぐらしの時間になってたんだな……」


 それは夕暮れの合図でもあるし、ボクのタイムリミットでもある。空がグラデーションしているその一番底で一番高い場所を見上げる。


「ここはどういうところなんだ?」

「うん……特に意味はないけど、僕のお気に入りかな」

「私と初めて出逢った場所だといえばいいものを……」


 佐久那は誇らしげに言うけれど、視線を戻した先にいた猛彦はそれだけじゃないとボクにさえわかる顔をしていた。

 本当にこいつはわかりやすい。

 でも、何があるっていうんだ。


「ここは、僕が姪っ子……夕希ちゃんとよく来てた場所なんだ」

「……そうか、家からも近いものな」


 ボクの頭にはきっとハテナマークが飛び出しているだろう。でも、ふたりは理解しあっていた。それは蚊帳の外でのけ者感情丸出しにさせられるものだ。けれどそれ以上に、ボクはなぜなのかが気になってしまった。

 それはきっと、猛彦に興味が出たってことなのだ。だからまたボクは考える。猛彦が言った言葉の意味を考える。ひとつひとつを噛み砕いて、ちゃんと解析してから、質問として口から出す。


「どうして過去形なんだ?」


 言ってから、それが核心なんだと気付いた。こういう当りくじはよく引くくせに、雑誌の懸賞なんてひとつも当った事がないのはどんな呪いだ。


「そうだな……過去だから過去形なんだろうな」


 とても歯切れの悪い回答だ。テストの解答で書いたら、△印間違いないだろう。でも、理由はなんとなくわかる。佐久那の顔が僅かに歪んでいたからだ。こいつは、整った顔をしている分、猛彦よりも少しの変化がとてもわかりやすい。絵に描いた食パンに緑の絵の具をのっけて、腐っていますってくらいにわかりやすい。

 まったく損な当りくじばっかりだ。

 今度のクジの内容はなんだよ……そう口から出す前に、猛彦が口を開いた。


「もう、いない人だから、過去なんじゃないかな。今に続いていないから、過去。未来に続いていかないから、過去」


 もういない人……それはどういう意味だろう。遠く引っ越して滅多に会えないからいない人。すでにそういう歳ではなく、想い出だからいない人。ちっちゃなボクの明晰な頭脳はきゅんきゅんとまわる。

 まわってまわって、まわって……ご主人を助けようと賢明に遠い遠い答えをわざと選び出していく。本当にこんな時だけ従順なもんだな。

 その選択はボクを苦しめるだけだぞ……ここはきっと勇気を持って一番単純で、一番最初に浮かんだ答えを導くべきなんだ。

 何かから逃げずに闘うことを試練なんていうのなら、これはまさにそれだ。ただ、この闘いに向かいあって、試練に打ち勝つ事でボクが何を得るかはわからない。

 だけど、ボクは向かおうと思う。他のやつらに、そうそうあるかは知らないけれど、これは目に見えて、肌に感じられる大人の階段だ。


「それは…………」


 いざとなると、声が震えるもんだ。彼女のいる前で恋の告白をさせられてるみたいだぞ。

 普通なら口を挟むだろうが、猛彦も佐久那もボクが言い終わるのを待っているみたいだ。

 だから出かけた言葉はちゃんと伝えないといけないんだ。


「……その……それは……死んだ……ってことか?」


 言い切ったボクはゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込む。自分の唾がこんなにも喉を潤すものだとは知らなかったぞ。

 悠長なことを考えて気を紛らわすのは上手い方法だけど、目の前にいられるとそうそういいものでもない。だって逃げられないのだから。どうやらこいつはその場で当りかどうかがわかってしまうスピードくじみたいだしな。

 だからボクは恐る恐る、猛彦に視線を合わせる。往生際悪く、隣に立っている佐久那を見ようとしたけれど、ムリだった。

 ほのかな暗闇の底にボクと同じくいる猛彦の顔。背景のグラデーションした空が明るくて、体の縁だけがやけに明るかった。

 猛彦は泣いている……ように見えた。

 でもそれはボクの錯覚だった。

 猛彦は泣いてなんかいなかった。目から涙なんてこぼれていない。それがキラキラと夕陽を反射して光ってなんかいない。だから佐久那がそっとハンカチを差し出したりもしない。でも、目に見えるもの全てが本物じゃないとボクは初めて知った。

 ボクは初めて、涙も流さずに泣くということを知った。

 コロロのことではみっともないくらいに泣いたくせに、猛彦は泣いていなかった。

でも、そこに涙がなくても、猛彦は今はっきりと泣いていた。


「……悪かったな……」


 ボクはなぜか謝って、視線を外した。これ以上猛彦を見てたら、ボクが何かをガマンできなくなってしまう気がしたからだ。


「いいんだよ……それよりも、ここはどうかな?」

「ここにしろ、祭。ここならば私たちもちょくちょく様子を見に来てやれるぞ。それに迷惑にもならないだろう」


 ああ、そうしよう。ボクは瞬時にそう思った。ここなら、コロロも安心して眠れるだろう。猛彦の記憶とか想い出がいっぱいつまったこの場所なら、ボクとコロロの記憶や想い出も、大切なものとしてずっと土に残ると思う。


「うん、ここにするよ……じゃあ、穴を掘らないとな……」


 言ってからボクはスコップを忘れていたことに気付いた。もしかしたら、スコップを忘れていたのはわざとだったのかもしれない。結局、コロロとお別れしようとしていたのに、自分の奥のほうの部分が、拒否していたのかもしれない。

 今までがそうだったとしても、今この場所を知ったボクはそう思わない。


「あはは……どうやらスコップを忘れてたみたいだ」

「そっか、なら僕が家に行って取って来るよ」

「猛彦ダッシュだぞ」


 佐久那は言い残して行ってしまう猛彦に手をぶんぶか振って見送った。

 狙わず佐久那と二人きりになったボクは、急に力が抜けて、お尻が汚れる事も気にせずに、地べたにへたり込んだ。

 佐久那とは特に話すことはないし、会話が上手いこと続く自信もなかった。でも、口からするりと言葉が出ていった。


「佐久那はいい彼氏をゲットしたな」

「ん? そうか。そう見えるならば、そうなのだろうな」


 佐久那は自然に詰まる事無く言ってのける。聞いていると恥かしくはあるけれど、ボクだって女の子なわけだから、そっち方面は興味がないわけじゃない。


「いつからなんだ? こ、今後の参考に聞いといてやるよ」

「そうだな、そう長い期間でもない。私もここで猛彦と出逢ったのだ。あいつは夜、一人で星を見ていた」


 佐久那はグラデーションの空を見上げながら、想い出をなぞる。


「その時からヘンなやつだったわけだな。人の悲しいことを自分のことみたいに思う、みたいな」

「確かにそうかもしれないな。残念だが、私には今、祭の中にある全ての悲しみをわかってやれない。私にとってコロロは犬だし、それ以上でもそれ以下でもない」

「いや、普通はそうだろう。ボクだって、そうだ。他人のペットは他人のペットくらいの感情がせいぜいだ」


 じゃあ、なんで猛彦はボクをこうして手伝ってくれたんだろう。ボクの明晰頭脳はきゅんきゅんを一時停止して、顔をしかめさせる。


「猛彦は……そうだな。きっと命の価値っていうのをわかっているのだ」

「どういう意味だ? まさか、全ての命は等しく尊いものですみたいなことじゃないだろうな」


 ボクは一層に顔をしかめて佐久那を見た。だけど、佐久那は視線をグラデーションのはるか上、真空を見上げたまま話す。

 鈴虫よりも軽やかな声で……佐久那は話す。


「違うな……きっと命が誰しもに平等じゃないってことを知ってるんだ」

「は?」


 それはボクにとっては衝撃的なことだぞ。学校で習ったことと、全く違うぞ。


「驚くだろうが、これは何も特別なことじゃない。私たちも今体験しているじゃないか」

「何の……ことだ?」

「そうだな……私に上手くできるかどうかはわからないが、たとえ話でもしてやろう」


 佐久那は真空から視線を下ろし、暗闇に浮かぶボクに焦点をあわせる。猛彦じゃないけれど、こんな綺麗な瞳をマジマジ見てたら、気がおかしくなるぞ。ドキドキで高鳴り始めるボクの心を咳払いひとつで切り捨てて、佐久那は話し始める。


「例えば、どこかテレビでしか知らないような国で大規模な交通事故でも起こったとしよう。そこで不幸にも死んでしまった人がいた。だが、もちろんそれは自分にとっては全く知らない人だ……どう思う?」

「どうって聞かれても、知らない人だしな……それこそ不幸な事故だったな、くらいにしか思えないぞ」


 ボクは唇を尖らして、両手を腰に置いた。


「そうだろうな……じゃあ、その事故にあったのが自分のすぐ傍で暮らしていて、たくさんの記憶を共有していた人間だったらどう感じる」

「いや、それは聞くまでもなく悲しいだろし、いっぱいいっぱい泣くだろう」

「つまり、そういう事だ」


 佐久那はボクに一歩二歩近づいて、片膝をつく。いや、パンツが見えてるけど気にしないのか。などとボクがツッコむ前に、佐久那はコロロのケースに手を置いて言う。


「こいつ……コロロは祭にとって大切な存在でも、私にとっては犬っていうことだ。もちろん、価値としての命にどれも差はない。等しく尊くて当たり前だ。しかし、人には関わりあった時間から産まれる記憶や愛着なんていう親密な想い出がある。それが、人にとっては命の差みたいになってしまう。猛彦は、それを理解し、受け入れているのだろう。それは人と人の命に確たる差を感じているという正しくないこととされるものかもしれない。けれど、それは真実でもあるんだ。猛彦はそれを隠していないのだ。悲しいくらいに理解しているのだ……」

「なるほど、さっき言ってた平等じゃないって意味はそれだったのか……それなら、そうかもしれないな」


 ボクはコロロのケースをなでる佐久那を見て呟く。だけど、佐久那の表情はそんな「差」を語っているにはしっくりこない。こいつの顔はとても綺麗で、とても安らかで、しかもクラクラするくらい、いい匂いがしやがる。なんだっけ、山百合みたいな匂いだ。


「コロロがお前にとってただの犬だって言うなら、どうしてそんな優しそうな顔してるんだよ」

「優しそう? 私がか……」


 佐久那は初めて少し驚いたような顔をして、ボクを見た。そしてその後、よく見ていないとわからないくらい、薄く笑った。

 もしかしたら、それもはじめて見た佐久那の笑顔だったのかもしれない。


「佐久那ってそんな風に笑うんだな。これなら猛彦も一撃だな」


 我ながらマヌケな反応だな。まさか女の子同士なのに、どきっとしたなんて言えないだろう。この場合は仕方ない。


「そうか……私は笑えているんだな。もしそうなら、猛彦のおかげかもしれないな。さっき祭に語った差も、そして、例え自分とは確たる差を感じる命だとしても、誰かとどこかでつながっていて、それらはヒトツではないということも。猛彦に会ってよしのとも話して、私なりに気付いて考え直して変りはじめて、至ったものだ」


 ボクの知らない人物っぽい名前が出たけど聞いていいのか?


「よしの?」

「ああ、よしのは私の……そうだな、友達だ。猛彦のことが好きらしいぞ。なんだ、こういうのはライバルとでも言うのか?」

「いや、ボクに聞かれても困るが……質問を質問で返すのは反則らしいぞ……」


 案外、猛彦はモテるのか……見た目は普通だが、きっと深く触れれば……なのかも知れないな。ボクも見た目がかっこいいだけの男はごめん被る。

 だから佐久那は猛彦を選んだのかもしれないな。抜けているように見えるけど、ちゃっかりしてるじゃないか。


「猛彦は不思議なやつなんだ。私は長い長い間……この星の時間でいえば、人ひとりの人生よりも遥か長い時間を孤独に過ごしてきた。そしてそんなまどろみを越えて、ここにたどり着いた。それでもすぐには孤独から解放されなかった。いや……使命のために自らそうしていたのかもな……だが、猛彦はここにいた。そして私は自ら話しかけてしまった。特に孤独なことに耐えられなかったわけでもないのにな……不思議だった」


 佐久那は大きな目を細めて語る。ボクにはよくわからないけれど、カレシいない歴が長くて、やっとこさ見つけた猛彦が当りだったってことだろうか。詳しくは違うかもしれないけれど、それでいい。この笑顔の前ではぐちぐちと細々と考えることは意味がない。


「猛彦たちのおかげっていうけど、そうやってコロロをなでながら笑ってるのは、佐久那だろう。じゃあ、それは佐久那が自分でしてることなんだ。ただの犬かもしれないけど、そんな顔をしてくれてることはうれしいよ、ありがとう」


 猛彦がいると、言えそうになかった「ありがとう」がするりと出てきた。時々素直なのはボクのいいところだ。


「祭はヘンな事を言うんだな。だが、そうだといいな。私はとっくに笑うなんてことを忘れた人間だからな。それを思い出すことができたのなら、それは喜ばしいことだからな」


 佐久那は合唱でもしているみたいに晴れやかに言ってのけた。自動販売機のボタンを押すことを喜んだり、こういうことを恥かしがらずに言ってみたり、ボクより年上だなんて思えない。


「でも、そういうところが高ポイントなんだろうな」


 あははとボクが笑い終わったときに、やっとこさ猛彦が帰ってきた。まぁいいタイミングじゃないか。今までのは女の子同士の秘密の会話みたいなもんだしな。


「遅いぞ、猛彦。スコップ一個にどれだけかかってるんだ……暗くなったら祭が家に帰れないだろう」


 佐久那はやっと帰ってきた猛彦をねぎらうこともなく、ボクの心配かよ。それじゃあまりにも猛彦がかわいそうなんだけど、面白いからこのままでいいか。それにこんなことで猛彦は怒ったりしないだろう。


「だって、なかなかスコップ見つからなかったんだよ。こんなところを掘るんだから、おっきなやつじゃないと無理だしさ」


 確かにさっきは持ってきたといったけど、担いできたって言ったほうが正しいな。猛彦が持っているのは工事現場で使われそうな、先が尖がった立派なスコップだった。


「ふむ、なら仕方ないか……早く掘れ猛彦」

「ふぅ、わかってるよ……人使い荒いなぁ」


 猛彦はぼやきながらも、ボクに聞くまでもなく、眺めのよさそうな場所に立つ木の影を掘り始める。


「そこは根っこがいっぱいで掘りにくいんじゃないか? 別のとこでもいいぞ」


 見かねたボクの意見を無視して、猛彦は掘り進める。


「ここが、いいんだ……ここなら日陰になるし、木が目印になるだろ? だから、ここがいいんだ……」


 猛彦は言うと、ボクたちを振り返らないで、黙々と掘り進んでいった。

 佐久那と話して、猛彦が帰って来るのを待っている間に、もうすっかり陽は落ちて、蝉の合唱はボリュウムを下げて、ヒグラシの独唱が強くなってきていた。そんな中、猛彦の土をめくるスコップの音だけが大きく響く。

 コロロはチワワの雑種なので、それほど大きく掘る必要はないけど、深く掘る必要はあるみたいだ。佐久那いわく、そうしないと雨や何かで地面がふやけると、浮き上がってきてしまうらしい。その辺の難しい理科や算数はボクじゃわからないので、素直に従ってやろう。といっても相変わらず一人で、根っこがバリバリに張った地面と格闘しているのは猛彦だけどな。


「猛彦、たかだか五十センチ四方を深さ約一メートル掘るのに、どれだけかかってるんだ?」

「いや、佐久那……それ計算してみろよ。結構な容積じゃないか? それに、深さ一メートルは掘りすぎだって! 普通に人力超えてるレベルだろう!」

「文句はいいんだ。いつもは力強いくせに、こういうときはダメなんだな。いいからさっさと掘れ」

「仕方ないよ。僕は慢性で運動不足なんだから……本来、力仕事は向いてないんだよ」


 猛彦は大きく息を吐いて、スコップを杖に肩で息をしはじめる。正直、猛彦じゃなくても辛いと思うぞ。山の土っていうのは、ボクの足で触るだけではふかふかしていそうだ。だけど言った通り、木や草の根っこがびっしりで、とても掘りにくいんだ。それをつかまえて佐久那は彼女的ねぎらいもなく、責めてばかりだ。実は猛彦がいじめられることが大好きなやつだというなら、これも正しいだろうけど、ボクにはちょっとまだわからない領域だからな、別の理由を探そう。


「もういい、猛彦は休んでいろ。私が代わりに掘ってやる。貸せ」

「わた、と……いきなり取るなって」


 猛彦の杖と化していたスコップを引き抜くと、佐久那は掘りかけの穴に向かう。それを見てボクは少し笑ってしまった。微笑ましいというか何と言うか。

 猛彦はなまっちろいけれど、一応男の腕をしていた。だけど佐久那は、どうみたって細くて綺麗で少し妬いてしまうくらい綺麗な女の腕をしている。数年後にはボクもこうなりたいもんだとまで思うくらいだ。確かに体力は有り余っていそうだけど、だからって簡単に掘れるはずがない。


「んじゃ行くぞ……」


 掛声のように呟くと、佐久那はスコップを片手で軽々と掲げて、土へと一気に差し込んだ。


「は?」


 ボクや猛彦が声をあげる暇さえなく、次に見たスコップの先には、地面をくり貫いたような四角い土が乗っかっていた。何ていうか、教頭先生が大事にしているデカイ盆栽の鉢部分が、まんま乗っかってる感じだ。佐久那がさっき言った五十センチ四方ってわけじゃないけど、一辺が四十五センチはあるぞって、そんなの五十センチと見た目変わらないし、わからないじゃないか。それをどうやったら、あんな風にくり貫いたみたいに出来るんだ! しかも、片手に持ったスコップの上に乗っけていられるんだ! しかも佐久那が!

 驚きが先に走っていって、自分が言ってることがなんだかおかしい事も気にしなくなってるぞ、ボクは!


「はは、そんなことできるなら、最初から僕の代わりにやってくれよ、佐久那」

「バカ……最初から私がしてしまったら、猛彦の立場がないだろう」

「いや、そこは気をつかわないでいてくれた方が嬉しかったんだけど……」


 マテマテ、お前らは間違っているだろう!

 ここは素直に会話を続けていい場面じゃないだろう! まず、何でそんなに怪力なんだとか、一瞬でどうしてそんな風に地面を掘れるんだとか! 四面は高速でスコップを突っ込んだで説明できるけど、底辺はどうやったんだとか! ツッコミ所は満載だろうが!

全く……ボクはため息をつきつつ諦める。

この場所には三人しかいなくて、テレビもびっくりのイリュージョンを目撃した人間のうち二人が何でもないことにしてしまったら、まるでボクが嘘をついて騒いでるみたいじゃないか。恥かしいことこの上ない。授業中の居眠りでよだれ垂らしてるのと同じくらい恥かしいぞ。


「どんなピエロだよ」

「どうした祭、穴は出来上がったぞ。コロロをつれて来い」


 佐久那はスコップの先に乗っかっていた土の塊をズンと横におろして、スコップを地面に突き刺した。そして、いとも簡単にそんなことを言う。それはひとつ呼吸したら、次の呼吸をするのは当然だろうくらいの言葉だ。

 だけど……そうなのだ。穴が掘れてしまったということは、コロロを埋めなければならないと言うことなのだ。そのために、この穴は掘られたんだからな。


「う、うん……」


 ボクは喉がまた鳴った。一日に何度も自分の唾を意識して飲み込む体験なんて、そうあるもんじゃない。


「佐久那、そんなに焦らなくたっていいだろう……祭、ゆっくりでいいんだよ。こんな時間になっちゃったんだし、もう時間を気にしなくてもいいだろう? お父さんやお母さんが心配するっていうなら、一緒に怒られてやるから……」


 佐久那の力強い声が早く、心が鈍る前に決めろといい、猛彦の優しい声と意見が心を緩く鈍らせる。

 ボクはこうするために、今日コロロを連れ出した。それを拒否してはダメだ。それは今日の一日を否定することだし、猛彦たちとの出会いまで否定してしまうことになってしまう。


「……ボ、クは……しなきゃいけない……ちゃんと……」


 搾り出した声は、みっともないくらいに震えていた。ボクは震える手を地面の上でぱたぱたと動かして、コロロが入ったクーラーバッグの肩紐を探す。ボクは迷ってるわけじゃない。ボクは決心したからバッグの肩紐を探しているんだ。


「よし……いく……今、行く」


 ボクはやっと見つけた肩紐を湿った腐葉土と一緒に掴むと、立ち上がった。

 立ち上がったけれど、頭がくらんだ。立ちくらみなんて健康優良児のボクには無縁だと思っていた。けれどボクは初めて味わった。夏の暑さからじゃない。これは、はっきりとコロロとの別れを頭が勝手に想像して、ボクに危険信号を出しているんだ。


「くぅ……いったい、それの何を怖がるっていうんだ……ボクは決めたんだ。ちゃんとお別れすることが、ヤブ医者やお父さんやお母さんが死んだ後のコロロをモノみたいに扱ったことを許さないことだって、思ったんだ……」


 猛彦と佐久那が待つ穴までは、ほんの数歩なのに、一歩一歩がとても重かった。コロロを担ぐ肩紐がぐいぐいと食い込む。今まであまり感じなかった、コロロの重みがボクの顔を歪ませて、おでこに汗の粒を張らせる。夏なんだから汗をかくのは当たり前だなんて言い聞かせようとしたって無駄なことだ。

 この頭の中で何かがちりちり音を立てていることも、抑えきれないほど汗が出てくるのも、夏の暑さのせいじゃない。


「それが、何だって……いうんだよ!」


 ボクはボクの意志を貫かなければならない。それは、ボクがコロロの命を尊く思っているから。ボクがコロロの命を尊いものにしたいから。


「よくきたな、祭……さぁ、もう降ろしてもいいぞ」


 たった数歩の距離を疲れきって歩いたボクを佐久那はねぎらう。猛彦には何も言ってやらなかったのに、えらい待遇の違いだな。

 だけど、コロロのバッグを肩から抜き取ってもらったボクは、穴の前でまたへたり込んでしまった。現代っ子だからってどこにでも座る「すぐに座りたい症候群」じゃないんだぞ。それでもボクは立っていられなかった。

 こういうのを腰が抜けたって言うんだな。

ぼーっとしていると、佐久那はボクが座ったすぐ傍にコロロを置いてくれた。


「コロロ……」


 ボクはコロロを目の前にずるずると引き寄せた。そして、バッグのジッパーをちきちきと開けていく。


「寒い……」


 そこからはドライアイスの残りの煙が弱々しく這い出してくる。冷たい煙に手をかざしながら、コロロのボックスをバッグから取り出した。今はただ考えないように、淡々と行動をしていくボク……きっとそれが正しい……大き目のプラスチックバッグルを外して、今度はボックスの蓋を外した。

 そこからは大きく、まだ勢いの強い冷気が白い煙になって吐き出されてきた。もう、陽が完全に落ちてしまった森の中は、夏なのにかなり涼しい。きっと今でなければ、ボクは素直にこの涼を喜んでいただろう。そんな涼とは別の凍えた世界が、ボクの目の前の小さな箱庭には存在する。そして、その中心にいるコロロ。

 ボクは白い煙として実体化した寒さに指を差し込み、感じながらコロロを持ち上げる。


「つめ……たい……」


 夏でも冬でも氷は冷たい。

 真夏だと意識していても、触る氷は冷たい。

 どんな真夏日だとしても、不意に背中に氷を入れられたら、冷たくて驚く。


 だけど、この冷たさはそんなものとは明らかに違うんだ。夜が迫ってきて、外気が冷えてきた事も、山の中だから元々気温が低い事も関係ない。


 もちろん、今までも死んだコロロは何度も触ってきた。だけど、今までは感じたことがなかった。いや、考えたことがなかったのか。


「死がこんなにも冷たいものだなんて……」


 ボクは自分の体温で、コロロが溶けてしまうかと一瞬考えたけど、そんなことはないとすぐにわかる。この冷たさは、夏がどうだとかで何とかなるものではないんだ。

 例えばボクの生きているという温もりを持った指先で触れても、死はどっかになんていかないんだ。そんな事が起きていれば、ボクはもっともっとコロロに触れていた。

 だけど、事実は変わらなかった。

だけど、全ての事実を受け入れたくなかった。たったひとつだけでもダメって突きつけてやりたかった。全身で子どもなボクでもできる否定をたったひとつ、したかった。


「コロロを〈モノ〉にさせないこと……それだけだったんだ……ボクはそれだけが許せなくて、それだけは守りたかったんだ……それだけが望みだったんだ」


 気がついたら口に出して言っていた。冷たいコロロを抱いたまま、ボクは黙ったまま見ていてくれた猛彦と佐久那にそう言っていた。


「大丈夫だよ……祭はとても偉いよ……ちゃんとコロロの死を認めて、受け入れて今ここにいる。それに、その死も守ろうとしてる……僕ができないことをちゃんとしてる」

「猛彦……」


 猛彦はボクに視線を合わせたままで、言い続けた。実は半分も意味はわからなかったけれど、猛彦がボクを受け入れてくれて、そして何かに悩んでいるとはわかった。


「そうか…………だったら、いいんだよな……ボクはコロロのこと、守れたんだよな……だから」

「ああ、大丈夫だ。祭は立派にやってのけた。コロロは胸を張ってお前との想い出を自慢できるぞ」


 迷っているボクの声を佐久那の声がぶった切る。クソ暑いなか、何にも負けずに真っ直ぐ太陽を睨みつけてる向日葵みたいだ。

 だけど、それだけ真っ直ぐだから、ボクは迷う必要もなくなったし、自分で出した答えに胸をはれるんだ。

 それに、あと一歩の勇気をくれた。


「猛彦、佐久那、ありがとう……あと少し手伝ってくれ」


 ボクは二人が動くことなく頷くのを確認して、膝立ちのまま穴へ一歩近づいた。

 少しだけ歪んだ四角形なのは、堀り初めが猛彦なせいだろう。まぁボクの真横には佐久那が作った立派な土の物体があるので、あまり気にはならないか。

 ボクは相変わらずどうでもいい事で気を散らせながら、穴の中を覗きこんだ。

 深い、暗い穴だった。

 佐久那が掘れといったのは約一メートルだから、ボクが入れば頭くらいしかでないことになる。それは考える以上に深い穴だ。

 コロロを普通に入れてあげたいけど、ボクがしたんじゃ、高い位置から底へ落とすことになってしまう。


「猛彦、ちょっと足を持っててくれ」

「へ? あぁ、うん」


 猛彦はどうしたらいいかわからなかったみたいだけど、ボクがぺたんと腹ばいになって、上半身を穴の中にすっぽりと入れてしまったので、気付いたみたいだ。慌てて上に乗っかって腰を掴んでくれた。まったく、光栄に思えよ。このかわいらしいボクにぴったりと触れられるんだからな。


「さてと……」


 穴のなかは、本当に暗くて湿っていて、何も見えない。たった一メートルの穴なのに、外界と全てを遮断されたような静けさがある。

 コロロはこんなところでひとり眠るのか……考えると少し切なくなった。夜ひとりで寝るようになって、怖くて泣き出しそうなとき、傍らにいたコロロを抱き寄せた事があった。


「ふかふかで、もふもふで、あったかくて……すごく、すごく安心した……でも、今は氷より冷たい……ボクがこうしてあったかな手で掴んでいても、もうこの冷たさはどこにもいかないんだ」


 そんな事考えたのがいけなかった。

 もしくは、ここが一人になれる暗闇なのがいけなかった。

 それとも、逆さ吊りみたいになって、頭に血がのぼっているのがいけなかったのか。

 もしかしたら、湿った土が涙の匂いに似ていたのが一番よくなかったのかもしれない。

 精一杯手を伸ばして、コロロの体が穴の底にくっついた時、ボクの逆さまの世界に雨が降った。

 ずっと我慢していた一粒だから、いっぺんにどしゃぶりになってしまった。止まらない、やまない雨。外はあんなに綺麗な空が広がっているのに、この中だけがどしゃぶりのお天気雨……いくらでも出てきて、手の先にいるコロロに降りかかっていく。ボクからこぼれていく涙雨。それがひとつ出ていくたびに、ボクの中からコロロのことが外へあふれるみたいだった。

 もう、コロロはボクが泣いていても、傍に擦り寄ってきてはくれない。そればかりか、冷たい土の上で眠ったままぴくりとも動かない。

 もう、コロロがボクと遊ぶ時、触り心地のいいしっぽをぶんぶかしてくれることは無い。そればかりか、硬く冷たい尻尾は体に巻きついたままぴくりとも動かない。

 ボクが何を望んでも、コロロはボクの心や頭の中の想像でしか、尻尾を振って応えてくれない。

 現実は冷たい森の凍えた土のなかで、ひとり氷の夢を見るだけなんだ……でも、これはボクが望んだことなんだ。ちゃんと眠らせてあげること、それが否定された事実に対する戦いの答えなんだ。

 例えそれが子どものやったことですまされて、世界において正しくないことでも、ボクは構わない。

 今、こうしてコロロを想って流れ出てくる涙は偽物じゃないってわかっているから。


「祭、大丈夫か?」


 心配したんだろう、猛彦が声をかける。


「今は、見るな……見たら蹴ってやるからな……このままで、もう少し……」


 頭に血が上って、顔は涙でぐちゃぐちゃで、とてもマトモなことなんて考えられる状態じゃない。けれど、今はこの顔を見られたくない。弱いボクはいつもコロロにしか見せてこなかった。だから、最後もコロロにだけ……コロロにだけ。


「許してくれるよな……コロロ……ボクのコロロ……」


 ボクはお別れを残して、完全に土の底のコロロから指をはがした。一本一本、丁寧に丁寧に。優しく優しく。


「いいぞ、猛彦……あげてくれよ」


 何とか搾り出した声を聞くと、猛彦はひょいとボクの腰を抱えて穴から引き出してくれた。本当に、一瞬で……何も悩む時間がないくらいに素早く。


「頭に血が上ってないか? クラクラするなら休んどきな」

「そうだな……あとは私たちがしてやるぞ」


 ボクは慌てて土で汚れた手で涙のあとをごしごしとやって声を出す。


「あぁ……頼む」


 ボクのかすれた声を聞いた猛彦は、それでも何も言わずに、スコップを手に取った。そして自分の掘り出した砕けた土を穴へと返していく。

 ざっっと、土をすくい、じゃらっと穴に落とすというパターン化した音が続く。

 ボクはもうお別れした疲れで、ぼーっとしていた。でもその土が穴を埋めていく音が、次第に頭の中でいっぱいになっていく。

ざっっ、じゃらっ。

ざっっ、じゃらっ。

ざっっ、じゃらっ……。


「あぁあああ……うぁああああぁああ……うあぁあああああぁぁああ……ああああぁぁぁああああぁぁぁあ……待て、待ってくれ!」


 ボクは気付くと叫んでいた。

 重い体と頭を無理やり働かせて、駆け出して、躓いて半分転ぶように穴にすがった。


「コロロ、コロロ! 寒いけど我慢するんだぞ、冷たくても泣くんじゃないぞ、ひとりでも、もうボクは一緒にいてやれないんだぞ! 鳴いてもなでてあげられないんだぞ! もう、一緒に走れないんだぞ! もう、一緒に……いられないんだぞ……もう、コロロの尻尾……さわ、れないんだ……ぞ…………」


 また、我慢が出来なくなっていた。せっかく泣き顔を見られたくなくて、穴の中で泣いたのに、穴の中に涙も埋めてきたのに、猛彦にも佐久那にも見られてしまった。格好悪くびーびー泣いているみっともない顔を見られてしまった。

 でも、そんなのどうだっていい。ボクはボクの想いでコロロを守るために、コロロをここで独りにしてしまうんだ。


「コロロ! コロロ! コロロ!」


 ボクは、どうして泣いているんだろうと、そんな理由を探したって、心はぜんぜん落ち着かない。

 ……違う。ボクはその自分勝手な理由を知っているから、自分が許せなくて泣いているんだ。泣いて、コロロに許してもらおうとしてる自分が許せなくて、それでもどうしようもなくて泣いているんだ。


「祭……祭は偉いよ……ちゃんとコロロとお別れして、こうしてコロロを土に還してあげるんだから」

「へっ?」


 泥がついて汚く、涙まで垂らした酷い顔を猛彦に向ける。それでも猛彦は笑う事もせずに、土をすくっていたスコップを置いて、ボクの頬に指を這わせた。


「僕にはできなかった。祭と同じことができなかった……死を認めることが、何かを守ることだと思えなかった。だから僕は時間を止めちゃった……祭は……祭にはそんな風になって欲しくない。無責任な話だけど、自分で決めたなら、哀しまずにいて欲しい……」


 言いながら、猛彦は膝を折ってボクと同じ視界にまで降りてくる。


「祭、泣きたい時は泣けばいいんだよ。何も我慢する必要はないんだ。こういう我慢は続けているとどんどん悪化するから」

「……ぅ、く……悪化?」


 涙の隙間をこじ開けて、猛彦の言葉を聞き返す。


「うん……本当にしなきゃいけないことを棚にあげて、別のことに逃げちゃうんだよ。祭のようにきちんと前を向けなくなっちゃう……それがわかっているのに、星を見上げることしかしなくなるんだ」


 猛彦はボクのほっぺたから指を離さない。それどころか、流れている涙を包むみたいに、手のひらをぴとっとする。それはとても熱くて……それなのにすごく安心するものだった。


「あ…………」


 覗きこむ猛彦の瞳はすごく潤んでいて、中身の入っているラムネ瓶の中のビー玉みたいだった。泣いていない猛彦の目がこんな風にみえるのに、泣いているボクの目はきっとこんなに綺麗じゃないと思った。

 それは猛彦の言っている意味がわかったっていうことじゃないけど、猛彦のようでなければ、こんな目はできないんだろうなと思ったからなんだ。

これは自分の決意も自分で疑ってしまうボクにはできない目だ。


「祭はいっぱい泣いて、いっぱい悲しんで、ちゃんとコロロにお別れを言った。だけど、僕はいっぱいいっぱい泣いていっぱいいっぱい悲しんだくせに、お別れなんて出来ていないし、しようともしていない。だからいつまでもダメなまんまだ……佐久那に出会えて、やっと変りはじめたのに……僕はまだ……まだダメなんだ……くそう……」


 猛彦は何かに後悔しているんだろうけど、何に後悔しているのかは、ボクではわからない。ただ、猛彦の指や手がとても優しくてあったかいので、ボクは自然と手を重ねていた。

 安心したかったのだ。ボクはボクを許せないでいるから、優しい温かさに逃げ込みたかったんだ。

 そんなボクの汚れた姿が、猛彦のウルウルの瞳に映る。随分、残酷な鏡だな。美少女でも泣いてる時は案外きちゃないんだぞ。それなのに、猛彦はボクから視線を外さない。


「だけど、祭は違う。僕が犯している間違いを犯してない。だから、悲しくても自分を否定しちゃダメだ。今は少し間違いだと思ったとしても、間違いじゃない。祭はその心で、コロロを守ったんだから」


 ウルウルの中にとてつもなく強い光が見えた。それは、自分のあやまちを認めているからだろうか。それともボクを自分と同じにしないために灯った決意だろうか。

 でも、そのどれだろうとボクは構わない。

 猛彦はボク自身が否定しかけたことさえも、間違ってないと言ってくれた。

 猛彦だけが、ボクを信じて許してくれた。

 だからってわけじゃない。

 けれど、何を後悔していても、例え猛彦自身が自分を許していなくても、ボクが許してやろうと思った。


「何がそんなに悲しかったんだ?」


 ボクはぐずぐず言ってる声で聞き返す。


「うん……姉一家が死んじゃったことだよ」

「あ………………」


 ボクはやっぱり子どもなんだと感じた。そんなこと、取り乱さずに少し前に話したことを思い出していれば、ちゃんと気付けたことだった。猛彦の流れない涙を思い出していれば、気付けたことだった。それでもボクは自分がイッパイイッパイで心の中がダメだから、また猛彦に言わせてしまったんだ。


「あぅ……ごめん、ボク……」


 慌てたけど、猛彦はボクから視線を外さなかった。それよりも、今はボクの方が大切だとまたウルウルの目が語っていた。

 ぎゅっと胸の奥が締め付けられた。ボク自身コロロのことで弱っていた。


「猛彦……」


だからボクは猛彦を抱きしめた。こんなことするなんて、自分でも信じられない。

 あぁ、でもすごくあったかい。それに安心する。ボクはきっともっと小さい頃、お父さんやお母さんにこうしてもらったと思う。そしてコロロに出会って、コロロもいっぱい抱きしめた。


「コロロ以外にはあんまりこんなことしないんだからな……こんな美少女に抱きしめてもらって光栄に思えよ……だけど、仕方ないだろう……猛彦がよわっちぃ目をしてるから、こうしてやりたくなるんだぞ……」


 でも、それはボクも同じなんだ。同じ心だから、二人で足りていない部分を抱きしめあうんだ。

ボクは忘れていたことを思い出せた。

 猛彦のおかげで、色んなことにミスしながらも思い出せた。

 コロロを抱きしめて感じてきたことを、今度はボクも誰かに伝えよう。

 なに、そんなに難しいことじゃない。言葉はなかなか上手いモノが出てこなくたって、こうして抱きしめあえば、ある程度は通じちゃうんだからな。不思議な魔法だ。


「……ぅ、うんっ……そろそろ埋葬を再開してもいいんじゃないか? 二人がそうしてるなら、私が続きをやってやろう。だが最後は祭がかけてやれ」


 ちょっと佐久那の声が尖がっていた気はするけど、今はすまん……こうさせていてくれ……最後はボクがするから。


「……頼む」


 ボクの声に佐久那は金ぴかの髪を揺らして答える。猛彦の肩越しに見た佐久那は、置いたままにしてあったスコップをひょいと片手で拾い上げる。


「ふむっ!」


 随分かわいらしい気合と共に、自分が切り出した四角い土の塊にスコップを突き刺した。


「とわっ!」


 切り出した時と同じように、佐久那は片手で塊を持ち上げると、そのまま穴に落とした。いや、落としたというよりは、外したパズルのピースをはめなおしたといった方がいいのかな。

 ずううぅうんと、大きな音がして、穴が一気に塞がった。ボクの感傷を一息で押しつぶすように、いとも簡単に埋めてしまった。

 ボクが何かを考える隙を埋めるように、佐久那は取り返しがつかないくらいにコロロを埋めてくれた。

今度こそボクが迷うヒマさえ与えないように。

 それは佐久那の優しさなんだ。隙があるから、迷ったりする。だから、佐久那は一息に埋めてくれた。


「さぁ、終ったぞ祭。あとはお前の役目だ」


 佐久那はやり遂げた顔をしてボクを振り返る。暗に猛彦とさっさと離れろみたいなオーラは出てるけど、まぁいいや。

 ボクも猛彦と佐久那のおかげで、やっと落ち着いた。


「うん……」


 ボクは答えて猛彦から離れると、コロロのお墓の前に立った。幸い横には猛彦が掘った土がまだ残っている。佐久那はこいつを仕上げにかけてやれと言っているのだ。

 ボクは黙ってその残った土を手ですくった。

 そしてゆっくりと、被せていく。

 重く、養分をいっぱい吸い込んだ山の土のくせに、パラパラとボクの手からこぼれて、コロロのお墓を完成させていく。


「コロロ……ちゃんと土に還るんだぞ……猛彦の家からも近いし、ちょくちょく来るからな……だから、だから……寂しく……ないからな……」


 猛彦の言いつけを破ったボクは、流れそうになる涙を必死に飲み込んで、最後の言葉を継げた。

 だけど、最後までみっともなくならなかったのは、きっと猛彦が色んな事を言ってくれたことと、佐久那がボクの迷いを断ち切るようにコロロを埋めてくれたからだ。


 ボクは一人ではぜんぜんダメだった。

 猛彦と佐久那に手伝ってもらって、やっと自分の想いを遂げることができたんだ。


「ふぅ……」


 見渡した空はすっかりと夜だった。それなのに、ほんの少しだけ山の天辺辺りが頑張ってピンク色を残していた。

 それだけなのに、すごく綺麗な色だった。夏休みに見た夕日のなかでは、一番綺麗だ。


「忘れてもいいことと、忘れなきゃいけないこと。そんで、忘れちゃいけないことか……とりあえずボクは、今日の夕焼けは忘れないようにするよ」


 ボクの言った何がわかったのかはわからないけど、振り返ったら猛彦も佐久那も笑っていた。

 ちゃっかり手までつないでるじゃないかよ。


「なんだよ、見せ付けやがって。手をつないでラブラブはボクが帰ってからにしろよ」

「そうだな……なぜか私はこうしたかったんだ。猛彦の手をとりたくて仕方なかったんだ。祭もつなぎたいか?」

「ちょ佐久那、何を言い出すんだよ……」

「おーーおーーー、慌てちゃって、かわいいやつだな。さぁ、用も済んだし、帰ろうぜ……手は猛彦がどうしてもっていうなら、今度つないでやるよ」


 ボクは佐久那のはっきりした言い方にも、猛彦の小学生みたいな反応にも少し呆れた。

 でも笑った。


「そうだな、だいぶ遅くなったし、急がないとな」

「そうだな、夕飯が待っているぞ!」

「それよりも、バスがなくなるって……」


 佐久那の言ってることは微妙にずれてるけれど、まぁいいか。ボクも一日歩き詰めで、お腹は空いているしな。


「さ、帰り道を案内しな」


 ボクはこの日最後になるだろう命令を、隊員に言い渡した。

 そして、もう一度コロロのお墓を振り返る。


「コロロ……また来るからな……今まで、ボクを好きでいてくれて……ありがとう」


 そして一歩踏み出した。

 それでも、もう一回振り返る。


「大好きだよ……コロロ……」

「祭、置いていくぞ!」

「ちょ、お前ら早いんだよ!」


 ボクはもう振り返らずに、暗闇に小さくなりかけている二人の背中を追った。


 だって、またここに来る時、ボクは後ろばっかり見つめずに、前をしっかり向いて来られるだろうから。


 振り返らずに、コロロのいない未来を受け止めて、コロロのいた想い出をちゃんと心にしまって、会いに来る。


 ボクは猛彦のおかげで、そうできる。

 猛彦がお姉さん一家の死をそういう風に出来ていないっていうなら、今度はボクが手伝ってやろう。佐久那がいるから余計かもしれないが、ボクにはボクの魅力があるからいいだろう。

 佐久那が出来ないことを、ボクはやってやればいい。


「おい、猛彦!」

「ん? わっ、なんだこの紙っ切れ? ゴミなんて渡されても困るぞ。自分で持ち帰りましょう!」

「言うじゃないかよ。学年男子が喉から手で欲しがるボクの携帯アドレスだぞ。佐久那に捨てられたら、ボクのカレシにしてやるよ。光栄だろう?」


 何いってるんだみたいな叫びを追い越して、ボクは夜の山道を走り出す。


「お前たちに逢えてよかったよ、ありがとう! こっから先は一人で大丈夫だ……またな、お二人さん!」


 ボクは佐久那のタンパクな「またな」の声を背負って、別れた。

 だけど、コロロにまた会いに来るように、二人にはまた会える。


 また、会いに来る。


 ボクは猛彦を助けてやろうと思ったから。


 それが間違いだろうと関係ない。人は放っておかれるよりは、関わってナンボなんだからな。


 ボクが猛彦と佐久那と関わったように。

 二人がボクと関わってくれたように。


 ボクは、関わっていく。


これから未来を向いて歩いていくために。


「そのためには、まず猛彦に甘えることから初めてみるか」


 ボクの決意は静かに青と藍の空に溶けていった。





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